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21.頞部陀(あぶだ)(2/2)

「……で、頼光ちゃんの道中の御土産を期待して来て見れば、何ぁんで小汚ねぇ童子(ガキ)なんざ拾ってくるんっすか?」

「秀武殿、いい加減、上士(じょうし)へは口を慎めと!」

「るっせーな、良いだろうが頼光ちゃんが『何と口調を使おうが、何と私を呼ぼうが構わん』って言ってんだぞ? (さだ)ちゃん如き一介の兵卒が上士様の決定に口挟んで良いことなのか? ぁあ? そこんとこ、どうなのよ? え?」

「秀武殿、それとこれと別でございます。武士道に士は在っても『私』は在ってはならない! これぞ、武士、士道なりッ!!」

「カッ、一人で感動して咽び泣いてるよ。うぜぇ、これだからお堅い奴はよぉ……」


 何日か気絶し、それから眼を覚ますたびに理不尽な鉄拳を食らいつつ、それでも耳に残るあの声で、気絶する一歩手前で助けられる夢を何度も金太郎は見ていた。無論夢でなく、猛烈に痛い、腫れた顔が現実だと主張しているが。

 さて、身動きのまったく取れない上、目隠しをされてしまった金太郎はとりあえず、その場の会話にしか耳を傾ける事しか出来ない。口を挟めば今度は猿轡の出番か、またまた土砂降りのような鉄拳制裁の出番なのでいい加減懲りたと言う理由もある。


 先程から切り出した岩石の如き堅さをもった人物と、雨上がりに見られる猪の泥風呂の如きゆるゆるの軟弱さを持った口の悪い男、の二人が少年自身を何やら評しているようだ。会話から聞けば、何故かそこそこ歓迎のようなモノはされてはいるようである。

 一体誰が、在ろうことか帝直属の、しかも退魔兵団と戦闘を仕掛けた金太郎を取り成したのだろう? その辺りは大体予想はあの若武者だろうと検討は付くが、少年はその理由が分からなかった。

 何とも言いがたいが、土牢の中で無く、どうやら感触からすれば板の間の上と言うのは、縛られて目隠しされている事を除けば、かなりの高待遇のようである。

「――と言うことです。武士の素晴らしさ、その生き様。それを今こそ理解して、秀武殿、さぁ、僕と武士を謳歌しましょう!」

「一人でやってろ、ばーか。俺はてけとーに自分のやりたい事ができりゃいいーの、気まま勝手が俺の主義主張なの」

「秀武殿、未だ理解していただけないのか?」

「あぁ、魂の底からな」

 何故か、堅物の方が泣き出してしまった状況に秀武と呼ばれた男は「えー加減にせろ」と言い、それらの反応に対して、とりあえず、金太郎は戸惑った。

「秀武、貞光、やれやれ、お前等は目を離せばまたそれか」

 春風を吹かすように出てきた爽やかな声色。声の調子と言い回しから三人の武士の中では比較的年上に位置するようだ。

「訊いてください、綱殿、秀武殿が未だに僕を受け入れてくれないのです」

「テメー! 何勘違いされるような事言ってんだよ!」

「御前等、やっぱり仲悪いように見せて、そう言う(衆道)関係だったのか?」

「はい、そのような(親密な同僚)関係です」

「チゲーよッ!! テメーまったく理解してねーよッ!! 俺は女に溺れても、そんな邪道に反れても堕ちても囚われてもいねーよッ!!」









「プッ」

 あまりにも滑稽なやり取りに少年が『吹く』と、目隠しても分かる、あからさまにムッとした態度を秀武と呼ばれた男は見せた。ちなみに貞光と呼ばれた男はまだ泣いている。綱と呼ばれた音はただ気配を消し、いや、自らの風を凪いで何をしているのか覚られないようにしている。いや、微かに笑っているのかもしれない。

 そのまま声を殺しながらも笑っていると、気付けば、金太郎の笑い声にもう一つの、涼やかな笑い声が重なっていた。

「頼光ちゃん」

「頼光様」

「大将」

 秀武、貞光、綱と男の声に続いて、金太郎の耳に聞き覚えのある、あの若武者の姿が反芻される。

「よぉ、お主達はいつも面白いな」

「礼に及びません、大将」

「ヘッ、頼光ちゃん、勘弁してくれや」

「頼光様、東方僻地への人外討伐の任、御苦労様でした」

 それぞれの男の返答に「うむ」と短い言葉で応える美声。


 そして、突然視界が開けた。閃く光に眼を奪われて、金太郎は一度、目を閉じると、再び瞼を開けた。


 目前には、目隠し用の血の滲んだ布を持ち、白い仮絹衣のみを纏った、何とも乱暴な格好(無論、血と泥で汚れた赤黒い腰巻一枚の金太郎に言える事ではない)の頼光。

 その後ろに胡座(あぐら)をかいた眉毛の太い、更に口に比例してかついでに目付きも悪い長髪の男。この男が秀武だろう。左手には酒の臭いのする竹筒が握られている。

 その横に坊主頭の神経質そうな細目の男、もちろん座り方は正座、よってこの男は貞光に違いない。ちなみにまだ泣いている。涙もろいのだろうか?

 そして、その横に柱に寄りかかり、太刀を持って立つ眼帯をした男。先の二人よりも少し大人びた、それでも十分と若い片目の男が居た。女のような雅な容貌だが、底知れない実力を秘めているように思える。この男が綱に間違いない、と金太郎は検討をつけていた。

 男達は小柄な頼光の身長に眼を瞑っても、明らかに並みの男達より長身で身体の至る所が鍛え上げられている。少年は、彼等は若いながらも、あの山で闘ったどの兵士達よりも抜きん出て、あの老人のように強い事を見極めた。

 客間であろう場所。戸は開け放たれて、山の自然とは違う、精美を凝らした庭が見えていた。赤から黒へと充密した天蓋は、庭の外の灯り、都の灯りによって些か星は見難く、その代わりに、大きな白い満月が存在感を誇っていた。

「お主達はどう思う?」

 頼光は悪戯をする直前のような、子供じみた笑みを見せながら、少年を指差した。

なみゃいいきひょう(生意気そう)

 竹筒を咥えながら、秀武は応えた。

「どうと言われましても、我が兵団に甚大な被害を与えた大罪人に他なりません」

 涙目を擦りながらも、そう貞光は答弁する。

「大将は、どうお考えなのでしょうか?」 

 風が柳を往なすように、綱は疑問に疑問で返した。

 その問いにニヤリと、「お前分かっているではないか」と笑った。




「いいか、今日からコヤツを、金太郎を我等が郎党の一員に加える」




 金太郎は何を言っているのか理解しかねた。

「……え? 何? コイツが俺達の『四人目』なんすか? こんな奴が?」

「そんな、僕は、反対です。子供ですし、無茶苦茶怪しいですよ!」

「……私は大将を支持しますよ」

 驚愕の後、二つの男の反対の声に一つの賛成。

「儂もそれには反対ですぞ」

 更に、この間の老人、坂田も何時の間にか板の間の外、廊下から顔だけ出して声を掛けている。反対足す一。

 一瞬何かを考えた頼光は辺りを小躯にも関わらず見下ろすように睥睨すると、片手を広げながら挙げて今度は男達に『宣言』をした。

「では、こうしよう。坂田を筆頭に、渡辺 綱(わたなべ つな)卜部 秀武(うらべ すえたけ)碓井 貞光(うすい さだみつ)の四人でそれぞれ、彼を、金太郎を鍛え、錬磨し、我が郎党に相応しい一人前の武士にしろ。私の【四天王】に相応しい武士にするのだ。以上、異見は聞かない。逆らった奴は首ちょんぱだ。簡単に言えば、これ、【命令】だから守れ、いじょ」

 それだけ言うと頼光は『二コッ』と破顔一笑して、その場を去った。

「わーい、横暴だー」

 やりどころの無い怒りを飲み切った竹筒を庭に向かってブン投げて解消し、同時に「大馬鹿者」と坂田に殴られて床に叩き付けられる秀武。

「頼光様がまた訳の分からない事を……」と頭を抱えながら再び涙を流す貞光。

「んー、俺、明日早番だから寝るわ」とあくまで自分の調子を崩さない綱。

 一頻り秀武を殴ってふと我に返ると「頼光様、そのような事は儂が許しませんぞ」と、頼光を追い駆ける坂田。


 そして気付けば、今度は檜で組まれた風呂に金太郎は入っていた。

 湯浴みでは無いが、暑い時期は滝で水浴びをし、寒くなると近場の天然の温泉にボス猿と場所を争いながらも背中を付き合わせて浸かっていた金太郎は意外に綺麗好きだった。

 縄を解かれると同時に、何時の間にか現れた自分と同じ年頃の短髪の女の子に「何かあったら声を掛けてくださいねー」と何故か縄と同じ様にテキパキと服(赤い腰巻)を脱がされて、金太郎自身、今は湯船の中である。恥ずかしがる間も無い程の早業だった。

