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第20話 一緒に


 暗い部屋の中。

 俺はベッドに寝転がり、ボンヤリ光るスマホの画面を見つめていた。



 何度リピートしたのだろう。

 YouTubeで流れるテレビ番組の中では、ワンピース姿の少女が花のような笑顔をカメラに向ける。


『こんにちは! 茅ヶ崎ミサです! 好きな食べ物はミルフィーユです!』


 ミサの笑顔に沸き上がる会場。

 その歓声に呼ばれたように、ミサの後ろから一回り小さな女の子が、ひょこりと顔を出す。


 小さな女の子はミサとお揃いの服を着ている。

 はにかむように微笑むと、握ったマイクに向かって精一杯声を張り上げる。


『こにちはっ! 茅ヶ崎リサの好きなのはミッフィーです!』

『それ食べ物ちゃうやん!』


 司会の突っ込みに会場は更に盛り上がり、“茅ヶ崎リサ”は恥ずかしそうにミサの背後に隠れる。


 何のことは無い。お約束の掛け合いだ。

 今となっては何故これが受けたのかは良く分からない。


 仲良さげな可愛い姉妹。

 当時の世情がこの空気感を求めていたのかもしれない。



 窓の外、空が次第に白み始める。

 今日も学校だ。


 俺はスマホを充電台に戻すと、ベッドの上、天井を見上げる。


 茅ヶ崎ミサと茅ヶ崎リサの姉妹ユニット。

 当時から、妹のリサが人気だったのを思い出す。


 『お約束』の掛け合いの中、幼い姉妹の作為と稚拙の揺らぎを楽しむ芸風だ。


 そのように理解していたが、改めて二人の出演シーンを眺めていると当時は気付かなかったことに気付く。


 ……妹のリサ。


 5才にも関わらず自分に求められているものを理解して、自らの幼さを見世物としてコントロールしている。


 僅か一分程度の鉄板のやり取り。

 その場を支配しているのは姉のミサでも司会の芸人でもなく、リサだ。


 茅ヶ崎リサ。当時5才。


 子役として成功が約束されていた彼女は、この直後に表舞台から姿を消す。



 ―――

 ―――――― 



 カタリ、と玄関の鍵が閉まる小さな音がやけに響く。


 俺はソファの上で腰を浮かせかけたまま、日南のスラリとした後ろ姿に目を奪われていた。


 帰ってくるまで何時間もかかる―――


 日南の宣告にも似た言葉。


 厄介払いをするように買い物に行かされた母の後ろ姿が目に浮かび、俺はそれを振り払うように頭を振った。


「ラ・プレシューズ―――だっけ。日南、あそこのケーキ、好きなの?」

「……別に。遠かったから」


 ようやく振り向いた日南は、最近よく見る物憂げな表情を浮かべている。


「隣、いい?」


 日南は答えも待たずに、俺の隣に腰を下ろす。

 僅かに香ってくるのは石鹸とシャンプーの匂い。スポーツクラブの帰りだろうか。


 ……自分は汗臭くないか。

 さり気なく腕の匂いを確認していると、日南が俺を刺すような視線で見つめているのに気付く。

 

 長い睫毛、大きな瞳―――

 俺は顔が赤くなるのを感じつつ、目を逸らす。


「……そういえば日南が風邪なんて珍しいよね。寝冷えでもした?」

「私は風邪なんかひいてない」

「え?」


 ……どういうことだろう。

 先生からは風邪だと聞いていたし、さっきも本人とその話をしたはずなのに。


 聞き返そうと顔を向けたが、俺を凝視する視線に負けて再び俯く。


 ……今日の日南はどこかおかしい。

 思い詰めたような空気を感じつつ、俺は沈黙に耐えられず口を開く。


「最近、夜縁よすがちゃんはどうしてる?」

「……なんでここで夜縁の話が出るの?」


 チリチリと首筋を焼く日南の視線を感じる。


「このところ会ってないから……なんとなく気になって」

「どうもこうもないわ。毎日リハビリと勉強よ。忙しいから邪魔しないであげて」


 それ以上聞けない雰囲気が伝わってくる。

 空気に耐えられなくなった俺は、喉の渇きを理由に立ち上がる。


「飲み物でも持ってくるよ。日南はなにがいい?」


 日南が俺の服を掴み、ソファに引き戻される。


「日南?」

「ねえ、啓介。DVDを一緒に見ようと思って持ってきたの」

「うん……構わないけど」


 ……一体何だというのだろう。

 バッグに伸びる日南の白い手。


 怪訝にそれを見守っていた俺は、日南が取り出したパッケージを目にするなり思い切り上から押さえつけた。


「日南! これ、まずいって!」

「まずい? どうして、これ普通に店頭で売られていたのよ」

「でも……これ……」

 

