潜在と顕在
昔。
旅先で、親友とはしゃいだ。
親友のご家族と、隣町へ1泊の旅。連れて行ってくれたのだ。
親友はお金持ちで、ご両親とは別の馬車を、親友と私に用意してくれた。
つまり、道中、2人だけで思いっきりお喋りができる。
そんな環境で気が緩んでいたようで、いつもは外では口にしない、ただし、親友にだけ打ち明けている事を、つい外で言ってしまった。
そうしたら、通りすがりの見知らぬ男性が、すっと近寄ってきて小声でこう言ったのだ。
「お嬢さんたち。まだ、早いよ」
『静かに』という、口元に人差し指を当てる仕草をしてみせながら。
私たちが驚いている間に、その人は去っていった。
その人自身は、他の人たちと何も変わらないように見えたのに。
ひょっとして、あの人には、分かっていて。それで、隠しているのでは。
なんて、思ったものだ。
***
その日がきっかけだったのかは分からないが。
それ以来、時々、見知らぬ人たちが、何かに気付きながらも誰に告げる事もなく、内心に隠した場面を見ることが何度かあった。
つまり。私のこの感覚は単なる妄想では無くて、他の人たちとも共有できているのか。
だけど、大きな声で話すには、『まだ早い』。
だとしたら。
本当は、同じように思っているけれど、黙っている人の方が、多いという事は?
***
でも、そう。
きっと、『まだ早い』のだろう。
誰が決めたのかは、知らないけれど。
***
空を見上げる。晴れている。
こんな日には、気心の知れた友人たちと出かけよう。まるで風に誘わるように。
そうして街中ではできない話をみんなでする。
みんながそれぞれ、違う話を持ってくる。違う意見や経験を。
ピクニックが終わったら、それぞれまた自分たちの場所に帰る。
そうして、気がついていく。
ふとした言葉に、行動に。
迂闊には話せない、けれど共有した物事が、私たちを変えていくということに。
それらが私たちの共有を通じて、関わる人たちにも密やかに伝わっていくことに。
***
『まだ、早い』
あれは随分と昔の出来事。
今では、ほら。
まだ花まで開いてはいないけれど。
普通の暮らしのそこかしこに、種がたくさん蒔かれている。
きっと、もうすぐ芽吹くでしょう。
人々が口を閉ざしていたことが、ついに表に現れる。
だけど皆は驚きはしない。
ずっと、知っていたものだから。隠されていると知っていた。それらが再び、現れただけ。
大っぴらに。歌い、踊り、話しましょう。
***
大丈夫 火あぶりの時代は過ぎ去った
***
晴れた日には 空の下でピクニックを
雨の日には 家族で過ごそう
風の日にはどうぞ少し穏やかにと囁こう
少し変わると、気づいている
***
いつの間に、こんな時代が来ていたのか。
かつては口をつぐみ身を隠し、または奇異だと恐れられていたものが。
人々は楽しげに朗らかに話している。暖かい陽光を浴びながら。
おわり




