1話 異世界のはじまり
異世界ファンタジー。
そして、異世界転移。
ネット小説などではすっかりとお馴染みである、この言葉だが、どういう状態から始まる事を思い浮かべるだろうか。
転移する前の元の世界から?
いやいや、あるいは転移ではなく転生であり、赤子の状態から始まる光景?
それとも、勇者として召喚され、王様なり王女様なり、伝説の魔法使いなりの魔法陣の上?
危機に瀕しているヒロインの目の前?
滅亡寸前の王国?
少なくともこの俺――灰野大――の場合は、そのいずれでもなかった。
「黒3号! 何をしている、とっとと歩け!」
「はいはい、分かってますって」
黒を基調とした、質素な服。
そして、同じような恰好をして行進するように歩く一団。
「もたもたするなっ!」
それらの集団に、怒鳴りつけるようにしている、制服姿の男。
俺達、黒服の一団が歩く。
十数人単位の人間が食事のできる長机。
その前の椅子に座らされる。
一人ずつ、前にある大机へと向かう。
そこには、黒くて固いパンが置いてある。
それを、自分の食器へと載せると次の大鍋からスープをすくう。
肉は少なく、野菜も多くない。ただ、最低限の栄養をくれてやるために入れてやったとでも言わんばかりの、わずかな具材が浮かんだ乏しいスープだ。
「ありがとうございます!」
美食大国と言われる日本生まれ日本育ちの人間からすれば、信じがたいような雑な食事だ。
しかし、それでも礼を言ってから受け取る必要があった。
全員が食事を受け取り、机に戻ったのを確認して制服姿の男が叫ぶ。
「食事はじめっ」
怒鳴るようなその言葉を皮切りに、皆が食事を始める。
会話はない。
ただ、少しでも早く食事を終わらせようとしている様子だ。
時間が来れば、無理矢理に皿を下げられてしまうからだ。
また、不審な行動を取る者がいれば、即座に処罰の対象になる。
それだけに、目をつけられるような行動を皆取らないように気をつけていた。そのためには雑談などもての他なのだろう。
まるで、刑務所のような――いや、事実刑務所に近いこんな収容施設から俺の異世界生活は始まった。
正確にいえば、いきなりこの異世界生活が収容施設から始まったわけではない。
当初、この世界に来た時。
どことも分からぬ、獣道だった。
これだけならば、日本国内のどこかだと思ったかもしれない。
だが、明らかに見た事のないゴブリンやらオーク鬼とでも称すべき奇妙な生物が歩き回っているのを見てその認識を改めざるをえなかった。
見たことのない植物、見たことのない動物。
ここは日本どころか、地球上のどこでもない異世界ではないかとの疑いを濃くしていったが、それでも生き残る事を第一に考えた。
何せ、その時の所持品は携帯電話と私服のみ。
食料すらない。
異世界だろうが、地球のどこか辺境だろうがそのままでは間違いなく飢え死にしてしまうだろう。
せめて、どこか整備された街道に出ようと必死に歩きまわってみた。
すると、願いが通じたのか開けた道に出る事ができた。
しかも、まだついてさして時間の経っていないであろう足跡も見つけた。
喜んだ俺は、とにかくその足跡のある方向へと進んでいった。
とにかく町だ。
人通りの多い町にさえ出れば何とかなると思った。
思えば、これは少し迂闊だったかもしれない。
もう少しこの世界の情報を収集してから、町に入っても良かったかもしれない。
だが、食料はない、人もいないこの状況ではとにかく一刻も早く町に入って安心したかったのだ。
そして、明らかに人の手で作られたと思われる建物の集合体――町と思しき地にたどり着いた。
ところが、町に入ろうとしたところ、関所のようなところで止められた。
「貴様、異人だな!」と、警備のものと思われる騎士甲冑姿の男数人がかりに身柄を拘束され、馬車のようなものに詰め込められたかと思うと――気がつけばこの収容施設にいた。
――異人更生施設。
そんな名称で呼ばれているここは、異世界から来たとされる人々を軟禁する隔離施設らしい。
と、ここに叩き込まれた当初にそう説明を受けた。
「こらぁ、黒3号! 何をしている、食事時間はもう終わったぞっ」