 乾いた喉が痛む。

 無理にでも口を開こうとするが、継ぐべき言葉が見付からないことに気付く。


 日南は俺の指を一本一本、力任せに剥がしていく。

 指が離れるたびに、パッケージに書かれた“片翼の天使”というタイトルが露わになっていく。


「ああ、これ……15才未満には販売禁止だったわね」


 日南の唇が皮肉に歪む。


「……おかしいよね。10才の私が出てるのに、私たちが買っちゃ駄目なんだって。知ってた? これって凄く売れたのよ」


 俺は知らないとばかりにゆっくり頭を振るが、嘘だということは二人とも分かっている。


 誰も面と向かっては口にしなかったが、当時通っていた小学校ですらこのDVDを知らぬ者はいなかっただろう。


 俺が喧嘩騒ぎを起こしたのもその頃で、相手はDVDの実物を学校にもちこんではしゃいでいた男子だ。

 後にも先にも、本気で人を殴ったことなんてそれだけだ。


「消えた子役がこんな汚れ仕事で再登場したんだもん。売れるよね」

「でも……なんで、日南はこんなのに……」

「仕方ないじゃない。夜縁が引退してから、仕事なんてあっという間に無くなったわ。嘘みたいに、全然」


 日南は暗い瞳でパッケージを眺めながらポツリと呟く。


「……私はあの子のおまけだったのよ」


 ―――おまけなんかじゃない。


 そう言おうとしたが、舌が張り付いた様に動かない。


 動かぬ現実を突き付けられた日南に向かって、気休めにも似た安い言葉がなんになるのだろうか。


「あの頃はママもね、夜縁の介護で追い詰められて大変だったの」


 もちろん、幼い娘が車椅子生活ともなれば家族の負担は計り知れない。


 ただ、事故以降に訪れた日南の家には常にヘルパーがいて、彼女の母親は不機嫌そうにスマホの画面を触っているばかりだった。


「勿論、プロに全部させてたから、特に何かしてたわけじゃないけど。ママって他人の目が何より気になる人なの。車椅子の幼い娘を放って自由に過ごしている―――なんて、周りに思われるのが耐えられないのよ」


 日南は嘆息すると、ソファに背を預ける。


「……だから、“娘の介護に疲れ果てて可哀想な自分”に圧し潰されそうになっていたの。壊れちゃわないように、もう一人の娘がママを必要としないといけなかったの」


 日南はDVDを手にすると、遠くを見る目でパッケージを見つめる。


「―――仕事がないと、ママを助けられなかったのよ。スーパーのチラシでも何でも良かったのに。これが売れたら、テレビの仕事がまたもらえるって」


 嘲るような表情を浮かべるとパッケージを開く日南。


「なんでママ、そんなこと信じちゃったんだろう。嘘に決まってるじゃない」


 指先でアンケート葉書を弾くと、その裏の生写真を取り出す。


 初回生産特典の生写真。

 その中では紐のような水着を着た日南が笑顔でシャワーを浴びている。


 俺はいたたまれずに目を逸らす。


「……この間、ママと一緒に学校に呼び出されたの。他の生徒の保護者から苦情が出ているって。こんないかがわしいDVDに出ている生徒と、同じ学校には通わせられないって」