「なんだ、この状況は?」

 普段はあまり使わない、獣でなく人の言葉で金太郎は独白した。

 殺される危機は逃れたワケだが、どうやらそれ以上の危機に飛び込んでしまった感も無きにしも非ず。

 外には足音からして武装した衛兵が四~五人に加えて、あの間抜けな茶番を見せた男達と侮れない老人、そして頼光なる若武者が十重に囲んでいるのだ。金太郎自身、得物の鉞の失した状況で、現状を打破出来るほど楽観視はしていなかった。

 つまり、こっそり抜け出るのも何とも難しい。しかも、自分の住み慣れた山の匂いのしない事から、自らの領地から大きく離れた事が分かった。

 兎に角、暫くは、ここに世話になろうと胎を据えた。幸い、目隠しをしながらも齧り付いた硬い握り飯はとてつもなく上手かった。山に住むからには狩りをしなければ飯も食えない。ここではタダで飯が出るのだから儲け物だ、と言う些か姑息で合理的な考え方だ。

 ……とりあえず、身体も十分温まったようだと判断し、水音を立て風呂からあがる。






 それと同時、引き戸が開かれ、そこには頼光が居た。

 いつものように結われた長髪は今は解かれ、腰ほどまで艶やかな色を保っている。乳白色の肌は些か見慣れた、自らの、獣との闘争で傷付いた金太郎の浅黒い肌からは程遠いところにある。

 ただ色々と頭の中で出来上がっていた金太郎の想像と違った。

 胸元から膝上まで巻かれた布の下、上半身には男性よりも女性の方が目立つものモノがささやかに、そのもっと下の方には男性には本来あるはずの二つの『モノ』が女性だから無い状態で。

 実際のところ、頼光は『彼』では無く『彼女』であった点だ。






「よっ、ちゃんと体洗って入ったか?」

「なっ!?」

 金太郎は妙な恥ずかしさを覚えて湯船に慌てふためきながら風呂場を四つ脚で急転身し、飛沫を上げて元に戻った。

 しかし視線を戻せば、飛沫の掛かって透けてきた頼光を包んだ布に『自分が見られた時以上に』ドギマギとしてしまう金太郎である。

「お主ー、道楽と言えど浸かれる程の湯沸かすの面倒なんだからな? 湯を零さないように静かに入れよ」

 そう言うと、桶で掛け湯を終わらして小さな一人では僅かに広い、小さな二人では僅かに狭い風呂釜に頼光は身を委ねた。

 先程まで、広広としていたはずの湯船が圧倒的な勢いで小さくなったように金太郎には感じられた。

「おいおい、何膝折って角で縮こまっているんだよ。仲良くしよーぜー」

 そう言って、嫌がる金太郎の肩を掴んで引き摺り、ついには同じ方向を向いて並んで浸かるようになっていた。

 肩越しに触れる柔らかい、自らの体とはまったく違う体。この相手に俺は負けたのかと、金太郎は自問自答を繰り返す。勿論、念仏などを知らないので気を紛らわして落ち着く代わりである。

「……びっくりしたか?」

 上気した頬で、にこやかに微笑む頼光に顔を合わせないように前を向きながら、視界を彼女の裸体から完全にそらして「当然だ」と応えた。

「……まさか、女人だとは、想像つかなんだ」

「まぁな、大抵は驚かれる。でもな、獣のお前なら分かるだろ? 裸の付き合いって重要だろ? 何かも晒せば、話しやすくなるってもんだよ。だが、坂田には内緒だぞ? アレはウルサイから内緒だからな」

 実はとっくの昔に気付いているのだが、もう何も言うまいと思っている。ちなみに、闇殺舎の構成員は誰しも一度は一緒に風呂に入っている。むろん、その後は坂田が怖くて、頼光に誘われても辞退する者の方が多い。ちなみに秀武の場合は「俺好みの体格じゃねーからいいや。やっぱ、ぼんきゅぼーんでしょ?」と意外にあっさりと止めている。

 とにかく、

「……俺の山の事なら知っているが、下界の事情は、よく知らん」

 予想以上にムスッとした少年の声にカラカラと笑い声を男装の少女はあげた。

「……何故、アンタは男の格好して闘っていたんだ?」

 金太郎は横目で盗み見るように頼光の顔だけに眼を定めた。ちょっと驚いたような顔をする頼光は、一転して少女らしい柔らかい笑みを浮かべた。

「少し長くなるが、いいか?」

 金太郎はゆっくりと頷いた。


 皇紀千六百三九年、同西暦九六十九年、千年弱前の日本は人と人外にとっての転換期でもあった。人は魔の住む領域まで侵食するほど発展し、ついには各地で突発的、散発的な小競り合いが起きた。人が団結し、その力を高めるように、人外も人に似た階級性、貴族階級の『魔族』と下っ端の『魔属』などのように分かれて、龍や山神、蹈鞴神のようにそれぞれのの種族ごとにまとまっていった。組織内での序列が決まったのだ。

 生命体の集まり、国家が出来れば、次に始まるのは、国家同士の資源の源である領地の奪い合い。戦、戦争である。

 山深い近江地方(現在の京都の北東の側、岐阜、長野付近一帯)に集結しつつある人外の集団にして、兵団。それに対抗するために十六年前、第一次対抗武装集団として坂田 公時(きんとき)、つまり今の頼光のお目付け役の老人が選ばれたのだ。

 ちなみ坂田 公時は当時の貴族の日記である【御堂関白記】などにたびたび登場する優秀な近衛兵であり、実際に源頼光に仕えたと言う記録がある。文中では『見目もきらきらしく、手利き、魂太く、器量ありて……』、つまり『器量に優れ、見栄えのする好男子で、かつ腕自慢の豪傑』と言われていたとの事だ。おそらく若い頃のことだろう。都から相撲使として、力自慢や腕自慢の兵を探しに大宰府(今の九州)へ出掛けるなどしていたため、力自慢や腕自慢程度の兵士に負ける事はないのは当然である。儀式偏重の中で唯一実力を公正に認められた兵である。

 さて、話は戻る。熾烈な戦の末に遂に総大将同士のみが残る形となり、当時の人外の長としていた龍ノ目 時雨(たつのめ しぐれ)と長い交渉の末、無効二十七年の停戦条約を結ぶに至ったのである。

 その当時の三月頃、『安和(あんな)の変』と呼ばれる臣籍(しんせき)、天皇の家系でなく一般人の家系として下った大物政治家、左大臣の源 高明(たかあきら)が朝廷転覆を狙う狼藉者として無実の処罰を受けた。それは当時の人外との大戦を政界や民草から逸らすため、同時に政界での自らの力を確固たるものとするために藤原氏の上層部が練り上げられた代理脚本(カバーストーリー)であった。それほどの大事件を代理として必要とするほどの大事件だったのだ。無論、それは諸所の御伽噺へと流れ込んで、桃太郎などの鬼畜生を倒していく伝奇活劇の骨組みなったのだと思われる。

 そのため実際、平安時代に入ってから国の境界を守るための代表的な関所を越前の愛発関(あちらぜき)と言う場所から、もっと京都よりの決戦予定地である近江の逢坂(おうさか)へと移している。関所などが変えられるのは政変や帝の代がわりなどの儀式的な理由が多かったが、これだけは人外との戦争に備えるために、『聖帝』村上天皇の崩御の際に合わせて補給などの観点から軍事目的で移行したようだ。

 ところで、その条約の無効後までの二十七年。人外は着々と都を乗っ取るために龍ノ目を中心に兵力を増強しつつあった。そこで、坂田と、ちょうど頼光の家から都の大路を挟んで反対側に住む、実力であれば京随一の陰陽師、安陪 晴明(あべの せいめい)以下数名の天文博士とで協議が開かれ、結論に至ったのはこうである。


 第二次武装集団を組織化し、戦争に供える。

 そこで出来たのが退魔集団【闇殺舎】である。呪術支援のための陰陽寮と法力の達人集団である延暦寺が組み合い、そして増兵鍛錬の要である侍院から兵を選抜し、加えて当時の戦車にあたる馬を駆使する馬寮を枢軸として機能する、帝公認にして直属の退魔戦特化集団が生まれたのだ。周辺の龍ノ目との関係の薄い人外を狩りつつ、敵を近江に追い込んで的を絞り、戦を決すると言う事だ。

