20.頞部陀(あぶだ)(1/2)
――今は昔、時の都、京より遥か東の地。
鬱蒼と葛木の繁る未開の地。獣は獣らしく振舞い、山は名も無き神の領地だった。
しかし、誰も、普段は人っ子一人でさえ居ないようなその地に、大鎧に大槍、大太刀を携えた徒歩の集団が獣道以下の道程を行脚していた。
それぞれは黙しているように声を挙げない。それとも、それは己が任に非ずとしているのか?
徳川以前を遡れば、侍と呼ばれた武闘集団は大抵山賊とは変わり映えのしないものである。
しかし、何故だろう? その集団には透破や乱破などの盗賊に見られる荒々しさはありながらも、それとはまた違った統率性、統一性を見せていた。言わば、訓練のされた武装集団なのである。現在のように、何処ぞの国家のような強制的な兵役制で大量の兵士を生産するようなもの、健身とは訳が違う。彼らのはむしろ志願制、そして選抜制であった。幾千、幾万の若者がこの集団に関わる事を望み、心半ばで折れる者も多くあった。だが、それでもそれを貫き、辿り着いた彼らは生え抜きの、いや百戦錬磨の兵士達である。足運び一つとっても無駄は無く、その身に怖れも知らない。
総勢百二十人の忠実な兵士達。
その頭、主人はこのような人物である。
「ふぁぁぁ~~~~ッ、眠っ」
顎が外れそうで外れないほどの欠伸。徒歩ばかりの集団で唯一、白馬に乗る鎧姿の者。肌は舶来の陶磁器のように白く、烏帽子に収めた髪は創世神話の鴉のように黒く、それでいて艶やか。眉目は宮廷でも天皇による選り好みの側女の如く美しい。欠伸で涙のかかる瞳は最高級の漆器のような煌びやかさを放つ琥珀色。うら若い少女のような容貌である。
細身であろうその体躯を、白絹衣を通して赤銅色の胴鎧で堅め、腰に普通よりもやや小ぶりな太刀を帯びていた。そのなだらかな背中には、弓と矢筒が負われている。その矢の一本々々は最高級の鷲の羽根。意匠のみならず、その他の持ち前の気品を表し、位が他の兵装よりも明らかに高い。
雅と美。その結集が都から遠く分け離れた地で馬に揺れていた。
摂津河内源氏の祖となる源 頼光、と呼ばれる若武者である。鎌倉幕府を作り上げた征夷大将軍 源 頼朝、その弟であり同じく戦歴を称えた歴戦の武将 源 義経を遡ること百年近く前の、その先祖筋にあたる者だった。
そして、頼光の名を当時轟かせたのは妖魔覆滅。つまり『人外狩り』である。
民に仇をなす怪異を討伐する、現代風に言えば特殊部隊にあたる退魔特化武装兵団、【闇殺舎】が制定されていた。時の権力者の命によって編成された、今居る兵を含めて総勢で千と百八十人の兵はどれも人外との闘争を前提に考えられ、誰もが怖れを内に秘め、指揮系統に忠実な闘犬、いやただ武器の刀剣となる荒武者だった。
死神公社が出来る百二十七年前の、更に遡ること約八百年、人が人外と境界を引くためにその集団は居たのだ。
その発足当時の総大将が源 頼光である。後に左馬権頭、馬の調教と支給を兼ねる馬術の専門政府機関長となり、日本で隠された戦歴と輝かしい政治歴によって正四位、帝の家系を除けば当時の権力の位で上から四番目に偉くなった人物である。当時、馬は貴重であり、貴族階級のモノの独占物だった。同時に騎射と呼ばれる、現在で言う所の流鏑馬にあたるモノのために馬は使役されていた。そして弓は平安貴族でも、後々武者の萌芽となる家系に広く根付いていた。つまり、そこを治める者は当然馬の達者であり、同時に弓などの武術の腕も達者であった。