 日南の指に力がこもる。

 パッケージの軋む音。


「高等部への進学も無理だし、出来れば転校も視野に入れて考えてくれって……」


 風邪なんかひいてない―――

 日南の言葉を思い出す。


「それで今週は学校に来なかったの?」

「ええ。連日、弁護士との相談で学校どころじゃなくて。最悪の場合も含めて、色々と考えてたのよ」


 淡々とした口調にも関わらず、指は力を入れ過ぎて白く染まり、肩が細かく震えだす。


「日南―――」

「なんで私が逃げるように出ていかなきゃいけないの?!」


 突然の爆発。

 日南は壁に向かってDVDを思い切り投げつける。


「これが何のためのDVDなのか、私だって分かってるわ! 落ちぶれた元子役が紐みたいな水着を着て! カメラの前で晒し物になって! さぞ滑稽だったでしょうね!」


 日南は立ち上がると、溶けた鉄のような熱い瞳で俺を睨み付ける。 


「監督の奴、演技指導だとか理由をつけては私の身体に触ってきたわ! スタッフやママの前で私の肌を撫で回したのよ?! 何度も! 何度も! 何度も!」


 言葉に合わせて床を踏み鳴らす。

 ……しばらく肩で息をしていた日南は、声のトーンを落とすと静かに俺に問いかける。


「……その時ママ、なにしてたと思う?」

「それは……日南を心配して……」

「スマホでSNSに書き込みしてたのよ! 目の前で! 娘が身体をまさぐられているのに、そのDVDの告知をしてたの!」


 日南はソファの前のガラステーブルを思い切り蹴り上げる。

 テレビ台に当たったローテーブルが激しい音を立てて砕け散り、ガラスの破片が飛び散った。


「日南! やめてくれ!」


 後ろから日南の身体を抱き留める。

 今ので足を痛めたのか。バランスを崩した日南とソファに倒れ込む。


 俺の腕の中、日南はしばらく呆然と荒い息をつく。

 しばらくたって息が整った頃、日南は俺の顔を覗き込む。



「……啓介だって呆れてるでしょ?! こんな馬鹿やって汚されて、晒しものになった女なんて―――」

「呆れてなんてないよ。日南、君が頑張ってきたことも、家族思いなことも良く知ってる。君が汚れたなんて思ったことは―――」

「……なんで? 何でそんなこと言えるの?」


 信じられないもので見るような日南の瞳。

 その中に俺が写っている。 


「私がこんなに汚れたのに……あなたはなんで何も知らない、綺麗なままって顔してるの……?」


 ゆらり、と日南の瞳に再び炎が揺らめいた。


「―――あなたのせいなのに」

「……!」

「全部あなたのせいじゃない! 夜縁が後を追ったのも! ちゃんと家まで送り届けなかったのも!」


 日南は俺に馬乗りになると、震える指で胸ぐらをつかむ。


「夜縁が事故に会ったのも、私がこんな目にあってるのも全部あなたのせいなのに! 何で何もかも忘れたみたいな顔してるのよっ!」

「ごめん……あの事故のことは……俺は……」


 あの事故のことは―――一日たりとも忘れたことは無い。

 夜縁と日南にどう償えばいいのか。


 自問自答の繰り返しの中、求められる限りは側に居ようと決めた。

 だがしかし、自分の存在自体が彼女達を苦しめるのなら―――


「日南がつらいのなら……俺、君らの前から姿を消すから。それで日南が楽になるなら―――」

「……は? そんなんで責任取ったつもり?」


 日南は俺の胸ぐらをつかんだまま、顔を寄せて来る。


「分かってるの? あなたのお父さんの借金、私のパパが肩代わりしているのよ」

「父さんが……借金?」

「知らなかったの?」


 日南の唇が嘲るように歪む。


「息子に代わって罪滅ぼしするため、お父さんが会社畳んで作った借金じゃない。夜縁のこと責任感じて、パパの犬になったのに。あんたはそれも知らずにのうのうと過ごしてるのね」


