episode36(ⅲ)
振り返るとそこには、壁とも見間違うほどの長身の男が立っていた。
「グレウっ えっと、この方は貴方の?」
「そうだと言えば、この者を許してくれるか」
「許すも何も、話が通じなくて」
困惑する表情を浮かべる子を前にして、グレウは声を上げて笑った。何が可笑しいのかと首を傾げていると、隣の少女が嬉しそうな顔をして声をあげた。
「ねぇねぇおじ様、今日も頑張ったよっ」
「あぁ、そうだな。しかし人の話はよく聞くものだぞ」
彼から注意され、茶髪の処刑人は思い切り眉を八の字にする。
一方、シュリは彼女がこの偉丈夫を「おじ様」と呼んだことに違和を覚えていた。
髪色や目の色が違うということから、血縁関係ではないのは予測はつく。だが親しげな様子はさながら幼い娘と父親だ。
訝しげに二人の狩人を眺めるシュリに、グレウは自己紹介するように促す。
「初めまして、第零駐屯地所属 特異事態対応処刑人のカツェル・ルーカスです」
初対面の時よりかは丁寧な口調で挨拶する。ぱっと咲かせる笑顔に裏はなく、純粋さを体現しているような少女だった。
面食らいつつ少年も名乗り、処刑人であることを説明しようとする。真面目な彼に対して、カツェルはその必要はないと塞いだ。
身勝手さに表情が軋みかけるも、何とか抑えてシュリは訳を問う。彼女は気にせず平然と答えた。
「だっておじ様が信用してるんだもん、それ以上の理由はないよ。あと、同じお仕事するなら敬語はいらないからねっ」
飾らない性格と言うべきか、彼女が持つ天真爛漫さは相手に怒りすら抱かせない。一周回って呆れを感じてしまう。
シュリは遠慮なく敬語を捨て、グレウへ二人の関係を尋ねた。彼はカツェルを一瞥すると口を開く。
拾い子だと。
正確に言うならば、ヴィンリル王国の最北に位置する無法地帯・デルバ雪原で見つけたのだと。
「一ヶ月前の遠征で立ち寄った荒屋に独りで居たところを連れてきた」
「雪原に独りで? よく生きていたね」
少年の言葉に、男は微かに表情を固めた。
デルバ雪原は標高も高く、寒冷地に生息する人外や野生動物らが跋扈している領域である。人の食料などない場所だ。
ただでさえ死と隣り合わせの環境に、たった一人で生きていたなど奇跡に等しい。
彼は、あまり大声では言えないがと断って言う。
「彼女は、訪れた人間を食料にしていたらしい」
氷が途端に張る。彼の言っていることが上手く咀嚼できなかった。
あの雪原は隣国との境目にあるため、移民や旅人が縦断することも少なくない。まさかそのような者たちを殺し、食べていたのか。
シュリは恐ろしく思って、向かいに立つ少女を見上げる。こちらの会話を理解できていないのか、円な瞳を瞬かせるばかりだった。
グレウは彼女を悪いように思うなと言う。生きるためには仕方のなかったことだとも付け加えた。
「そう、だけど。そんな人を街に連れてきていいの」
「俺も危惧はしている。だからこそ特異事態のみ武器を握らせるよう許可した」
「カツェル、い〜っぱい人外さん倒すよ!」
酷く幼稚な話し方、構わずグレウに抱きつくという行動。人との関わりもあまりなかったからなのだろう。
子にはあまりにも気味悪く感じ、嘘でも笑顔にはなれなかった。
空気が一段落すると、処刑人の長が辺りに視線を遣った。
視線の先。
倒壊した家屋にまで血液を飛ばし眠る死体と、首が千切れかけた死体、頭を縦に切り裂かれた死体。順に眼光を据えられる。
「同時に暴徒化するのは初めてだが、君もか? 少年」
向けられた深緑の双眸に首肯で返す。シュリは真っ直ぐに見つめ返して、やはり違和があると言った。
十数年前までは、半年に一度という少ない頻度だったというのに、ここ三年ほどで毎月のように発症者が現れている。
そうは言えど、処刑人による通常の人外の駆除数から見ると、全体の数は減少傾向であった。
そして何より、最も警戒せねばならない事態――過去に確認されていない形態の出現だ。
理性を持ったまま食欲発作を起こすケース、前兆なく異形へ急変するケース、今回のように同じ場所で複数体が発症するケース。
グレウには黙っているが、シンセ森からは人外がいなくなっている現象も発生している。
あからさまな非常事態。近くで警鐘を鳴らされているのは分かるのだが、原因が何なのかは推測しがたい。
(フレイアさんが? いや彼女がそんなことできるはず)
不可解で面を顰めるシュリへ、少女も不安げな面持ちで言う。
「同胞さんも暗殺されちゃったりしたけど、犯人さんは同じなのかな」
ふと思い出す、あの蝶の言葉。
『私を殺したって、復讐を願っている者は大勢いるわ。アナタたちでは到底太刀打ちできないほど』
彼女の他にも、人間への憎悪を抱える人外は存在する。皆が皆、師のような平和な世界を望んでいるのではない。
彼女の台詞を辿ると、向こうは手を組んでいる様子はなかった。各々が自身の報復のために動いているのだろう。
では今回の件は、偶発的に起こったものなのか。
「もうわかんないっ 要するにカツェルたちが強くなれば何も心配なしってことでしょ? じゃあシュリくん、駐屯地に来てよ。手合わせしたいっ」
少女の無邪気な思いつきが、藪から棒に現れる。予想だにしていなかった提案に狼狽え、少年は身を引いた。
断りたいところだが、乗り気でないのが彼女に伝わったらしい。バイオレットの瞳をわざとらしく細め、カツェルは挑発してみせる。
「負けるの怖いんだ? まぁさっきだってカツェルが倒しちゃったもんね」
「聞き捨てならない、受けて立とう」
初めて接するタイプの人間だったからか、シュリの調子は見事に狂ってしまっていたのだった。




