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伊吹、避難する 3

 荷物を抱え宿屋に戻ると、2人の少女が庭に出ていた。その内の1人には見覚えがある。同じ時期、同じ日本からやってきた、世界喪失者。灰谷志真だ。

 女子にしては背が高く、しっかりした骨格にショートカット。日に焼けた肌に顔立ちも凛々しく、ぱっと見少年のようにも見える。きりっとした濃い眉と、多少眦が上がっているせいか。

 隣に立つ長い髪を後ろでポニーテールにした女性は、知らない。だが、誰なのか大体見当が付く。すらりとした長身の彼女は、ウィガーに良く似た顔立ちをしていた。彼女がウィガーの妹なのだろう。凛とした雰囲気の美人だ。

 帰ってきた伊吹達に先に気が付いたのは、彼女の方だった。一瞬目を丸くした後、笑う。


「お帰りなさい」

「もう、待ってたのに、遅い!」

 笑顔で迎える女性の隣で、志真が口を尖らせる。

「待て、何故お前が今ここにいるんだ。まだ学校の時間の筈だが」

「今日は特別。先輩として、色々いっさんに教えてあげようと思って」

 と、偉そうに無い胸を張る灰谷志真。

「……っていうか『いっさん』って何だよ。まさか俺のことか?」

「そうそう。伊吹さん、って言うと何か堅いし、偉そうだし。でも呼び捨てだと怒るでしょ、絶対」

 拒否する雰囲気を前面に押し出していったにも関わらず、余裕でスルーされた。流石わが道を行く女子高生なだけはある。呼び捨てられるのもごめんだが、いっさんっていうのもどうなんだ。

「ね、ね、それよりさ、いっさんの頭に乗ってるの何!?すっごい可愛いんだけど!」

 悩む伊吹の元へ、志真がにじり寄ってくる。目がきらきらと輝いている。ここにも動物好きがいたか。

「ヴィーダね?飼うの?」

「ああ、伊吹がな。名前はこてつだ」

「こてつ?うわー、良いなー、可愛いー!私も飼いたい。ちょっと触らせてー」

 うきうきと志真が手を伸ばした途端、こてつはするりと背中へ下りた。

「って」

 そのまま背中へへばりつかれる。しがみ付く為にたてられた爪はシャツを突き破り、肌へ容赦なく突き刺さった。

「あっ、大丈夫だから、逃げないで」

 諦めない志真が背後に回ると、背中をよじ登って肩へ。胸から腹、また背後、更に頭。人の体を犠牲にした追いかけっこ。ちくちくと爪が刺さるたびに、鋭い痛みが駆け抜ける。

「いい加減に諦めろ!」

 と、伊吹が切れるまでにそう時間はかからなかった。


「えーっと、じゃあ改めて。私はフィオーネ・ハルベルト。ウィガーの妹です。これからよろしくね」

 結局触れず不貞腐れた志真を宥めながら、少女が伊吹にそう挨拶した。ウィガーよりも濃い青の瞳が、真っ直ぐに向けられて、伊吹は僅かに怯んだ。

 目を見て話す、というのは苦手だ。未だに。

「……俺は、各務伊吹です。これから暫くお世話になります。よろしく」

「凄い、もうかなり喋れるんですね」

「いや、結構時間経ってますから、このくらいは」

「何それ凄い嫌味」

 日本語で不満げに漏らす志真へ、伊吹は白い目を向けた。

「そう聞こえるっていう事は、自分の至らなさを分かってはいるんだな」

「いちいち日本語で嫌味言ってこないでよ、嫌な奴!」

「面倒だから、いちいち喧嘩をするな」

 と、ウィガーが口を挟む。

「今の内に、従業員の紹介も済ませておく。来い、イブキ」


 家族以外の従業員は5名。思った以上に少人数で回しているらしい。どうも、最近どうにか客が増えつつあるが、一時期は本当に暇だった事が原因のようだ。

 だから、ウィガーも貧乏性の倹約家になったのだろう。

「で、こちら、ルーミケラウスさん、ルーさんね。美人、色っぽい、素敵!男、いっぱい、もてる」

「ふふ、ありがとうシマ」

 肉厚な唇をほころばせ、いかにも色っぽく微笑む美女。志真の説明の後半部分、恐らく男の人にもてもてだと言いたかったのだろう。納得だ。

「で、この人が、イブキ・カガミよ。私と、同じ、日本人!ひ弱、頭マシだって」


 何なんだその紹介の仕方は!