 そして、その頭、大将に入るのは都でも認められた武の名家である源の家で、左大臣とも繋がりの深い源 満仲(みなもと みつなか)の嫡子(長男)が選ばれたのだ。

 それが源頼光である。


 だが、しかし、

「ところがどっこい、源 頼光は確かに武才に秀でていたけど、三年ほど前に突然の病で万年床についてしまったのだ。だが、帝の決定を覆せるワケでもなく、仕方なく、こっそりと源家の中から代役を立てなければならなかった。武才に秀でて、器量も良く、顔付きも似ている人物。と言う訳で私が、『源 頼光の双子の妹』源 光(みなもと ひかり)、私が選ばれたワケだ」


 何だか、話途中から想像の尺度(スケール)がデカ過ぎて金太郎はついてはいけなかったが、とにかく目の前の人物が頼光と言う男でなく、その妹にあたる光と言う女の子なわけなのだ。そして、その女の子はどうやら恐ろしい妖魔と戦わなければならない運命にあるようだった。


 手でお湯を掬って自らの肩に頼光は、光は掛けると、そのまま話を続けた。

「兄上の病状は芳しくない。今のところ、ちょうど条約の終わる四年後には病状も良くなるはずだが、あくまで仮として、もし仮に病状が良好にならなかった時には私がその戦場に立たねばならないのだ。そのとき、『私の事情』を知り、補佐となる人物が必要だと坂田は考えた。それが『四天王』制度だ。私の直接の側近として、坂田に代わり、護衛としても、作戦立案、陣頭指揮、直接戦闘も個別に可能な特に優れた四人の武者が必要だと考えたのだ。

 今のところ、

 矢伏せの達人で武芸に通じた、私の腹違いの兄でもある最年長の渡辺 綱、

 二刀使いで地理掌握、陣地形成と諜報戦の長けたの元盗賊頭、卜部 秀武、

 攻性呪術や祈祷など、対魔術戦に専用に直々に陰陽寮長、賀茂殿からの指導を受けている碓井 貞光、

 が坂田の武術指導の下、訓練を受けている。そして、そろそろ最後の一人を見つけて、軌道に乗せなければならない頃だ」

「だが!」

 金太郎は反発するように光の眼を見た。

「だが、何故、俺を?」


 身元不明。名は金太郎の三文字。姓も無く、山を根城にする小童が何故眼鏡に叶ったのか?


 そっと、金太郎の顔が白い手に挟まれ、互いに眼を覗き込む形となった。

「お主の、眼が澄んで、活き活きとしていたからだ。お前なら、多くの人を救える。人が魔を退け、いや、人が魔と共存出来る『楽園』を作り上げられると、私は直感したのだ」

「……らくえん?」

「ああ、誰も戦う事も、飢える事も、蔑まれる事もなく、全てが公平で、誰もが幸福を感じる場所だ。獣が持っているのだ。人が努力して地上に極楽を持っても罰は当たらんだろう。そのために人外を虐げる事になるかもしれないが、仕方が無い。私は人よりだからな」


 光は湯船から上がる。胴に巻いていた布は取れ、その鍛えられても闇殺舎の誰よりも華奢な背には女性の身体に似つかわしくない、幾らかの傷痕が見えた。

 この傷痕は一体何時からのモノなのだろうか?

「少し長く話し過ぎたな。今日はここまでにしよう。湯冷めしないようにな。金太郎、お主もそろそろ上がれよ」

 引き戸が閉まるまでジッと光を見て、金太郎は口元まで湯船に沈み込んだ。

 ぶくぶくとお湯に息を吐きながら思った事は「色白の人の尻って、温まると桃みたいな色になるのだな」と言う、どうでも良い事だった。


「あがりましたねー。それじゃー、金ちゃんも拭き拭きしましょうねー」

 アンタ何様だと言う間も無く、体を勝手にいたる所まで拭かれて、白い、光と同じ仮絹衣を着せられて、今は寝床に寝かせられている。しかも、子守り唄を唄いながら添い寝され、気付けば甲斐甲斐しく世話していた方が寝ている。

 その女性は(相模:さがみ)と言う名で、実は金太郎より三つも上なので十四、五のはずだが、見た目と言動がそれ以下だったりする。

 金太郎をしっかりと抱きしめていた腕を起こさないように静かに払うと、少し長めの絹衣を床に引き摺りながら光の住む本宅から少し離れた、相模などの世話をする端女が住む住居の縁側に出る。ちなみにそこが金太郎の与えられた住処となっている。

 縁側は春先とは言え、僅かに肌寒い。温もりと共に松明の光が煌々と火種を爆ぜさせながら周囲を照らしている。口から出た息が人の温もりを白く形作った。

「金太郎」

 気配をわざと気付かせながら、男は、綱と呼ばれた男は庭の樹の陰から出てきた。

「座っていいか?」

「好きにしろ。おまえは元々住人だろ」

 相変わらず金太郎のムスッとした口振りに、大人らしい苦笑を浮かべて単眼の男が横に座る。

 共に向かう視線の先は大きな、冷たい白月。

「大将の、光の決定であるから、私は文句を言わない。命令ともなってしまえば、坂田翁も、秀武も貞光も最後には従うしかない」

 何か、決意を求めるような口調を綱は続ける。

「だから、後はお前次第だ。望まぬまま、私等の郎党に組入るも良し。もしくは望むまま、このまま外に抜け出るのも、お前が望むなら私が今手伝うぞ」

 金太郎はハッと綱を見据えた。綱のただ一つの黒瞳が暗い中で何故か蒼く光ながら、金太郎の奥底を見透かすように見ている。

「お前は嫌な予感がする。眼は活き活きとしているだが、その先には、何とも言い難い、『終わり』に続いているように見える。私は片方の眼を失ってから、『矢伏せ』、射られた矢を空中で落とす事が出来るようになった。それは少し先の未来が見えるからだが、時々、ずっと先の未来すら見える時がある。こうして、お前の目の奥を見ていると本能が警告を発する。だが、理性ではお前の怪力や運動能力を大きく買っているのだ……」

「……俺は」

「何故こんな事を話したのだろうな」と綱は返答を聞く前に一言言うと、別れも早々に、出てきた時と同じ様に勝手に暗闇に沈みこんだ。

 一人残された金太郎はそのまま縁側にゴロリと転がった。冷たい床が未だ風呂でのぼせた頭に心地よく、久しぶりに夜行性の金太郎は夜中に寝てしまった。




「ハイハイ、起きてくださーい。朝ー、朝ですよー、起きなくちゃダメですよー」

 勝手気ままに過ごしてたいたはずの金太郎の日常は、いつの間にか相模の制御下に置かれているような気がした。朝、妙な寝苦しさに起きてみれば何時の間にか縁側から寝床まで戻されて、しっかりと抱き枕にされていた。ムカついたので二度寝していると、暫くしたら今度は起こされた。かなり自分の意思を蔑ろにされているような気がした。

 その事実にむすっとした顔のままでいると、そのまま仮絹衣ごと背中側を持って引き摺らされ、屋敷でも些か高級であろう、畳張りの部屋に通された。

 目前には髪をいつものように若武者の如く結った頼光、もとい光の正座姿。昨日の今日の浴室での事を思い出して面食らっていると「何しているんですかー。ちゃちゃと座ってくださいよー」と相模に肩を押されて尻を着かされた。

 その横には「ねみー」と言いながら寝癖気味で整えたつもりなのかよく分からない、中途半端にボサボサの髪型の秀武と朝っぱらから御眼々と姿勢がぱっちりと整えられている貞光。そして、直衣と呼ばれる正装をした坂田と綱が同じよりに礼儀正しく正座をしていた。

 片足を立てて尻をついている金太郎の前には、相模によって御膳に乗っけられた朝餉あさげが運ばれてきた。

 一般の貴族向けの、堅粥(かたがゆ)と呼ばれた今の御飯ではなく、武士向けの、顎を鍛えるためのただの玄米をそのまま炊いたものである。横には野葡萄を発酵させた地酒ならぬ、地葡萄酒(ワイン)が木の杯に満たされていた。隣の皿には昔の味噌である中国の(醤:しょう)が鮭に塗り付けられている。 醤は、獣や魚の肉をつぶし、 塩と酒を混ぜて壺につけこみ、百日以上熟成させたものである。芹の若菜、煎り豆に、瓜のなます、小皿に塩が同じく膳に載せられていた。それとは別の膳に焼いた猪の肉が載せられていた。

