第四章 37 因縁の相手
突然、青空にふっと黒い影がよぎった。なんだろう、と考える間もなく、その黒い影の正体はわたし達の前に姿を現す。
「あれだけの恐魔獣を倒しちゃうなんて、見事ねぇ~」
空から降ってきた聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには箒に腰をかけた女が浮かんでいた。見間違えるはずもないそのいでたち。間違いない、魔女だ。
「皆さん、コイツと目を合わせないでください!」
この場にはわたし達以外にも、魔女のことを知らない大勢の魔法使いがいる。咄嗟に声を張り上げた。
「能力で魔力を奪われるかもしれません! こっちは見ないで、早く城の中へ!!」
後ろでざわめきが起きる。エドワルドさんが向こうにいるから無茶なことはしないと思うけど、この魔女の厄介なところは魔力を奪ってしまえるところだ。今ここは魔女にとって絶好の餌場だろう。
わたし達を見下ろした魔女は、クツクツと笑う。
「あらあら、そんなに警戒してくれなくても良いじゃない。今日は挨拶をしに来ただけなん――!」
突然、十数本のナイフが魔女を襲った。魔女は呪文を唱えてナイフを弾くと、大きなため息を吐く。
「ちょっと、まだ話してる途中じゃない。そんなに私に会いたかったの? 魔女さんったら」
魔女の視線の先――ユーリは、ナイフを構えて魔女を睨みつけていた。
「ああ、ずーっと会いたかったよ。綺麗に濡れ衣着せてくれた礼が言いたくてな。どうもありがとう。おかげで獣人界ではお尋ね者だ」
「喜んでもらえたみたいで嬉しいわぁ。ワタシも魔法界ではお尋ね者だし、お揃いね」
「死ね」
またナイフが飛ぶ。魔女は箒でナイフを華麗によけながら、楽しそうに笑い声をあげていた。今は邪魔をしてはいけない気がして、わたしは黙ってユーリの方へ歩み寄る。
「今のアナタ、楽しそうじゃない。新しいお友達がいっぱいできてとっても楽しそう。まるで千年前に戻ったみたいね」
千年前。その言葉を聞いた瞬間、ユーリの表情が変わった。攻撃の手がぴたりと止まる。
「あの時もアナタ楽しそうだったわねぇ。二人のお友達と一緒で。あらあら? そういえば、なんだか千年前のお友達と雰囲気が似ている子がいるわね?」
魔女がわたしを見た。え、と驚いて思わず魔女を見上げてしまう。わたしが?
「残酷なことを言うのは心が痛むけれど、今度もきっと上手くいかないわよ。ここに居るお友達はみーんな殺されちゃうんだから。アナタ一人を残して、ね」
呆然と魔女を見つめていたわたしの頭を、ユーリが押し下げて無理やり視線を外させた。結構容赦ない強い力で首が痛い。
「……余計なことベラベラ喋ってくれたおかげで頭が冷えたよ。こんな無駄なことしてる場合じゃない。早く、この呪いを解く方法を教えろ」
ユーリがわたしの頭を押さえたまま言う。すぐに魔女の嘲笑うような返事が聞こえてきた。
「解く方法を教えてほしいの? そんな回りくどいことワタシに聞かなくても、頼んでくれるなら今すぐにアナタを不老不死から解放してあげても良いのよ?」
俯いた姿勢のまま、確かに、と思った。今すぐに能力を解けと言えばいいはずなのに、ユーリはそうは言わなかった。そういう細かいところを突っ込む魔女の意地の悪さも流石だ。
「解く方法を教えろ」
しかし、ユーリはもう一度同じことを繰り返した。魔女はぷっと吹き出し、ゲラゲラと笑い始める。
「あー、おかしい! それならもっとワタシに感謝してくれても良いんじゃないの!? アナタを解放してあげるつもりなんてこれっぽっちもないわ、残念でした!」
「そうだと思った。元から期待してなかったけどさ。で、お前はこんな無駄な時間のためだけにここに来たの?」
ユーリはようやくわたしの頭から手を離した。顔を上げてユーリを見ると、思いの外普通の表情で魔女を見上げていた。魔女の能力のことは気にしていないらしい。
「アナタに会いたかったのもあるけどね。でも、本当はあれだけの恐魔獣が倒されたことに驚いたから来ただけよ。もっと大惨事になることを期待していたのに、残念」
