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伊吹、避難する 4

 実際に力を貸すかどうかは別にして、話を聞くのは無駄ではない。

 志真がどんな風にこの世界に迷い込み、どんな対応を受け外に出たのか。明日から通う学校の事も知っておきたいし、志真の目にはこの世界がどんな風に見えているのかというのもまぁ興味が無い事も無い。


「この世界に来た時の事?」


 一瞬、志真は顔をしかめた。

「あんまり覚えてないけどさ。商店街にいたんだよね。学校から帰る途中で、友達と一緒だったんだ。でも、何か私だけ。気が付いたら……に、いて」

「何だって?」

「………男湯にいたの!」

 顔を真っ赤にして、志真が怒鳴る。

 男湯。そこが、志真の落下地点だったのだ。笑える。遠慮なくにやにやする伊吹を、志真は睨みつけた。

「しょうがないじゃん、事故なんだから!こっちだって吃驚したよ!っていうか、絶対夢だって思ったし」

「まぁな」

「そっちはどうなの」

「俺も商店街にいた。あの、キタノっていう花屋の傍」

「あ、私もその辺歩いてたかも。確か、2軒となりの本屋の辺り」

「亀井書店」

「そうそう」

 古い小さな書店だった。漫画の数は少ないが、文房具や参考書などの品揃えは良かったから、伊吹もよく利用していた。


 不思議だ。


 何となく沈黙が落ちる。

 部屋の隅に置いた丸木で、こてつが爪を磨ぐ音がかりかりと響く。何となく間の抜けるBGMだが妙にしんみりとした空気になった。


 あの時、あの場所ですれ違っていたかもしれない。もしも、こんな事にならなかったら、知り合うこともなかっただろう。全く人生というのは分からない。分からなさすぎる。

「いっぱい、人いたよね」

「……まぁ、それなりにな」

「何で」

 自分たちだけが。その先は声にならない。誰に言っても、どうしようも無い事だ。志真もその事は分かっているようで、誤魔化すように質問を変えた。

「えっと、いっさんは何処だったの?こっちへ出た時」

「砂漠」

「さばく?」

「お陰で危うく死にかけた」

 ベッドの上で胡坐をかいた志真が、へぇー、と感心したような声を上げる。

「それこそ夢だと思った。有り得ないし……」

 咄嗟に出かけた吹雪の名を飲み込む。彼の事を、志真に話す気は無かった。面倒な事になるのは目に見えている。幸い、不自然に途切れた言葉を、志真は然程気にかけなかった。

「いっさんって、いかにも頭固そうだもんね、神経質で細かそう」

 大きなお世話だ。


「で、施設に保護された後は?」

「えーっとね」


 だらだらと志真の話が続く。これを現実だと受け止める気になった途端、施設から追い出されるようにして宿屋へきたこと。ウィガーへの不満。宿屋で働いている事。学校での話、同じ異世界人である友人の話。

 例のモクという少年の話もあった。優しく物静かな人物らしい、が。話を聞く限り、随分風変わりな印象を受ける。主に格好とかが。

 他にも三つ目、双子の吸血鬼、緑色の少女など、かなり個性豊かなクラスメイト達のようだ。まずい。全然馴染める気がしない。騙されていても気づかなさそうな志真等よりも、余程確かな情報源となるだろうに。

「で、ちょっと色々あってどうしようも無くなった時に、モクが来て助けてくれたんだ」

「……って、おい」

「何」

「色々はしょりすぎだろう。全く分からなかったぞ。どうしようも無いって、具体的に何があったんだよ」

 それは、と志真は言葉を濁らせた。

 気まずそうに上目遣いで、伊吹の表情を窺う。同情するくらいに、そういう仕草が似合わない女だ。

「なんていうか、さっきも言ったけど、いっさんって頭固そうだからなー」

「だから何だよ」

 いい加減苛々してきた。生来の性格は短気な伊吹だ。志真相手に猫を被る必要性も感じない。思い切り下に見ている。

「いっさん、幽霊とか信じる人?」

「………」

 黙り込む伊吹に、志真が慌てたように手を左右に振った。

「あ、私だってどっちかっていうと、信じないほうだったんだよ!全然そういうの見た事無かったし、あ、今も別に見えるわけじゃ無いんだけど。でも何か、声だけ聞こえるようになっちゃって。ラス……ラスカゥルっていう、この宿屋で…なんか私の部屋で殺された女の人なんだけど」

