第8話 君の犬
昼休み。
なんとなく『アシピグ』アプリにログインしてみたが、Yu-noは居ないようだ。
自称、不労貴族のYu-noは日中は寝ているか、廃人仲間とつるんでRe-lianceの世界をうろついているかだ。
仕方なくスタミナ消費にソシャゲを立ち上げると、惰性で巡回プレイを始める。
「お、南原もファイドラやってるのか?」
言うなり俺の向かいに座ってきたのは、剣道部部長の唐澤だ。
スマホを取り出すと、同じアプリを立ち上げる。
「まあ、少し。暇つぶし程度だけど」
「なあ、良かったら教えてくれよ。対戦で全然勝てなくてさ」
このゲームはキャラを集めて作ったデッキでダンジョンを探索するものだが、対人対戦でのランキング戦が人気だ。
システム上、近いランクの相手と戦うので、そこまで勝てないことは無いはずだ。
俺は唐澤のスマホを覗く。
デッキの中身も攻撃力特化のタイプだが悪くない。
「ひょっとして、勝てないのってフレ戦?」
「良く分かったな。ダチにカモられてんだよ」
パン、と冗談めかして手を合わせる唐澤。
「頼む! 俺にフランクフルトのリベンジをさせてくれ!」
なるほど。陽キャはカモられ方も爽やかだ。
「負けるってどんな風に?」
「序盤はこっちが押してるんだが、気が付くと逆転されてるんだよ」
選択キャラに問題はない。
攻撃属性も偏ってないし、弱点もかぶってないが———
「これ、行動ポイントが同じのばっかだな。これじゃ、攻撃のタイミングがやたら被るだろ」
「それだとなんか問題あるのか?」
「ランク戦なら問題ないけど。俺ならタイミング合わせて支援系のスキル発動させるデッキを組むかな。対唐澤専用デッキ」
「マジか。そこまで読まれてたのか」
「ちょっと貸してよ」
俺はいくつかのキャラを差し替え、何パターンかのデッキを組む。
「タイミングずらして状態異常系の攻撃を叩き込む。で、後は火力で圧倒」
スマホを返すと、俺は周回作業に戻る。
「いくつか組んだから適当にローテさせてよ。一日くらいはフランクフルト食い放題だ」
「マジか、感謝するぜ」
嬉しそうに立ち上がった唐澤は立ち去り際、思い出したように振り返る。
「あー、そういやお前、髪型変えたんだな」
「……まあね」
思わずスマホをいじる指が止まる。
マウント感たっぷりの髪型イジリ。
……陰キャが髪型を変えた時、絶対に避けられない洗礼だ。
用意したいくつかの返しを頭の中に巡らせつつ、唐澤の言葉を待つ。
「いいじゃん。前よりこっちがいいぜ」
「……え? あ、ありがと……」
意外な言葉に思わず言葉が詰まる。
……俺、乙女かよ。
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……物事の簡単さに、俺はむしろ拍子抜けしていた。
付け焼刃の薄っぺらい会話に態度。
出費とウザい会話に目を瞑れば、容易に手に入る髪型———
もちろんそれだけで手に入る立場なんてのは、動けば割れる薄氷を踏んでいるようなものだ。
割れる前に次の一歩を踏み出す先も、下の透ける薄い氷だ。
それでも、少しずつイジリが好意的なものに変わりつつあるのが分かる。
……これは唐澤と話すようになったのが大きいかもしれないが。
奴と話していると、女子がやたらと寄ってくる。
女子のいる集団に混じっているだけで、それを目当てに男が寄ってくる。
良く言えば正の連鎖なのかもしれないが、正直毎日綱渡りをしている気分だ。
羊は最初の一頭が崖を飛び降りると、続けて群れのすべてが飛び降りる———
去年の冬頃だ。
日南がボソリとそんなことを呟いた。
クラスメイトに交じって憂鬱に笑う俺は、なぜかそんなことを思い出していた。
———
——————
俺は花瓶の水を換えると、水切をした花を活け直す。
「お前は静かでいいよな」
百合に話しかける自分の姿に、俺は思わず自嘲気味な笑いを浮かべる。
俺もついに花に話しかけるようになったか———
……こんなことをしているのも、もちろん日南の命令だ。
水を換えることに異論はないが、移動教室に向かう直前にそれを言うのは明らかな嫌がらせだ。
焦ったって仕方ない。次の授業はもう始まっている。
俺が開き直りに似た気分で人気の無い廊下を歩いていると、一人の女生徒が腕組みをして壁にもたれている。
雁ヶ音日南。
俺を無表情に睨みつけるのは本気で怒っている時だ。
思わず足が止まる。
……まだだ。まだ彼女と二人きりだと息が出来なくなる。
Yu-noはこんな時なんて言ってたっけ。
……ああそうだ。
―――できないなら息しなきゃいいじゃん。私、二分くらいはギリ行けるよ?