正規の古文書では頼光よりもその弟、頼信の活躍が目立つ。しかし、頼光は表沙汰には出来ない怪異討伐により、史実として記録に残される事は控えられ、代わりに伝聞流布された噂が人々の間で歪曲誇張した物語として目立つ形となってしまったのである。つまり、頼光は伝説ではなく実際に人外達の屍骸でその地位に上り詰めた、外見には似合わぬ豪胆な人物なのである。
ちなみに平安時代は上司に当たる貴族の真名を呼ばず、役職などを通例では呼ぶものだが、やたらと親しさが著しい頼光は、公式の場でなければどう呼ぼうと気にせず、むしろ奨励していたのだった。頼光の『本名』を呼ぶこと以外は。
「頼光様、そのような気の緩みでは奇襲の際に如何致しましょうか?」
そして、その頼光の隣りを寄り添うのは白い口髭と顎鬚蓄えた独眼の老兵である。周りの兵よりも一回り大柄な体格の老人。その彼より更に大きく上回るアカイ槍を含めて、全てが赤い色をしている。その老人の名は、
「坂田、このようなツマラナイ景色が続くからイカンのだ。海沿いを通れ。東海道の漣を見た方がこの陰気な空気も何とかなる」
と仰せのとおりである。先ほどのあくびとは異なる涼やかな声色は、変声期前の少年のような、まるで年若い娘のような声色だった。
「頼光様、樹木のささやかな違い、老いた身には十分眼の保養となりますが、何か?」
しれっと返す、老人のとぼけた口調は長年の信頼に寄るところが大きい。
「眼の保養になるか、否かの問題ではあるまい。私の主観でつまらないか面白いかのだけの違いだ、なぁ、彪凪?」
白馬は主の言葉に「そうだそうだ」と答えるように、ぶるる、と大きく鼻を鳴らした。
ヤレヤレ、いつもの我侭が始まった、と髭で隠しながらブツブツと、いやモシャモシャと文句を繋ぐ。
「ところで坂田。我らの手勢であれば迂回せずとも、さきの山村を突破する事くらいは容易いはずだ」
さきの山村とは斥候(偵察)にあたる者達が発見した、山間の間の平野に存在する比較的大きな村である。
当時より更に二百年前、西暦八百年頃に桓武天皇は東北制圧のために出兵をしたが、逆にそれによって政治機構は疲弊し、出兵以降も民に圧政を敷いたために反逆される事も少なくは無かった。それを西暦九百九十六年現在まで引き摺る形と政治的になってしまった。つまり、個々の村が暴走して逆徒となる可能性は十分にあったのだ。
だが、頼光の頭の中ではその程度のおもてなしを五倍にして返せる自信は有ったし、無論、それは無謀でなく、人よりも遥かな脅威である人外を相手にした実戦を経験した上での確信のつもりであった。
しかし、近習と呼ばれる身近な護衛で、そして副将にあたる坂田はそれを渋ったのだ。
「先ほども申した通り、斥候の報告どおり、その付近の村は『 全滅 』致しておりました。それもつい昨晩の出来事かと」
「ふむ、確かにそこそこ大きな村だったが、それを全滅させるのは相当な武力であろう。組織化された盗賊か? くくっ、秀武との戦を思い出すな。思えばあれ以来は人との戦はしてないな。で、斥候の事実報告では無く、その印象は?」
頼光は片目を瞑り、その美麗な眉を片方上げる。考え事をしながら人の話を聞く時の癖である。
「一人の兵の見立てに寄れば、皆殺しをしたのは熊か何かが大集団で暴れたようだと」
「今の時期、腹を空かせた熊が、しかも集団で起きる時期ではあるまい。大体、腹が減った熊同士は普通は共食いをする」
老兵を「やれやれ、耄碌したか?」と言うように馬上から睥睨する頼光。
老兵はそれに構う様子も無く、淡々と続ける。
「もう一人の兵曰く、皆殺しをしたのは鉞を担いだ童子だとも」
