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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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桐壺巻~光る君の才、帝の決断~


『月日が経ち、若宮が参内された。この世の者と思えないほど、ますます美しく成長なさっているので、帝はたいそう不吉に思われた。


 翌年の春、東宮がお決まりになるときにも、帝は第一皇子を飛び越してこの若宮をと強く思われたのだが、御後見するような人もなく、また世間が承知するはずもないことであったので、かえって若宮の身が危うくなるとお考えになり、そのような素振りもお見せにならなくなった。あれほど可愛がっておいでだったが限界があったのだなと、世間の人も思い、女御もご安心なさった。』



美しく成長していて、なぜ不吉なんでしょう?

後の所業を予見した?

いえ、そうではありませんでした。

あまりに美しい者は、鬼神に魅入られて命を落とす、という迷信があったらしいです。帝は、若宮が早世してしまうのではないかと、不安に思ったようです。



『若宮の祖母である北の方は、慰みようもなく気落ちされていて、娘のいる所に尋ねて行きたいと願い続けた末、とうとうお亡くなりになった。帝も、これを限りなく悲しくお思いになられた。

 皇子は六つにおなりなので、今回は状況がお分かりになって、祖母恋しさにお泣きになった。

 祖母君は、ずっと慈しんでいらした若宮を残していく悲しみを、繰り返し仰っていた。』



『今は、若宮は内裏にのみいらっしゃる。

 七つにおなりになり、読書始(ふみはじめ)などおさせになると、世間に例のないほど聡明でいらしたので、帝はかえって恐ろしいまでに御覧になる。


「今は誰も若宮を憎むことはないだろう。母君がいないということだけでも、可愛がっておくれ」

と、弘徽殿などにお渡りの時もお供に連れていかれて、そのまま御簾の内にお入れになる。

 恐ろしい武士や仇敵であっても、思わず微笑みがこぼれてしまうようなご様子なので、無視することはとても出来ない。この御方(弘徽殿女御)にはお二人の皇女がいらしたが、若宮とは並びようもなかった。

 他の御方々も、若宮を前にしてはお隠れにならず、幼い今から優雅で、こちらが気恥ずかしくなるほど立派なご様子なので、たいそう愛らしくも、くだけ過ぎない遊び相手として、誰もが若宮のことを愛おしく思っていらした。


 正式の御学問はもちろん、琴や笛の音においても宮中を驚嘆させるほどの御有様であった。』



幼い頃から、大変な美貌と優れた才能を持つ若宮であったようですが・・・

あまりに優れていると、やっぱり鬼神に魅入られるので、帝は恐ろしくなってしまったようです。

現代なら素直に喜ぶと思うのですが、平安時代は大変ですね。


当時の七歳は現在の満年齢で六歳。学問が始まる時期としては現代の子供と同じです。

ただ、ここでいう読書始というのは、漢籍を習い始めるということ。当時の公式文書は漢文なので、貴族は漢文が読み書きできないと話になりません。平仮名は女性用の文字でした。ひたすら平仮名の練習から入る現代の子供よりハードですね。


それにしても、並み居る『御方々』が気恥ずかしくなるような、優雅で立派な御子様ってどんな感じなんでしょう。全く想像つきません。



『その頃、来訪している高麗人(こまびと)の中に、聡明な人相見がいたのをお聞きになり、お忍びでこの皇子を鴻臚館(こうろかん)に遣わした。宮中に召すことは、宇多天皇の御戒めがあるため出来ないのだ。

後見役のようにお仕えしている右大弁の子のように思わせてお連れすると、人相見は目を見張り、何度も首を傾けて不思議がっている。


「国の親となり、帝王の位に登るような人相がある方ですが、その方向で見ると、国が乱れ民が憂うことがあるかもしれません。朝廷の重鎮となって、国政を補佐する方と見れば、またその相とも違うようです。」


 帝は倭式の観相もお命じになっていて、それによるお考えがおありだったので、今までこの君を親王にもなさらなかった。その高麗人の人相見は本当に聡明であったとお思いになる。

「無品の親王で、外戚の後見もない不安定な状態にはするまい。自分の治世もいつまで続くか分からないのだから。臣下として朝廷の補佐をするのであれば、将来も頼もしそうだ。」

と思いを決められて、ますます様々な方面の学問を習わせなさった。


 際立って賢く、臣下にするのはとても惜しいが、親王となれば世の疑いを受けるに違いなく、宿曜道(すくようどう)(占術)の名人に判断をさせても同じように申すので、源氏としようとお考えを決められた。』



皇子・皇女の中で、宣下を受けた者だけが、親王・内親王になります。

光る君は、まだ、ただの皇子だったんですね。

天武天皇は皇族を中心とした国家を目指していたけれど、藤原氏が台頭する中で、皇族は政治に関わらなくなっていきます。身分は高いけれど、朝廷での存在感は薄くなり、収入も権勢も摂関家に劣ります。

宮中行事の席次も、関白・大臣たちより親王の方が下だったそうです。

皇位継承の望みがあるならまだしも、そうでないなら、臣下となった方が将来があるだろう、という帝の深謀遠慮ですね。


臣籍に下った天皇の子孫を皇別氏族と言います。神話の時代を入れるなら、蘇我氏、阿部氏(仲麻呂とか晴明とか)、紀氏(紀貫之とか)もそうです。

奈良時代の有力な氏族である橘氏も皇別氏族です。

大々的に臣籍降下をするようになったのは平安時代ですが、桓武天皇は一部の皇子に平姓を与え、嵯峨天皇以降は源姓を与えるようになりました。さらに時代が進むと、皇位継承と関係なさそうな皇子は出家させて法親王とするようになりました。

日本の代表的な姓として「源平藤橘」の四つがあるそうですが、内三つが皇別氏族ということですね。時代と共に名乗る姓を変えた一族も多くあり、遡ればこのどれかに行きつくという人、結構多いかもしれません。



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