 摂津河内の源家は当時の権力者に擁護され、国司(こくし)と呼ばれる、いわゆる地方知事などを頼光の父である満仲から歴任している。国司は当時の貴族間での人気職であり、一年間で現在にして億単位の財源を稼ぐ事が可能であった。それ故に食事などで困るはずが到底なかった。つまりがこの食事が平安貴族の上位の基準なのだ。平民などは米ではなく粟やひえ等の雑穀や下手すると木の根を食していた。むしろ当時としては十分な食事を郎党に賄う源の財力が窺える。武士の富豪と言えば源満仲の家系を指していた。だが言うなれば、武士は粗忽者であり、帝に直接仕える正式な近衛兵である坂田の翁など以外は現在での成金の暴力団と同じ認識だったそうだ。

 ちなみに当時は仏教が広く信じられていたが、彼らは本職は武士であると自覚していた。そのため、やっぱり肉を食わないと身体に筋肉は付かない。そのために彼らの中でも仏法を尊ぶ貞光も「猪さん、その生きた年月を宿した命を……戴き、ますっ、うぐっ」と言いながら、泣く泣く肉を日々食っていた。

 そんな複雑な宗教事情などを金太郎が考えられるはずもなく、狩りもせずにただ座っただけで飯が出た来た状態に唖然としていたが、思い出したような空腹と腹の音でそろそろと手が伸びる。が、その前に鈍器が肉を打つ音が鳴り響いた。金太郎の頬で。

「この野獣が、礼儀に従うことも出来ないのか?! 食事の前の礼くらいせんか馬鹿者!」

 煙をあげる老人の拳が金太郎を廊下まで弾き飛ばしていた。

 ぷっつんと何かのキレる音。

 間も置かずに老人との子供の取っ組み合いである。

 二十三貫(約八十キログラム)の老人を立たせたまま逆さまに、力任せに持ち上げる金太郎に、その現代風に言うなればブレーンバスターに似た投げを空中で体勢を整えて逆に投げ返す坂田。

 返し技で庭まで吹き飛ぶ金太郎。

「この糞爺」と罵る子供に「掛かって来い獣が」と年齢を考えない闘争本能剥き出しの爺さんが庭で暴れる。

 クツクツと笑う秀武に呆れたような貞光の溜息。

「ふむ、獣を飼い馴らすのは難しいようだな」と光は訊くと、綱は「まぁ、なんとかなるでしょう」と返答した。


 口煩い老人に口と鉄拳で注意されながらもがっつくように金太郎は飯を食い終わると、巨大な白馬、彪凪に光の後ろに乗って連れられて来たのは源氏の屋敷の一つだった。


 板張りの廊下を通って薄暗い床の間まで通される。

 そして、光に横に窮屈な正座で金太郎は座らされた。

 「兄上、加減は如何ですか?」

 金太郎の目の前に居るのは、光に似た風貌の、些かにやつれた床に就いた男性だった。

 おそらく、彼が本当の源 頼光なのだろう。

 顔は死人のように動く事は無く、あまりにも重たく、身じろぎのしない雰囲気に死人を想起させる。時折、喉がひゅうひゅうと鳴るのが、生きている証拠のように思えた。

「兄上、四天を治める持国天、増長天、広目天、多聞天の名を冠する四人、四天王をようやく見つけました」

 俺はまだその気は無いぞ、と言いたい金太郎だったが、あまりに深刻な雰囲気に突っ込む事さえ出来なかった。

「敵は強大ですが、まだまだ時はあります。養生なさってください」

 一礼をする光を見ながら、何故、兄の代役まで続けて戦うのか獣は不思議に思った。


 屋敷を後にしたのち、頼光によって京の様々な場所を案内された。

 帝の住む荘厳な、木造の精緻を極めた内裏に、様々な貴族の住む煌びやかな屋敷、内部からはお天道様の高いうちから宴の賑やかな喧騒。平安京の中心を貫く、二十八丈(約八十メートル)の朱雀大路の壮大さ。近場の鍛冶場で響く鍛造の小気味良い音。賑やかな市の光景。


 しかし、華やか街並みは南下すればするほど、道端に死体や乞食の広がる場所に変わっていった。そして、雑木林のような荒地に、枯れた田んぼなどが目に付いた。内裏より遠ざかった、四条大路以降の荒んだ光景である。

「例の戦争で疲弊して、民に廻すほどの余裕が無いそうだ」

 無言の続く中で、彪凪に揺られる頼光がポツリと言った。

 例の戦争、つまり、人外との戦である。

「まだここはマシな場所だ。戦のあった場所は……、地獄だ」


 地獄。


 その言葉の意味は、知らなかった。だが、全てが、彼の全てがそれを、拒絶していた。

 おそらく、極楽、楽園の逆。無限にして無限に続く、刑罰のためだけの悪夢。


 寂れた街道の両脇には転々と崩れた家屋が立ち並ぶ。夜盗の横行により、放火によって未だ燻る家もあった。

 気付けば、彪凪のすぐ傍に痩せこけた一人の女の子が立っていた。その後ろにはそれよりも僅かに小さな男の子も手を引かれて立っている。どちらも辛うじて引っ掛けた程度の、拾いものであろう袷着を着ていた。

 光は馬から軽やかに飛び下りると、懐を弄り、そこから魔法のように笹の葉に包まれた柔い握り飯を渡した。

 呆ける女の子と男の子に片目を瞑ってみせる頼光。

「姉弟は仲良くするだぞ? さぁ、大人に取られぬうちに行け」

 そう言って、頼光が彪凪に飛び乗る頃には弟は笑顔を見せながら、意外にも少女はペコリと礼儀正しくお辞儀をして、子供達は走って街の角に消えた。その瞳には僅かな涙が混じっていた。

「……私が始めて戦場出た頃、私が十五だったから二年前か。あの時はまだ突然戦争に出されて、その理不尽さに憤慨していた頃だな。兄上に倣って武術をやっていたとはいえ、女子の身だ。戦場では坂田に守られているに等しいモノだった。『もう二度と戦争には行かん』と腹に決めて命からがらに戦場から帰ると、一人の娘が赤子にも等しい小さな弟を連れていたのだ。……その娘はな、乳を出ないのに一生懸命に、路傍で母親がしていたように乳を吸わせようとしていた。何かに突き動かされるように私はあの子達を引き取れと坂田に命令した。そうだ、命令までしたが、ダメだった。理由は簡単だ。坂田は言ったんだ。『あのような娘達を増やさぬために、今は戦ってください』とな。それから、私は必死になって命を削る思いで強くなろうとした。戦場の角で重傷を負って死にそうになっても『あぁ、あの娘達や同じような子供はどうしているのだろう』と思うと不思議と力が湧いてきて乗り切った。それから戦場に帰る度にココに来る。あの娘達は見なくなったが、今でもこうして握り飯を似たような娘達に渡してしまうのだ。……気休めにしかならんが、これも私だ。焼け石に水。腹の虫が治まるとでも思えば、それで十分だ」

 遠い、何かを望むような視線。

「…………」

 踵を返し、北上、都の中心地である我が家への帰路へ向ける。

「後四年だ。戦争に勝てば、それでこの都も、いや、ここだけでなく至る所で人外との境界が出来れば、全ての人も人外も幸福に暮らせるそれぞれの【楽園】が出来るはずだ。そのためにお前の力が欲しい。当意即妙な風の如き綱の武術に、秀武の水のような柔軟さを持つ情報収集力と解析力、堅牢な大地にも似た貞光の魔法の結界形成能力、そして、燃え盛る炎のようなお前の闘争力が加われば、四つの柱が揃う。私に、力を貸してくれ」

 獣として生きていただけの少年に突然のように人のように生きる意味が与えられた。それは進化と言っても過言で無い程の激変である。未だ単に山に帰ると言う、ただ自分のためだけに生きている金太郎の人生に対して、全ての民を救うために、傷だらけになりながらも生きると決めた一人の少女。誰もが望む、ただ楽しく生きるための【楽園】。

 獣には有って、人に無いもの。

 今更のように、人としての生き方を示された少年の生きる道は――

「ひか……、頼光。犬は飯を食った恩を忘れないと言う意味を知っているか?」

 頼光の眉毛が「ほぅ」と意味を問うように掲げられる。

「山に帰っても特にやることも無いしな。飯も上手いし――、ちょっと付き合ってやるよ」

「……お主がここまで物分りが良いとは思わなかった」

 金太郎はフッと笑うと「獣から人となるのも悪くはない」と格好をつけてみた。




 次の日、礼儀作法に口煩い坂田に色々言われるのは可哀相だろう、と言う相模の配慮で先に金太郎は朝餉を食べさせてもらった。二日に渡る満腹感に気を良くしていると、計ったかのように現れた光に中庭に連れられた。そこには長い木刀を担いだ綱や足の裏で座る、現代風に言うなればヤンキー座りで左肩に二本の小太刀を載せた秀武。錫杖を持ち、そのまま黙想をしている貞光。刃に当たる部分に皮を巻いてある槍を持った坂田が居た。

