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金の夢幻、銀の彼方  作者: 谷兼天慈
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第1話「現代」

「虹……?」

 遙の目には日本海の荒波が見えていた。

「ここは…どこ?」

 彼女は見回して見たが、自分が今どこにいるのかどうしてもわからなかった。

 あたりが妙に薄暗く、でも顔を正面に向けると見慣れた浜辺が見える。

 ならばここは知らない場所ではない。

「あれは虹?」

 彼女はもう一度それを見つめた。

 雲間から陽の光が何本も何本も射し込み、光のベールを作りだしている。

 雨でも降っていたのか、空気が湿っているのがわかる。

 黄金色の虹であった。

 それは従来の七色の虹とは違っていた。

 そう、金色だったのだ。永遠に女性の心をとらえて放さないその輝き。

「やあ、綺麗な虹だね」

 その時、夫の鷹男がどこからともなく現れた。

 彼女はぼんやり頷いている。

「何年ぶりだろう、こんなに鮮やかに七色になった虹を見るのは」

「え……?」

 彼女は彼の言葉に驚いた。

「どうした、驚いた顔をして。何か変なこと言ったか、俺」

「鷹男にはあれが七色に見えるの?」

「あれ? ああ、虹のことか。虹っていやあ七色って相場が決まってるじゃん」

 彼女はもう一度虹を見た。

 やはり虹は金色をしている。

「!」

 彼女はさらにびっくりした。

 黄金色は、すでに耐えがたいほどの煌めきになっていた。

 空はまるで金粉をまいたかのようになっていた。そしてその輝く空間のなか、辺りに負けないくらい黄金に輝く人が浮かんでいたのだ。

 その人は人間の姿をしていて、どうやら男性のようである。

 それはもうウットリするような、この世の人間とは思えないほど美しい青年だった。

 どんな美女でも負けてしまいそうな、その美貌───

 膝まで伸びた真っ直ぐな髪はサラサラとした絹のようである。

 整った鼻梁、わずかにキリリとつり上がった切れ長の目、そして閉じられた薄い唇。

 何もかもが溜め息をつかないではいられないほどだった。

 彼は一見柔和そうな感じである。

 だが、冷たさがその金色の瞳に如実に現れていた。どうやら姿どおりの人物ではないらしい。

「金色だわ……」

 そう。彼女の言う通り、その青年は何もかもが黄金色だった。

 髪も目も肌の色さえも見事なまでの金色!

