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エピローグ




 ラジオ体操に行く子供たちの騒がしい声と蝉の鳴き声が遠くに聞こえていた。いつもと変わらない平穏な朝。


 オレは気だるい体を無理矢理起こすと、ボーっと天井を見上げた。


 静かだな。


 こんな朝を切望していたはずなのに、今では騒々しい朝が懐かしく思えてくる。


 岩金組の一件から一週間が経過していた。


 その後、岩金組は解散を余儀なくされた。


 真坂鈴のケガは順調に回復していると、父親の真実を打ち明けるために見舞いに行ったばあさんが教えてくれた。真坂鈴は自責の念にかられ、オレたちに謝罪したいと泣いていたらしい。罪を償うためにも真実は知っておいた方がいい、と、ばあさんは言っていたけど、真坂鈴の気持ちを考えると切ないな。


 あれから、悠花と萌花とは顔を合わせていない。


 夏恋は親父に引き取られて大学の研究室に戻った。それから親父とは音信不通だ。


 ロボットのことなんてよくわからねぇが、人工知能が無事なら何とかなるんじゃねぇのか?


 行ってみるか、親父の研究室へ。けど、今更どの面下げて会いに行けばいいんだよ。


 ベッドの上で自問自答を繰り返していると、インターフォンが鳴っているのが聞こえてきた。


 親父が帰ってきたのか?


 オレは急いで玄関へと駆け下りて、扉を開けた。


「おはよう、大河」


 ぽっちゃりトサケンが納豆のような粘っこい笑みを浮かべて立っていた。


 オレは右足を上げてその顔を泥のついたスニーカーの靴底で押し飛ばすと、開けた扉を閉めようとした。


 すると。


「ひどいじゃないか。大親友のボクが訪ねてきたっていうのに」


 トサケンは一人暮らしの老人宅に無理矢理押し入ろうとするセールスマンのごとく、すばやく扉の間に自分の足を挟んで閉めさせないようにする。


「何しに来たんだよ?」


「そんな言い方はないだろう。あの後、大河たちがいなくなって、残されたボクは大変だったんだぞ」


 そういえば、トサケンの奴岩金邸の門前でずっと待っていたらしいな。こいつの存在をキレイさっぱり忘れていたぜ。


「銃声が聞こえてきたのでお母様たちの大ピンチと思い、警察に通報したのはこのボクなんだよ。命の恩人に失礼だろう」


「悪かった悪かった。で、お前今まで何してたんだよ?」


 オレは抑揚のない謝罪をして、トサケンを玄関の中へと招き入れた。こいつの性格からすると、翌日には尋ねてきてもおかしくなかったんだが。


「いや、実はあれから警官に職務質問されて、鈴さんの隠し撮り、いや、お母様たちの美体を撮り収めたデジカメを証拠写真として押収されたあげくに一週間の自宅謹慎を命じられてしまってね。ショックのあまり、ボクはずっと部屋にこもってヤケ食いしていたんだよ」


 それで元のサイズのぽっちゃりトサケンに戻ったってわけか。


「ところで、お母様は?」


 トサケンが家の奥へと視線を飛ばす。


「あ、それは……」


 オレが言葉に詰まっていると、


「おや、お友達ですか?」


 親父が帰ってきた。


 もしかしたら夏恋も一緒なんじゃないかと思って、オレは親父の背後に視線を走らせた。しかし、親父一人きりだった。


「友達じゃねぇよ」


 ガッカリした表情を悟られたくなくてそっぽを向く。


「もしかして、大河のお父さん? ということは、この人があの美しいお母様の旦那。はぁ、旦那がいたとは……」


 いると考えるのが普通だろう。夏恋は親父と夫婦じゃないが。


 トサケンは世界が崩壊して自分一人だけが取り残されてしまったかのように落胆してした。まあいつものことだ。だが、親父にしてみればトサケンと会うのは初めてだから気がかりなんだろうな。トサケンを哀れむ目で見つめている。


