4.親子喧嘩
日の出と共に目が覚めた。
昨日の晩に通された客室は、ベッドとサイドテーブルとコート掛けがある小さな部屋だった。一人一室の個室だ。ウォンとの雑魚寝も覚悟していたが、肩透かしを受けた。
このログハウスは、部屋数がどれだけあるのだろうか。相当に大きい様だ。外から見た時は、居間と台所と居室の三つ位の建物に見えたが、まだまだ奥に部屋があるようだ。
しばらく、ここにお世話になるのだ。全体をそのうち知る事も出来るだろうが、人様の家を勝手にうろつく不作法も出来る訳がない。
冒険服にダガーをぶら下げ、廊下に出る。廊下にはパンを焼く良い薫りが満ちている。
すでにカタラが起きて朝食の準備を始めているのだろうか。
居間に隣接する台所に行くとカタラが朝食の準備をしていた。
「おはよう、カタラ。朝早いね」
カタラは、白のスカーフを被り、白いワンピースを着ていた。そう言えば、カタラのスカート姿は、初めて見るのではないだろうか。清潔感に溢れ、白い服が一層カタラの肌を白く見せ、妖艶な色気を感じさせる。美人は何を着ても似合うな。
「ミューレ、おはようございます。良く眠れましたか。今、朝食を準備していますから居間で待っていて下さい。そう時間はかかりません」
「わかった。よろしく~」
居間に行くとアルマズが既に昨日と同じ椅子に座り、写本を読んでいた。どうやら、その場所がアルマズの定位置の様だ。ならば、私も昨日と同じ場所に座るのが良いだろう。
ちなみにウォンの姿は無い。まだ、眠っているのだろうか。
「アルマズさん、おはようございます。皆さん、お早いのですね」
アルマズは、写本から顔を上げる。
「あぁ、おはよう。お嬢ちゃん。何せ、ここは街から遠いからのう。油や炭などの節約の為、日の出に起き、日の入りに眠る生活をしているからのう。冒険者ならすぐに慣れるじゃろう」
「わかりました。その生活リズムに合わせます。それでは、ウォンを起こしてきましょう」
「いやいや、奴ならもう起きて修行を開始しておるよ。今頃、ドラゴン岩を素手で登っているはずじゃ」
ウォンは、もう起きて修行を始めていたのか。意外だな。ウォンがここまで真剣に修行をするつもりだとは考えていなかった。幾つか技を習って御仕舞いかと思っていた。
ドラゴン岩というのは、多分この家に襲い掛かる様な奇岩の事だろう。ウォンは、今、私の頭の上に居ることになるな。昨日のあかんべーの仕返しに下から魔法でも打ち込んでやろうか。
「そうですか。では、私が寝坊でしたか」
「気にするな。お嬢ちゃん、今日は初日じゃ。ここのルールは、少しずつ覚えたら良いからのう。それに今日中に魔法をマスターすれば、ルールを覚える必要も無いぞ」
「簡単に言ってくれます。魔法を一日でマスター出来ると言えるほどの自信家ではありません」
「お嬢ちゃんなら、一日でマスターしてやる~、とか叫びそうじゃがのう」
アルマズは、私の事をどう考えているのだろう。能天気な馬鹿に見えるのだろうか。それとも空気を和ますための冗談だろうか。
「正直に言えば、魔法と剣術の才能には恵まれていると自負しています。流石に魔法を一日でマスターできると考える程、愚かではありません」
「才能に自惚れた自信家に見えるのではなく、統治者の血じゃったか。スマンスマン」
このエセ賢者は、私の出自を知っているのだろうか。カタラが話していてもおかしくないか。
しかし、パーティーの者に出自の話をした記憶は無いな。
酔っぱらった時にでも言ったのだろうか。まぁ、些末な事だ。今は魔法を習得する事を第一としよう。
「では、何か始めたら良いですか」
「ほほほ。急くな急くな。ワシの準備が出来ておらん。お嬢ちゃんに教えられるのは、二・三日後じゃな。それまでは、兄ちゃんの修行にでも付き合うとええのう」
