11.入国
エータになって二日が経過した。樹海が切れ、広大な見渡す限りの緑の美しい小麦畑が広がっている。どうやらキャシュタル王国の領地に入った様だ。となると数時間もすれば関所が見えてくるだろう。
関所での入国審査を考えると面倒な様な気がしてきた。疲れるけど空を飛んで、さっさと行けば良かっただろうか。ふと脳裏にそんな考えが浮かんだ。
しかし、後日入国の証拠が無ければ勇者君に迷惑をかけることになるか。ここは我慢をして、入国審査を大人しく受けるとしようか。
それとも、勇者君の事だからちゃんと手回しをしてくれているかもしれないな。
勇者君は、気を使い過ぎる気性がある。ま、そんな人間でなければ、人の役に立とう等と思う訳ないか。
緑の小麦畑に包まれた街道を進んで行くと遠くに小さな砦が見えた。多分、関所だろう。
別に国境に柵がある訳ではないので、街道を外れて進めば関所を通らなくても済むのだが、ルネス隊の一員がセコイ真似をする訳にはいかない。はぁ、有名人は縛りが多くて面倒だ。やはり、ミューレの方が良いな。ミューレなら間違いなく、関所の無い裏道を選択している。
砦に近づくと石造りの三階建ての砦だった。三階は、壁が無く見張り台になっている。
防壁も無く、壁に受付の窓があるだけのシンプルな砦だ。いや、ここまでシンプルだと砦と言うのもおこがましい。戦闘に関する防備の事は、何も考慮されていない。国境監視所と言うべきだろうか。
受付の前に若い衛兵が二人立っている。私が街道を馬に乗って進むのをじっと見つめている。
こんな小麦畑のど真ん中では、他にやることもないのだろう。
関所に近づくと衛兵の一人が声を掛けてきた。
「こんにちは。旅の方。キャシュタル王国にようこそ。下馬して頂き、こちらの受付へどうぞ」
「こんにちは。ルネスから連絡は来ている?」
馬を降り、手綱を手すりに結ぶ。
「え、ルネスというのは勇者ルネス殿のことですか?」
若い衛兵がキョトンとしている。突然、勇者君の話が出て混乱しているのだろう。受付に頭を突っ込み、中に居る衛兵に話しかけている。中に居るのは上司だろう。
受付の脇に据え付けられている扉が開き、中年の衛兵が出て来る。隊長だろう。
「ルネス殿のお名前を出された様ですが、どなた様かな。ベールを取って、お顔を見せて頂けますかな」
隊長は、私を上から下まで舐めまわす様に視線を這いずり回す。若い二人も興味津々で後ろから覗きこんでくる。ベールを透かして、私の顔をどうにかして見たい様だ。
「私は、ルネス隊の一員、エータ。顔は訳有ってお見せできない。死の覚悟があれば、お見せしよう」
死の覚悟の言葉で中年の衛兵がたじろぐ。この様な平穏な部署に配置された人間に命をかける覚悟は無いだろう。
「で、では、新緑の魔姫 エータ殿と証明出来る物は何かありませんか」
隊長の声に震えが混じる。本物であれば粗相は出来ない。偽物であれば、勇者の一員を騙る不届き者として捕えなければならない。先程まで弛緩しきっていた精神が急激に刺激されたのだろう。
徐々に隊長に額に脂汗が浮き始めている。それに比べ、背後の若い衛兵は気楽な物だ。エータ殿を初めて見た。姉ちゃんに自慢できる、思ったより小さいな、美少女のオーラを感じないかとコソコソと語り合っている。ま、こんな平和な関所に回される連中だ。その程度の能力しか無いのだろう。
「証明ねぇ。ルネスなら先にこの関所に私が来るかもしれないと連絡を入れていると思うのだけど、連絡は来てない?」
「いえ、連絡は来ておりますが、何分私がエータ殿の風貌を存じ上げません。失礼ながら、何かお示し頂ければ助かるのですが。いえ、疑っているわけではありません。仕事なのです。無条件でお通しすれば、後で叱責を受けてしまいます。その点を御配慮頂ければ…」