「鉞だと? 力自慢の兵でも三人がかりで無いと持ち上げられない、大木を倒すアレを子供が?」
「左様です。それを伝えた重傷の村人は同時に生き絶えたと……。まぁ、どう見ても素手で人の背中を毟ったようとの事で、ともかく、妖魔、人外の類では無いかと斥候は疑いを掛けていますが……」
この老人は、それら怪奇と長年刃を交えた身である。都付近一帯を跋扈した鬼の集団を狩った際、片方の瞳を神格まで届きかけている鬼の大将の首と引き換えにした兵だ。
その老人の、戦闘に先端化した理論が、『 それら 』とは違うと告げていた。
人と表面上は交戦状態にある妖魔が、先に近くで闇殺舎と交戦を遂げ、一部を除いて全滅させた事を知らないはずがない。現在、人外どもは、神格のついた人側の守り神を除けば、幅広く種族を問わずに団結をしている状態だ。つまるところ無駄な戦力の消耗をするような戦はする事はないため、これは妖魔人外とは別の第三勢力であると考えるうるのだ。
「面妖な、だが……」
持ち上げた眉を定位置に戻し、チラリと赤い舌を出した口。それは軽く孤を描いていた。
「面白そうではないか。綱と秀武も連れるべきだったか? 貞光はつまらない事しか喋らないからな、それでも置物代わりには出来ただろう。ククッ」
危機感を楽しむ主人に老兵は大きく溜息を吐いた。
日が暮れ、野営の時間となった。月明かりのみの、暗闇に練られた中を手馴れた兵士達が蠢く。早々と渇いた保存食の握り飯、糧を水で軽く湿らして夜食を済ませると、互いの背を相手の背に押し付けて暖を取り、死角を消す。奇襲対策と体自体の代謝を高めていた。構えは円陣。自らの主を囲む陣形、防御の陣である。
老兵はただ一人で、横になった馬の腹を枕に代わりに寝る主人の前で、大木を背に座り、一つだけの瞳を閉じている。だが肩膝を立て、大槍と太刀を傍に立てて置いた姿は常在戦場の構えである。完全に覚醒している監視も座って寝たような状態に見えるが、それは『ふり』だけであり、大抵は薄目で、暗闇をじっと監視している念の入れようだった。
時は丑三つ時、現在で言えば午前二時を僅かに過ぎた頃。
ピクリと彪凪の体躯が揺れた。
「――――! 敵襲ッ!!」
彪凪の体躯の微震と同時、頼光は誰よりも早く飛び起きて叫び、太刀の鞘を腰に構えた。
太刀専用の抜刀の型である。長めの刃から抜き出すため、やや、柄を下にし、刀その物の自重で抜刀速度と拍子を見出すためである。刃を固定させるためである、鞘からの刃の出入り口、鯉口は僅かに外す、いわゆる鯉口を切った状態にされてある。つまり、太刀の自重を支える指先の力を緩めれば、一瞬にして自重で地の方向へと引かれながら、刃が閃くのである。そして、その型は何万回と繰り返され、何十匹の妖魔を塵殺してきていたのだ。
しかもその太刀は蟲と呼ばれる巨大な昆虫妖魔を容易く切り殺した、現在で言う所の交霊武装に当たる、【蜘蛛切】と呼ばれる霊刀の一種である。
老兵もほぼ同時。やや遅れて、監視の兵、続いて寝ていた兵士達は体勢を整えた。
加えて言うなら、彼ら全てが同じような訓練を積んでいた。異能無き人が強大な魔に対抗するために、誰もが平均的にある程度の才と力と根気があれば修得出来る型、身体を効率的に動かし打倒する知識によって武装した結果、現在、彼らは妖魔を圧倒するほどの立場に立っていた。
簡単に言えば、牙や爪、異能の代わりに、武器や技術を取った彼らは無敵だったのだ。
静寂――。まだ若い兵の何人かが、何かの気のせいではないかと思った瞬間。