なるほどね。二分で片を付ければいい訳だ。
俺は真っすぐ日南に歩み寄る。
「日南、授業遅れるよ?」
「あんた、最近どうしたの?」
「……どうって?」
俺の答に、日南の怒りが周りの空気に満ちていく。
「すっかり色気付いてるじゃない。女でもできた?」
「ただの気分転換だよ。たまにはトリミングも必要だろ?」
「質問に答えて。女でもできた?」
「……そんなに興味あるの?」
パン、と小気味いい音を立て、日南が俺の頬を叩く。
「あんた自分の立場分かってる? 父親がどうなってもいいのかしら」
「俺の家族は関係ないだろ」
「大ありよ。あいつ、あなたの代わりに罪を償っているのよ?」
日南は黙る俺の顎を、指で掴んで持ち上げる。
「―――あんたの親だけあって、いい忠犬ぶりらしいわね」
「社長秘書だ。日南の父親の秘書で、君の部下じゃない」
俺は日南の手を払う。
「……啓介、あんたは私の犬よ。私を裏切ったりしたら許さないわ」
「許さないって……どうなるの?」
「そうね、パパにあんたに襲われた―――って言ってみたらどうなるかな」
暗い愉悦に日南が目を輝かせる。
「今度こそ、あんたたち一家は破滅ね。なんならうちの庭で飼ってあげようか?」
「日南、そういうことは言わない方がいい」
俺は薄い笑みを浮かべたまま、日南に一歩踏み出す。
一瞬、日南の顔に恐怖にも似た感情が浮かぶ。
「―――俺が本当に襲わないとでも思ってるの?」
「!」
俺の頬めがけて振り下ろされた手を掴み取る。
「俺は日南を裏切ったりしないよ―――」
振り下ろされたもう片方の手も掴む。
花瓶が鈍い音を立てて廊下に転がり、零れた水が静かに広がっていく。
「———日南も俺にそんなことはしない」
俺は日南を壁に押し付けると、膝を足の間に入れて動きを封じる。
「啓介……あんた、私の犬のくせにっ!」
「っ!」
首筋に熱い痛みが走る。
日南が俺の首に歯を突き立てたのだ。
「———ああ、俺は君の犬だ。君の事、ご主人様って呼べばいいかな」
日南は本気で噛み殺そうとでもしているのか。
少しずつ、歯が肉に食い込んでいく。
俺は歯を食いしばりながら、顔をぶつけるようにして振りほどく。
荒い息をつく日南の歯は血にまみれている。
「俺のご主人様は———まるで犬みたいだね」
日南は血の混じった唾を俺の顔に吐きかける。
その瞳には、隠しようのない憎しみが溢れ出ている。
「あんた……今度誕生日でしょ? 素敵な首輪を買ってあげるわ」
「楽しみにしてる。間違えないで……ちゃんと犬用を頼むね」