「翔くんが友達じゃないと言ったからショックを受けていますよ」


「あれは違う意味でショックを受けてるだけだ。放っておけばいい」


「そうなのですか? では、これから僕と一緒に忌野神社へ行ってみませんか?」


 オレが唖然としていると、親父は細い双眸をさらに細めて柔和な笑みを見せた。


「僕は臆病者でした。夏恋を作ることを言い訳にして桃子さんが死んでからも翔くんと真正面から向き合おうとはしませんでした。夏恋を介して翔くんとの仲を何とかしようなんて虫が良すぎでしたね。最初からこうして翔くんとちゃんと向き合えばすむことだったのに。そして、お義母さんとも」


「親父……」


 そんな風に真っ向から言われるとどうしていいのかオレはわからなかった。けど、母さんと夏恋と約束したんだ。


「今からでも遅くないんじゃねぇか?」


 これがオレの精一杯。


 しかし、親父は長い間ケンカ別れしていた友達と再会して仲直りした小学生のように涙を流しながら何度もうなずいていた。


 今は夏恋のことを訊くのはやめよう。オレまで泣いちまったら洒落にならないからな。


「ほら、とっとと行くぞ」


「そうですね」


 オレたちは忌野神社へと向かった。


「あ、待ってくれよ、大河! ボクも行くよー」


 ショックから立ち直ったトサケンの声が後ろから聞こえてきた。













 忌野神社へと続く階段を上り、赤い鳥居をくぐる。振り向くと、青い空と海、そして緑の島が目に入ってくる。


 蝉の大合唱を聞きながら参道を歩いていくと、三人の巫女さんが目に映った。遠目でよく見えないが、一人は当然萌花だろう。もう一人はばあさんとして、後一人は誰だ?


「おぉー、巫女様パラダイス!」


 歓喜の声を上げて、トサケンが三人の巫女さんの所へ猛ダッシュする。すかさず、オレはトサケンの背中に飛び蹴りを食らわせる。トサケンの体は逆九の字に曲がって玉砂利の上をずるずると滑っていった。


「ちょっと、大河くん。せっかく掃除したのにゴミを出さないでくれる?」


 悠花が憤怒の形相で持っていた竹ぼうきを突き出した。


「なっ?」


 オレは素っ頓狂な声を上げる。正体不明の巫女さんは悠花? 予想外の人物の出現にオレは狼狽した。


「何よ、じろじろ見て。いやらしいわね」


「どうしてお前がここに?」


「お師匠様の計らいで悠花もここでイタコ修行をすることになったんです」


 と、うれしそうに萌花。


 会うのは一週間ぶりだ。結局、萌花の料理は食べず仕舞いだったな。


「ばあさんが?」


「梅子お姉さん、じゃ。悠花にはイタコとしての素質があるようじゃったからな」


「けど、よくあいつが承諾したな?」


「桃子がよいネタを教えてくれたのでな」


 ばあさんはしたり顔で悠花を見た。悠花は顔を紅潮させて何やら口惜しそうにブツブツと呟いていた。


 そういえば、母さん悠花に憑依していた時に何か言いかけてたな。憑依した人間の心でも読めるのか? 


 秘密を握られて仕方なくイタコ修行をしているといった感じの悠花に心底同情した。関わった相手が悪かったな。


 オレ的には萌花が喜んでいる顔が見られてラッキーだが。


 そんなオレの横で親父はばあさん登場で全身をカチンコチンに硬直させていた。


「お、お義母さん、ご無沙汰しております。今日はお日柄もよく、今までの非礼を何とお詫びしてよいか……。こうしてお目にかかれて光栄でありまして」


 いつものらりくらりとオレの罵声をかわしていく親父が、ばあさんの前では別人のようにタジタジしている。


 親父の奴、完全にパニッってるな。言ってることが支離滅裂だ。


 そんな親父を見て、ばあさんは小さな吐息をもらした。


 呆れてる? それとも怒ってるのか?


