伊吹、この世の地獄を見る 1
灰谷志真。
それが伊吹にとっての疫病神の名前である。彼女がいなければ、もう少しスムーズにかつ安全に、暮らせていたのではないかと思う。
遡る事2日前。
事の起こりはやはり志真の言葉だった。
「ねー、いっさん。この世界のお祭りとかって興味無い?」
無い、と即答したにも関わらず、志真は話を続けた。こういう強引かつマイペースなところも鬱陶しく思う。
「何だっけ、この国で一番信者の多い宗教のお祭りが、明後日にあるんだって。あちこちの教会でタダでお菓子とか配られたりして、楽しいらしいよ。屋台も出るし、舞台みたいなのもあるんだって」
「興味ない」
「そんな事言わないで、気分転換に行こうよ」
「……なんでわざわざ俺を誘うんだ。別にお前だけで勝手に行けば良いだろ」
志真はうっと言葉に詰まった。
「いやー、でも何って言うかやっぱり一人じゃ不安だし。ここ異世界だし、私も一応女の子なわけで」
はっと、伊吹は鼻で笑った。
「安心しろ。お前じゃ心配するような事は何一つ起こらない」
「何それ!……大体、私だって別にそっちを心配してるわけじゃないし」
「は?」
「もう良い!いっさんなんか知らない!」
いつも通り、志真は勝手に腹を立て部屋を出て行った。その時から何か嫌な予感がしていたのだ。志真がまた何かろくでもない問題を起こすんじゃないかと。
まぁ、実際それは志真のせいで起こったわけではなかったが。
志真の言う「この国で一番信者が多い宗教」それはイスルド教だ。
創世神話に出て来る最後に生まれた神であり、地上に残った唯一の神だ。今も人の世界を見守り律しているとかなんとか。世界のあらゆるところに宿る精霊(本当にいるのかは怪しいが、この国の人間は信じているらしい)が、神の目となり手足となり働いているそうだ。
そのイスルドという神の生誕祭が、志真の言う明後日のお祭りである。
イスルド教の一大イベントだ。
祭日で学校も休校。
当然かなりの人出が予想される。そんな人ごみの多い中出掛けていく奴の気が知れない。大体、宿屋やモクとかいう男の事はもう良いのかと問い詰めたい。遊びに行く暇があったら、ちょっとは真面目に努力するべきだろう。……まぁ、無駄だろうが。
とにかく伊吹は祭りに行く気など更々無かった。
のだが。
「バイト?」
思わず聞き返してしまった。はい、と頷きながら、フィオーネは恥じいるように頬を赤くした。
「その日だけなんですけど、結構……かなり給金が良くて。今、宿屋の方も暇ですし」
「………」
気まずい。
デザートサービス、割引券など。フィオーネ達が頭を悩ませ、何とか客を呼び込もうと努力している事は知っていた。ついでに、全く効果が出ていないことも。
部外者の伊吹は、この宿屋の経営状態までは詳しく知らないが、外で働く事を始めるということから、かなり芳しくないと予想がつく。
「あ、いえ、あのですね。まだそこまで大変ってわけじゃなくて。ただ、いつまでこの状態が続くか分からないので、余裕がある内に少しでもできる事はしておこうって」
真実かどうかは分からないが、深く突っ込む気は無い。
問題は、何故フィオーネがバイトをする事をわざわざ伊吹に言うのか、という事だ。伊吹は別に彼女の親でも兄でも、恋人でも無い。
「それで」
「あ、はい、それでですね、良かったら伊吹さんも一緒にバイトやりませんか?」
何でだ。
疑問が顔に出ていたのだろう、フィオーネは苦笑した。
「伊吹さんがお金を溜めてるって話、兄さんから聞きました。割の良い仕事を探してるようだって」
その話はリザレットにしかしていない。(あの女)しらっとした顔して口が軽い。
「家、やっぱり出て行くんですね」
ぎくりとした。
固まった伊吹を見て、フィオーネは笑う。