突然、四方から大木が同時に倒れた。
動揺、そして隊形の乱れ。
「――チッ! 子と午は構えを崩すな! 丑と虎と卯は散開、見敵殲滅ッ!! 残りは退路を確保!」
十人ごとに一つの隊となった部隊。十二支の動物が割り当てられ、それぞれが厳密に役割を定められて展開する。日頃の訓練の通り、兵士達はいち早くそれに従う。
指示の直後、闇の奥から何かが飛来する。
人為的に尖った枝と幹を蔦に括りつけられた罠が二十五。
ぞぶり、と肉に先端の突き刺さる鈍い音。
「丑、やまじ、さんたが負傷!」
「虎、気をつけろッ! 罠が仕掛けられているぞッ!」
「丑、崖側に敵影! 包囲! 包囲!」
大柄な兵士達が崖側に殺到する。猛者達は大太刀を大上段に、重武装の苦もなく駆ける。
「嗚ォ」と猛々しく吠える様は並みの兵士では腰を抜かすほどの気合。
隊の十人でも秀でた者は隊の独自の指揮をする十人長である。その独自の判断は戦況にいち早く対応する。しかし、今回はその判断系統の早さが仇になった。
崖側への追い込んだのか? いや、違うと、頼光が気付いた時には始まっていた。
「それは罠だ! 追うな、ッぁ?!」
轟音の饗宴。それは『先ほど倒された大木』が崖に向かって転がる音だった。
「虎、きしまるが谷に落ちた! 至急、増援!」
「巳は大木の道筋を辿れ! そこに罠はもう無い!」
咄嗟の老兵の指示が奔った。大将ではなく副将の指示。何故なら、頼光は真闇に意識を集中していたからだ。
老兵が気付いたように、頼光も気付いていた。
『敵は頭が良い。集団に少数が仕掛ける時には撹乱、兵力分散の次は……』
遥か頭上、枝のしなりと同時に何かが地面に着地する。
その背には、僅かな月光を返す、月よりも巨大だと錯覚させる刃物。ヌラリと刃を照り返す月光が頼光を舐め挙げた。
『大将の首を獲るッ!』
暗闇を疾駆し、黒く飛ぶ影。視界の中で頼れるのは微細で、繊細な感覚のみ。その目標に向かって頼光は神速で抜刀して、頭上へと切り上げながら跳ね上げた太刀を更に振り下ろす。
琥珀の瞳と太刀にわずかに映った、赤い衣。
「面ッ!!」
頭頂から地面ごと斬断するような鋭い太刀筋と呼気。だが、暗闇の中では敵が大幅によく動けていた。
何か、重い物が空気を割る音。上体を弓よりも柔らかく反らしてギリギリで避ける頼光。
暗闇で頼光の頭の部分が欠けた。
「下郎がッ!!」
その超大な武具の重さごと当然の如く弾く、独眼の老兵が密なる五月雨の突き。枝に阻まれた森林でも、その捌きに衰えはまったくない。
迸る閃光を闇に紛れて敵はかわす。
長大な槍の長さの理を取られ舌打ちをした、意外にも小さな敵は再び深い闇に身を投じる。
大木へと背中から張り付き、そのまま幹を蹴って太目の枝へと飛び移る。
「頼光様!?」
「――私は大丈夫だ。『お気に入りの』烏帽子が壊れただけだ」
いつも通りの口調の中に、わずかな不機嫌な声色。烏帽子から零れた、腰に届くほどの長い黒髪は、木の間から射す銀の月光を鏡のように返していた。
「敵は襲撃に失敗した。追い詰めるぞッ!」
「頼光様! 深追いは『今は』危険ですぞ!」
「馬鹿者! 敵は仕留め損ねて動揺している! 『今が』狩り時だッ! 辰、鶏、戌と亥の後に続け! 罠には構うなッ! 申と未は怪我人の収容、遅れるなッ!」
男達の吠える声が山を木霊する。
その時、樹上で小さな敵は今までは違う敵だと認識し、同時に恐怖に駆られた。
「坂田、援護しろ。彪凪、そこで待て」
「把ッ」と老人の短い返答と馬の鳴声が重奏する。
『逃がさないぞ……』
