帚木巻~雨夜の品定め・常夏の女~
中将くんの語りの冒頭、珍しく一人称が出てきます。
三人称の主語も少ないですが、一人称は、ここでようやく出てきました。
『なにがし』と言っています。今なら、名前の分からない第三者に対して使う言葉ですね。『我』という言葉も出てきます。
「私」は私事を指す言葉で、自分を指す意味はまだありません。「それがし」ももう少し後の時代です。
『中将は、
「私は、愚か者の話をしましょう。」
と言った。
「人目を忍んで付き合い始めた女がおりましたが、逢瀬を重ねるにつれて愛しく思うようになりました。通うのは稀でしたが、その女を忘れることはありませんでした。薄情だと恨むこともあるだろうと、我ながら思う時もありましたが、女はそのような素振りを見せませんでした。しばらく訪れない時でも、私のことをおざなりに考えず、いつも気にかけているようで、心苦しく思ったので、いつまでも頼りにするように言ったこともありました。
その女は親もなく、とても心細そうで、この人こそ頼りと思っている様子も可愛らしかったですよ。
このように大人しいことに安心して、しばらく通わないでおりましたところ、妻(右大臣家)の近辺から、思いやりのない不快なことを、人づてに言わせたと、後で聞いたのです。
そんなことがあったとも知らず、心中では忘れていないとはいうものの、長いこと手紙なども送らず過ごしておりました。女はすっかり気が沈んで心細くなり、幼い子供などもあったので、思い悩んで、撫子の花を折って寄越してきました。」
と言って涙ぐんだ。
「思い出したままに行ってみますと、いつものように無心なようでありながら、ひどく物思い顔で、荒れた家の庭が露でしっとり濡れているのをぼんやり眺めて、虫の声と競うように泣いているのが、昔物語めいて感じられました。
『咲きまじる 色はいづれと 分かねども なほ常夏に しくものはなし
(どの花も美しく咲いているが、やはり常夏の花(=撫子)が一番美しい)』
大和撫子(=幼子)のことはさておいて、まず「塵をだに」などと、親の機嫌をとります。
『うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ あきも来にけり
(床の塵をうち払う袖も涙に濡れている常夏の花(=私)に、嵐(右大臣家からの圧力)が吹き、秋になり、あなたにも飽きられてしまいました)』
と何でもなさそうに言いつくろって、本当に恨んでいるようにも見えません。涙を零しても、とても恥ずかしそうにつつましく隠して、辛い思いをしていると思われたくないようでしたから、私は気楽に考えて、また通わずにおりましたところ、この女は跡形もなく消え失せてしまったのです。」』
塵をだに 据ゑじとぞ思ふ 咲きしより 妹とわが寝る とこなつの花
(古今和歌集)
(愛する妻と寝る床に塵を積もらせないように、咲いた時から塵さえ積もらせないよう大切にしている常夏の花(=撫子)です)
この歌は、隣人から撫子を分けて欲しいと頼まれた凡河内躬恒さんという人が詠んだものです。だからあげないよ、と言ったのか、だから大事にしてね、と言ったのかは定かではありません。
夫婦の寝る床に塵が積もらないということは、いつも共寝をしている、つまり仲が良いということです。中将くんは、この歌を念頭に、今後はそうなるように頻繁に訪れますよ、と言ったわけですが、口から出まかせだったようです。
当てにならん人ですね。
それに対して常夏さんの返歌は、
彦星の まれに逢ふ夜の 常夏は うち払へども 露けかりけり(後撰集)
(意味は多分、
彦星が稀に妻と逢う夜に咲く常夏(=撫子)は、いくら露を払っても湿っている。稀に共寝をする床は、いくら袖で打ち払っても涙で湿っている。)
という歌を引用しています。
「秋」と「飽き」を掛けることはよくあるようですが、捨て置かれる嘆きと心細さと諦めと、切なさを込めた歌なのに、どうして中将くんは放置しても大丈夫そうだと思ったのでしょう。すさまじく鈍感なんでしょうか。単なる言葉遊びだと思いました?
ちなみに、撫子にはいろいろな別名がありますが、夏の間ずっと咲いているので、常夏と呼ばれていたのだそうです。その可憐な見た目から、女性や幼い子供を撫子に例えたりしました。
『「まだ生きているなら、寄る辺ない身で困窮していることでしょう。愛しいと思っていた時に、うるさいくらいに慕ってまとわりつく様子を見せたなら、このように彷徨わせることはなかったものを。こんなにも放っておくことはせず、妻の一人として、長く付き合っていく方法もあったでしょうに。
あの撫子(子供)が可愛らしかったものですから 、どうにかして探し出そうと思いましたが、今もどこにいるか耳にすることができません。
この女こそ、あなた(左馬頭)のおっしゃる、頼りにならない女の例でしょう。
薄情だと思いながら平気なふりをして、そのことを私は知らないで愛し続けていましたが、その甲斐のない片思いでしたよ。
今はだんだん忘れつつありますが、あの女もまた私を忘れられず、おのずと胸焦がれる夕べも時々はあるだろうと思います。
これは、長続きできない、頼りない類の女でしたよ。」』
え~と、ちょっと待って。
中将くんにとって、『痴れ者(愚か者)』って誰?
てっきり自戒を込めて語っているのだと思っていたのだけれど、方向性が変わりましたよ。常夏さんが悪いことにしてません?明らかにあなたが悪いよね。
愛しいと思っている女性や、可愛い子供を、長期間放置するもんですかね?帝が桐壺の更衣や光る君にしてみせたように、ずっと側に置きたがるんじゃないですか?
この後、中将くんは、「どの女性の例でも、問題がないのっていないよね~。世の中ってこんなもんだよね。欠点のない女なんて、どこかにいるのかなあ。」とか言って締めくくります。
これって、当時の標準の認識なんでしょうか?
現代なら、こんな中将くんに寄ってくるのはお金目当ての人だけで、お望みの「欠点のない女性」には避けられることでしょう。
この雨夜の品定め、女性についてあれこれ語っていますが、むしろ男性側の問題点が浮き彫りになっていく気がします。




