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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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帚木巻~雨夜の品定め・賢い女 からの総論~

雨夜の品定めはまだ続きます。

ずっと黙っていて存在感を消していた藤式部丞(とうのしきぶのじょう)さんに、中将くんが話を振ります。

式部省は、文官の人事・教育を担当する役所で、長官は卿、次官は大輔、三等官が丞です。位階は従六位上から正六位下相当。普通の六位に昇殿は許されませんが、蔵人を兼務すると許されるらしいです。

彼らがおしゃべりしているの、内裏ですからね。

紫式部のお父さん、藤原為時もこの役職にいたことがあります。

式部丞さんも頭中将より年長と思われますが、身分が違うせいか、中将くんがなんか偉そうです。



『「式部には、おもしろい話があるだろう。話して聞かせよ。」

 式部丞は、下の下である自分にこれといった話はないと言うのだが、(とう)の君(頭中将)がなおも催促するので、話し始めた。

「文章生でありました時、かしこい女の例を見ました。さきほど馬頭(うまのかみ)が申されましたように、公の事も相談相手となり、私事の心構えも配慮が行き届いていて、学問の才は、生半可な博士では恥ずかしくなるほどで、万事、口を出すべきことはないというほどでした。

 ある博士のもとに、学問などをしようと通っておりました頃、娘が多くいると聞きまして、ちょっとした折に言い寄ったのでございます。それを親が聞きつけて、盃を持って出てきて、『わが(ふた)つの(みち)歌うを聴け』と申されるのです。結婚するつもりはなかったものの、親の心を慮って関わっておりますうちに、女はたいそう愛情深く私の世話をしてくれるようになりました。」』



文章生というのは、歴史専攻の大学生です。

『わが両つの~』は、白氏文集の漢詩の一節です。漢学の博士ですからね。

豊かな家の女は早くに結婚するが夫を軽んじる。貧しい家の女は結婚は遅いが姑を大事にする。というような内容で、博士は、うちは貧しいけど娘はいい嫁になるだろうからよろしくな、と言いたかったのです。



『「寝覚めの語らいでも学が身につき、朝廷にお仕えするのに必要な正式な学問も教わりました。手紙にも仮名を書くことはなく、格式ばった言い回しをいたします。その女を師として、下手ではありますが漢文を書くことなど習いましたので、今でもその恩は忘れませんが、親しみを持てる妻とは思うには、私には才がなく、なんとなく劣って見えるのが恥ずかしく思われました。」』



出来が良すぎて、妻というより師のような存在だから、肩の力が抜けなくてくつろげなかったんですね。

ちょっかい出さなければ良かったのに。

女性の方が優れているのは嫌だ、という感覚は、現代でもありそうです。

昭和の頃まで、女性がなまじ学問などすると生意気だと思われて嫁の貰い手がない、なんて考えが罷り通っていましたから。

もしかして、今もある?



『「そうして足が遠のき、しばらく通わなくなりましたが、何かのついでに立ち寄りますと、他人行儀なことに、物ごしに会うのです。

 拗ねているのだろうかと馬鹿馬鹿しく思い、また別れ話を切り出すのに良い機会だとも思いましたが、この賢い女は、軽々しく恨んだりするはずもなく、男女の仲の道理をわきまえて、恨み言など言いませんでした。

 風邪が重く、<極熱の草薬(大蒜(ニンニク))>を飲んだため、臭うから面と向かっては会えないと、早口で申します。実際、強烈な臭いが漂ってくるもので、堪らず退出しようとしました。

『この臭いが消えた時にお立ち寄りください』と、声高に言うのを聞き過ごすことも出来ず、

『ささがにの ふるまひしるき 夕暮れに ひるま過ぐせと いふがあやなさ

(蜘蛛が巣を張って訪れる人があることを知らせているのに、(ひる)が臭う間待てとは・・・)』と言いますと、

『あふことの 夜をし隔てぬ 仲ならば ひる間も何か まばゆからまし

(夜を隔てず会っている仲なら、昼間もどうして眩しいことがありましょう=ニンニクの臭いがしている間も、どうして恥ずかしいと思うでしょう。あなたが滅多に来てくれないから、恥ずかしいと思うのです)』