 この世のものであろうはずがなかった。

 瞳さえも異常なのに、あろうことか肌の色までも金色なのだ。

「ひっ…」

 その美青年は何事が語りかけながら、彼女のほうに両手を差し伸べてきた。

 こちらに近づいてこようとしている。

「やめて、こっちに来ないで…」

 彼女は頭を左右に振りながらジリジリと後ずさりをしはじめた。

 それとは逆に、金色の青年はどんどん彼女に近づいてくる。

 そして彼の伸ばされた手が彼女に触れようとしたその時───


「いや───っ!」

 ガバッと布団を払いのけ、彼女は寝床から起き上がった。

 寝汗で額はぐっしょりと濡れて、はあはあと肩で息をしている。

 しばらくそうしているとようやく落ち着いてきたようだ。

 彼女は手の甲で額をぬぐった。

 閉じられた青色のカーテンの隙間から朝日が射し込んできている。

 彼女はその窓の傍に置いてある観葉植物をぼんやりと眺めていた。

「夢か…だけどなぜ今ごろ……」

 彼女は、隣でまだ寝息を立てている夫を見やる。

 それから、彼らの間でスヤスヤ寝ている男の子にも視線を移した。遙と鷹男の愛の結晶である一人息子の翔太である。

「金の王子様の夢なんて、ここ何年と見なかったのに……」

 彼女は手で顔をおおった。

「おかあしゃん、おはよ」

 見ると、さっきまでスヤスヤ寝ていたはずの翔太が、顔だけ持ち上げてニコニコしている。目がまんまるで大きく、男の子なのに睫毛が長くてクルンクルンしている。

「おはよ、翔ちゃん」

 彼女は頭を軽く振ると布団から這い出た。

 そして彼女はそっと溜め息をつく。

 また忙しい一日が始まろうとしていた。



 彼女は春日野遙といい、二十五歳になる主婦である。街のデパートに、二十歳の頃からパートに出ている。

 その日も午後5時、仕事を終えて遙は職員出口から外へ出た。

 そこに一人の男が彼女を待っていた。

 歳は三十代前半、見ようによっては二十代にも見える。

 その彼は背が高く、線のほっそりとしたなかなか美しい男だった。

 切れ長で冷たい感じの翠の瞳、きちんと切りそろえられた短めの頭髪は光の加減でか、金髪のように輝いてみえるほど薄い茶色だ。

 その男が遙に近づいてきた。

 それに気付いた彼女が、驚いたような表情で呟いた。

「道彦おじさま……」

「帰りの時間だと思って迎えに来た。どうだ、ちょっと付き合わないか」

「…………」

 遙は何も言わない。

 しかし彼女は、ひとつ溜め息をつくと言った。

「おごってくれるんでしょうね」

 その言葉に彼は、その冷やかな瞳をスッと細めると微笑んだ。

 さも愛しいと言わんばかりのその温顔は、まるで恋人を見つめているようだ。

 皇道彦、三十五歳。遙の母親の十違いの弟である。

 兄弟五人のなかで誰とも全く似ていない彼は、小さい頃からどこか人と違った所があった。

 頭は悪いわけではないのだが、いつも投げやりで気だるい感じを漂わせ、必要以上に何かに熱中するという事がまるでなかった。幼くしてすでに人生の終焉を迎えようとしている老人のようであったのだ。

 その彼が十歳の時、彼の姉に遙が生まれるやいなや人が変わってしまったのだ。

 道彦の遙に対する愛情は、とにかく相当なものであった。彼女が生まれ落ちてから片時も傍を離れようとしないほどだったのだ。

 まだ彼が子供時代だけなら微笑ましいですまされたのだが、さすがに中学高校となるにつれて周りが危惧するようになってきた。

 彼が高校に入るころ、姉の夫である遙の父親が優しく、しかし毅然とさとした。

 遙をとても愛してくれるのは嬉しいことだが、人としての倫理を外れてはいけない。あくまでも彼女の血のつながった叔父として振る舞ってくれるようにと。

 道彦はそんな義兄の言葉に反省をし、これから遙の叔父として恥ずかしくない態度を取ると誓った。

 とはいえ彼の遙に対する気持ちが無くなるわけでもなく、ただ自分のどうしようもない気持ちを胸にしまい込む決心をしただけではあるようだ。

 そんな道彦は横を歩く遙をチラリと眇めて見つめていた。その瞳の奥に熱い炎を秘めながら───

 そして二人は近間の洒落た喫茶店に入っていった。

 道彦はシナモンティーを、遙はモンブランケーキとミルクティーのセットを頼み、しばらく二人の間に静かに時が流れる。

 遙はそっと自分の叔父を盗み見た。だが自分を見つめる視線とかち合ってしまった。

 慌てて目を伏せる遙。

 彼女はこの美しい叔父が昔から苦手だった。

 子供のころから可愛がってくれ、昔はハンサムな叔父として友達からも羨ましがられて得意になった時代もあった。

 だが、いつも叔父の自分に向ける眼差しを居心地悪く思っていた。

 彼女が勤めに出始めた頃から、その眼差しが以前にも増して怖くなってきたのである。

 どうしてこの人はまるで恋人を見るような目で自分を見つめるのだろうか。

 そう思いながら彼女は、息をつめて白いテーブルを見つめた。

 まるで映画のスクリーンから抜け出たような道彦ではある。だが実の叔父なので、およそ恋愛の対象として彼女には見る気にはなれなかったのである。

 遙としては本当のところ二人きりになりたくはなかったのだ。

 ほどなくして注文の紅茶が来た。

 道彦は気だるくシナモンスティックで紅茶をかき混ぜている。

 そんな時、周りのテーブルから溜め息のような声がもれた。

 隣のテーブルに座っていたOL風の女性など、苺のショートケーキをフォークで口元まで持っていったまま道彦に釘付けになってしまっている。

 だがすぐに自分の間の抜けた姿に気付いたのか、慌ててフォークを口に突っ込み紅茶を呑み込んだ。そのせいで可哀想にむせ返っている。

 遙はそんな彼女を横目でチラリと一瞥してから再び道彦に視線を戻した。

 彼は丁度カップを口に持っていくところだった。またその仕種が憎らしいほど優雅である。

 全く、本当に彼は自分の叔父なのだろうかと疑いたくなる。

 遙は半分怒ったようにグサリとモンブランにフォークを突き刺した。大きな口を開けてパクリと食べる。

 道彦はおやっと首を傾げるとカップを置いた。

「どうしたんだい、遙。何か気に入らないことでも?」

「いいえ、いいえ、おじさま」

 遙はブンブンと首を振った。

 彼女は道彦を心配させまいとして、ニッコリ笑ってみせた。

 と同時に、どうしてこんなに気を使わなくてはならないのだろうと、彼女は少々憎らしくなってくる。

 さきほどから人々の視線も痛くなりだしてきていた。この二人はどんな関係なのだろうという詮索の目である。

「おじさま、もう帰りません?」

 道彦は再び口に運びかけていたティーカップを緩やかに下に置くと、ジッと遙を見つめた。

 彼女はドギマギして、またしてもうつむいてしまった。

 彼女は道彦のこの目に弱かったのである。そして、今は特にうとましく感じていた。

「遙、今幸せかい?」

 彼女は何のことかわからないでいた。が、すぐにハッと気付いた。

 道彦は最後の最後まで遙と鷹男との結婚に大反対した人間だったのだ。

 興信所まで使って鷹男を調べて、こんなことあんなことと遙の前に並べ立て、なんとか諦めさせようとまでした。遙の父に説得されて、しぶしぶ認めたというそんな経緯があったのである。

