5.アルマズの茶目っ気
まず一番に確認したのは、アルマズの家の大きさだった。家の中を勝手にウロウロするのは非常識だろう。何せ、他人の家だ。居候が、プライベート空間を侵すわけにはいかない。
私だって、それぐらいの常識は持ち合わせている。ならば、外から確認する分には問題ないだろう。
ただ、外を散歩しているだけだ。これを咎める一般常識は無かった、と記憶している。
アルマズの家は、正面から見れば、ありきたりのログハウスだが、奥行きが尋常じゃない長さだ。普通のログハウスの四軒分くらいはあるだろうか。その内の手前の半分しか、私は行き来していないことになる。奥には、カタラの私室やアルマズの魔法の研究室や私室があるのだろう。
これは勝手に奥に行かない方が良いな。魔法使いの研究室に勝手に入る事は、死を意味する。
ウォンがアルマズを恐れる位だ。私が刃向える可能性は低いだろう。
家の奥まで来るとドラゴン岩とログハウスが接しているというか、岩に埋もれている様に見える。もしかすると岩の中をくり抜き、家が続いているのかもしれない。
よし、絶対に家の奥に行くは止めておこう。無駄に危険へ近づく必要は無い。
ドラゴン岩をここから見上げると完全にログハウスを覆っている。ウォンの言う通り、オーバーハングがキツイ。ここから素手で登るのは、シーフや暗殺者の上級者でもないと難しいだろう。
ならば、ウォンが登った裏側を見てみようか。
ドラゴン岩を左手に見ながら奥へと回る。裏側から見てもドラゴンの様だ。太く立派な尻尾の様な岩までご丁寧にある。
この緩やかな傾斜の尻尾から登り、急峻となる背中、そしてほぼ垂直となる首を過ぎ、頭頂部に至るルートが見て取れる。
これを往復三時間でウォンは登ったのか。やはり、筋肉馬鹿だな。私では首の付け根に取り付くのが精一杯だろう。その先のほぼ垂直の首を登攀することは無理だな。頭頂部に用があるのならば、飛行魔法や瞬間移動の魔法で簡単に行けるので登るつもりは無い。持久力の筋肉より俊敏性の筋肉が私には必要だと常々考えている。この修行は、私には無縁だろう。
だから、アルマズは、私に岩登りの課題を課さなかったのだろう。
さて、ついでだ。ドラゴン岩の頭頂部に上がってみようか。全景を見渡すのも一興だろう。
『自由飛行』
自分自身へ自由に空中を飛び回れる魔法をかける。飛行時間は、己の魔力が続く限りだ。
初級の魔法使いでは、飛ぶ前に魔力が底を尽き、地表から離れる事も出来ない。魔法自体はシンプルで単純な魔法だが、魔力を馬鹿食いする処が上級者向けの魔法だ。
魔力量は人並み以上にあるが、結構、精神的に疲れるので余りこの魔法は好きじゃない。しかし、ドラゴン岩を登る事と比べれば、飛行魔法一択しかない。
足が地表から離れ、一気に頭頂部を目指す。ほんの数秒で到着だ。岩には着地せず、浮遊したままにする。一度着地すると魔法が解除され、もう一度呪文を唱え直す必要がある。
再詠唱は面倒なので、魔力を消費するが、滞空したままでいよう。
周囲を見渡すと平野に大きい奇岩と大木が斑模様に広がっている。川や湖の類は見えない。どうやら、この辺りは同じ景色ばかりの様だ。奇岩が好きな者には、散歩していても飽きないだろうが、私にはその様な趣味は無い。
気になるのが、一か所だけ何も無い真っ黒な荒野がすぐ近くに見える。とりあえず空中からその荒野へ近づいて行く。上から見ると真円を三分の一に切った形に近い。半径二百メートルはあるだろうか。所々、光を反射する輝きがあり、黒い地表の荒野にアクセントを加えている。
荒野に近づき着地する。空から地表が黒く見えたのは、土が真っ黒に焼けているからだった。ところどころ土が溶け、ガラスの様になっているところがある。どうやら、このガラスの部分が太陽に反射していたようだ。土が溶けるとは相当の高温だったはずだ。普段使用している火炎爆裂の魔法では、土を溶かすことはできない。せいぜい、土の表面を黒く焦がすのが関の山だ。
そして、黒い荒野を見渡す限り奇岩が無い。多少、荒野の表面は凸凹しているが、ほぼ平面と言って差し支えない。そこら中にある奇岩が荒野に全く無いという事は、破壊では無く、溶かされたという事だろうか。それとも遠くへでも吹き飛ばしたのだろうか。
果てさて、一体どんな火力でこの光景を造り出したのだ。この風景を造り出した人物となると、考えられるのはアルマズだろう。つまり、ここはアルマズの魔法実験場、射爆場か。
射爆場の状況を考えても、魔法使いとして超一流の様だ。三馬鹿の一人のナルディアなど比較対象にもならない。
私も十メートル四方ならば、氷結吹雪にて同じ様に奇岩を消し去る事はできる。だが、この規模は度が過ぎている。一体どんな魔法を使ったのか、それとどれだけの魔力を備えているのか気になるところだ。
やはり、アルマズの正体を探る事は止めた方がいいと確信した。預けた魔導書の魔法だけを教えてもらい、早々に立ち去った方が良さそうだ。
ウォンやカタラが長居をしたいと言えば、置いて行こう。冷たいかもしれないが、自分の身を守る為だ。娘のカタラに危害が及ぶ心配は無い。ウォンならば自力で何とかするだろう。