と、流石に返歌は速かったです。」

と申し上げると、君達(光る君と頭中将)は興ざめして、「作り話だ」とお笑いになる。』



うん。よく分からない展開ですが、自分にはもったいないくらい賢い女に気後れした式部丞さんは、だんだん通わなくなって、ニンニクの一件で別れたんですかね。

ささがには蜘蛛の別名で、蜘蛛が巣を張ると待ち人が訪ねてくる、という迷信があったそうです。大体夕方に巣を作りますからね。夕方なのに昼の間待て(=蒜の臭う間待て)ってどういうことだよ、と詠んだらしいです。



『左馬頭が、

「男も女も、教養のない者は、わずかに知っていることを見せびらかそうと思うのが、困ったものです。

三史五経といった学問に精通しているのは可愛げのないことですが、女だからといって、世間の出来事を、全く知らず思い至らずということで良いものでしょうか。正式に習わなくとも、少しでも才のある人なら、自然と覚えることも多いでしょう。とは言え、漢字を走り書きしてみせたり、漢文でやり取りすべきでもない女同士の手紙に、半分以上漢字が書いてあったりすると、ああ嫌だ、この人が物柔らかであったら、と思えます。」』



三史五経とは、昔の中国の三つの歴史書と、儒教の五つの教科書のことで、貴族男性には必須の学問です。

女性も、ある程度の知識は教養として求められたけれども、博士並みとなると敬遠されます。当時の女性に対する見識は、こんなものだったんですね。真名(漢字)をきっちり書くよりも、仮名を美しく走り書きする方が喜ばれたようです。

紫式部は、お父さんが学者だったこともあって、漢文も男性並みに読みこなせたようですが、それを表には出したがらなかったといいます。

対して、同時代の清少納言は臆することなく漢字を書き散らしていたらしく、紫式部は批判的な意見を残していますね。



『「自分を歌人と思っている人が、興の乗らない折々に他人に詠みかけるのは、不愉快なことです。

返歌をしなければ情緒を知らないようだし、返歌のできない者はきまり悪く思うでしょう。しかるべき節会(せちえ)など、たとえば五月の端午の節会(せちえ)に急ぎ参内した朝、何も落ち着いて考えられない時に、見事な菖蒲の根に引きかけて歌を詠みかけたり、九月九日の重陽(ちょうよう)節会(せちえ)で、まずは難しい漢詩を思い巡らして余裕のない時に、菊の露にちなんだ歌を詠みかけるなどというように、相手の気持ちを察することもなく、その場に相応しくないことに付き合わせるのは、かえって気のきかないことに思えます。後からであれば、自然と面白くも情緒深くも思えるものを。

万事、状況を見て分別できない程度の思慮では、気取って風流めかしたりしないほうが、見苦しくないでしょうね。

知っていることも知らない顔をして、言いたいことも、一つ二つは言わずにおくのが良いのです。」

と言うのを聞きながら、君(光る君)は一人の御様子を思い続けていて、足らないことも過ぎたこともない方でいらっしゃる、とますます胸がいっぱいになる。』



結論が出たのかどうか分かりませんが、この後もこんな雑談をして語り明かしたということで終わっています。

原文には『人一人の御ありさまを』とありますが、光る君が理想的でいらっしゃる、と胸を熱くするのは藤壺宮しかいません。いくつかの例を出しながら女性談議が行われましたが、光る君の思いはますます高まる結果になったようです。


それにしても・・・長かった。

結構な分量と熱量です。

本格的に物語が始まる前に、コレですよ。当時の読者は、嫌気が差して途中で止めたりしなかったんですかね。これから展開される物語のことなんて知らないわけだし。

元々、紫式部は帚木巻や夕顔巻から書き始めたとも言われています。そうすると、本当はこういう始まり方だったんでしょうか。なかなか疲れる内容です。

でも、もしかしたら、これから婿取りをする女子たちやその親には、結構な関心事だったのかもしれません。

当時は通い婚。光る君や頭中将のような政略結婚でなければ、男性が通うのを止めれば関係が切れます。男性が当てにならないから、子供は女性の実家が養育するし、相続も女系で行われました。それでも、男性が飽きずに通ってくるにはどうしたら良いか、というのは大事なことだったんでしょうね。


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