頼光はペロリと舌先で、先ほど額をわずかに掠り、鼻の間を分かれるように流れ出た血を舐めあげた。
跳ぶが如く、敵が、魔性が跳ぶ。
暗闇と地の利、この二つを手に小さな敵は大勢を相手に闘争を行なっていた。
大木を人ならぬ身の軽さで駆け上がり、猿のように枝をしならせて、跳ぶ。
時折仕掛けた罠や、敵自身のみが知りうる窪みや茂みで兵士達をやり過ごそうとした。
だが、その尽くを兵士達は看破した。
相手の指揮官は相当な者だ。下手すればこの山に住まう、どの獣よりも山を熟知した敵がそのあらん限りの地の利を使う。
それでも雑兵の一人二人を仕留める事は出来ても、それ以上は無い。兵士の練度は並みの、麓の村を護って居た者達とはまるで違う。
加えて、地の利を知りうるはずの敵が逆に追い詰められている。
何故だ? 敵の問いに答えるのであればこうだ。
敵に闇の利と地の利があるなら、彼らには知の利があった。
老獪な、一人の兵士は地形の癖から地形の全容を把握する事が出来た。そして指揮官の繊細な感覚は敵の罠の仕掛ける頃合、機を読んでいた。
闇に紛れてきた夜行性の獣。しかし、もう数刻もしない内に彼らに最後の利が移る。
紫色に山の裾が割れ、朝陽が迎合する。
闇の利が裏返った。
同時に、頭上から何かの飛来する気配。鷲か? と、敵が身をかわすと地面に突き刺さったのは鷲の意匠を施した矢。
続けざまに二度三度。
樹から落ちて、地面を転がる影。
敵の視線の先には弓を構えた琥珀色の瞳の若武者がすくっと立っていた。
視線が合うと、ニヤリと目尻を挑戦的に下げた。
何処かへと追い込もうとする先、敵の記憶が正しければ、その先は三方を崖に囲まれた崖である。
追い詰めて仕留める気だ、と獣の一欠けらの心で納得した。しかし、獣性の敵に降伏の、従性の二文字は無い。
ならば、ただ最後まで足掻くのみ――
片手で支えた大きな斧。鉞を肩に担いで、敵は、少年は、三十の重装兵に対峙していた。幾ばかの掠り矢傷を受けて、そしてそれ以前からの、他者の血で塗れた粗衣は赤く滴っている。
背後でざあざあと飛沫を巻く滝は水気で潤わせるが、少年の内側はこの上なく乾いている……。
身の丈、四尺(百二十センチ)と少し。兵の中でも、そこそこ年がいったら居るであろう我が子と大して変わらない年頃。
だが、その肩には、表情すらひた隠すざんばらの髪と、その中のどの兵でもただ一人で持ち上げられるか曖昧なほどの超重武器。
三十の内の五の兵が、顔のすぐ脇に太刀の柄を構える、八相の、守りの構えで輪を縮める。少年は身を縮め四つん這いとなり、あたかも獣が飛び掛かるように、力を込める。
ざんばらの髪の間から垣間見える、獣の虹彩が小さく凝縮した。
「辰、動くな。下がれ」
その時、玲瓏な、少年が自己も曖昧な幼少の頃、『ハハウエ』と呼んだ人の飼っていた小鳥の囀りを思い出した。
その真綿のような声色に含まれた、針のような、圧倒的な、有無を言わせぬ命令。剛の者達は不満も、何も無く、それにただ従うように八相のまま下がる。
むさ苦しい男達の輪が開いた。
そこに居たのは、その男達よりも厳しい面をした髭だらけの老人だった。
『まさか、こいつがあの声を?』
その男は横にズレると巨大なアカイ槍を肩に立て、そのまま片膝をついて、それを迎えた。
思考が止まった――
少年にも、美しさを理解する心はあった。だが、それが、身体の奥底を破裂させ、自分と言う枠を飛び出すほどのモノだとは知らなかった。
目の前の若武者は、少年の一握りの理性を破壊するほど、美しい侍だった。