やれやれ、アルマズという自称、展開の賢者とやらは、本当の賢者らしい。何を展開するのかは分からないが気を緩めず接するしかないか。
そろそろ、家に戻ろうか。親子喧嘩も終わっているだろう。
そう考え、踵を返した。
全く気配を感じなかった。
有り得ない。私は、射爆場に驚愕はしていたが、油断せず常に周囲の気配を読んでいた。それに精霊達の話にも耳を傾けていた。
「恥ずかしい物を嬢ちゃんに見られてしもうたのう」
ログハウスに戻ろうと振り返えれば、目の前にアルマズが立っていた。
完全にロングソードの間合いまで詰められている。アルマズが得物を持っている様には見えないが、私は斬り殺されていてもおかしくない状況だったのか。
一体何時から私の背後に居たのだろう。
「どうしたかいのう。そんなに警戒せんでええのう」
無意識のうちに護身用のダガーに手を当てていた。額から驚愕による脂汗が噴き出す。
「嬢ちゃん、早い到着じゃのう。まだ、準備が出来ておらんと言うたのに、もう勉強場所に来たんかいのう。まぁ、散歩でもしていれば、嫌でも射爆場に目が行くかいのう」
アルマズは、無警戒にのほほんと話すが、その装備を見ると気を緩めることが出来ない。
アルマズの普段の装備は、レザーアーマーにスタッフだ。しかし、今は冒険服にダガー、ショートソード、ロングソードの剣類多数とショートスピア、ロングスピアなどのポールウェポンも多数背負っている。
かなりの重量のはずだが、アルマズは涼しい顔で立っている。これだけの武器を背負えば、素早い動きは、本来は期待できないはずだが、これだけの武器を背負って無音で私の背後を取った技量を忘れてはいけない。
幾ら表情が、のほほんとしていようが、笑顔で人を殺す奴なぞ、幾らでもスラムに転がっている。
間合いを取る為に少しずつ離れるが、アルマズはこちらの動きに興味は無く、荷物を降ろし始める。
背を見せることなく慎重に十メートル程離れた頃には、アルマズも荷物を降ろし終えた様だ。
アルマズの周囲に剣や槍が無造作に突き立てられる。その数、五十本以上はあるだろうか。
「ふう。年寄りには重労働は疲れるのう。しもた。もう一人、力自慢の生徒がおったのう。奴に任せれば良かったかいのう。年は取りたくないもんじゃ。何じゃ、まだ警戒しておるのか。安心せい。お嬢ちゃんを押し倒すならば、背後を取った瞬間に押し倒しておる。さすがにこの年になると、いくらお嬢ちゃんが可愛くとも、役に立たぬのじゃ。ワシ、悲しい…」
アルマズが大袈裟に泣くふりをする。
だが、アルマズの言う通りだ。危害を加えるのであれば、声を掛ける必要は無い。殺すならば、背後からサクッと一突き、押し倒すならば魔法で麻痺させれば、私を自由に蹂躙できる。
どうやら、数十年ぶりに背後を取られ、動揺をしていた様だ。普段の私ならば、アルマズに指摘されるまでも無く、警戒の必要が無い事を理解したはずだ。
全身から警戒心を解く。魔法使いの実験場に勝手に入ったのだ、頭を下げておくべきだろう。
「申し訳ありません。散歩をしていましたら射爆場に出てしまいました。魔法の秘儀を探るなどの気持ちは一切ありません」
「よいよい。準備が出来たら、ここに呼ぶつもりじゃったからのう。これで道案内は不要じゃな。準備が出来たらこの射爆場にて授業をするからのう」
「わかりました。念の為ですが、散歩してはならない地域はありますか」
一応確認しておこう。アルマズの強さをこれ以上知りたくないし、追いつけるものじゃなそうだ。危うきには近づかずに限る。
「ほほほ。お嬢ちゃんは、聡明じゃのう。立入禁止区域は、そうじゃのう、家の廊下の奥の扉位かいのう。あの扉だけは開けない方が、お互いの為かいのう」
つまり、ログハウスとドラゴン岩は扉を通じて繋がっているということになる。あ~、また要らぬ情報を寄越しやがった。絶対にわざとだ。私を困らせて喜んでいるに違いない。
その証拠にアルマズの口許が弛んでいる。私が扉を開けるかどうか楽しんでいる。
扉は絶対に開けない。触らない。近づかない。心に固く誓う。
「わかりました。家の中は、奥には参りませんのでご安心下さい」
内心はドキドキしているが、すまし顔で返事をする。
「そうか、我が家の様に寛いでくれて良いのじゃぞ」
「では、居間ではその様にさせて頂きます。では、準備の邪魔になるでしょうから、この辺りで失礼を致します」
「では、授業を楽しみにのう」
軽く会釈をし、ログハウスの方向に歩みを進める。奇岩の陰に入り視界から隠れたことを確認しため息を一つ付く。
今頃、背中から冷や汗が流れ始める。かなり緊張していた様だ。
ウォンが緊張する理由が、今頃になって分かった。ウォンのアルマズへの苦手意識は、絶対強者に対するものだったのだ。ウォンは、戦士の勘というより本能でアルマズが絶対強者であると気がついたのであろう。
ブラッド・フィースト団の六人総がかりでも勝てないと思う。まさしく絶対強者。この世界でアルマズに勝てる者、いやパーティーはいるのだろうか。いや、いないだろう。
世の中には、まだあんなに強い人間がいたのか。それもカタラの父親という身近な存在に。
全く、この世界は、広いのか、狭いのか、良く分からない。
そして、私の四百年の経験もウォンの本能には勝てないのか…