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episode44(ⅰ)

 城内の清掃班であるリグとカツェルは、前情報にあった現場に足を向けていた。


 発見された場所は、普段は使われない二階の書庫。人気はなく、埃臭い書物が整然と並んでいるだけだった。部屋はかなり広く、天井や奥まで明かりが届かないほどである。

 背の高い書架が連なっていることもあって死角が多い。誰かが息を潜めていても気付くのは難しいだろう。


 小窓が二つある程度の閉鎖的な空間に、金髪の青年は手元のランプを点ける。あたたかな灯りが足元を明瞭にした、その時。

 照らされた木の床の上、紅い染みがいくつか残されていたのが見えた。


「くんくん。これ、人の血だよ」


 カツェルは躊躇いなくフローリングに両手をつき、鼻先を近づける。犬のように血痕の匂いを嗅ぎ、そのまま四つん這いになって彼女は進んだ。

 傍ら、リグも自身の鋭い嗅覚が反応している。覚えず狼の耳が出そうになって、反射的に頭を押さえた。


 カツェルの先導のもと、辿り着いたのは入り口とは対称の位置にある壁。

 一番近くにあったであろう本棚は真新しいものに変えられていた。しかし、上段にしか本はなく、中下段は何も収められていなかった。恐らく血が飛んだものは処分されてしまったのだろう。


 ふと、リグはぴくりと身を震わせる。肩に視線を向けると、半透明の細い線が揺れていた。

 蜘蛛の糸だ。

 これほど古い部屋ならばあって当然だが、通常目にするものとは遥かに糸が太い。本能的に危険に思った彼は、手に持つ掃除用具でそれを払った。


 咄嗟に少女へ声を掛ける。まだ血の匂いを嗅いでいる彼女は顔を上げようとした。


「ルーカス、一旦そこから離れ──」


 刹那、短くも甲高い悲鳴が上がる。

 同時に彼女の体が宙へ浮かんだ。否、天井に引っ張られているようだった。


 勢いよく飛んでいくカツェルの手を、青年は躊躇いなく掴む。だが凄まじい力で離されてしまい、引き止めることはできなかった。


 何が起こっているのか理解が追いつかないまま、彼は腰に隠していた軍刀を構える。

 視界は薄暗く見通しが悪かった。目印になるのは彼女の白いエプロンくらいで、どうしてこんな状況になったかすら分からない。書架も立ちはだかる壁にも感じて、こちらの動きを制限してくるようだ。


 左手に持つランプを掲げても全容ははっきりとしない。自然と喉の奥が、獣の如く唸りを上げた。


 彼女の背後に誰かがいる。影が人の姿を象っていることは確認できたが、詳細は見ることが叶わない。


 ふと、連れ去られた少女の抵抗がなくなった。

 ジタバタと暴れていた四肢が冷静さを取り戻し、ゆっくりと唇が開く。


「まずは誘わなくちゃ、誰も遊んでくれないよ」


 平生の幼稚な声音からは想像もつかないほどの低い威嚇。

 かと思えば、彼女は体を反転させ、大きく足を振り上げた。ぶちっという切断される音が静寂の書庫に響き渡る。

 天井から落下したカツェルは、難なく体勢を整え着地。怪我もないようで、彼女は笑いながらわざとらしい悲鳴を上げ、リグの隣へと駆け寄った。


「きゃーっクモの人外さんだ! こわぁい!」


 楽しそうな面とは裏腹に、彼女も戦闘態勢に入る。据わった目つきは狩人のそれだった。


 二人は殺意の鋒を向けるが、当の相手は姿を影に隠したまま。代わりに何処からか、半透明の糸をこちらに飛ばしてくる。

 糸を剣で捌いても纏わりついて不快だ。これではむしろ逆効果だと判断された。


(蜘蛛であることには間違いないが、足が速い)


 本と本の僅かな隙間から放たれる攻撃を躱すので精一杯だ。頭上、真横、足元と、容赦なく捕らえようと牙を剥く。

 現場は多量の糸が埋め尽くした。そろそろ逃げ場がない。

 リグはカツェルの片手を引いて出口へと駆け出す。戦うには狭すぎる場所である、一度撤退するらしい。


 転げ出るように書庫から脱出し、青年が急いでドアを閉める。静かな廊下に二人の上がった呼吸音だけが聴こえた。


「ふい〜危なかったぁ。リグさん大丈夫?」

「おれは問題ないが……あなた、その首は」


 彼は少女の項を指さす。

 彼女は不思議そうな表情をしながらそこに手を当てた。ぐぢゅ、と熟れた果実に触れた感覚がする。

 気色の悪い触り心地に思わず声を上げた。ぎょっとした顔をしてカツェルは伸ばした手を引っ込める。指先に付着していたのは赫と、どす黒く変色した皮膚だった。


 痛みはないかと尋ねるも、彼女は痛覚異常者であるため分からないと返される。しかし見るからに無事ではなさそうだ。


 なんとなく頭がぼうっとする、と言えば、リグは眉を顰めて困惑した。そして考える間もなく少女を横抱きにして立ち上がる。


「うぇっ!? ちょっとリグさん、カツェル自分で歩けるよ!?」

「そんなこと言っている場合じゃないだろうっ 大事に至ったらどうするんだっ」


 焦りを滲ませた口調で言い、彼は急いで階下へ向かって行ったのだった。

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