episode46(ⅲ)
「お飾り王子サマは引っ込んでろ。片方と違って度胸ねぇんだからさァ」
悪意の塊を吐き出される、瞬間、若い男の短い呻きが鈍い音とともに響いた。彼の体は勢いよく横転し、本人も状況が飲み込めずにいる。
ほんの数秒で、シュリは相手の体勢を崩したのだ。
彼は両足を地面につけて下半身を浮かし、力の限り腰から捻ってみせたのである。
失敗して余計に刺激する可能性もあったが、相手も膝をついていた上、意識が逸れていたお陰で成功した。
彼は僅かに生まれた合間に、緩んだ拘束から抜け出す。肩や腕から出血していたが気にも留めず、素早く立ち上がって王子のもとへと駆けた。
自力で脱出した少年を前に、カエハは目を白黒させる。しかしそんな事も構わず、シュリは王子の持つ剣を取り上げて腰を落とした。
「無礼をお許しください。貴方は早く遠くへ」
カエハは、自分の一歩前で臨戦態勢となる少年を見つめ、瞠目した。
少しだけ覗く長い睫毛と瑠璃の瞳、そして自分とよく似た顔立ち。
脳裏を過るのは、一年前に姿を消した片割れの面影。
「お前、まさか――」
「いってぇなクソガキ! ぶっ殺してやるッ!」
掻き消すように怒鳴り声が響く。優男の顔に青筋が立ち、廊下には瞬く間に殺気が漂った。
動こうとしない後方の少年へ、シュリは今一度強く逃げるように言う。芯の通った声音に驚きつつも、カエハは走り去って行った。
窓に並ぶ景色はいつの間にか夕焼け空が広がっている。斜陽の差し込む足元に落ちる二つの影は、息を殺して成り行きを見守っていた。
先に仕掛けたのは蠍の男だった。
硬質な鋏を振り翳し、急速に接近。殴り掛かってくることは明白で、シュリは慌てることなく往なしてみせる。
隙を突いて胴に発砲。着弾するも人外は狼狽えることなく、再び殻に覆われた拳を振り出す。
後退し、相手の脇へと回り込む。正面では弾丸が皮膚を穿つことはない。人のままの左腕から攻めようと引き金に力を込める。だが反応され、次は尾で薙いできた。
毒針を避けると、またしても甲殻の鉄槌が飛び出してくる。危険と判断される個所が二つあるせいで、集中が分散されてしまう。少年が繰り出す攻めの手は外れた。
一旦距離を取って構え直すと、フットマンは不快に口角を吊り上げる。腹から血を垂れ流しているが動揺は見えなかった。
「ハッ、あんな名前だけの王子サマに恩でも売る算段か? 残念だがテメェはココでおっ死ぬだけだ、あのガキ王子もな」
その台詞は、シュリの中にある糸を引き千切るのにはあまりにも十分だった。
「……舐めるなよ、外道」
向けられた藍の双眸は酷く沈み。
瞬きをした半瞬後、人外の鼻先に筒先が突きつけられる。肉薄した彼は、相手に認識されるのと同時にトリガーを引く。弾丸は口の端を引き裂き、口から頬を抉る。血まみれの歯や歯茎が剥き出しになった。
顔に風穴を開けられるも、化け物は即死せずに持ち堪える。反撃で鋏を勢いよく振り下ろした。
しかし子は据わった目で見切り、カエハから取った剣で対抗する。利き手とは反対に持った刃が、一直線に相手の関節を目掛けて牙を剥いた。
振り上げられる鈍色。バキッという乾いた破壊音とともに、鋏が虚空を飛ぶ。
立て続けに今度は、こちらの様子を窺っていた毒針の尾に目をつけた。ひと思いに節の部分を叩き切ると、腕と同じように弾け飛んだ。
理解が追いつかないフットマンは、赫を伝わせながら面を引き攣らせる。何か言いかけて口を開いた。
が、彼には弁解の余地も与えず、喉へ焦点を絞る。
片手で狙うその眼光は、さながら捕食者の色を湛えていて。
一発の銃声が鳴り渡る。けたたましいほどの死の宣告は、軽々と一つの命を奪い去っていった。
静けさが戻る廊下。
若干の返り血が衣服を汚す。
左に握る剣を見下ろし、シュリは激しく上がった呼吸を整えた。
(やはり手に馴染む。少しは鈍ったと思っていたけれど)
掌から思い起こされる、いつかの悲劇の序章。
肉を断つよりも殻を割る方が手応えはあった。認めたくはないが、彼は心の何処かで愉しんでいた。久しい感覚に全身が喜ぶかのような。
そんな人倫に反する自分を刺したく思ったが、遠方から聴こえる足音に顔を上げる。
リグたちがやって来たのだ。
子は、不穏な胸の内をそっと閉じ込め、駆けつけてくれた同僚らに小さく微笑んで応える。
これで今回の依頼は終わりを告げたのだった。




