最終章 お人形の終身刑
「大輝くんは行ってない。なのに、姫華は蓮の部屋で、蓮に色々してもらった……?蓮、これ、どういうこと……?」ミカの言葉は、冷たい刃物のようだった。製図室の喧騒が、俺たちの周りだけ完全に遮断されたかのように静まり返る。大輝は「え? なに、空気悪っ……」と、ようやく事の重大さに気づいたように一歩引いたが、もう遅い。「ミカ、聞いてくれ、違うんだ! あれは……っ」言い訳をしようにも、喉が引きつってまともな言葉にならない。大輝が夕方バイトだったと言った以上、あの夜に俺がミカについた「大輝が私物を処分しに来た」という嘘は、跡形もなく崩壊している。
「嘘、つき」ミカの瞳から、完全に光が消えた。ドス黒い、底なしの沼のような闇がそこにある。「わたし、蓮のことを信じるって言ったよね? なのに、裏で姫華を部屋に入れて……何してたの? わたしのこと、バカにしてたんだ」ミカが一歩、俺に詰め寄る。その手の爪が、自身の肉に食い込むほど強く握りしめられていた。地雷系の彼女が一度爆発すれば、どんな修羅場になるか想像するだけで精神が狂いそうになる。「ねえ、ミカちゃん、そんなに蓮くんを責めないであげて?」そこへ、追い打ちをかけるように姫華が鈴を転がすような声で割り込んできた。「蓮くんは優しくしてくれただけだよ。……ねえ、蓮くん? これ以上ミカちゃんに勘違いされたら可哀想だし、あの夜、お風呂場の中で二人がどうやって過ごしたか、ぜーんぶ正直に話しちゃおっか?」「ひ、姫華……お前……っ!」俺は血の気の引いた顔で姫華を見つめた。あいつは微笑んでいる。しかしその目は、完全に獲物を追い詰めた猟師のそれだった。「お風呂場の中で二人がどうやって過ごしたか」そんな言い方をされたら、実際には俺がミカから隠すために姫華を押し込んだだけだとしても、ミカの脳内では最悪の不貞行為として変換される。もしすべてをバラされれば、ミカとの関係が終わるだけじゃない。親友の大輝を裏切って元カノに手を出した人間のクズとして、俺はこの大学での居場所を、人間関係のすべてを失う。
すべてを失って社会的に死ぬか。それとも。
姫華は俺の机に寄りかかり、ミカに見えない角度で、自分のスマホの画面を俺に差し出してきた。 そこには、あらかじめ打ち込まれたメモが表示されている。「私の言うこと、これから何でも聞くって約束して。そうすれば、ミカちゃんにはこれ以上何も言わないであげる。蓮くんの選択肢は、ひとつだけだよ?」完璧な、逃げ場のないチェックメイトだった。大輝をフって次の「お人形」を探していたこの粘着質の怪物は、最初から俺のすべてを飼い殺すために、この状況を仕組んでいたのだ。ミカの、全てを破壊しそうな怒りの視線。 姫華のすべてを支配しようとする悦びに満ちた視線。大輝の、気まずさと不信感の混ざった視線。俺は、ゆっくりと頭を垂れるしかなかった。生き残るために、プライドも、自由も、すべてを投げ出すしかなかった。
「……ミカ、本当にごめん。姫華ちゃんが財布を落として困ってたから、お金を貸したんだ。大輝の嘘をついたのは、お前に余計な心配をかけたくなかったからで……部屋では、本当に、何もやましいことはしてないんだ。信じてくれ」俺は床に額がつく勢いで、ミカに向かって頭を下げた。そして同時に、机の下で、姫華のフリルがついた冷たい手を、きつく握りしめた。「あなたの言う通りにします」という、奴隷の契約を結ぶように。ミカはしばらくの間、激しく肩を上下させていたが、俺の必死すぎる弁明と、姫華がそれ以上口を開かなかったことで、かろうじて最後の一線で踏みとどまった。「……今度、怪しいことしたら、本当に殺すから」ミカは低く、地獄の底のような声でそう吐き捨てると、持ってきたクッキーの袋を机に叩きつけ、走って製図室を出て行った。「ミカちゃん!」と大輝が慌ててそれを追いかけていく。
再び、静寂が訪れた。俺は繋がれたままの姫華の手を見た。姫華は、満足そうに、本当に嬉しそうに、俺の手をぎゅっと握り返してきた。「ありがと、蓮くん。これから、よろしくね」それは、終わりの始まりだった。俺には、ミカという地雷系の彼女がいる。これからもミカの機嫌を取り、彼女の激しい愛に応え続けなければならない。だがそれと同時に、俺の背後には、すべての秘密を握り、俺の一挙一動を監視し、いつでも人生を破滅させられる権利を持ったロリータの主人が君臨することになった。大輝の目を盗み、ミカの束縛に怯えながら、姫華の「お人形」として一生飼い殺される二重生活。窓の外は、すっかり暗くなっていた。逃げ場のないワンルームへと続く夜の闇が、俺の目の前に、どこまでも重く、深く広がっていた。
【エピソード一 完】




