第1話 卒業の日
二〇二八年三月。
東京の空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
港区にある私立蒼星学園高等部。
全国トップクラスの進学校でありながら、スポーツでも数々の全国大会出場実績を持つ名門校だ。
卒業生の多くは国内外の一流大学へ進学する。
政財界や研究機関、世界的企業に人材を送り出してきた歴史を持つこの学校は、東京でも特別な存在だった。
そして今日。
三年間を過ごした生徒たちが、その学び舎を巣立つ日だった。
「――諸君らの未来に幸あらんことを」
校長の長い祝辞が終わり、会場に拍手が響く。
壇上の大型スクリーンには卒業記念映像が流れていた。
だが、一ノ瀬奏はほとんど見ていなかった。
(長いな……)
心の中でだけ呟く。
黒縁眼鏡。
少し伸びた黒髪。
どこにでもいそうな地味な男子生徒。
少なくとも周囲からはそう見えていた。
「奏」
小声で名前を呼ばれる。
隣を見ると神門舞がいた。
長い黒髪を揺らしながら、じっとこちらを見ている。
「今、欠伸しようとしたでしょ」
「してない」
「した」
「してない」
「幼馴染歴一五年を舐めないで」
舞が小さく笑う。
その横顔は卒業式の壇上に立つ誰よりも綺麗だった。
校内でも有名な才色兼備。
成績は学年トップクラス。
それでいて運動神経まで良い。
何度もモデル事務所からスカウトされたという噂まである。
そんな舞が、昔からずっと奏の隣にいた。
「真面目に聞きなよ」
「聞いてる」
「聞いてない」
「半分くらい」
「聞いてないじゃん」
舞は呆れたようにため息をつく。
だがその表情はどこか楽しそうだった。
「おいおい」
前列から声が飛んできた。
「卒業式でイチャつくなよ」
振り返ると神楽旬がニヤニヤしていた。
明るい茶髪。
整った顔立ち。
高身長。
剣道部のエースとして全国大会に出場した経験もある。
女子人気は凄まじく、校内で知らない者はいない。
「イチャついてねぇ」
「いや、完全に夫婦だったぞ」
「違う」
「違わない」
「違う」
「息ぴったりじゃん」
「うるさい」
即座に返したのは舞だった。
旬が吹き出す。
さらに隣から柔らかな笑い声が聞こえた。
「二人とも本当に仲良いよね」
桜木百華だった。
肩まで伸びた髪。
優しい雰囲気。
吹奏楽部では全国大会金賞を経験している。
成績も優秀。
誰にでも優しく、教師からの信頼も厚い。
そんな彼女もまた、四人の幼馴染の一人だった。
気付けばいつも一緒だった。
幼稚園から。
小学校から。
中学校から。
そして高校まで。
ずっと。
四人で。
卒業式終了後。
最後のホームルームも終わり、生徒たちは思い思いに写真を撮っていた。
進学先の話。
将来の夢。
大学生活への期待。
教室は賑やかだった。
だが。
奏はふと気付いた。
百華だけが窓の外を見ていた。
遠く。
ビル群の向こう側。
何かを探すような目だった。
「百華」
「ん?」
「どうした」
百華は少し驚いた顔をする。
「分かる?」
「長い付き合いだからな」
「そっか」
百華は苦笑した。
それから静かに言う。
「もうすぐ二年なんだなって」
教室の空気が変わる。
二〇二六年六月二日。
世界中にダンジョンが現れた日。
世界が変わった日。
そして。
百華の母親が消息を絶った日でもあった。
自衛隊員としてダンジョン調査任務に参加し、そのまま帰らなかった。
死亡確認はされていない。
だから百華は今でも信じている。
生きていると。
「決めたんだ」
百華が言った。
三人が彼女を見る。
「私、探索者になる」
その声は静かだった。
だが強かった。
「お母さんを探したい」
誰も笑わなかった。
冗談ではないと分かっていたからだ。
百華は本気だった。
二年間。
ずっとその想いを抱え続けていた。
「危険だぞ」
奏が言う。
「うん」
「死ぬかもしれない」
「分かってる」
「それでも?」
百華は頷いた。
「それでも」
迷いはなかった。
すると。
旬が立ち上がる。
「じゃあ俺もなる」
「え?」
「当然だろ」
照れ臭そうに笑う。
「一人で行かせるわけないじゃん」
百華の頬が少し赤くなった。
「旬……」
「俺、大学蹴っても後悔しないし」
「それ親御さん泣くよ」
舞がツッコむ。
教室に少し笑いが戻った。
「じゃあ私も行く」
舞が言う。
「舞まで?」
「うん」
そして三人が最後に奏を見る。
「なんで俺を見る」
「来るよね?」
舞。
「来るだろ?」
旬。
「来てくれるよね?」
百華。
三方向からの圧力だった。
奏はため息を吐く。
「断れる空気じゃないだろ」
三人が笑った。
その瞬間。
四人の未来が決まった。
まだ誰も知らない。
百華の母親の失踪が、日本政府最大の秘密へ繋がっていることを。
奥多摩の山奥に隠された未公表ダンジョン。
黄龍迷宮。
その深淵へ、自分たちが足を踏み入れることになることを。
そして――
世界最強と呼ばれる探索者たちですら辿り着けない場所へ、この四人が到達することになることを。
今はまだ、誰も知らなかった。




