紅葉賀巻~源典侍~
『帝はお年を召されてはいるが、こうした方面(女性関係)は無関心ではなく、采女や女蔵人などでも、容貌がよく才気ある者を特別に取り立てていらしたので、教養ある宮仕人が多い御代なのであった。
光る君が些細なことでも声をおかけになれば、距離を置こうとする者などほとんどいないので、光る君も慣れてしまっておいでなのか、不思議と色めいたことはなさらないようだと、女房たちが試みに冗談を申しあげる折もあるが、相手に恥をかかせない程度に答えるだけなので、真面目すぎて物足りないと思う者もいる。
たいそう年老いた典侍で、人柄がすばらしく才気もあり、上品で、人の評価も高いけれど、たいそう浮気っぽい性分で、その方面においては軽々しい人がいる。光る君は、どうしてこの年になってもそんなに気が多いのだろうと興味深く思われたので、試しに冗談を言ってみると、典侍は自分の年に似つかわしくないとも思っていないのだった。
光る君は呆れながらも、このような女性も面白いと思い、話しかけることもおありだった。
ある時、帝の御髪を整えるところに控えていたのだが、お召替えのために帝がご退出されて、他に人もいなくなった後、この典侍がいつもよりもさっぱりして、姿や髪の具合も艶めいて、装束もたいそう鮮やかに風流であるのが目についた。まったく若作りなことだと見苦しく感じられるが、どういうつもりなのか気になって、裳の裾を引いてごらんになると、なんとも派手な絵が描いている蝙蝠扇(夏用の紙扇)で口元を隠しながら振り返る。思い切り流し目をするのだが、瞼は黒ずんで落ちくぼみ、髪の毛はほつれてばさばさである。
誘いかける歌を詠む典侍に、素っ気なくあしらう歌を返してお立ちになると、袖をつかんで、
「このような思いはしたことがございません。」
と、ひどく大袈裟に泣く。
「そのうち手紙を差し上げますよ。」
と振り払うと、典侍が追いかけて恨み言を言う。お召し替えを済まされた帝が、その様子を襖の隙間からご覧になった。似合わない組み合わせだなと、とてもおかしく思われて、
「色を好まない性質だというが、見過ごしはしなかったのだな。」
とお笑いになる。典侍は少しきまり悪く思ったが、たいして弁解も申し上げない。
これを頭中将が聞きつけて、色恋にかんしては隈なく興味を持つ性分であるのに、今まで気づかなかったと思うと、尽きることのない好色さも興味深くなったので、言い寄ったのだった。』
中将くん?見境ないんですか?
浮気者って言われてたけど、これ、何の興味ですか?
平安貴族って、真面目じゃダメなんですかね。
「人柄がすばらしく、上品で、世間の評価も高い人」と「恋愛体質で軽々しい人」というのが結びつきませんが、典侍さんは現代風に言うなら「痛い人」ということになるのでしょうか。
「人柄が素晴らしく」を別の訳し方をすると、「人柄が重々しく」になります。
・・・重々しくはなさそうです。
帝も典侍も、年を取っているとありますが、何歳なんでしょうね。
『たいそう忍んでの付き合いなので、源氏の君はご存じない。
典侍は光る君をお見かけすると恨み言を申し上げる。高齢であることを思うと気の毒なので、慰めようとは思われるが、億劫でもあるので、ずいぶん長くご無沙汰していた。
夕立の後の涼しい宵に、温明殿のあたりをそぞろ歩いていらっしゃると、この典侍が、琵琶をたいそう見事に弾いていた。
帝の御前で男性に混ざって弾いても、この人に勝る人はないという名手であり、つれない光る君を恨めしく思っていた折でもあって、たいそうしみじみと聞こえる。
弾き終わって、ひどく思い悩んでいる様子なので、光る君が、催馬楽の「東屋」を低く謡いながらお近づきになると、後を続けて歌うのも、並の女とは違う感じがする。
年を取って誰にも相手にされない嘆きを典侍が歌に詠むので、自分一人が負うような恨みでもないのに嫌なことだ、と光る君は思われる。人妻は面倒だ、と歌を返して、そのまま通り過ぎようとも思ったが、あまりに無愛想かと思い直し、女に合わせて少し軽い冗談など言い合って、これもまた目新しいというご気分でいらっしゃる。』
典侍も光る君も、直前まで歌っていた「東屋」の歌詞を含んだ歌でやり取りしています。
そんな芸当が自然とできるほど、二人とも教養が高く頭の回転が速いということのようです。常陸宮の姫君はこれが出来なくてがっかりされたのでした。
近代フランスで言うところのエスプリですね。
そこはさすが、宮中に長く勤める典侍というところなのでしょう。
そのうえ、芸事にも大変秀でていて、世間の評価が高い、というのはそういう点なんですね。
ちなみに、温明殿は内裏の東側にあって、三種の神器の一つである「八咫鏡」を保管してある場所です。もともと三種の神器を管理していた蔵司を内侍司が吸収したので、ここは内侍所の管轄なのです。