「良いんです。伊吹さんにいて欲しいっていうのは、私達の我侭だから。伊吹さんが出て行きたいなら、仕方無いです。ただ、それならそれで何か力になれることがあったら、したいと思って」
それで、条件の良いバイトの誘いなのか。
非常に断りにくいお誘いだった。
生憎その日は祭日で、保護施設の仕事も休みとなっている。1日限定、交通費支給、給金も良い、資格は必要ない、となれば。特に断る理由も無かった。
確かに伊吹は金を必要としていた。フィオーネが言うように、ここを出て行くために必要な金である。貯金はあるが、できるだけ手をつけないでおきたい。この先何が起こるか分からないのだから。
祭日当日、空は雲ひとつ無い快晴だった。
朝からあちこちで音楽が鳴り響いていた。伊吹はフィオーネと共に早朝に家を出て、バイト先である教会に向った。
宿屋からも保護施設からも離れた区域にある教会だ。シャーリン区と呼ばれる場所にある教会だから、シャーリン教会。単純だ。規模としては割とでかい。居住区から少し離れた農業地帯にあるおかげで、かなりの広さの敷地が確保できたのだろう。
建物も立派だった。
空に向って聳え立つ2つの塔が並んで立っている。その2つを繋ぐ形で三角を3つ並べたみたいな屋根の建物があった。真ん中の三角が両側より1.5倍ほど大きい。そこは通常の参拝客が訪れる礼拝堂のようなところだ。
今回の祭事は、その更に奥にある聖殿と呼ばれる場所で行われる。
最近建て直しが行われて、そのお披露目も兼ねているのだとか。神様の鎮座する場所とされているせいか、聖殿がある場所は高くなっている。10段ほど階段を上った場所だ。これまた広い敷地があって、真ん中に生えている奇妙な建物。それが聖殿である。
生えている、というか埋まっているといった方がいいかもしれない。
見た目は大きな竜巻に襲われた卵、だろうか。斜め上に巻き上げるような形の塔の下に、罅割れのように模様が入った卵形の建物が鎮座している。上3分の1は真珠のようにきらきら輝く素材でできていて、下側は赤褐色で途中から卵を受け止める台のような形になっていた。
簡単に言えば長方形に楕円が乗っかっているような形だ。その長方形の両端からやけに長い土台のようなものが伸びていた。何というか。
「斬新な」
伊吹の言葉に、フィオーネは笑って肩を竦めた。
「有名なデザイナーに依頼したっていう噂があるらしいですよ」
それで良いのか、シャーリン教会。
「それでこんな妙な建物に」
「確かに変わった形ですね。でも、ちょっと面白いかな。イブキさんは、イスルドの創世神話読んだ事あります?」
「簡単な解説だけは」
「じゃあ、知らないですね。イスルドは2度生まれる、そういう逸話があるんです。1度目は他の神と同じように、混迷の地で意識を持つ。2度目は地上で、自らの意思で生まれなおした。その時、イスルドは卵から生まれたんだそうです」
部分的に、知らない言葉が出てきたが、意味は通じる。しかし、卵から孵った神というのは斬新だ。鶏か。建物の形の意味は理解できたが、イスルドの気持ちは理解できない。
伊吹達と同じようにバイトとして雇われた人間は、80名近くいた。建物のことといい、この教会はかなり金を持っているらしい。
着るようにと手渡された服は黒のフードつきローブだった。体型に自信が無い人間にも優しいゆったり仕様で、腰の辺りを紐で縛って長さを調節するようになっている。袖口が大きく着物の袖のように垂れ下がっていて、非常に邪魔だ。
見た目としては、教会の人間っていうよりは、黒魔術系。
こんなんで良いのだろうか。
(俺としては助かるが)
腹の辺りでもぞもぞ動く小動物に、伊吹は小さく息を吐いた。流石に、動物は持ち込み禁止だろう。