「そうですか…。残念です。準備が出来ていないので仕方がありません。ウォンの修行に付き合います。ところで、新魔法は攻撃魔法ですかそれとも違う種類ですか」
私が一番気になるところだ。長年、研究をしてきてやっと魔道書の正体が判るのだ。それ位は先に知りたいのが性だろう。
「う~ん、どうしようかな~。教えようかな~。でも、お嬢ちゃん、何もサービスしてくれないしな~。美少女だし~、グラマーだし~、何か旨みがあっても良いと思うな~」
アルマズは、そういった事には興味が無いというか、年齢的に枯れたものだと思っていた。
しかし、本性は助平爺だったか。なるほど、私の本能が関わるなと警告してくるのも納得できる。いつもなら一発殴って終わるのだが、今から面白い見世物が始まりそうだ。今日は観客に徹するとしよう。
「父様。カタラは悲しいです。私の大切な人に対し、権力を笠にして、口に出すのもおぞましい行為を望まれるとは…。私が留守にしていた間、父様に何があったのでしょうか。ご説明頂きます」
アルマズの顔が引きつり、額から脂汗が流れ始める。
対して、カタラの表情は笑顔からデスマスクの様な無表情へと変化していく。
実は数秒前から、アルマズの背後に朝食を載せたトレイを両手に持ったカタラが立っていた。
カタラが冒険者の習性で気配を消して近づいていたことに、アルマズは気づかなかった様だ。
さて、親子喧嘩の始まりだ。これは見物だ。
アルマズが、カタラより強力な力を持っている事は確かだ。しかし、実の娘に行使するには強力過ぎる為に実力は発揮できない。
対するカタラは、実の娘である立場を活用し、思う存分持てる力をぶつけることが出来る。他人では遠慮が入るが、家族では遠慮が入る余地は無い。
そして、親子喧嘩には他人は絶対不可侵だ。これを守らなければ、攻撃対象が私に代わる。
台所という安全地帯へ避難し、朝食を食べながら観戦といこう。
しかし、事態は私の思う通りには運ばなかった。最大の原因は、私がカタラの性格というか、習性を考慮していなかったためだ。
二人の親子喧嘩は、教会の懺悔の様に静々と行われている。怒声一つ上がらない。
カタラが厳粛に神の教えを一つ一つ丁寧に伝えていく。たまにアルマズの「すまん」の声が静かにそして小さく挟まるだけだ。
つまらん。誰もこんな親子喧嘩は期待していない。
さっさと朝食を済ませ、ウォンの調子を見に行くとしよう。そちらの方が、まだ面白そうだ。
朝食で使用した食器を綺麗に洗い、脇に固めておく。居候の身としては、この位はしておくべきだろう。流石に食器を片付ける場所までは分からないし、今はカタラに確認できる状況ではない。これで充分だろう。
粛々と進む親子喧嘩と言うよりも懺悔の横を静かに通り過ぎ、外に出る。
家の中の暖かさから、早春の冷たい風が頬を撫で、背筋に震えが走る。
早春の朝は冷え込む。岩を握れば氷の様に冷たく、手の平の体温が奪われていく。これは、長時間触っていると冷気の為、握力が無くなるな。この状況でウォンがドラゴン岩を登っているのか。どれ、どの辺りに居るかな。
少し家から離れ、ドラゴン岩全体が視界に入る場所へと移動する。念の為、怪物共の気配を探索するが杞憂だった。人に害を為さない動物の類の気配しかない様だ。
ドラゴン岩を改めて見ると高さは二十~三十メートル、横幅は右の翼端から左の翼端まで五十メートルはあるだろうか。もしもこのサイズのドラゴンが居れば、ラージ級を超越した古龍になるのだろうか。
古龍の伝説は知っている。この世界に四体しか常に存在せず、同一種類は居ない。
ダイヤモンドドラゴン、ルビードラゴン、サファイアドラゴン、エメラルドドラゴンと呼ばれる各一体しか居ないそうだ。だが、この世に一体しか居ないのでは繁殖は出来ない。いわゆるおとぎ話の世界だろう。
