第十二話 一線を引く
D‐13を離れた翌日、食堂の椅子が足りなくなった。
もちろん、救出した十二人が全員起きたわけではない。
医務室へ運び込まれたスタッフと、様子を見に来るクルーで、人が増えただけだ。
貨物区画の一部には仮設の医療隔壁が立ち、空調は十二基分に合わせて組み直された。カイは一晩で配線を二本増やし、レオは倉庫から毛布を運び、マーサは補給港へ出す注文を三度書き直している。
「粥用の穀物が、今の四倍。柔らかい根菜。塩。消化剤」
「果物も」
マリエンが横から口を挟む。
「あんたが食べる分を引いて言ってる?」
「もちろんですぅ」
マーサは注文数の横へ太い線を足した。
「じゃあ六倍だね」
注文欄が一行増えた。
「だから折りたたみ椅子を捨てるなって言ったんだよ」
マーサがカイを睨む。
「壊れてました」
「直せば使える」
「直すのオレなんですけど」
「じゃあ直しな」
カイは諦めて工具を取りに行き、マヤが笑いながら皿を並べる。
「S‐14より賑やか」
「比べる相手が暗い」
クルトが言う。
「でも本当です」
マヤは手を止めた。
「こういうの、久しぶり」
何を指しているのか、聞かなかった。
*
ヘルは食堂の端で、ファンドへ送る報告書を睨んでいた。
「まだ終わらないんですか」
ドギーが後ろから覗く。
「終わらせたくない奴が多すぎる」
「報告書を?」
「戦争を」
「そりゃ二十年遅いですよ」
「知ってる」
ヘルは一行消して、また打ち直す。
D‐13ライン――廃棄命令停止――航路変更――救出十二――残存ユニットは外周楕円軌道へ。
最後に「処理完了」と入力する。
指が止まった。
「書きたくない?」
クルトが向かいに座る。
「書かないと金が出ねえ」
「それだけ?」
「あと、上の連中が安心する」
「本当には終わってないのに」
「本当に終わる仕事なんか、そんなにねえよ」
ヘルは送信した。
ほどなく、テルミンから受領通知が返った。
――D‐13関連ログ、影向帳簿へ収容。
――救出者十二名、身柄保全費用を承認。
――残存ユニットは「現物未確認・廃棄停止」として継続保管。
最後の一行だけ、公式の「処理済み」と食い違っている。
「わざと残したな」
「何を」
クルトは通知の最後の行を指で囲んだ。
「次に誰かが見つけたとき、続きから始められるように」
クルトが指すと、ヘルは通知を閉じた。
「あいつの趣味だ」
「悪くない趣味だ」
ヘルは受領通知を報告書の後ろへ送った。
「本人に言え。喜んで仕事を増やすぞ」
「ラインを引くんだ。ここまでは俺らがやった。ここから先は、俺らだけじゃ無理だって」
クルトはテーブルの木目を見た。
「王子だったころは、一線を引くのは逃げだと思ってた」
「今は?」
「まだ、少し思う」
「そうか」
「でも、全部持ったら沈むのも分かった」
「船ごとな」
クルトは笑った。
*
医務室では、銀髪の少女が一度だけ目を開けた。
声は出なかった。喉にある細い鍵は、まだ閉じたままだ。
「こんにちはぁ」
マリエンが言うと、少女の目が動く。
「ここはラスタ号。急いで何か思い出さなくていいですよぅ」
髪の先が、少女の手首にそっと触れる。
「名前も、あとでいいです」
少女は目を閉じる。眠り直しただけだった。
マリエンはモニターを確認し、少し笑う。
「あとで、でいいものが増えましたねぇ」
隣の区画では、片脚のない老女が眠ったまま指を動かした。
さらに奥で、鉱脈模様の青年の脈が少し速くなる。
十二人はまだ一人として食堂の椅子へ座っていないが、洗濯物と薬の袋と、夜間の見回りだけはもう十二人分増えていた。
*