「はてさて、ルネスみたいに王様から拝領した剣でもあれば良いのだけど、私はそういう物は貰った記憶が無いな」
本当に参ったな。関所なら顔パスで行けると思っていたが、この小さな関所では無理だったか。大きい関所や城ならば顔パスで通行しているので、その感覚で来てしまった。やはり、空を飛べばよかったか。
「あ、そうだ。空に花火でも打ち上げようか。大きい花火でも打ち上げれば、認めてくれる?それともこの砦を氷漬けにしようか」
「ままま、待って下さい。魔法は勘弁して下さい。本物のエータ殿でしたら、とんでもない大災害になってしまいます。そ、そうですね、た、例えば、我が王より頂いた勲章とかはございませんか」
隊長の顔面が引きつっている。そんなに私が無茶する様に見えるのだろうか。ミューレならば、面白がってするのだが、今は一応勇者パーティーの一員だ。勇者君を困らせることは出来ない。
あぁ、知名度が鬱陶しい。
さて、勲章か。貰ったかどうかも覚えていない。と言うか気にもしていない。
もしかしたら、フォールディングバッグの中で眠っているかもしれないな。念の為、呼び寄せてみるか。
バッグに手を突っ込み、勲章を思い浮かべる。すると幾つもの固い箱が、手に当たる。どうやら、貰っているみたいだな。手近な箱を握りしめ、バッグから取り出す。掌に乗る紺色のビロード張りの箱が出てきた。これで良いのだろうか。
箱を開け中を確認すると、銀色に輝く凝った星の意匠の勲章が出てきた。はて、いつどこで貰ったものだろう。勲章に興味が無いので記憶にない。まぁ、見せてみれば良いか。
「隊長殿、これで良いか」
隊長の顔面に勲章が良く見える様に突き出す。
「はい!間違いございません。刻まれている紋章は、我が王からの勲章に相違ありません。失礼致しました。どうぞ、お通り下さい」
隊長が引きつった表情で背筋を伸ばし敬礼をする。それを見た部下二人も慌てて隊長に倣い敬礼をする。
とりあえず、当たりを引いた様だ。結果良ければ全て良し。ならば、ここには用は無い。すぐに出立しよう。馬に跨り、歩みを進める。未だに背後から緊張感が漂ってくる。別に告げ口や危害を加える様なことはしないのに。やれやれ、権力に弱い者は、あんな感じなのだろうか。エルフ族では考えられない事だ。一部だとは思うが、人間族の器の小ささを感じてしまう。
満月の前日、太陽が南を少し通り過ぎた頃に王都バイタルが見えた。予定より少しノンビリし過ぎた様だが、約束の期日には間に合ったのだから問題は無い。
王都バイタルは、広大な平野部にあり、周囲は穀倉地帯や牧草地帯が大半を占め、所々に村が遠望でき、四方の地平線を見渡せる。
石壁で囲んだ城塞都市で、中に五万人が住んでいると言われている。
都市を拡張する度に壁を造った為に王城の壁を除き、三重の壁に囲まれている。空から見ると形はいびつな円形をしている。
中心から王城、貴族・富裕層、商店、平民の順に壁で囲われている。スラムが城壁の外に形成され、城壁にゴミの塊の様に貼りついているように見える。
何時来たかは忘れたが、その時と変わらない光景だ。相変わらずキャシュタル王国は繁栄している様だ。
馬を歩ませ、スラムへと近づいて行く。どこの街も同じだ。一定以上の人が集まれば、必ず貧困層が生まれ、スラムが形成される。不作や疫病に見舞われ、村を捨て、街に希望を持って出て来ることも者もいるが、そう簡単には貧困から逃げることは出来ない。そういう者がスラムを形成する原因の一部になっている。
王都の正門に続く街道沿いには、さすがにスラムは無い。街道から離れた場所に見える。さすがに見栄えが悪い為、強制的に立ち退きさせているのだろう。