「!!」
その瞬間、マリーがばっと顔を上げた。物凄い形相で魔女を睨みつける。
「その言い方、まさか……!」
「あらお姫様。そうよ。ワタシが恐魔獣を生み出したの。多分そこの子たちは見当がついていたんでしょうけど」
魔女の視線がこちらへ向けられる。わたしはなんとなくリンに視線を流した。
「まあ、恐魔獣の発生条件を考えればね。『大きな魔力の出入りによって稀に生まれる存在』だっけ? ベルラーナでの魔力泥棒事件も、本当は恐魔獣を生み出すために起こしたんじゃないの?」
あの時の魔女は、魔力を手放しても痛くも痒くもなさそうな顔をしていた。それどころか、去り際に「これから楽しいことがたくさん起こるから、それを一つも見逃さないでね」なんて犯行予告みたいなセリフまで残して。
魔女はわたしの話を聞くと、少し驚いたように目を見開いた。
「アンタが答えてくれるとは思ってなかったわ。意外と記憶力が良いのね。今ので大体合ってるわよ。あぁ、お姫様ったらそんな顔しないで。ワタシは今あなたたちと戦うつもりはないんだから」
攻撃しようとしていたマリーの服の裾を、セイがぎゅっと掴む。
「マリー、待ってください。向こうから仕掛けてこない以上、おとなしくしておきましょう。今の疲れきったあたしたちで勝てる相手じゃないです」
「…………セイがそう言うなら」
セイに止められ、マリーはしぶしぶといった風に頷く。魔女は満足したように笑うと両腕を大きく広げた。
「これで終わりだと思わないでね。まだまだこれから。ついてこられるように、今はぐっすり休みなさい」
「本当に今日は戦う気ないんだ?」
「だからそう言ったじゃない。不老不死には時間が腐るほどあるんだから、こんな短時間で面白いことを消費したら大損なの。今日は久しぶりにユーリの顔を見られただけで充分だわ」
「黙れクソ女」
魔女が今纏っている雰囲気は、この前戦った時とは違う。敵意は感じられないし戦うつもりがないのも本当だろう。確かに「全部終わったら、ちゃんと殺してあげるから」って言ってたし、終わりじゃない今は殺すつもりはないのかもしれない。
わたしが考え事をしていると、「それに」と魔女がわたしを指さした。少しつまらなさそうに口を尖らせる。
「今アナタを殺すと、怒られちゃうのよねぇ」
「……は?」
誰に、と聞く前に、魔女は箒を立てて急上昇を始めた。みるみるうちに姿が遠ざかっていき、地上のわたし達は成すすべもない。今から念動力で浮遊したところで間に合わないだろう。
「それじゃあまた会いましょう! 今度会うときのために支度をして待ってるわ!」
最後にそう言い残して、魔女は青空にふっと消えた。わたし達はしばらく呆然と立ち尽くす。情報量が多すぎて、何を言えばいいのかもわからない。恐魔獣を倒して晴れやかだったはずの気分も、魔女と一緒に消えてしまっていた。
「……随分と、酷いことになってしまったわね」
ふいに、ぽつりとマリーが呟いた。マリーはほとんど更地になった王都を見回している。
「さっきの女が、王都をこんなにした犯人……。許せない。許せないけど、今はこの憎悪は胸に仕舞いましょう。この晴天の下では、この感情は醜すぎるものね」
振り向いたマリーは、微笑んでいた。瓦礫の散乱した王都と澄み切った青空を背景にして。
「ありがとう、みんな。あなたたちの力があったから、私たちはこの危機を乗り越えることが出来た。どれだけ感謝してもし足りないわ」
「どういたしまして。わたしも、何か魔法界の役に立てたのなら嬉しいよ」
「ふふっ、格好いいことを言うのね。さあ早く城へ戻りましょう! きっとお父様たちが私たちの帰りを待ちわびているはずだわ!」
マリーが一足先に駆け出す。わたし達は顔を見合わせると、互いに笑った。マリーの言う通りだ。今くらいは難しいことは何も考えずに、ようやく掴んだ勝利に酔いしれても良いだろう。ナオも寝てることだし。
「待ってよ、マリー!」
わたしはそう声をかけると、揃って城へと歩き出した。