「では、皆の衆。手筈どおりこいつを鍛えてくれ」

 そう言うが早いか、光は金太郎の背中を押す。

「ちょっ、得物も無いのに何をするもるさっ」

 反論する間も無く、綱から木刀での横殴りの一撃を受けて真横にもんどりを食らう。

「隙だらけだぞ」

 奮、と微風のような鼻息一つする綱を睨み付けると、手足と胴体の反動を使って起き上がる。

「くたばれッ」

 肩から振り回すように殴りかかろうとする金太郎が綱に拳が届く直前、もう一歩のところで足を躓かせた。

「足元が留守だぞ」

 と、嬉々とした表情で先ほど足を引っ掛けた膝から下を見せるように挙げてプラプラさせる秀武。

 顔面着地を見事に成し遂げたところから、土埃を挙げて金太郎は跳ね上がるように立ち上がる。

 目前には貞光が居た。

「さぁ、どうぞ」

 背格好も三人の若武者の中で一番一般人に近く、一見は飢餓に陥っていた金太郎よりややふっくらとした程度の細身の貞光。手加減無くやれば、一撃倒せるだろう相手に金太郎は獣が爪で襲い掛かるように掴みかかろうとした。

「あーぁ、やっちゃった」

 秀武の言葉と同時に、貞光はその場から眉間、鼻下、喉、鳩尾、臍下に息も吐かせぬ、連突きを放った。

 全ての直撃を受けて、金太郎はそれぞれの打撃箇所から煙を上げながらその場に仰向けに倒れこんだ。

「流石、俺達の中で一番容赦が無い」

「痛くなければ覚えませんから」

 さらっと怖い事を言うと貞光は錫杖の柄の先を地面に叩きつけ、幾つもついた鉄の輪を『しゃらん』と鳴らした。

「まだ終わっていませんよ、さぁ! さぁ!」

 そのまま、倒れたままの金太郎。

「なんだ、もうくたばったのか?」

 そう訊く秀武に応えるように、「ぬ?」と倒れこんだ金太郎を手近な綱は覗き込もうとした。

 瞬間、

「掴ーまーえーたーッッ」

 牙を剥きだしにした形相で覗き込んでいた綱の胸倉を両手で掴んだ金太郎。

「うらぁっ」

 立ち上がりながら、ぶんと音を立てて、綱を地面から引っこ抜くかのように空中に投げ飛ばす。

「甘い」

 だが、飛ばす直前に手首を逆に掴まれて、何時の間にやら空中でバランスを整えた綱は地面に着地すると、逆に横回転の竜巻のように空中で三、四回転をして投げ返された。関節に逆らえずにふわりと浮き上がった金太郎を今度は綱は地面にうつ伏せに引き倒すと、そのまま胸倉からすっぽ抜けて、掴んでいた直前の交差した手首をそのまま踏んだ。ちなみに金太郎にとっては投げた筈の相手に一瞬で手首を踏まれて束縛されている状態だった。

「うぉぉぉ、離せ、この野郎」

「戦場でそう言って離す奴は居ないな」

 やけくそになった金太郎はうつ伏せの状態から背を反らして綱の胴体に踵を叩きつけるような蹴りを浴びせる。だが、綱は分かったかのように真後ろからの避けようの無いはずの踵を掌でやすやすと受けて掴むと、そのまま足首を掴んで引っ張って金太郎をえびぞりの状態に持っていった。現代風にいうとプロレス技のSTFである。

「おっ、ぬっ、うぉ、なんで力、が入ら、ないんだよ」

「んー、煮るも焼くもお好きに感じだな」

 綱は余裕ぶっこきの表情で空いた片手で腰元から竹筒を取ると水を飲み始めた。

「綱の【触れ合気】か。あれやられると、触ってる場所から力が抜けるんだよな」

「えぇ、あれは綱殿独自の技ですからね」

 かなりやばい角度のえびぞり金太郎を眺めながら暢気に解説する二人。

「んじゃ、金太郎が昼飯まで耐えられないに布一端」

「秀武殿、私は賭けは致しませんぞ」

「では私が一口のろう、耐えられるに米一石でどうだ?」

「光様! 賭け事はほどほどになされ、と私は常々と……」


 金太郎の努力も虚しく、四人の会話を最後まで聞く事なくそのまま気絶した……。


 眼を開ければ、既に夕方だった。夕暮れの遥か遠方から時を打つ法隆寺の鐘の音が聞こえる。

 辺りを見回せば中庭には誰もおらず、ただ無数の人の動き回ったと見られる足跡があった。

 呆然と尻を突き、そのまま金太郎は膝の間に顔を伏せた。

 あまりの寂しさと久しく感じなかった孤独感、そして、今まで獣にすら負ける事のなかった金太郎は圧倒的な強さに悔しさで自然と涙が零れてきた。押し殺そうにも後から後からポロポロと涙が零れる。

「く、くぞ、うくっ、ひっ、うぅぅ」

 初めての敗北。

 それにより近づく足音にも気付く事はなかった。

「金ちゃん」

 相模の呼びかけで、肩をびくりと震わせる金太郎。

「な、泣いてなんかねぇぞ」

 顔を隠しながら言う明らかに説得力の欠けた物言いに相模は苦笑すると、洗いざらしの白布を渡した。

「はい、泣いてなくても少し顔を拭いた方が良いですよ?」

 しばしの沈黙の後に布をひったくるように取ると、目元をゴシゴシと拭いた。

「悔しかったんですか?」

 拭きながら、コクコクと頷く金太郎に静かに相模は頷いた。

「男は悔しい時こそ、泣いた方が良いんです。きっと、金ちゃんは明日も負けるでしょう。でも、少し、今日より強くなります。また明日も負けるでしょう。でも、今日よりずっと強くなっています。今日の事は涙を流した時点で終りです。明日の涙を流さないように、何時か、あの三人に勝てるように頑張ってください」

 ピタリと頷きが止まる。いぶかしんだ相模が近寄ると、その胴体に金太郎はぎゅっと抱きついた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 京の北東、頼光宅で野獣の慟哭が響いた。


「ち、何だよ。気になってきてみれば、相模ちゃんの年齢に合わない巨乳に必至と抱きつきやがって」

 邸宅の襖から覗きながら、邪な感情を抱きながら感動的な場面をぶち壊す秀武。

「まぁ、いきなり全力でいったにも関わらず、三人とも手を合わせられたのですから、彼は才能が有ると思います。今までの兵士は綱殿に掛かった時点で『参りました』ですからね」

 その頭の真上に位置する貞光。

「まぁ、負けん気だけは、今のところは優秀だな。翁、彼をどう見ますか?」

 稽古疲れで大の字に寝っ転がる綱を、今日の日記を書く坂田がちらりと外の金太郎を一瞥して、

「明日もぶっ潰すだけじゃい」

 とのたまった。


 一方、金太郎を慰めに一足遅れた光は相模に抱きつく金太郎を見てぽりぽりと頬を掻くと、口を窄めて少し不満そうに「ま、いっか」と言い捨てて、すごすごと私室のある本殿へと戻った。




 次の日も金太郎はボロボロだった。その次の日もボロボロだった。一週間経ってもまだボロボロだった。

「くそ、何で全力で行っても掠りすらしないんだよ」

 いつものように夕方、獣は座っていつものように唸るでなく、人のように考え始めるようになった。

 速度(スピード)筋力(パワー)は小さいながらも三人を驚かせるほどだった。しかし、それでも何か、彼らに到達するものが足りなかった。

「大体からして俺の方が速いのに何で当たらないんだよ」

 鬱々とした感情を夕暮れに、掠れた遠吠えのように解き放った。

「教えてやろうか?」

 ひょっこりとそんな金太郎の頭越しに出て来たのは、今まで教えたくてうずうずしていました、と距離感でバッチリと表す、おでこが金太郎の鼻にくっ付きそうなほど躍起になった光だった。

 絹糸よりも細く真っ直ぐな髪が金太郎の前にカーテンのように掛かる。本来なら顔を覆うように囲む、うざったらしく感じるはずのそれが、夕日の光を受けて髪と髪との小さな隙間から金糸のようにキラキラと輝いていて金太郎はそれを綺麗だと思った。

