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志真と波乱の幕開け 1

 その1週間は、志真にとって苦しいものだった。

 ラスカゥルは相変わらず戻って来ない。その上、頼みの綱のウィガーまで顔を見せなくなったのだ。殆ど外出していて、帰ってきても夜中頃。早朝には出て行ってしまうため、志真が会いに行く事もできなかった。

 その為、モクの事も聞けず仕舞い。

 怒っているための報復かと思ったが、どうも何か違うみたいだ。ウィガーはウィガーで忙しかったらしい。何をしていたのかは知らないけど。

 7日ぶりに姿を見せたウィガーを見て、納得した。

 元々痩せ気味だったのが、何だかげっそりとやつれて見えた。目の下の隈も酷いし、顔つきもかなりシャープになっている。もしかしたら白髪もあるかも、と志真は何気なくウィガーの焦げ茶の髪に目をやった。

 次に顔を合わせたら、説教されるだろうと覚悟していたのに、それも無かった。若干の気まずい空気の中、志真も何を言えば良いのか分からなくなる。おかえりとか、お疲れだね、とか。軽く言ったらまた怒らせそうだし、下手にこの前はごめんなさいとか言ってしまえば、ウィガーの説教魂に火をつけてしまうかもしれない。

 ここはしおらしく、黙っていよう。

 志真の部屋を訪ねてきたウィガーは、数秒の沈黙の後ぼそりと告げた。

「外出禁止は今日までだ。明日からは普通の生活に戻れるぞ」

「え!」

 嬉しい。

「本当?えーっと、っていう事は、伊吹って人を襲った犯人は捕まったんだ」

「……ああ」

 良い事の筈なのに、ウィガーの表情は晴れない。それに、志真は不安になった。

「何?まだ何かあるの?あ、もしかして伊吹の怪我が悪化して……とか」

「いや。お前には関係の無い話だ。気にするな」


 じゃあ、そんないかにも何かありましたみたいな顔するな!と。言いたいところをぐっと堪えた。言い方は気に入らないが、ウィガーは大変に疲れているようだし、と自分を抑える。色々と反省したところだし、それに何より今は嬉しい。

 やっと明日から学校へ行ける。

 これでモクに会えるのだ。

 嬉しいニュースに浮かれていた為、モクがどうなったのか聞くのを忘れていたと気がついた時には、ウィガーは部屋から去っていた。

(でも、まあ良いか)

 どうせ明日学校で会えるのだから、直接モクに聞けば良いのだ。うん。その方が良い。ウィガーは意地悪だし、また何かいらない嫌味を言われそうだ。自分に都合の悪い事は話してくれなさそうだし。

(モク、本当は喋れるんだよね)

 まだ耳に残っている、凄く優しい、透き通るような声。シマ、とあんなに優しく呼ばれたのは初めてだ。志真の頭を撫でた手も、そっと労わるみたいな優しさに満ちていた。

 思い出すと、何だかむずがゆいような気持ちになる。

「うう」

 何これ。

 意味も無く、顔が笑ってしまう。我ながら浮かれすぎ、と思いつつも嬉しい気持ちは抑えられない。

(いや、でも仕方無いよね。何せ久しぶりの自由なんだし!)

 開き直って、笑っている事にした。


 志真は、基本的にどこまでも楽天家な性格にできている。


 外出禁止が解除になったので、自動的に宿屋のバイトも復活した。今まで台所限定になっていたのが、給仕の方にも入れるようになった。前は、言葉が喋れなくて嫌だったその仕事も、今は楽しくこなせる。

 ラスカゥルがいなくても、何とかなっていた。

「お待たせしましたー!キノコと鶏肉のやつと、それから……お粥?です」

 てきぱきと料理をテーブルに並べ、空いたテーブルを片付け、新しい客を席に案内し、注文を取って厨房に伝える。会計だけは、任されないが。もう大体の事はできる。

 出入り口のドアには小さな鈴がついていて、客の来訪を教えてくれるようになっていた。夜は酒も出す食事処には、宿屋の客が入ってくるドアと、外からの客が入ってくるドアの2つがあって、鈴の音色はそれぞれ違う。

