志真と天敵 2
「ウィガー、バカ!すけべ!まぬけ!よわむし!やくたたず!」
それだけ言って、志真は宿屋を飛び出した。ウィガーが何かを言う前に、全速力で走り去る。短い髪を振り乱し、大きく腕を振って走る様は少女というより少年にしか見えない。分厚い生成りの生地の半そでシャツに、濃い緑の短パンにブーツという格好のせいもある。
こちらの世界では、子どもの、しかも男がする格好だ。
髪は短いし、顔も中性的、手足が長く胸が無い。性格だってがさつで、色気は皆無、それであの格好なのだから。
『お前、本当に女か?』
と、ユーイの持つ疑問は最もだ。だが、その後の行動は頂けなかった。志真が答えないからといって(無視したわけではなく、聞かれた意味を理解しなかった為だ)、何故そこで胸を触る必要がある。
一応女である志真が異性に胸を触られたのだ、怒るのも最もだと思う。
が、ユーイでなく自分が責められる理由は全くもって理解できなかった。
「あんな言葉ばかり覚えが良いというのも問題だ」
「控えめなのは胸くらいだな、シマは」
「お前は少しは反省しろ」
朝から疲れ気味のウィガーとは正反対に、ユーイは涼しげな顔をしている。自分の言葉などで、彼が反省する事など有り得ない。
怒りに任せて走った為に、いつもより速く学校へついてしまった。学校は今や、家である宿屋よりも落ち着ける場所だ。ユーイが宿屋にいついてからもう3日。志真のストレスもたまりまくっている。
ラスカゥルは戻ってこないし、ユーイは志真の神経を逆なでするような事ばかりする。例えば、今朝のような!
「何あれ、スケベ親父か!セクハラで訴えてやる!」
多分無理だけど。志真は肩身の狭い異世界人だし、言葉も分からないし、訴え方だって分からない。不幸すぎる。
教室の片隅に座り、志真は顔を机の上に伏せた。
「あいつ、いつまでいるんだろ」
早く帰れば良いのに。このままでは、ストレスで胃に穴が開くかもしれない。っていうか、何故帰らないのだろう。家出か?もしかしたら家を追い出されたのかもしれない。性格悪そうだし。
隣に誰かが座る気配がした。続いて、とんとんと軽く机を叩く音がする。顔だけ上げて確認すると、思った通り目隠し姿のモクがいた。
「モク、おはよ」
応えるようにモクは頷く。モクは喋らない。いつもは筆談で話すのだが、ラスカゥルがいない為にそれもできない。目隠しをしていて表情も分からないが、志真を心配してくれているのだという事だけは、感じる事ができた。
「ちょっと家に嫌なヤツが来ててさ」
ぽつり、と口から毀れるのは日本語だ。だが、不思議な事にモクはそれを理解する。
「何言ってるのか分かんないけど、馬鹿にされてるのは何となく分かるし、人が仕事してるところに出てきて邪魔だし。言葉、分かんないのはやっぱり不安…これは、ま、私が悪いのかもしれないけど」
勉強をさぼっていたつけだ。モクやニトロが折角手伝ってくれていたのに。そう思い当たって、後ろめたい気持ちになる。
「……言葉、ちゃんと覚えようかな」
モクの口元に浮かんだ笑みに後押しされて、志真は決意を固めた。
「うん、ちゃんと覚えるよ。やっぱり自分で話したいし、皆が何を言っているのか知りたいし」
励ますように、モクは頷いた。
物静かで穏やかなモクの周りには、常に優しい空気が流れている。モクは不思議だ。首筋にある鱗だとか、目隠しだとか、一言も話さない事、そういう事がいつの間にか気にならなくなっていた。モクはモクだ。そう思える。
好きだなぁ
空気とか、雰囲気とか、優しいところとか。
「わ!」
「!」
「ひっ!?」
突然の大声に志真は飛び上がった。滅多に驚かないモクもびくりと体を揺らしている。そんな二人を見て上体を反らし大口を開けて大笑いしているのは、三つ目の青年ニトロだ。
「もー!なし!」
「なし、じゃなくてやめろ、だな。っていうか、モクが気付かないのも珍しいな。何やってたんだ、お前ら」
「………」
にやにやとニトロが二人の顔を見比べる。
「ニトロ、おはよう」
「…おう、おはよ。シマ、お前さ…早く言葉覚えような。つまらん」