と、そんな俺の回想を打ち破るように声が響いた。
はいはい。
看守――ではなく、正式には「異人管理員」という肩書を持っているらしい――男が怒鳴る。
ちなみに、黒3号というのは俺の分類番号らしい。
他にも、青やら赤のような色で分けられているのかもしれないが、俺の知る生活空間にいる範囲の面々は皆、「黒○号」といった具合に色+番号でしか呼ばれていない。
「今行きますよ、少し待っていてください」
「とっととしろ! このうすのろめが!」
どういうわけか、言葉は通じる。
これは、翻訳魔法のようなものを使っているのか、あるいは彼らが使っているのが本当に日本語なのか。
その判断はつきかねた。
そもそも、俺達がなんでこんな隔離施設に入れられているかというと、
「良いか、お前たちのような異人が時折、異界から迷い込む。だが、お前らときたらろくに常識を知らん。だからこそ、あちこちで迷惑をかける事になる。そんな事にならんように、この更生施設でこの世界の常識と良識をしっかりと叩き込んで更生させてやるのだ。皇帝陛下の深い御慈悲に感謝せいっ」
との説明を最初に受けていた。
どうやら、この世界で俺のように転移してくる奴はそう珍しくはないらしく、確認されているだけで、年に100人以上はいるらしい。
というか、この隔離施設で確認できる同郷の者達だけで、すでに30人以上の人間がいる。
確認できていないものや、他にも似たような施設がある事を考えればそれ以上の数がこの施設だけでもいるかもしれない。
「何か怒られていたみたいっすけど、大丈夫っすか?」
心配したように、声をかけてきたのは俺同様に黒い囚人服に身を包んだ少し年下の少年。
ここでの呼び名は、「黒1号」だったはずだ。1番目という覚えやすい番号だった為、よく覚えていた。
「難癖つけられただけだよ」
その少年に、そうそっけなく返す。
少年も「そうですか」とだけ答え、それ以上は何も言わない。そのまま歩き続けた。
変に会話が続けば、それだけで難癖をつけられ、懲罰の対象になりかねない事を分かっているからだろう。
――逃げ出したい。逃げてやる。
そんな気持ちが、いつの間にか。
いや、最初からずっとあった。
こんな生活はもう終わりにしたい。
現代日本の生活に慣れ切った身からすれば、こんな生活は辛すぎる。
だが、この杖――この世界で一般的な武器として使用される魔法の杖らしい――を携帯した管理員が、今視界に入っているだけでも10人近く。
この施設の外にもそれ以上の数がいるだろう。
この施設にいる囚人全員がいっせいに蜂起でもすれば話は別だが、俺一人が反逆したところで成功する可能性はゼロに近い。
簡単に取り押さえられて終わりだ。
では、この生活を続けるのか?
それも嫌だ。
聞いた話によると、この施設は一応「更生」とついているだけあって、「異人としての悪しき教え」とやらが消え、この世界の常識を学びきったと判断されれば、外の世界に出る事ができ、準市民権とやらがもらえるそうだ。
だが、それには最短でも3年。
平均では、5年もかかる事らしい。
先が長すぎる。
正直に言って、とても耐えられる気がしない。
いっそ死のうか、などと考えても人間そう簡単に死ぬ事ができないものだとよくわかった。
一応は保証される、最低限の衣食住。
これさえあれば、人間、一応は明日を迎えようという気持ちになる。
とはいえ、こんな生活を続けていればいずれ狂ってしまうのではないだろうか――そんな風に考えた時。
『――聞こえていますか?』
不意に、声が頭に響いた。
「?」
辺りを見渡す。
しかし、周りに誰もいない。
『あーあー、聞こえていますか? 私は皆さんの味方です。あ、これは、念話と言って魔力を持つ者にのみ伝える事のできる連絡手段だよ!』
女性のものと思われる、若い声だ。
どこか活発な、それでいて聞いているものを落ち着かせる不思議な声だった。
『……さて。さぞ、戸惑いの事とは思うけどあまり時間がありませんので、単刀直入にいいます』
そんな風に思う俺をよそに、脳内に響く言葉は続いた。
『囚人生活を送っているみなさん――ここから脱獄、する気はない?』