時折、風向きが変わるとスラムからすえた臭いが漂ってくる。この臭いは、どこのスラムでも同じだな。
街道をさらに進むと、正門が間近に見えてきた。石造りの頑丈そうな砦だ。エンヴィーの大門と比べ物にならない程、巨大だ。
外から見て五階建てはあるだろう。もしかすると、見た目と違い中は、もっと細かく階層が区切られているかもしれない。横幅は、通りだけで二十メートルはあるだろう。馬車が余裕をもってすれ違える。そこに上部を支える構造体が左右に各二十メートル程張り出し、そのまま高さ十メートルくらいの石壁が街を囲んでいる。
相変わらず、威圧的な門構えだ。
その街道を多数の冒険者や旅人が行き交い、混雑している。さすが、この大陸を代表する国の王都だけの事はある。
正門の外には、守備兵が数十人待ち構えている。門の中には、その数倍の守備兵が控えているのだろう。
ここで不審者と判断されれば、直ぐに詰所に放り込まれ、尋問を受けることになる。
ミューレの姿でここに来れば間違いなく、守備兵に捕まり尋問コースだろう。自分で言うのも何だが、フルプレートアーマーを着た仮面の剣士など怪し過ぎる。声を掛けない方がおかしい。
だが、今日は勇者ルネス隊のエータだ。問題は起きないはずだ、と思っていたのだが、守備兵三人が走ってきた。おかしいな。この姿なら素通りできると思ったのだが。
私が馬を止めると、前に守備兵三人が直立し、敬礼を行う。
「新緑の魔姫こと、エータ殿。お待ち申し上げておりました。勇者ルネス殿より参上される旨、伺っております。ルネス殿の屋敷まで馬車を御用意しております。どうぞ、こちらへお越し下さいませ」
あぁ、そちらの方か。本当の手厚い歓迎ですか。関所と違い、王都ならば私の容姿を知っている者が多く居るだろう。ここは勇者君のホームグラウンドだから、エータとして行動することも多い。今の口ぶりから罠であるとも考えにくい。信用しても良いだろう。
「ありがとう。では、お願い致します」
そう言うと、守備兵の一人が手綱を取り、門の向こう側へ案内を始める。
門をくぐり、壁の裏側に回ると二頭立ての天蓋付きの馬車が用意されていた。
相変わらず、ルネス隊への待遇は、国賓待遇だな。そういえば、王都バイタルに居る間にお金を使った記憶が無い。全て勇者君が用意してくれていたな。多分、国の担当者に言付ければ、自動的に用意されるのだろう。何せ勇者君は、この王国の危機を何度も救った英雄様だからな。
馬を降りようとすると、丁寧にも足場を用意され、エスコートまでされた。
ウォンなんかは、
「あれ、もしかしたら足が届かないか?手伝ってやろうか?うん、どうした?」
と言ってからかってくるのに、エータの威光は凄い物だ。荷物も他の守備兵が馬から降ろし、馬車に積み替えてくれる。
「エータ殿。この馬は、御所有の馬でありますか」
「いえ、借り物です。そのまま、離して下されば、店に自分で帰ります」
「分かりました。食事と休養を与えた後、責任を持って離します。ご安心下さい」
守備兵が真剣な表情で伝えてくる。やれやれ、皆真面目だな。もう少し肩の力を抜けば良いのに。
「はい、よろしく」
身一つで馬車に乗り込む。もちろん、乗り込む時もエスコート付きだ。気分は、お姫様だな。
馬車の中に入り椅子に座る。もちろんクッションが効いており、良い座り心地だ。すぐに馬車が動き出す。轍の凹凸に沿って馬車が軽く揺れる。この揺れが眠気を誘う。馬車の前に御者と守備兵一人が座り、後には守備兵二人が立って貼りついている。ふむ、一眠りしても問題ないか。何かあれば直ぐに目が覚めるし、状況を把握する時間位は、守備兵が作ってくれるだろう。そう考えると即座に睡魔に身を任せた。