古龍の実在は、一度も確認されていないし、見たと言う噂すら聞いたことが無い。実在のドラゴン最強は、ゴールドドラゴンと世間では見做されている。ゴールドドラゴンは、生息数もそこそこ居るそうだ。私はお目にかかったことが無いが、見たことがあると言う者も居る。その見たと言う者達の話もほぼ共通しているので、存在するのは事実なのだろう。
しかし、目をこらしてもウォンの姿が確認できない。一体どこを登っているのやら。
「何か見えるか?」
「この岩を登っているらしいのだが、見えないな」
「裏側を登ったからじゃないか」
「その可能性が高いか」
「こちら側は、オーバーハングがきつくて登りにくい。裏も垂直に近いが、まだ傾斜が有る分登りやすかったな」
「なるほど、ドラゴンの背の丸みを利用して登った訳か」
「そういうことになるな」
「で、ウォンよ。いつ登り終わったんだ」
私の背後から声を掛けて来たのはウォンだ。背後を取る様な遊びを仕掛けて来る事は、予想範囲内だ。
ウォンの方に向くと、上半身裸になった身体が赤く火照っている。
汗が蒸発し、オーラの様に全身から湯気を発している。
胸や腕の筋肉が酷使され、一筋一筋が大きく膨れ上がっている。いつもの見慣れた筋肉よりも一回り以上大きく一層逞しく見える。だからと言って、私には何の魅力も感じないのだが、町娘達ならば黄色い声でも上げるのだろう。
「丁度、今だな。頂上まで往復三時間というところだな。明日は、コースが分かったからもっと早い時間で往復できるだろう」
急峻なドラゴン岩を私には三時間で往復することはできないだろう。ここから見るだけでも相当傾斜が厳しいことが分かる。
「で、岩登りがアルマズの課題?」
「おう、朝食前に必ず一往復しろとの事だ。結構、使っていない筋肉があるものだな。悲鳴を上げている部分がある」
「ウォンの筋肉は全身くまなく鍛えているのでは無いのか?」
「自分では、そのつもりだったがどうやらまだまだの様だ。先生には一発で見抜かれた。流石だよな」
やはり、アルマズは戦士としても一流の力を持っているのだろうか。ウォンの未熟な部分を指摘できる人間が、この世にまだ居たのか。やはり、世界は広い。
さらに魔導書を解明するだけの博識も持っている。
アルマズと絶対に深く関わるのは止めておこう。
「井戸へ汗を流しに行くのか?」
「いや、先生に止められている。良く分からんが、急に筋肉を冷やすと訓練の意味が無くなるそうだ。身体を冷やさぬ様に汗を拭いて暖かくして、ゆっくり冷やせと言われた。意味が分かるか?」
「想像だが、熱した石を冷たい水の中に落とすと割れることがあるだろう。あれと一緒じゃないか」
「さすが、ミューレ。分かりやすい例えだな。なるほど、なるほど、そう意味だったか。これからは気をつけよう。で、朝食は食ったか?」
「あぁ先に頂いた。しかし、今は、家に入るのは気まずいぞ」
ウォンが怪訝な表情を浮かべる。それはそうだろう。カタラが親子喧嘩をしているとは想像できまい。
「今な、カタラが親子喧嘩をしている」
ウォンがポカーンと大口を開けて固まる。そうでしょう、そうでしょう。カタラが喧嘩をするなんて想像外でしょう。しかし、見ても面白くない事は告げないでおこう。
「よし、行ってくる。カタラが喧嘩をするところは、見たことが無いからな」
ウォンが楽しそうに玄関をくぐって行く。扉が開いても大声や怒声は聞こえてこない。やはり、粛々と懺悔が行われているのだろう。
今頃、ウォンの奴、想像外の静かなる親子喧嘩でげんなりしている頃だろう。私は、何一つ嘘はついていない。淡々と事実を述べただけだ。後は、自己責任だ。
さて、一人になってしまったな。少し周囲の状況を探索しておこうか。