 文句を言いかけたが、ルーミケラウスに遮られる。

「ルーミケラウスよ、よろしくね」

 濡れたような黒い瞳をとろんとさせ、気だるげに流し目を送られて、伊吹はたじろいだ。

 視線と一緒に、フェロモン的なものまで送られている気がする。

「ど……どうも。イブキ、カガミです。よろしくお願いします」

「ふふふ、可愛いわねぇ」

 凹凸のはっきりした、豊満な体型。つい、胸の谷間や大胆なスリットの間から覗く足に目がいくのは仕方無い事といえる、筈だ。


「いっさん、やらしい目でどこ見てんの」


 にやにやと、肘でつついてくる志真の頭を軽くはたいた。

「っていうか、何でお前までついて来てるんだ」

「だから、先輩としてだって」

 迷惑過ぎる気遣いだ。ウィガーが何も言わないため、志真の私見に満ちた偏りのある紹介を受けながら、結局全員に挨拶して回る羽目になった。

 調理場の、カオロン・ミーチェ夫妻に、ラクト。ラクトはフリッパと呼ばれる希少な種族で、恐ろしく無口だった。そして、逆に物凄くおしゃべりなアンナという痩せた女性が、掃除や洗濯などを担当しているとか。志真はそれらの手伝いを、仕事としているようだ。

 最後にこの宿屋の女主人であり、ウィガーの義理の母でもあるリアラ。彼女は何でも買出しで出かけているらしく、戻るのは明日の朝になるらしい。

 リアラを除く全員の紹介が終わったところで、ウィガーは仕事に戻っていった。

 志真は。


「いっさんの部屋ってどこ?ちょっと見せてよ」

 どこまでも図々しい。

「断る」

「良いじゃない、けち。後で私の部屋も見せて……ま、それはおいおい。とにかく、今日は荷物の片付けとか手伝うから」

「生憎、手伝ってもらうほどの量は無い」

「いいから、いいから、遠慮しない。困った時はお互い様ってね」


 むしろ親切の押し売りに困らされている場合はどうしたら。


 空気を読まない女子高生を阻むものは何も無い。与えられたばかりの自室へ、無理やり案内させられた。

「天井低……埃っぽい」

 広い部屋の真ん中で、きょろきょろと物珍しげに視線を巡らせて、志真は感想を述べた。大きなお世話だ。

「窓開けよ、窓!」

 せっせと勝手に換気を始める。伊吹は無視して、買ってきた荷物の整理を始めた。頭から下りてこないこてつが本当に邪魔だが、まだ大人しくしているだけマシだ。

 きっちり服を畳み、タンスにしまう。

「良いなぁ、この部屋」

 勝手にベッドに座った志真が、羨ましそうな声を上げた。

「すっごい良い。私もここが良かったー。屋根裏とか昔から憧れてたんだ、そういえば。何か秘密の基地って感じで」

 何故親しくも無い男の部屋で、こうもくつろげるのだろうか。神経が鉄でできているのか、存在していないのか。警戒心も遠慮も忘れたこの態度はどうなんだ。

 最も、変に意識されて警戒されても、それはそれでイラっとするものがあるかもしれない。夜道を歩いていた時に、前を歩いていた女性が、異常に早歩きになっていった事を思い出してしまった。忌々しい思い出の1つだ。


「気が済んだら帰れよ」

「気は済んだけど、用はまだ済んでないよ」

「用?」


 志真は切れ長の瞳を、真っ直ぐに伊吹へと向けた。意思の強さを感じさせるその眼差しが、苦手だ。伊吹の弱さ、卑怯さを見透かし、非難しているようで。


「約束したじゃん」

「約束?」

「一緒に考えてくれるって言った。どうしたらモクを助け出せるか」

 不満そうに言葉を並べられて、徐々に思い出してきた。確かにそんな事を言った。封鎖されていた奥へ、志真が進もうとするのを止める為に。

 そう、止める為にだ。

「迷ったけど、信じたんだよ」

 声音から、どこか強引な明るさが消える。不安な胸の内を滲み出させて、志真は言う。

「同じとこからきた人なんだし、やっぱ信じたいって」


 しかし、右も左も分からない、無力な迷子が2人になったからと言って、一体何ができるというのだ。

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