「何だよ、最近見ないと思ったら、急に出てきて」

 でも、何故かそれを口に出すには些か安っぽいように感じられて、何故か逆に突き放すような言い方を金太郎はしてしまった。

「ははっ、すまんな。私とて武官とは言え官人の端くれだ。一時は公務に追われる時だってあるものなのさ」

 むすっとする金太郎を面白がって頭を振って髪をゆらすと、前に立って金太郎の手を握って立たせた。

「さて、簡単な事さ。どうだ、私に全力で掛かってくれば、直に分かるはずだ。と言うか私は親切だからな、存分に教えてやるぞ」

 にこにこと楽しそうな顔でひらりと軽快に後ろに下がる。その間合いはいつもが金太郎が飛び掛るのと同じ間合いだった。

「女のお前に全力で掛かれるはず無いだろう?」

「その全力で女に負けたお前は女未満だな?」

 呆れた金太郎の口調を光はさらりと返すが、とうの言った本人が先にぶち切れた。

 (ダン)っと地面を蹴って、縞馬に飛び掛る獅子の如く両手で光をわし掴もうと跳ぶ。

 しかしそれが届く前に光にあっさりと頭を片手で押さえられて、そのままその手を支点に回転して投げ飛ばされる。

「まず最初にお前の攻撃は馬鹿正直で真っ直ぐだ。真っ直ぐな事は良いが、相手には真っ直ぐには向かえていない。攻撃が荒いからだ」

 再び起き上がる。しかし、背中を可能な限り曲げて四つん這いに近い、野獣の構えを見せる。そこから、今度は真っ直ぐでは無く横に飛んで、斜めから鉤爪のように曲げた拳を振り回して突進した。

 しかし、光は金太郎に逆に真っ直ぐ向かう。だが、当たる瞬間に脇の下をするりと抜ける。金太郎はそれに呆気を取られていたら、そのまま光の真後ろにあった庭木に激突した。

「次に、お前の攻撃は何となく読み易い。反射だけで勝てるほど甘い人間にはここには居ない。考えて、それからそれを雷光の速度で実行しているから早く、そして確実なんだ。攻撃の到達する速さで勝負する前に技が出る早さに負けているんだ。云わば、武は後出しジャンケンなんだ。勝てる状態を作って読んでから勝てる手段を実行しているんだ」

 庭木から顔を引き剥がすと、そこから庭木を登り上がって真上から飛び掛かった。落ちたとしても、光の真後ろは池で左手は雑木林。逃げる場所も足場の確実な、前か、右手しか無いと金太郎は考えた。

 しかし、光は動かなかった。

 そのまま、金太郎の掴みかかる両手を片手で腕を撫でる様に巻き込んで、そこから喉に手刀で打ち据えた。

「ガハッ」

「後は単純な事だ。お前は背が小さいのだから間合いの取れる武器を使え。鉞も良いが、振り回すだけの攻撃は反撃が簡単に取りやすい。本来なら小さい時には懐に潜り込んだ方が良いが、それは一対一の時だけ有効だ。お前の場合は力もあるし、それを揮う得物を小さくするのはおしい。以上だ。後は頼むぞ、相模」

 物陰に隠れていた相模は「バレちゃいましたか」と舌を出しながら金太郎を助け起こそうとした。その横を光は晴れやかな顔で過ぎ去る。

「さぁ、金ちゃん、ぼぅとしてないで起き上がっ、熱っ」

 反撃を無防備な状態で受けて倒れた金太郎。しかし、彼の眼には、この間のような悔恨すらなかった。

 燃えていた。

 金太郎の体が焔のように熱くなっている。

 助け起こそうとした相模がその助け起こそうとした掌を見ると、少し火傷のように赤く腫れていた。

「金ちゃん?」

 人間では有り得ない、焚き火のような放射する熱を四方に撒き散らす金太郎がついに、笑い始めた。

「楽しいな」

 強い者と戦う事。一度敗れた事で余計な自尊心(プライド)を捨てて、金太郎は渦巻く力の方向が分かり始めてきたのだ。己と他の強さを比べる。敗れれば、それでも生きていれば、強くなってから挑む。弱さを臨む事で、強さの形が、そこへ到達するための最短手段が見出されてきたのだ。

 何よりも、渦巻く力を全力でぶつけられるのが楽しかったのだ。

「金ちゃん、そんなところで寝ていたら、風邪をひきますよ」

 そんな気もしらずに、ほかほかになった掌をふぅふぅ息を吹きかけて相模が冷ます。

「知るか。いや、今は動きたくて、動きたくてしょうがないんだ。何かに今は思いっきりぶつかりたい気分なんだ」

「……え、ぶつかるって、まさか、私を押し倒す気じゃ……?」

 窮屈そうな胸元を押さえて、金太郎から驚くほどの速さで後摺り去る。

「何だ? 押し倒すと何かあるのか?」

「いや、その、何でも無いのですけども」

「……あぁ、頼光は行ってしまったし、綱は自宅、貞光は読経をしに寺に行って、秀武は歓楽街か……。誰か他に今手合わせてしてくれる奴居ないかな?」

 童子に突然押し倒される妄想で悶々とする相模の気も知らずにそんな事を金太郎が呟いた時、稽古場のほぼ正反対にある表門から開いて、誰かが中に入る馬蹄音が聞こえた。

「あ、公時様がお帰りになられましたね」

「爺か、アイツくらいなら俺の相手にはなるだろう」

「何を言っているんですか、公務から帰ったばかりですよ? 大体からして急に言われても心の準備が、きゃぁぁぁぁぁぁ」

 突然、相模は真っ赤になった顔を覆っていた。何事かと金太郎は寝っ転がった状態から飛び起きると、庭のど真ん中には(ふんどし)だけになった筋肉隆々の老人がいた。

「朱雀通りまで届くほど屋敷からとんでもない気を発しおって、久しぶりに、……騒ぐわい」

 むん、と胸を張りながら、両腕を掲げ、二の腕と胸筋、迫り出した腹筋を強調させるような独特な姿勢を作り出した。後世の肉体開発家(ボディビルダー)が見たら、元映画俳優の合衆国州知事の現役時代を思わせるような見事な体格だった。

 棍棒で殴られてもびくともしなさそうな太い首に、力が綺麗に抜けた、それでも肉が付いたために矢印に見えるでかい肩。矢が二、三本刺さってもびくともしなそうな厚い胸板。腹筋などは殴った相手の方が痛くなりそうな厚みを持っている。丸太のように太い腕に、それらの上体を支える足は野鹿のようだ。所々にある傷跡は様々な戦闘経験を経た事を暗に物語っていた。ほぼ素っ裸にも関わらず、重装備と形容できる肉体美を誇っている。

 体からは金太郎と同じように、言うなれば気のようなものがチリチリと放射されていた。

「ほれ、何時まで突っ立っておるんだ、野獣(小僧)

 坂田はやたらと楽しそうな顔で拳を作って、地面に付いた。

「禁じ手は拳と眼と玉だけだ。後は蹴ろうが地面に叩きつけようが何しようが」

 グッと地面に伏しながら、下から気合だけで吹き飛ばしそうな姿勢をつくる。

「自由じゃわい」

 坂田の言葉と同時に、今まで煩わしかった、とでも言うように着物を剥ぐと金太郎も同じように構えた。

 相撲だった。必要な距離である立ち合い線の間を身体で測って、七十を越える老人と十代が始まったばかりの子供が立ち合った。本来なら孫と祖父の楽しい戯れに見えるはずのそれが、周りをぞっとさせると殺伐とした空気を纏っていた。

 そして、何故かは知らないがやたらと熱い。二人のまだぶつかり合う直前にも関わらず、形容しがたい磁力のようなものがぶつかり合って膠着し、鬩ぎ合って二人を中心に熱を帯びていた。


            「発氣用意(はっきようい)……」


 老人の単眼と金太郎の未熟ながら燃える瞳が見合う。


                          「――残ったァッ!!」






 長徳元年(西暦996年)五月、内裏北東で鳴り響いた怪しい破裂音は肉と肉のぶつかりあう音だった。




 翌日、一番早く稽古場に来る貞光よりも早く坂田と金太郎が居た。金太郎は坂田の槍を持って延々と一定の動作を繰り返し、坂田はそれをじっと見つめている。

「おや、お二人とは珍しい。ところで御二方、その額の瘤はどうしたのですか?」

 ピタリと金太郎は止まって、貞光を見る。同じように坂田も見ているのに気付いて、流石に鈍感な貞光も「何かあったのだろう」と察して、杖術の型に没頭する事にした。


 その日からのは金太郎の日常は凄まじいものだった。

 ついに始まった老人の武術指導(鬼の扱き)は熾烈を極め、型に始まって、礼儀作法、一度でも受身やら受け手を仕損じれば「未熟者」と罵られながら更に拳骨の嵐を受けた。

 綱の『合気』とか言うシロモノは金太郎の熊を投げ飛ばす膂力を持ってしても、投げたはずなのにまるで赤子の手を捻るかのように逆に投げ返された。それ以上に太刀を持たせれば人とは思えない程の強さなのだ。本当に刀で矢を落とす、矢伏せの術を見せられた時には金太郎は唖然とした。四方から射掛けられながらもそれを竜巻のように落としてしまう。それでも、それ以上に調子の良い時には【矢止め】、矢を素手で掴めると言うのだ。その内には雷ですら止めかねないと金太郎は心底思った。