 しゃんしゃん、と可愛らしく響くのが宿屋側で、からから、と軽やかに響くのが外側だ。

 からから、と響いた音に志真は外へ続くドアを振り返りながら元気良く声を出す。

「いらっしゃいませ!」

 入ってきた人物を視界に収めて、志真の笑顔は凍りついた。


 何であんたがここに来るわけ。


 胡乱な目付きをした小柄な美少女は、志真の天敵第三号ともいえるクラスメイトのリキキだった。濃い紫のドレス姿で、いつもながらどこかのお姫様のようだと思う。袖口や裾を飾る黒レースが、何だか妖しい雰囲気で、お姫様はお姫様でも清楚な感じとは程遠い。

 いかにも夜っていう感じだと、志真は思う。

 陽だまりみたいなこの宿屋の雰囲気には、似合わない。浮いている……酷く目立つ客の姿に、食事中の客たちもちらちらと視線を向けていた。

 そんな中、リキキは赤く小さな唇をゆっくりと開いた。

「あなた」

 そこから出たのは凍りつきそうなほど冷ややかな声だった。

「一体、何をしましたの」

 赤い瞳が爛々と怒りで煌いている。

 顔を突き合わせるたびに喧嘩になる彼女達であったが、今日は何かいつもと違う。本気で腹を立てているらしいリキキは、逃げ出したくなるような迫力があった。

 しかし、リキキを怒らせるようなことをした覚えは無い。

 理不尽な怒りをぶつけられるのは我慢できないし、逃げ出すなんてもっと嫌だ。だから、志真は負けじと睨み返した。いつもなら、とっくに言い返しているところだけど、ここは店の中。人目もあるし、仕事の邪魔になってもいけない。

 ただでさえ、迷惑をかけているのだ。

「何か分からない。けど、話する。ここ仕事、迷惑。部屋、行く」

 リキキはじっと志真を睨んでいる。反論なし、つまり良いって事だよね。と解釈した志真は、傍で心配そうな顔をしていたフィオーネに笑いかけた。

「ごめん、学校の人。少し、良い?」

「それは勿論。もうすぐ上がる時間だし、今日はここまでで良いんだけど。でも、シマ…」

 少し言い難そうにフィオーネは声を落とした。

 そっと、志真にだけ聞こえるように。

「その人と2人で大丈夫?何か、怒ってるみたいだし。心配なら兄さんでも呼ぶけど」

「大丈夫」

 心配するフィオーネに、志真は無理やり笑って見せた。


 血を吸われたら下僕ですのー


 という、アルジャラーの言葉がぐるぐると回る。実際、この怒れる吸血鬼と2人きりで話す事に、若干の不安を感じないでもなかった。

 しかし、一体何をしに来たんだろう。

 志真のことがとにかく気に入らないらしくて、顔を合わせるたびに喧嘩を売ってくるリキキだったけど、流石にこんな風にわざわざ家を訪ねてきてまで文句を言いに来た事は無い。

 よっぽどの事だとは思うものの。

 部屋へ続く階段を上りながら、志真は首を捻った。


 全く心当たりが無い。


 そもそも、ここ最近はずっと外出できなかったし、リキキに会う機会だって無かったのだ。

 大体、どうせ明日学校に行けば会うのに。

 基本的に夜間部に顔を出しているらしいリキキだったが、ここ暫く……志真にとっては迷惑な話だが、リキキは昼に学校へ来るようになっていた。

 その理由だって、志真は知らない。


 別に、興味だって無い、けど。


 じりじりと、後頭部が焼けるような視線を感じる。振り返れないし、下手に喋りかけられない。何だか爆弾を連れて歩いているみたいな気分だ。


 目、だけはなるべく見ないようにしとこう。


 下僕にされるのはごめんだ。

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