「へぇ」

「信じてない!本当なんだってば!ウィガーも事故物件だっていうのは認めたし。それに私、大分ラスに助けてもらったから!言葉の通訳とかしてくれて、そういう取引だったんだけど」

「現実から逃げたくなる気持ちは分からないでも無い」

「そんなんじゃなくて!」

「良いから聞け。お前は病気だ。心の」

「違うんだってばー!」


 神も幽霊も、伊吹は信じていない。死んだら終わりだ。その先は無い。そうでなかったら……。

 異世界の存在も、そこへ来てしまったことも充分非現実的な話ではあるが、だからと言って幽霊がいると主張されても困る。妹が死んだ後、その手の話では散々嫌な思いをしてきたから余計にだ。

 幽霊とか、亡霊とか、そういうものは全部心の中にあるのだろう。

 人の弱さや後ろめたさが、幽霊という幻を作り出す。


「石頭。だから言いたくなかったのに」

「早く現実を見ろよ。幽霊のお陰で言葉が分かるようになっていた、っていう思い込みが無くなったら、案外すぐに言葉の壁は乗り越えられるかもしれないしな」

 志真の殆ど使われていない脳細胞が、奇跡を起こすかもしれない。そう、励ましたつもりだったが、志真は項垂れていた。

「だから、本当に違うんだって」


 この様子では、奇跡が起こるのは当分先のようだ。


 結局、意見が食い違ったまま、志真は宿屋の手伝いに行った。ようやく静かになった部屋で、伊吹はベッドのシーツについた皺を伸ばした。

 今日からここで、新生活が始まる。

 考えてみれば、1人暮らしというのは初めてだ。大学を卒業したら、出ないといけないだろうなとは考えていたが、まさかこんな形で家を離れる事になるとは思わなかった。

 条件は悪くない。

 与えられた部屋は古いが、充分な広さがあった。

 広すぎるくらいだ。


「………」


 事故物件。

 伊吹の頭に嫌な言葉が浮かんだ。幽霊など信じていない。だが、それでも人が死んだ部屋だというのは気持ちが悪い。ウィガーが認めたというならば、志真が住んでいる部屋で人が殺されたという部分は、少なくとも真実であるようだ。

 よくそんなところに住めるな。

 伊吹だったら断固拒否する。そういう図太さ……神経の強さは尊敬に値する、かもしれない。


 そんなところに住んでいるから、幽霊の声が聞こえた気になってしまったんだろう。

 架空の友達を作り出す、子どもならば良くある事だ。女子高生が子どもの範疇に入るかは兎も角、異常な現実に耐え切れなったのだろうと推測できる。

 寂しかったのだ。

 その気持ちは、少し分かる。


 ベッドに座った伊吹の隣に、こてつがよじ登ってくる。長い体を丸めて、毛づくろいを始めた。


「………」


 まさか、寂しさを紛らわせようと、これを飼わせたわけじゃないだろうな。ふと、そんな疑念が浮かび上がった。

 リザレットがそんな気を回すとも思えない。しかし、言葉どおり番犬として使えるようにも見えなかった。

 一体、どういうつもりで……。


 ひょっとして、体に何か盗聴器的なものが仕掛けられているとか。


 思い付きを確認する為、こてつの胴体を掴み調べようとしたところ、がぶりと指に噛み付かれる。当然の反撃だった。しかし、見たところ何も変わったものはついていない。

 離してやると、ベッドを飛び降り部屋の隅へと逃げて行った。

 後ろ足で立ち上がり、首を伸ばしてぎー、と低い声で鳴く。どうやら怒っているようだ。咄嗟に悪い、と謝りそうになったが留まった。


 危ない。


 もう少しで動物に話しかける寂しい奴になるところだった、と。

 動物を家族として可愛がる人間に喧嘩を売るようなことを考えていた。

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