『これを頭中将が見ていた。いつも真面目ぶっている光る君に非難されるのが癪で、こっそり通っていらっしゃる所を、どうにかして見つけてやろうと思い続けていたので、とてもうれしく思う。
この機会に、少しおどかそうと考えた。
風が冷ややかに吹いて夜が更けていき、寝入ったころだろうかと、そっと入っていく。光る君はくつろいで休むご気分でもなかったので、物音を聞きつけて、頭中将とは思いもよらず、今もやはり典侍を忘れられないでいるという修理大夫だろうとお思いになる。年配の人に、このような振る舞いを見つけられるのはきまりが悪いので、
「ああ面倒な。帰りますよ。人が訪ねてくることはわかっていただろうに。騙したのですね。」
と言って、直衣を取って屏風の後ろにお入りになった。
中将はおかしいのを我慢して、光る君が引き立てている屏風に近づいて、ばたばたと畳み寄せて、おおげさに騒いだ。典侍は、年は取っているが艶めいた人で、このようなことは経験があり、ひどく慌てながらも、光る君をどうするつもりかと、震えながら中将を引き止めていた。
光る君は、誰とは知られないまま出ていこうとお思いになるが、乱れた姿で、冠などもゆがめて走っていく後ろ姿を想像すると、ひどくまぬけに見えるに違いないと思って、ためらわれる。
頭中将は、自分だと気づかせないように何も言わず、ただ、とても怒っているふりをして太刀を引き抜いたところ、女が「わが君、わが君」と手をすり合わせるので、あやうく吹き出しそうになる。
風流に若作りして振る舞っていると、表面だけは取り繕えるが、五十七~八の人が、乱れた格好のまま慌てているようすは、しかも、素晴らしい二十歳の若者たちの間でおどおどしているのは、みっともないものである。
光る君は、これが頭中将だとお気づきになって、
(私だと知って、わざとやっているのだな。)
と、馬鹿らしくなった。太刀を抜いた腕をつかんで強くつねると、頭中将は我慢できずに吹き出してしまった。そのままお互いの衣を引っ張り合ってもみ合っているうちに、綻んで破れてしまい、恨みっこなしのだらしない格好になって、二人とも帰っていかれた。』
当時の平均寿命は、男女とも五十代だそうです。もっと短いと思っていましたが、意外に長いです(庶民はきっとカウントされてないでしょう)。五十七~八歳というと、平均寿命が八十代の現代では九十歳くらいの感覚でしょうか。現代では元気な人が多いし、所によっては若造扱いですが、当時はとても年老いているという年齢だったんですね。
しかしまあ、現代でも結構な年の差で引きますが、当時は孫と祖母ほどの年の差です。
紫式部さん、なぜこの人を登場させようと思ったんでしょう・・・?
『君は、残念なところを見つけられてしまった、と思いながらお休みになる。
典侍は情けなく思ったが、落としていった指貫や帯などを翌朝お送りした。
帯は中将のものであった。自分の衣より色が深いと思って直衣を御覧になると、端袖がない。
(見苦しいことだ。心身忘れて乱れる人は、なるほど馬鹿げたことが多くなるのだろう。)
と、ますます自重しようというお気持ちになられる。
中将が宿直所から件の袖を包んでよこしたので、面白くない気分である。もしこの帯を手に入れていなかったら、さらに不愉快だったろうとお思いになる。
日が登って、それぞれ殿上に参上なさった。この日は奏上や宣下が多い日で、礼儀正しく真面目にしているのを見ると、お互いに微笑んでしまう。
誰もいない時に頭中将が近寄ってきて、
「隠し事は懲りたのではないですか?」
と、悔しそうに横目で見ている。
「どうしてそんなことがあろうか。立ったまま女に逢えずに帰ってきた、誰かさんこそ気の毒ですよ。」
と言い合わせて、「とこの山なる」と、お互いに口止めをする。』
犬上の 鳥籠の山なる 名取川 いさと答へよ わが名漏らすな
(犬上の鳥籠の山にある名取川。その名のように、私のことを尋ねられても「さあ」ととぼけて、私の名を漏らしてはいけない。)
お互いちょっと恥ずかしい思いをしたから、口外無用だよ、と約束したそうなんですが・・・
これ、何の話だったんでしょう?
光る君のもてエピソードでしょうか。頭中将と光る君の仲良しエピソードでしょうか。仲いいですよね、この二人。
正直、本筋から外れていて、なくても良い話なんですが、重くなった話を和らげるために挟まれたのかな、と思います。
藤壺宮の懐妊のあとに末摘花さん、若宮の誕生に苦悩する二人が書かれたあとに典侍さん。ズシッとくる話の後にコミカルな話を挟むことで、読者は一息つくことができるのではないでしょうか。
さすがです、紫式部さん。