 彼女は胸を張って、当然という態度で言い切った。

「当たり前じゃないの。何を心配してらっしゃるの、おじさま」

 彼は遙の言葉に沈んだ面持ちで、ひとつ吐息をもらした。

 その愁いを帯びた表情は、見ている者まで心が痛くなりそうだった。

「あいつが君にとっての運命の人だというのか。金の王子様だと?」

「えっ?」

 遙はハッとして道彦の顔を見つめた。

「夢に見る金の王子様がいつか迎えに来ると君は言っていた」

「おじさま、おじさま。子供のころに見たたわいない夢よ。現実にはあんな人いやしないわ。鷹男さんは私にとっての金の王子様のようなもの。それはおじさまにだってわかってもらったと思っていたけど……」

 道彦はそう言う彼女にイライラしたのか、声を荒らげた。

「あんな奴、君には全く不釣り合いだ。私は今でも絶対反対だね。君は運命の人がわからないでいるんだ」

 普段、物静かでおよそ感情に走るということのない道彦だったので、そんな彼の態度に遙は恐ろしくなってきた。

 彼女を見つめる炎のように激しい目は全く普通ではない。どこか狂気染みている。それが皮肉にも美しいゆえに、あまりに似合いすぎている感がある。

 遙は怖いと思うと同時に、道彦に見惚れずにいられなかった。

 しかし彼女はなんとか正気を保った。

「わかってないのはおじさまよ。私の運命の相手は鷹男さんなの。おじさまがどんなに反対しようとどうにもならないわ。どうか目を覚ましてちょうだい」

 遙は切に訴えた。

 きっとわかってくれる。自分を好きでいてくれるなら必ず───

 彼女はそう心で叫びながら、道彦の凄艶な顔立ちを見つめた。そう言うにふさわしいほどの形相だった。

 彼の身体から、ただならぬ妖気が、まるでオーラのように漂いはじめていたのだ。

「おじさま!」

 道彦は遙の呼ぶ声にハッとした。

 そして頭を振ると、ティーカップに残っていた紅茶を飲み干した。

 すでにいつもの道彦に戻っている。

 するとさっきまで全然耳に入ってこなかった周囲の騒音が、途端に遙の耳に飛び込んできた。

 楽しそうにお喋りする女学生たち。

 一人雑誌などに目を通しながら、何を怒っているかカップをガシャンと音を立てて置くサラリーマン風の青年。

 意味ありげにこちらを見ながら忍び笑いするおばさんたち。

 遙の耳はワンワンとうるさいほど鳴っていた。

 ああ、頭が痛くなりそう。

 さっきまでの静けさは何だったのだろう。

 雑音はしていただろうに、それに全く気づかなかったなんて───

 遙は頭を抱えたくなるのをじっと我慢した。

「………!」

「えっ?」

 遙は問い返した。

 道彦が何か言ったようだった。

 何だかとても懐かしい響きだった。と同時に不思議と胸の高鳴りを感じる。

「はるか…遙!」

 彼女はボーっとしていた。

 道彦の声でハッと我に返る。

 どこかに心が翔んでしまっていたみたいだと彼女は感じた。

 まだ、先程の懐かしい余韻に包まれている。何とも言えない、神韻とも呼ぶにふさわしい幸福感だった。

「おじさま?」

「どうした、心ここにあらずといった感じだぞ」

 遙は陶酔状態から抜けきっていなかった。

 これはあまりにも尋常の事ではない。恐らく道彦が発した言葉が引き金になっているのだろう。

 しかし、どう見ても普通ではない彼女なのに、道彦はそのまま言葉を続けた。

「遙、よく聞いてくれ。私は今までずっと我慢してきたが、もう限界だ。君はいつまでたっても私の想いに気づいてくれない。もう時間がないんだ……」

 彼は思いつめたような声をしている。

「思い出してくれ。私たちのことを。私が君を愛していることを……」

「愛して、いる…あい、愛ですって?」

 ようやく遙はハッキリと意識を取り戻し、凄い勢いで椅子をけって立ち上がった。

 周りの人々が呆気に取られてそんな遙を見つめている。

 それとは対照的に、道彦の方はといえば泰然自若としてその場に座っていた。

「あなたは私の叔父よ。それ以上変なこと言わないで。私、おじさまを嫌いになりたくないの。もとの優しいおじさまに戻って。そうでなければもう会わないわ」

 彼女はそう言い捨てると、その場を飛び出していった。

「……時間がないんだ……」

 一人残された道彦は誰に言うともなく呟いていた。

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