 秀武も秀武で軟派な態度と口の悪さをしながらも、二刀を持たせれば一つの凶器となった。流れる水のように攻め手は刻々と変化し、気付けば横、背面、間合いの内へ入り、一本取られていた。肝心なところで勝利を目前にしながら足場を取られるところに誘い込まれたり、砂を顔面に掛けられたりと、勝機を掴んだ瞬間に逆に奪い取る事に秀武は長けていた。「まだまだだな」と皮肉げな眼で語る秀武に負けぬように金太郎も掛かっていった。

 貞光も貞光であの性格だから手を抜く事はない。刃の無い棒が肉を裂いて骨を砕く凶器となるのを身を持って知った。お陰で貞光が「まだ終わっていませんよ、さぁ! さぁ!」と言う度に錫杖とそれに付けられた金属の輪が『しゃらん』と音を鳴らす癖が耳に残った。お陰で以後、道端を歩くまったく関係の無い僧兵が出すその音に微妙にビビッてしまう金太郎が居たりする。

 得物は超重武器の鉞から同じく超重武器の大槍に自ら金太郎は変えた。同じ超重武器なら短躯による間合いの不利を克服するためにも良いだろうと言うことだ。それに源の郎党では知る人ぞ知る大槍の達人中の達人でもある『神槍』と呼ばれる坂田からも指導を仰ぐ事が出来る。

 だが、何よりも金太郎が好きだったのは弓の時間だった。公務で忙しい光が合間を縫って手取り足取り教えられた弓は、気付けば都でも騎射で右に出る者は居ないと言われた光にも月に一度くらいで届くほどの的中率の技量となっていたのだ。

 光が「弟子が師以上に上手くなると妙に悔しくて嬉しくなる気持ち。私にも分かったぞ」とこっそりと金太郎の昼寝中に坂田へ語ったと言う。


 ともかく自然と、金太郎は日々ボロボロになる中で強くなっていったのだ。持ち前の運動神経の高さによって僅か六ヶ月で貞光に、九か月で秀武に即死と断言できる寸止めの一撃を与え、一年半を過ぎる頃には綱にも冷や汗を掻かせ、二年目には公時を唸らせる打ち込みを加えるほどまでになったのだ。十二、三の子供が、運動能力で勝る十七、八を圧倒し、経験を積んだ変態級の達人七十代に肉薄するのだ。尋常ではない。最初は敵意と殺意を持っていた闇殺舎の兵団員達も、その実力を認めて馴染むようになり、遠い未来を見越して四天王に相応しい南の方位と掛けて『南の若』やら『持国天様』、その誉れる怪力から【怪童丸】殿なんて呼ぶ者もいた。

 姓の無かった金太郎には『坂田』、老人の性が与えられた。都の役所には老人の妾との間に出来た隠し子とされたのだ。無論、老人に若い子供が居たと言う事になった(光の独断)ので、宮中で坂田に「若き元人妻歌人との愛びいき」や「実は先帝の妹の娘との悲恋」がなどの尾ひれや背びれ、オマケに触覚まで付く勢いで根も葉もない噂が何処からともなく立てられ、「本当にそちにそんな事があったのか?」と内裏で現帝である一条天皇に問い詰められて大いに老人は冷や汗を掻いたと言う。ちなみに翌週、ボコボコにされて逆さに木に吊るされた秀武が発見されたが、理由は言うまでも無い。口は災いの元である。

 ところで一番金太郎の教育で苦心したのは礼儀だった。食事はつい、いつもの癖で手掴み、鷲掴み、礼は無し、後片付け無し、素足で土足、夏の暑い日に床下に穴を掘って犬のように寝るなどの、獣っぷりの大盤振る舞いだった。老人の旨とする士道において無作法が断じて許されるはずも無く、「未熟者」の怒声と共に鉄拳と足蹴が飛んでいった。そんな事に一計を案じたのは光だった。相模の家事の手伝いをさせる、と言うトンでもない思いつきは功を相した。金太郎の視点からして、いつもヘラヘラしているように見えていたはずの相模の手際の良さ、食べ物を粗末にしない折り目の正しさや、光で無く、頼光として接する際の細かな礼儀は感嘆させられた。実は源家に拾われた没落貴族である女房、いわゆる現代で言う所のメイドに値する相模は元々の育ちの良さを持っていた。その礼儀と立ち振る舞いは劇的に作用し、金太郎は食卓を手伝いながらも礼儀を同時に学んでいったのだ。気付けば、炊事洗濯掃除を「金ちゃん、最っ高!」と親指を立てて相模に褒められ、「実は武術より才能があるのではないか?」と光にからかわれたりもした。

 そんな中、相模の影での炊事の苦労を見つめながら「お前も努力家なのだな」と不意に言って「金ちゃんも、裏手でよく一人で武術の稽古しているのだから同じじゃないですか?」と言い返し、お互い何時の間に見ていたのだろう、と逆にドギマギしてしまう場面があったのは二人の秘密である。

 と、そんな今までの二年間を思い返しつつ、金太郎は風呂に入っていた。

 何時の間にやら、四天王で一番身長の低い貞光を追い掛けるように大きく成り始めている。今風に言えば成長期と言う奴だろうが、当時の近辺ではあまりに突然大きくなるので「実は鬼の子供ではないか」などと噂をされていた。実はただ単に栄養不足で成長しなかった分と成長期の時期が重なっただけだが、当時の事情と言うか、取り繕う理由としてはそれで十分だった。ちょうどその頃、「実は老人の子供は鬼婆との子だったらしい」と言う新しい噂が流れて、またボロクズ同然、死に体の秀武が頼光の庭の先の木に吊るされた。その時は金太郎が目の前で自分の作った飯を空腹の秀武の前で食う暴挙に出たが、老人の鉄拳はまったく無かったと言う。それに「おのれ爺が色気を見せやがって」と訳の分からない呪詛を秀武は吐いたと言う。

 金太郎の鍛えられた肉体はガリガリとは言わないが、子供時代の引き絞られすぎた身体に更に潤いが満たされ、そろそろ相模も赤らめた顔を隠しつつ「うわああ、色気感じてきちゃって私もう無理だわ、負けました」と何時の頃からか敗北宣言と共に拭き拭きを無くされたりした。「楽だし、結構気持ち良かったのになぁ」と金太郎がちょっぴりしょげたのは誰にも内緒だったりする。

 僅か二年で多くの物が変わった。

 それでも、変わらないモノはある。


 突然、金太郎の入っていた風呂場の引き戸が開かれ、戸口には光が居た。

「よっ、ちゃんと体洗って入ったか?」

「いつも同じ台詞なのだな」

 いつも通りの展開に呆れつつ、風呂の隙間を空ける。掛け湯を済ませて入る光の挙動。触れ合う白い肌と浅黒い肌、そしてその隙間の温もり。

「ふぃー、日頃の疲れが取れるねぇー」

「今日も内裏に行ってきたのか?」

 肩に光と同じように湯を掛けながら金太郎は問うた。

「あぁ、明日頃にはお前の始めての帝のお目通しだ。正式に、とりあえず、綱の侍童(じどう)(身の周りを世話をする子供)として推薦した。帝の竜顔を拝するのだ。この間、覚えた正装の着方、忘れてないだろうな。現帝との御目通りだ。竜顔を歪ませるような、私に恥をかかせるなよ?」

「無論だ。もう着物の右前と左前を間違えたりはしない」

 その言葉にカラカラと笑う光にムッとしつつ、金太郎は返した。

「本来は十二からなのだが、お前には礼儀を教える方が難しかったからな、少し遅れたが、まぁ良いだろう。それにしても……」

 同じく肩を並べる金太郎の爪先から眼までを光は見つめる。

「大きくなったな」

 嘆息するように光は言った。

「頼光が小さくなった……、ワケでは無いな」

「馬鹿者、私を鈴繰(すずくり)の亜人のように伸縮自在のはずがあるか」

「何!? ダイダラボウシのような巨人やら逆に小人になると言う種族! あれは真実なのか?!」

 とぼけた顔で「どうだろうなぁ?」と光ははぐらかす。

 ムッとなった金太郎は光の顔にお湯を掛け、まともに掛かった光もそれに負けじと掛け返しを始め、気付けばお湯は肩口から鳩尾くらいまでに減っていた。

 ズブ濡れに成りながらも、金太郎と光は笑い、そして沈黙に戻った。

 ゆったりとした今でも変わらないモノを感じ取る。


「大きくなったと言えば、光の胸は全然変わらな、痛ッ」

「そこから先を言う事は命令する。禁句だ」

 光はむくれた顔で拳を湯船に戻す。

「了解。俺もジジイ以外からの拳はいらないからな」

「……私でも、少しは気にしているのだ。比べて相模の大きさはなんだ!? 何だか怪しい加地祈祷でも行なったのではないか?!」

「いや、個人的にはアレが普通の成長だと思うが?」

「むぅ、あれがやはり標準か」

 嘆息しながら自らの胸元に悲しそうな眼を寄せる。本当は標準よりも相模は遥かに上なのだが、光を落胆させないためにも黙っておく事に金太郎はした。実際は教えた方が良いのだが。

