志真と空の上の住人 5
チャタレイ・フィナス・イルド・アティカ。
この国の王子であり、本来なら空に浮かぶ島の城にいる筈の彼が、何故現在地上に降りてきているのか。その理由を聞いたウィガーは思わず痛む頭を押さえた。
命の恩人に恩を返したいから。
立派な心がけである。しかし、面倒なことこの上ない。その命の恩人というのがよりにもよって志真なのだ。本人は未だ知らない筈であるし、できればこの先もずっと秘密にしておきたい。でないと、調子に乗って色々やらかしそうな気がしてならない。
「本人はまだ気が付いて無いんだろ」
護衛を撒いて消えた王子捜索を手伝わされていたユーイは、かなり不機嫌そうな様子で、ソファーに寝転がったまま目を瞑っている。
「だったらそのまま、伏せておけ」
無論、依存は無い。
なんて取り決めがされていたとは、全く知らない灰谷志真である。
チャティはかなり良いところの、貴族の坊ちゃん。兄と喧嘩して家出していたところで、伊吹の部屋のドアをぶち破って現れた鎧男は、チャティを迎えに来た護衛。そう説明された事を疑ってもいなかった。
壊されたドアは、チャティの家が修理代を出してくれるらしい。良かった。ウィガーは何とか断ろうとしていたが、あれは鎧男が悪いのだから、遠慮せずどーんと出してもらえば良いのだ。
帰るというチャティを見送る時に「また遊びに来て」と声を掛けると、何故かウィガーから凄い目で睨まれた。チャティ自身は喜んでいたのに、心が狭い。確かにちょっとばかり下心はあったが。
貴族でお金持ち。
チャティが家族と一緒に宿屋の常連客になってくれたら、宿屋も助かると思っただけなのだ。ほんの、ちょっとだけ。
勿論、チャティが寂しそうだったからっていうのが、一番の理由だ。
(でも、流石に子どもに頼るってのは、情けないか)
モクのことも、宿屋のことも。志真が自分で何とかすべき問題だ。
「難しい顔して、何考えてんだ、シマ」
物思いにふけっていた志真は、その声にはっと顔を上げた。1つ分の席を空けた場所に座り、机に肘をつきこちらを見下ろす三つ目の男。にやけた顔も、何か懐かしく見える。
「ニトロ!」
「よ、久しぶりだな。元気だったか?」
ここ最近、彼はずっと学校を休んでいた。こうして顔を合わせるのは3日ぶり。
午前は伊吹も来ないから、広い学校に一人っていう日も珍しく無い。今日も先程までそうだったのだ。
「何、休む」
「あー?ああ、俺はこうみえて病弱でね」
「ん?」
「体が弱い」
体が弱い……?
志真は胡乱な目をニトロに向けた。確かに少し細身に見えるが、血色も良いし呼吸も普通。何よりにんまりと上がった口角が、嘘っぽい。
「真面目、少しはする」
「いや、ホント。これでも結構やばかったんだぜ。まぁ、俺の話は良いとして、そっちはどうなんだ?また色々大変なんだろ。宿屋に客が来ないとか変わった客人が来たりとか」
ニトロは何でも知っている。
「お前も大変だな」
「うん」
全くだ。
そもそも、異世界になんて来てしまった辺りがもう。でもそれは、目の前のニトロも一緒なのだと思い出す。いっつも飄々としているし、にやけているから忘れてしまいそうになるけど。
「ニトロも大変。じゃない?」
「俺は結構この状況を楽しんでるよ。中々、退屈しないし、悪くないゲームもあるし」
「強い」
楽しいとか言えるなんて。別に強がって言っているわけでもなさそうだ。
「怖い、ない?家族とか、会えない」
「家族ねぇ」
相変わらず、ニトロはにやにや笑っている。でも、ほんの少しだけ先程までの笑みとは違って見えた。何というか薄暗い感じだ。
「なぁ、シマ。お前の世界は良いところだったんだろうなって、お前やイブキを見てると思うぜ。良い世界で、良い国で、家族にも恵まれて。だから、帰りたいって思えるんだろうな」
「ニトロ?」
「俺にとって、家族ってのは枷だった。自由に動けないようにする為の枷だ。親も親戚もいない、妹を生かしてやれるのは俺だけっていう状況が重くて、逃げ出したかった」
普段より低い声で淡々とニトロが言う。
何を言っているのか、さっぱり分からない。単に志真がこちらの言語に慣れていないせいではない。まるで、聞いた事のない言語だった。多分これは、ニトロの世界の、ニトロの言葉なのだ。
「分からない」
「ああ、悪い。ただの愚痴だ。気にするな」
スイッチ1つで切り替えるみたいに、ニトロはいつもの笑顔でそう言った。
何か、相変わらず良く分かんない人だ。
人懐っこいし世話好きみたいだし、何かと志真を構ってくれるが、本人の話は殆ど聞いた事がない。他の人の話は結構教えてくれる癖に、自身は秘密主義のようだ。
実はこれで、結構苦労しているのかもしれない。
「ニトロ、何かあったら、言う」
「ああ?」
「私、助ける。いつものお礼。友達だ」
何か困った事があったら言うのだぞ、今度は私が助けるから。そう結構良い事を伝えたつもりだったが、何故かニトロには爆笑された。
(むかつく)
まぁ、確かに何ができるって言われたら困るのだが。志真には、何も無い。ピンチを乗り切る素晴らしい策を思いつく知恵も、力もお金も権力も無い。
けど何も、そこまで笑う事は無いじゃないか。
「まぁ、そんな膨れるな」
「………」
「気持ちはありがたく貰っとく。今まで俺にそんな事言った奴は2人目だからな」
2人目?
その言葉に反応すると、ニトロは目を細めた。
「1人目は、モクだ」
その名前にどきりとする。嬉しくなる。
「モク、優しい」
「ああ、残念なくらいに優しいな」
何が残念なんだ。ニトロのいう事は、相変わらず意味不明だ。
ニトロと話している内に、昼の時間になっていた。朝、ミーチェに用意してもらった弁当を取り出す。ニトロは来る途中に屋台で買ったというハンバーガーみたいな食べ物。
その時間になっても、他の生徒が来る気配は無い。
保護施設入りになっているモクとハルラックはいいとして。
「アルジャラーも来ないとか、珍しい」
「ああ、いっつもその辺で寝てるからな」
日当たりの良い席で、すやすやと安らかな寝息を立てている彼女がいないと、何か違和感がある。
「じいさんもいないし」
「じいさんはまた何か妙な研究でも始めたんだろ」
良く分からないが、忙しいのだろうか。後は。
「……リキキと、キリリは」
「あいつらは元々夜間の生徒だからな」
何故なら太陽が苦手な吸血鬼だから。それなのに青い顔でふらふらしながら昼間の学校へ来て、ぎゃあぎゃあ騒いでいたのだ。
理由は志真にだって分かる。
モクがいたから。
志真はぶんぶんと首を横に振った。駄目だ。気がつくと落ち込みそうになっている。いつまでもうじうじしてたって仕方無い、とにかく前向きに頑張ろうと決めたのだ。
「そ、そういえば……ニトロ、相談ある」
「何だよ?」
「宿屋に、客呼ぶ方法」
「ああ」
事情を知っているらしいニトロは、パンを口に頬張りながら頷いた。
「そっちか。大分評判悪いからなぁ、よっぽどの目玉でもないと」
「うんうん」
「すぐには思いつかねーな」
だよね。
「が、あの噂を流している奴らなら心当たりがある」
「………」
へ?
と、思わず間抜けな顔になった志真を、ニトロはにやりと笑って見下ろした。