「最近、アタシは牛丼にハマっていてね。百年分おごってくれたら許してやってもいい」


 おいおい、どんだけ食うんだよ? 牛丼百年分が交換条件って、ばあさんも素直じゃねぇな。


 それでも親父は「百年分でも千年分でもおごらせていただきます!」と感涙して答えた。これで胸のつかえが下りたって感じだろうな。見えないが、オレの肩の上で母さんはきっとガッツポーズを取っているはずだ。


「だぁれぇだ?」


 いきなりオレは視界を奪われた。


 この声は母さん? まさかまた悠花に憑依したのか?


「母さん、いいかげんにしてくれよな」


 手を払いのけ、振り返ったオレの目に映ったのは。


「……夏恋?」


「正解! だけど、ハズレ」


 夏恋、いや母さんはペロリと舌を出した。


 巫女装束を身にまとった母さんは、両手を広げてくるくると一回転した。


「見て見て、翔ちゃん、似合ってる? おばあちゃんが夏恋ちゃんの弟子入りを許可してくれたのよ」


「ばあさんが?」


 親父の件といい、どういう心境の変化だ? オレはばあさんに視線を向けた。すると、ばあさんがさっきまでいた場所にその姿はなかった。さてはバツが悪くなって逃げ出したな。まあその心情はわからないでもないがな。


 ばあさんもオレもこの数日間で心を凍らしていた氷が融けちまったのかもしれないな。


 夏恋という、おせっか居乳怪力バカ女のおかげで。


 だが、これですべてが解決したわけではない。


「夏恋はどうなったんだよ?」


 今度はオレがパニックになる番だった。夏恋の体が動いていて、でもその中には母さんが入っていて。何がどうなってるのかわけがわからねぇ。


 オレはぽかーんと口を開けたまま母さんと親父を交互に見た。


「僕としたことがうっかりしていました。夏恋の起動時に乾電池がなくて研究室にあった壁かけ時計から拝借したんです。またその電池がアルカリではなくマンガンだったもので。すぐに新しい電池を購入して交換するつもりだったのですが、腹痛で入院したりしてすっかり忘れてしまっていました」


「早い話が電池切れってことか?」


「そういうことです」


 親父は悪びれもせずいつもの子供じみた笑顔を振りまきながら説明してくれた。


 何がロボット工学の権威だよ。しょうもない凡ミスしやがって。


「それなら、どうして誰も教えてくれなかったんだよ?」


「はい、バトンタッチ!」


 母さんが両手をパンと叩き合わせると、


「私が口止めしたの。翔ちゃんを驚かせてやろうって」


 声色が変わり、小悪魔的な笑みを浮かべた。


 まだ三分経っていなかったが、母さんは夏恋の中からいなくなったようだった。


 あの時流したオレの涙は一体何だったんだよ? と、声を大にして抗議したかったが、萌花の手前それもできなかった。


 夏恋はオレの右腕に抱きついて、上目遣いで艶かしい視線を向けてくる。


「ごめんねぇ。でも、うれしかったなぁ。翔ちゃんがあんなに私のこと心配してくれるなんて」


「ベタベタくっつくなよ」


「萌花ちゃんの視線が気になる?」


「うっせぇ」


「大丈夫よ。萌花ちゃんはもう境内の掃除に戻ってるから」


 オレの耳元でささやくと、頬にキスしてきた。


「何すんだよ?」


「お礼のキス。悠花ちゃんが鬼の形相でずっとこっちを見てるけどね」


「え?」


 悠花が竹ぼうきを持ってブルブルと体を小刻みに震わせていた。


「最低!」


 短く言い捨てて、境内の掃除へと戻っていった。どうしてあいつに最低呼ばわりされなければならないのかまったく検討がつかなかった。


 首を傾げていると、夏恋ががばっと抱きついてくる。


「翔ちゃん、だーいすきっ!」


 夏恋の大きな声が忌野神社に響き渡った。


 オレはため息をつくと、口元に小さな笑みを浮かべた。






                               おわり







最後まで読んでくださってありがとうございます。

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