「確かに男性として変装する分には問題無い、と言うより都合が良いが……。十九女子(おなご)としてはまったくもって悲しいぞ」

「ご尤も」

 それだけ言うと金太郎はそそくさと上がり出す。

 何も変わっていない、そう金太郎は思っていた。

 しかし、金太郎の中ではムズムズとする、あまり良くない変化が最近起きはじめていた。

 それは身体でなく、心の変化。

「なんだ、もう少し浸かっていかんのか?」

「明日の朝餉の準備をする。相模だけに任せて置けない。唐土(もろこし)から土で作った鍋と言う物が届いてな。昨日鹿肉が届いたから、それでまた新しく創作料理を作ってみようと思う」

 背中を向けながら金太郎は顔だけ向けて返すと「おぅ、お主は時々変な事を料理でするが、全部上手いからな。料理は期待しておるぞ」とぼぅと湯に浸かりながら返した。

「では、また明日」

「あぁ、お休み」

 脱衣所に戻ると光の体の一部始終が鮮明に脳裏に思い出されて金太郎の体の奥が疼いた。自分が発情期の獣のようになるのかと思わず、人に成りかけていた理性が反応して顔が赤く染まった。

「確かに、そろそろ、ヤバイかもな」

 具体的にどうやばいのかは言えないが、とにかくそんな感じだったのだ。




 翌日、昇殿のその日。

 昇殿とは帝の御座所である清涼殿の南に殿上の間と言う控え室があり、ここに上ることが出来る資格である。位において五位以上、現代風に言えば公務員のキャリアとノンキャリアの境くらいから入る資格を有する。しかし、大変名誉でありながら平安時代の武士、大物に属する源や平の家系でも入った事は記録には残っていない。何故なら先に記した通り、この当時の武士は名誉職でなく暴力団扱いであり、狼藉者風情が天皇の膝元である清涼殿まで入る事は許しがたい事だったのである。

 しかし、ここで一つの特例が生じる。源頼光の郎党である坂田公時は近衛府に属する者である。近衛の名から察せられる通り彼は帝の本当の直属の護衛兵士の一人であり、当時の六衛府、近衛、兵衛、衛門の最上級に属し、内裏の最奥の警備をするエリート中のエリートなのである。その彼が、彼女、もとい頼光の下に就く事により、権力の不可思議な逆転現象が起こり、彼女ら郎党が嫉妬深い藤原実資(ふじわら さねすけ)に睨まれたりしながらも、清涼殿に入る事が出来るようになるのである。

 加えて坂田公時は平安後期の博識者である大江 匡房(おおえ まさふさ)の著書、『続本朝往生伝』に一条天皇によって二十の専門職から精選された八十六人の様々な技能の達人の一人として掲載されている。ちなみに、頼光もその一人として入っている事も付け加えておく。この昇殿は帝との直接の意見交換が必要とは言え、記録には残っていないにしろとても異例な出来事であった。


 目前には、人としての理性を圧倒する巨木の門。そして、その門は理性を極限まで高めた者のみがくぐる資格がある。建礼門と承明門の二つが目の前に立ちふさがる。

 獣の嗅覚が拒否の色合いを見せたが、それを理性で押し留める。

「怖気づいたか?」

 いつもよりも些か着飾った光の姿に、後ろには馬子にも衣装と言った感じの、意外に正装の似合う秀武。明らかに僧兵にしか見えない黒尽くめの貞光。いつもの格好にちょっとだけ洒落た、狂猛に睨む虎の柄が入った眼帯をつけた綱と、いつもはボサボサの髭を油で今回は固めてある坂田。

「ほら、とっとと行け」

 秀武からの尻を蹴り上げを前に出て避けて、そのまま金太郎は奥へと進む。

 人の持つ権威の重厚さが見られるような建物の造りを目の端で眺めながら、先頭を進む光を追う。



 帝との御目通りのための清涼殿に通じる紫震殿の出口前、右手に桜、左に橘の木の立つ間を大男が立っていた。

 身の丈は六尺六寸(約百九十九センチ)、烏帽子を頭に重ね、白い着流しに白い手甲、白い足袋。それだけ白に身を包みながらも、その全体の清純さに狂ったように逆らった、黒い印象の男が立っていた。

「これは、これは闇殺舎、もとい左馬寮の長、源 頼光殿では無いでしょうか?」

 嫌味ったらしい笑みを浮かべ、両腕を広げて男が迎える。

 まるで、それは闘争者を迎えるような……。

 演技なのか、素なのかを判別しないうちに金太郎は無意識の内に儀礼刀に手を掛けていた。

 その抜き打ちの構えの柄元を手で、さり気なく秀武は押さえていた。貞光と綱は何時の間にか金太郎の前に立ち、まるで飛び掛るのを止めるかのように立っている。

「これはこれは、安陪晴明どのではござらぬか。今日は帝への用でいらしたのであろうか?」

 安陪晴明。当時の都の陰陽寮の天文博士の一人であり、闇殺舎の呪術的支援を行なっている者の一人である。実力は折り紙つきだが、当時の権力構造は家柄が重視されたため、安陪氏より賀茂氏が陰陽寮の長として優先されていた。齢は坂田よりも多く、既に八十をとうに越したはずだが、まるで二十代か三十代のように見える謎多き男である。貞光の呪術の師の兄弟子でもあるが、兄弟弟子であるはずの貞光自身から見ても掴みどころのない人間である。

「再び、北東の方角の呪が歪みましてね。あそこの結界を強化するように、との申し付けがございました」

 一体どうすればこれほど下品に笑えるのか、理解出来ないほど小さな笑み。それは人を見下すかのように僅かな孤を描いていた。まるで、その結界を消して、周辺の人がどう死んでいくのかを見つめるのような禍った眼に金太郎は見えた。

「で、そちらの子は?」

 禍った瞳が向けられる。背骨の下から冷たい氷柱が捻りこまれたように金太郎は感じた。冷気が多足虫のごとく、ゾロリと這い上がる。そして、獣の感覚が告げた。この男の本性は『悪』だ、と。

「我が臣下の一人に過ぎませぬ」

 ピシャリとそれ以上の詮索は止せと言葉巧みに綱が切る。

「しかし、この面々の一員ともなれば、ただの殿上人(昇殿を許された上級役人)の付き人の一人とは思いますまい。噂の、頼光殿の拾いし『鬼子』、獣を、人外をも引き裂くと言われる怪力から『怪童丸』とも呼ばれる子だと思うのは私の思い過ごしでございましょうか?」

 如何にも玩具に飢えた子供のように、その悪は引き下がらない。

「詳細は帝よりお伺いください」

 切り札を出して坂田が最後を締めた。まさか帝の名を出して追求はしないだろうと言う見込みである。

「そうですか。それは……、楽しみです」

 クスリと笑う晴明は悪びれた様子を見せている。懲りてはいない。そのまま、音も無く光達の一団の横を過ぎる。


 彼の後ろには赤い、人が着るとは思えない奇妙な衣を羽織り、口元には上に向かってはねた髭を持つ男と、至って普通の、何故か妙にイヤラしい視線の男の二人が付き従っていた。

「なッ」

 何時だろうか? 何時彼らが現れたのか、最も感覚の鋭い金太郎も、未来すら見通す綱すらも気付かなかった。突然、『 異界 』から抜け出たように、まるでこの世の者とは思えないほどの性質を備えているように、その怪人達は見えた。

 そのまま、角を曲って三人は視界から消える。


「前鬼と後鬼」

 光の声。それは珍しく、畏怖の分かる声色だった。

「何だ、それは?」

「晴明が使役すると言う異界の鬼だ。何千里もの距離を飛び越えて現れる人喰い鬼、ショクジンキとも言うとか……」

 そんな、異界常識を従える狂った男……。

 その後の帝の御目通りも記憶に残らないほど、あの陰陽師は印象的だった。


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