E‐001は、まだ眠ったままだった。マヤのノートには、こう書かれている。
E‐001――氏名不明――生存――封印外層解除――D‐13ラインへの接続記録あり――覚醒は保留。
その下には、少し大きな空欄。
「まだ空けてるのか」
クルトが訊く。
「はい」
「名前が分からないままかもしれない」
「それでもいいです」
「何で」
「空いてるほうが、まだ書けるでしょう」
マヤは当然のように言う。クルトは笑った。
「それ、好きだな」
「クルトも最近、空欄多いですよ」
「オレ?」
「冬の星へ戻るか。何になるか。ラスタ号をいつ降りるか」
「勝手に書くなよ」
「書いてません。空けてあります」
また笑った。
*
夕食は、根菜のスープだった。
エイはまだ医務室から出られず、マリエンが後で持っていく。
救出者たちも眠っている。
食堂にいる顔ぶれは、つい数週間前とほとんど変わらない。
それでも、船の中身は変わった。
壁際には直した折りたたみ椅子が六脚重ねてある。残りは補給港で買う。マヤとレオが、どこへ置けば通路を塞がないか言い合った末の場所だった。
「次の港まで三日」
ドギーがパンをちぎりながら言う。
「今度こそ補給しますよ。燃料も食料も医療品も、全部減りましたからねえ」
『口座残高も減りました』
ラスが付け足す。
「それ言うな」
「ファンドへ請求してくださいよ」
「する」
「救出十二名分も」
「する」
「E‐001保管料も」
「する」
「王子様の船賃も」
「それはもう入ってる」
「ミハエルさんの分は?」
レオが訊いた。
「従者一名で一緒くた」
ヘルが答えると、ミハエルはパンを置いた。
「異議があります。私にも個別の食費と危険手当を」
「そこかよ」
ミハエルは自分の皿をクルトの隣へ並べた。
「殿下のおまけ扱いは慣れていますが、食費までまとめられるのは困ります」
「食べる量、殿下より多いもんね」
マヤの指摘に、ミハエルは否定せずパンをもう一つ取った。
「ラス。分けて請求しろ」
『項目名は“みっちゃん費”で?』
ミハエルのパンが途中で止まった。
「ミハエルです」
ヘルが笑いを噛み殺している。呼び始めた本人だけは責任を取る気がない。
クルトが顔を上げた。
「まだ値札ついてるのか、オレ」
「外す理由がねえ」
「少しくらい上がった?」
ヘルはスープを飲んだ。
「自分で見ろ」
「教えろよ」
「嫌だね」
クルトは舌打ちした。ミハエルが笑う。
「殿下。気になるんですね」
「気になるだろ」
「最初は怒っていたのに」
「今も気に入ってない」
「それでも?」
「それでもだ」
ヘルが、ほんの少しだけ笑った。
外の宇宙では、D‐13の護送船群が、長い楕円軌道へ入り始めている。
救助ではない。解放でもない。
ただ、星の火へ落ちるはずだった道から外れただけだ。
その程度のことをするために、ラスタ号は燃料を使い、食料を使い、人手を使った。
帳簿には赤字と黒字が残り、医務室には十二人が増えた。
食堂には、これから必要になる椅子の数が増えた。
クルトはスープを飲む。
王子としての行き先は、まだ決まっていない。
E‐001の名前も分からない。
父の署名が何を意味したのかも、答えはない。空欄ばかりだ。
けれど、空欄があることと、何もないことは同じではない。
「次、どこ行くんだ」
クルトは訊ねる。ドギーが端末を見る。
「補給港。その後は、まだ未定」
「また未定か」
『うちの通常運転です』
ラスが答える。
「そうか」
クルトはそれ以上聞かなかった。
ラスタ号は、静かに進んでいく。
行き先の決まっていないものをいくつも積んで。




