episode47
時計は23時を回る。
片付けや掃除も漏れなく業務内容に含まれており、夜勤の従者たちにも手伝ってもらいつつ、この時刻となってしまった。
一先ず王家――厳密に言えば王子個人――からの依頼を無事に遂行することができた。後日、正式に報酬を渡そうと約束され、今日のところは解散となる。
今回の仕事で払われた代償は、処刑人二人の命。
もとの被害の数に比べれば安いものだったろうが、それに見合う成果とは一概には言えない。
シュリは呆然とした目をして虚空を見つめた。先ほどの師がした報告を頭の中で再生する。
まず、書庫にいた蜘蛛の人外とフットマンを偽装していた蠍の人外は親子だということが推測された。人語の話せない母親の特性を、子どもが利用して従者を狩っていたらしい。
侵入経路は未だ不明だが、大方、先に息子が働きに来て、その後を追う形で母親がやって来たのだろう。
(先生曰く、彼は自分やフレイアさんと同年代だと仰っていたけれど……なんだか“生”に執着しているみたいに見えた)
第三者があれこれ思案したとて、当の本人は既にこの世にはいない。実情は定かでないのが惜しいところだ。
少年は、グレウとカツェルが先に帰るという言葉を聞いて、再び視線を前に戻した。
長時間の業務だったとはいえ、少女は相変わらず元気そうで、複雑そうな顔をする長とリグなど気づいてすらいない。
最後の最後に、リグが父親の背を引き留めようと手を伸ばしかけた。が、カツェルが親しげに彼と話しているのを見てやめてしまう。その横顔があまりにも悲痛で、ヒュウは無言で傍に立った。
ふと、シュリが自前のループタイを控え室に忘れたことを思い出す。
「すみません、今すぐ取りに行きます。お待ちいただいても」
「わかった、早く戻ってきなさい」
師の返事に大きく頷いて、彼はパタパタと走っていった。
*
眠る城内を慌てて引き返す。
シュリは執事長に声をかけて、控え室の鍵を開けてもらった。戸締まりは気にしなくてよいと言われ、彼の厚意に少年は頭を下げる。
探し物はすぐに見つかった。
師が一番最初にくれた、金と碧の留め具が煌めくループタイ。いくつもの現場を共にしてきたため、すっかり傷だらけになっている。
安心した顔をし、彼は首に掛けて締めた。普段の調子に戻る気がして息を吐く。
さて帰ろうと身を返し、部屋から出た。
「待て」
背後から呼び止められる。
薄明かりの灯る通路、離れた場所から影が近づく。
首筋に冷や汗が伝っていた。シュリは静かに振り返り、声の主を視界に捉える。
「カエハ様」
一体、どんな顔をすれば正解なのだろう。そう呑気に考えられる分には冷静でいた。
仄暗いせいでよく見えないが、王子の表情は手に取るように分かる。何故なら自分は、かつて片割れとして生きていたから。
「生きて、いたの。どうして、生きて」
震えているのは怒りからか、はたまた嬉しさからか。シュリには到底わからなかった。
沈黙で答える彼にカエハは歩み寄ろうとする。だがそれを、少年は拒んだ。
「いいえ。ハーレン様は亡くなられました、あの火事の夜に。貴方様もご存知でしょう」
揃いの瑠璃の瞳が見つめ合う。
冷たい返答を耳にして、小さな王子はすぐに彼の本心を察した。彼は二度とこちらには戻ってこないことも悟った。
カエハは足を止める。向かい合った瓜二つな美貌は、まるで鏡越しに見る自身のようだった。
最後に見た姿よりも健康そうな頬、本来の艶めきを取り戻した黒髪。背丈は弟の方が上だが、体格の良さではシュリが勝る。
たった一年で年相応の状態に回復していた兄に、片割れは言葉を探していた。
「……私を、恨んでいる? あの時、優しくできなかった幼い私を、憎んでいる?」
他者の前では高圧的な態度も、魂を分けた彼の前では弱々しくなる。元々の穏やかなカエハが垣間見えた気がして、シュリは目を細めて微笑した。
「分かりません、私はハーレン様ではありませんから」
静かに突きつける現実。そして決して覆ることのない“第一王子の死”を手向けた。
現王子の、サファイアの虹彩が涙で潤む。苦しげに片手を握りしめる様子が、少年の凪いだ瞳に映った。
たとえ今この時、自分はハーレンでなくとも泣いてほしくはなかった。家を捨て、過去を捨て、名すら捨てた自分が、そのように言うことは筋違いかもしれない。それでも同じ腹から生まれた事実は変わらないのだから、生意気に慰めてもいいだろう。
「しかし、もし私がハーレン様だったなら、こう申し上げると思います」
その口調は赦しを乞うのに似ていた。
「私のことは忘れて、貴方のまま生きてほしいと」
カエハはその場に崩れ落ち、シュリは返事も聞かずに踵を返す。
本心だった。兄に関する記憶を、何もかも抹消してほしかった。それが彼の足枷となるのなら必要ない。彼が一国の王子であることに違いはないのだから。
霜夜は更ける。
少年は一つ、鎖を砕くことができたのだった。




