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伊吹、葛藤する

 さて、異世界なんていう夢物語のような人生を歩むはめになった伊吹だったが、分かっている事が一つある。それは。


 俺に勇者とかそういうのは無理。


 ということだ。

 単に落ちてきただけの普通の人間で、特殊な力も無ければ、特別な武器も無い。化物相手に戦う自信は皆無だ。例え力や武器があったとしても、あんなのと戦うのはごめんだ。ゲームならばともかく。人生にリセットボタンは存在しない、とか誰の言葉か知らないが真理だ。

 死んだら終わり、なのである。

 だから伊吹は恐れるのであって、恐怖のあまり寝込んだりもする。今の伊吹の目標は、目指せこの国脱出だ。というか、あんな危ないものを何でこの施設で保管しているんだ。

 文句を言った伊吹に対して、リザレットは涼しい顔で返した。


 厳重に対処し無力化してありますので、ご心配には及びません。未知なる敵の正体を知るための貴重な研究材料です。


 有り得ない。いや、気持ちは分かるが、そういうのは大抵悪夢再びみたいな事態になってしまうのが、ホラー映画の決まりごと。誰かのうっかりミス、もしくは事態を軽く見ている人間の余計なちょっかいで。

 しかも最悪なことに、伊吹の兄である厄介な男が生きていて、ラスボス化するかもしれないらしいのだ。

 死ぬ。

 世界が変わっても、相変わらず伊吹を厄介なことに巻き込むところだけは変わらないらしい。冗談じゃない。

 もう、本当に色々と限界がきていた。


「イブキ、大丈夫?」


 椅子の上で伊吹ははっと我に返った。

「ああ、えっと。大丈夫……」

 一瞬ここが何処だったか分からなくて、辺りを見渡しながら伊吹は答えた。

 白い壁に囲まれた部屋。ベッドの上で身を起こし、心配そうに固まった伊吹を見つめるリチル。髪を下ろし、寝間着らしい水色の柔らかそうなネグリジェみたいなものを着た彼女は、いつもよりも幼く見えた。

 ここはリチルの病室だ。

 面会できるまでに回復したと聞いて、見舞いに来た。ベッドの脇のサイドテーブルの上にある黄色と赤の花は、シエンゾから譲りうけたもので、リチルはとても喜んだ。

「リチルこそ、怪我は」

「もう平気……とまでは流石にいかないけど、大丈夫よ。最近は、退屈で仕方がないくらい」

 冗談っぽく笑いながら、リチルは肩を竦めた。あんな事があったのに、明るく振舞えるリチルには驚く。ここへ来る事を躊躇った自分が、後ろめたく思える。

 伊吹を庇っての怪我だ。

 感謝してもしきれない。だが、その借りを作ってしまったような状態が、まず嫌だった。傷や傷害が残ったら、後で恨まれるかもしれない。

 そんな暗い予想すら立てていた。


「……ごめん」


 言わずにはいられなかった。リチルはきょとんとした顔になった後、笑う。

「イブキのせいではないわ。だから、気にしないで」

 何でそんな風に笑えるんだ。

 伊吹には分からない。

「謝るのは私たちの方。もう少し注意するべきだった。貴方を危険な目に遭わせてしまったのは、私たちの責任よ。でも、心配しないで。もう二度とあんな事が起こらないように、皆頑張っているから」

 心から言ってくれているのは分かる。だが、そんなもの気休めの言葉に過ぎない。

「元気出してね、イブキ」

 笑い返そうとして、失敗する。この状況で笑える筈が無かった。外には異世界人を疎み排除したいと考える人間がいて、中にはあの化物がいる。何とかして帰る事はできないのだろうか。

 無理だと説明されているが、まだ方法が見つかっていないだけで、何かあるんじゃないのか。来て、帰れないというのは納得できない。


 結局、再び考え込んでしまい、リチルに心配させる事になった。見舞いに来たのにも関わらず、逆に「元気出して」と励まされながら病室を後にした。


 あいつは、吹雪は今どこにいるのだろう。

 何故あの状況で生き延びる事が出来たんだ。いくら丈夫だからといっても限度がある。やっぱり彼が生きているとは思えない。

 時間が経つにつれ、はっきりと耳に残っていた吹雪の声も、本当に聞いたのか自信が無くなってくるほど曖昧になってくる。誰かの声を聞き間違えた。あるいは、幻聴?第三者の証言もあるが、何か別の単語を誤認した可能性だって否定はできない。むしろ、そうであってくれ。

 しかし、伊吹はどこかで確信していた。

 吹雪は間違いなく生きている。そして、いつか自分の前に現れるだろう、と。


 異世界人を、この国が保護する理由のひとつは、彼らの言う敵対者の存在だ。落ちてくる異世界人に紛れ込みやってくる、侵略者。

 完全に寄生した体に馴染むまでには10ヶ月から1年ほどかかるという事で、その間に対処する必要があるらしい。意識混濁は、3ヶ月頃から始まるというから、吹雪がそうならそろそろだろう。

 まだ時間はある。

 伊吹にその事情が伝えられたのは、吹雪を良く知るたった一人の身内だからだ。

 協力はする、勿論。

 躊躇いを覚える必要なんか無い筈だ。吹雪は運が悪かった。もうどうしようもない。少なくとも伊吹には何もできない。


 喧嘩しないで、仲良くして


 幼い頃から反りが合わず、喧嘩ばかりしていた2人の間で、いつも泣きそうな顔で怒っていた少女の声が蘇る。

 子どもの頃に病気で死んでしまった、妹のこよりだ。

 記憶の中で薄れていく、成長しない子供の姿。彼女の姿はいつだって、伊吹の弱さを責めている。


 見捨てないであげて、家族でしょう


 吹雪が敵対者だったとして、ここで捕まえた後どうなるのか、伊吹は詳しく聞いていない。これからも、聞く必要は無い。聞かなくても、大体は想像がついていた。

 俺は知らない、何も知らなかった。

 だから、吹雪を。


 伊吹が知っている吹雪の情報は全て話した。兄弟とはいえ、不仲だったから知らないことも多い。自分の目を通した兄は、暴力的で短絡、どうしようも無い男だったが、友人や仲間は多かった。

 伊吹とは正反対に、社交的。

 家に友人を呼ぶ事も多くて、それが伊吹は嫌だった。吹雪の友人達は、それこそ別世界の人種だった。煩いし馴れ馴れしく、揃って粗野で。オタクだの優等生だの散々からかわれた。

 類は友を呼ぶ、という諺は正しいようだ。


 どこに行っても、変わらない。


 伊吹はベッドに寝転がると、昨夜のリザレットとのやりとりを思い返した。

「各務吹雪、26歳。身長183cm、推定体重71kg。性別男性。健康体。異世界観測地より、喪失の直前映像記録から映像を作成」

 掌サイズの薄い板の上に、見知った男の姿が登場する。ミニサイズだが、良く出来ている。

「現在この映像を元に行方を捜していますが、未だ目撃証言も得られていません」

 淡々とリザレットが報告した。

「おそらく、協力者がいるのでしょう」


 伊吹と違ってきちんと保護されなかったにも関わらず、吹雪は誰かと共にいる。危険を知っているのか、いないのか。少なくとも見つからないように気遣っている何者かがいるのだ。


「何だよそれ」


 暗い部屋で、呻く。

 世界が変わっても、変わらない。ただ一つ、変わったのは吹雪が人類の敵という、笑えるような立場にいること。

 間違いの無い正義が、伊吹の側にあるのだ。

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