若武者は、少年には勝気に見える、女性のような笑みを浮かべた。
「お前は熊でも投げ飛ばせそうな怪力だな」
その言葉で未だ闘争の最中だと言うことを少年は思い出した。幸い、ざんばらの髪が表情の類を少年の敵に知らせないように出来ていた。
少年は一人の眉目秀麗な、女性とも見紛う若武者と対峙していた。どの兵より小さく、それでもどの兵よりも侮れない相手でいながらも、少年に怖れはなかった。
この者が他の者とは違う事は何と無しに分かった。だからこそ警戒と言う言葉が脳裏を踊っている。
烏帽子の壊れたためか? 髪は額を一周して白い布で収められ、それでも粗暴な武士とは違う、統一された雅な節を魅せていた。
口元に侮る気があるのか? ただ楽しんでいるのか分からない笑み。
「頼光様、ご自重くだされ。ここは老い先短い儂にお任せください」
その後ろからぬっと長大なアカイ色の槍を持った老人が出てくる。少年は脅威を感じた。
何故なら今の今まで『そこに』踏み込んだ事に気付かなかったからだ。先ほどまで片膝を付いていたのを省略したような老人の奇を感じるほどに訓練された動きが獣の感覚を騙したのだ。
「坂田、我が部下の半数が手打ち受けて……、私が黙っていると思うか?」
少年は再び聞いた若武者の声を、はばたく直前の小鳥か何かようだと思った。
「頼光様、相変わらず戯れが過ぎますぞ」
「坂田、戯れぬ人の世など詰まらないぞ」
溜息と同時に老人は頭を振って下がると、それに合わせて若武者は地面に落ちていた、手になじむほどの木の枝を蹴って顔の前までに上げて掴み、それを持って構えた。
少年は牙を剥く。刀代わりの棒切れで、我が身に対峙する蛮行に怒りを撒き散らす。
「お前はいい獲物だ、誰にも渡さないぞ」
若武者の微笑に合わせて、何処からか赤い花弁が一片、風に流れる。
それは口に引いた紅のようで、若武者を女性ではないかと思わせた。
自身と得物、双方に風を纏って二人は重なる。
飛び出し様に鈍重なはずの鉞が高速の円を作る。
右から左。
空気に重さをもたらすほどの金属の咆哮。
先ほどの勝負は確実に少年が取っていた。
しかし、闇に隠れた中で発揮された威力は太陽の威光の元、まさしく相手の名前の一文字と同じ、敵の陣では功をなさなかった。
見切った敵は鉞を半歩、身を退くだけでかわす。
音の後に僅かに遅れて、それでも絶妙な拍子で若武者は間合いを侵略した。
あまりにも速過ぎる突撃。少年の鉞は振り切ったまま。
焦り。
引き戻す。
鉞の重さは少年の怪力ならばどうにでもなった。
だが、腕を引き戻すために、反対側に振り切った肘を若武者の手で抑えられては、幾ら戻す怪力でも戻す事も出来ない。
「胴ッ!」
そこから片手で抑えられてがら空きになった胴の、特に肋骨の薄い、肺に近い部分を若武者は片手で激打した。
息が全て抜け落ちる。
膝をついて鉞を落とす少年から、若武者は残心で気を張ったまま離脱。
突如、後ろの方に下がっていたはずの兵士達に囲まれて少年は一斉に殴られる。それは戦友を奪われた復讐の走狗の瞳。
視界が拳で埋まると言うのは人生で滅多に無い機会であろう。
彼らの拳を掻い潜って、最後に槍を携えた老人の蹴り。鳩尾への一撃を最後に、肺に残ったの空気と共に意識が抜け落ちる。
「少年、そなたの名は?」
そんな崩れて重たく暗い視界の中で紅の蕾が名を問う。
少年が獣となる少し前、鬼婆と近辺で蔑まれた、それに反して美しい母から名付けられたその名を少年は呟いた。
「……金太郎」
更に息を振り絞って、少年の意識は途切れた。