 あの事故の直後。父の独立の話は無くなり、そのまま日南の父親の元で働くことになった。


 今思えば不自然とも思える動きだったが、そこにそんな事情があったとは知らなかった。


「……許せないの」


 日南はもう一度「許せない」と呟くと、手に力をこめる。


「元凶のあなただけが、そうやって汚れずに“優しいお兄ちゃん”してるのが」


 ―――日南の苦しみ。父の借金。


 俺は何も知らなかった。


 日南があんな苦しみを負っていることも。


 父が俺に知らせず、全てを投げうって代わりに償っていることも―――


「じゃあ日南は今日、そのことを話に来たの……?」

「……話?」

「俺が事情も知らずにいるから……その……謝らせるために?」

「……謝る? あなたに詫びてもらって何がどうなるって言うの? 夜縁が歩けるようになるの? 私が弄ばれた過去が無くなるの?」


 言葉も無く黙る俺。

 日南はあきれ顔で俺を見下ろす。



「ねえ、啓介。今日わたしは―――」



 不自然な、一瞬の間。


 突然、日南は俺に身体をかぶせてきた。

 力任せに俺の唇を自分のそれで覆うと、強引に舌をねじ込んでくる。


 何が起こったのか分からずに白く染まる頭の中、ようやく俺は日南の身体を引きはがす。


「日南なにを―――!」

 

 どこかを切ったのか。

 血の付いた唇を拭いながら、日南は冷たく俺を見下ろす。


 その瞳からは、先程の間での激情が嘘のように消え去っている。



「察しが悪いわね―――」



 冷めた瞳のまま、日南はTシャツを乱雑に脱ぎ捨てる。



「―――あなたを汚しに来たの」




―――

 ―――


 ―――   ―――

    ――― ―――

―――

          ――――――



           

「こんな学校、辞めてやるわ」



 日南は俺の胸に頭を乗せ、独りごとのように呟いた。



「気取った学校の連中も、事務所の連中も、残ったファンも全部嫌い」



 頭が芯からジンと痛む。


 日南に殴られたせいなのか、その後に起こったことのせいなのか―――


 今は考えるの止めよう。

 身体にまとわりつく肌の感触もあまりに現実離れをしていて―――



「パパだって仕事で家を空けてばかりだし、ママも使用人に八つ当たりするばかりだし、夜縁だって―――」


 身体に回された腕に力がこもる。


「みんな夜縁の話ばかりするの……私がここにいるのに夜縁夜縁って」


 日南は頭を押し付けるように深く俺に抱きつく。

 ……多分、ここで俺は日南を抱き返すべきなのだろう。


 正解は分かっている。


 でも、頭と身体がばらばらで……それを選ぶことができない。


「東京も嫌い。全部嫌い。嫌い」


 日南は寂しさを紛らすように俺の頬に手を触れる。


「……ママと夜縁の三人で、関西の方に移ることにしたの」

「引っ越すの……?」


 ようやく出た擦れ声。

 

「名字もママの旧姓を名乗るの。雁ヶ音(かりがね)って、珍しい名字でしょ」


 ……日南達がいなくなる。


 自分の感情が寂しさなのか安堵なのか答が出ないまま、日南の言葉をがそれを塗り潰す。


「ねえ、あんたも一緒においでなさい」


 視界の端、日南が縋るように俺を見つめているのが分かる。


「私が飼ってあげるから、ずっと私の横にいればいいのよ」


 俺が口を開こうとすると、日南の指がそれを塞ぐ。 


「答はいらない。あなたは私の飼い犬だから従いなさい」


 ―――飼い犬か。


 それで俺の負債が返せるのだろうか。


 日南と夜縁。

 壊した二人の人生を、俺が繋ぎ止めることが出来るのだろうか。


 俺の沈黙を肯定と取ったのか。

 日南は身体を起こすと、ようやく表情を緩めて見せる。


「ねえ、私を裏切ったりしたら許さないからね。啓介は私の側にいるんだからね」

「裏切ったら……どうなるの」

「……どうなる、ですって?」


 日南の指が俺の身体をなぞる。


 臍からゆっくりと登ってきた指先が左胸の上で止まる。


「そうね、一緒に―――」



 日南の唇が耳元で優しく囁いた。



「―――死にましょう」


読んで頂いてありがとうございます。

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[良い点] 大変面白く読ませてもらっています、続き楽しみにしています! [気になる点] 啓介達は今中学生で、今になって日南が昔出演していた映画が他の子、親に伝わって苦情が来たという解釈であってます…
[気になる点] 啓介とセ○クスする前の日南は処女ですか? 下品は質問ですみませんm(__)m めっちゃ気になったから…
[良い点] ストーリーめっちゃ動いたなー(゜ロ゜) 退廃的で救いがあるのかもわからなくて、とても良き(о´∀`о) 違法ロリと合わせて読むと作風の違いで魅力が倍増するんですよ。 やはり啓介君には堕ち…
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