何故か呆れたように溜息をつかれた。挨拶は間違っていなかった筈だ。多分。
ニトロは志真の正面に座った。4人が向かい合って座れる形の机と椅子。空いた残り一つの椅子に、緑色の女の子が座る。
「おはようですー」
眠たげに目をこすりながら、間延びした声で挨拶をしたかと思うと、こてりとその小さな頭を机に横たえた。長くうねる緑色の髪が、呼吸に合わせてゆっくりと波打つ。
「おはよう…おやすみ?」
アルジャラーは既に眠っているようで、小さな寝息が聞こえてきた。本当に良く眠る少女だ。
今やすっかり日常となった、いつもと変わらぬ平和な光景だ。三つ目だとか、肌の色だとか、もう奇妙に感じなくなってきている。
「お、今日はちゃんと勉強するのか」
ノートと絵本、それからもらい物の単語帳を取り出した志真を見て、ニトロが身を乗り出す。
「えらいぞ。分からないところがあったら遠慮なく聞けよ。…って、既にこれが分からないか」
一人でぶつぶつ言っているニトロは放っておいて、志真は絵本を開いた。
これはフィオーネが買って来てくれたものだ。何でも子供が文字を覚える為のものだとかで、色々なもの…例えば色や食べ物、道具何かが一つのページに可愛いイラストでいくつも描かれていて、その下に名前が書かれている。大変分かりやすいものだ。
志真は文字を読むこともできない。ニトロ達に読んでもらい、文字の下にカタカナで発音を書き込んだ。
一時期は真面目にやっていたのだが。
やっぱり続けてないと駄目のようだ。結構忘れている。志真は溜息をついてから、イラストに目を向けた。可愛い男の子と女の子の絵が書かれている。
「えっと、おとこ、おんな」
二度ほど繰り返して、何かが引っかかった。(ん…)志真は眉を顰める。今朝方の不快な出来事が蘇った。あの憎たらしい金髪の男は、あろう事が志真の胸を触ったのだ。信じられない。
確か、その時に。
『お前、本当に女か?』と。女…、女と言ったような気がする。お前というのは志真の事だろう。それで胸を触る…?
「!」
閃いたのは、今まで何度と無く経験してきた事だからだ。物心付いてからずっと、何度も何度も。近所のおばさん方を始め、先生やら友達の親達に。酷い時には先輩や同級生にまで。男と間違えられてきたという屈辱的な体験をしてきたのだ。
「あの野郎」
怒りのあまり声が低くなる。
「絶対許さん。絶対何かぎゃふんと言わせる!」
その時になって泣いて謝ったって遅いのだ。
とは言っても、志真にできる事など限られている。給仕をする時に、こっそり料理に何か入れる…、いや、流石に仕事中にそんな事をするのは不味いだろうし、何より料理を作っているミーチェ婦人に悪い。
同じ理由で、部屋に何か悪戯を仕掛けるのも却下だ。宿屋の評判が落ちたら、リアラさんやフィオーネに申し訳ない。
(って、できる事本当に無いし!)
難しい…物理的な仕返しは無理のようだ。となると、精神的な仕返し…。
それでも男?とかだろうか。いやユーイは確かに綺麗な顔立ちをしてはいるが、女には見えない。纏っている空気が雄雄しいせいだろうか。この若作り!とかは逆に威張られそうである。あれで30越えているとか有り得ない。スケベ親父!とか…そもそもそういう悪口を、鼻で笑って流しそうだ。
良い方法がちっとも浮かんでこない。
ここが異世界でなかったら、セクハラで訴えてやるのに!
「シマ、掃除終わった……?どうしたの、雑巾握り締めて」
廊下の隅で蹲っていた志真の只ならぬ様子に、フィオーネは慌てて駆け寄って来た。
「目が赤い、泣いていたの?大丈夫?」
「フィオーネ!」
己の無力さに打ちのめされていた志真は、優しく声をかけてくれるフィオーネに思わず抱きついた。言葉がちゃんと喋れるなら、彼女に相談する事も出来たのに。
「ど、どうしたの、本当に。何があったの!?」
「うう、ユーイが、ユーイが酷いんだよー!」
「ユーイ様?まさか、ユーイ様に何かされたの?」
心配そうなフィオーネの声に、志真はユーイに復讐する方法を閃いてしまった。




