赦し
車椅子姿の松原を見て、俺は言葉を詰まらせてしまっていた。ーー当時の情景が頭に浮かぶ。冷たい雨、交わされる怒号。痛みと、血の味と、動かなくなったアイツの身体。
「尾下」
ヤツの言葉に俺はハッとして、顔を見た。中学時代の幼さが抜け、大人びた表情を浮かべている。
「何か言いたいことがあって来たんだろう」
車椅子の車輪が回る音が静かな夜に響いた。ヤツは俺の横を通り過ぎて行ってしまう。
「お、俺……」
言葉がスムーズに出てこない。今までずっと悔やんできた。いつか言わなければならないと思った言葉。人一人の人生を狂わせてしまったという罪悪感が心を締め付ける。俺は言わなければならない。俺は……
「謝んなくていいぜ」
向こうを向いたまま、松原が言った。
「お前のその顔を見れば言いたいことはわかる。……今まで何を考えてきたかもな」
俺はゆっくり走る車椅子を追った。
「松原、俺……」
「あの頃の俺は……お前も、バカだった」
ヤツの手が車輪についたリングを掴み、車輪を前へと動かす。その手を、俺は見ていた。
「やり場のない怒りや憎しみを抱えて、それをぶつける敵を作りたがった。それが俺にとってはお前だったし、お前にとっては俺だった。俺たちは何かにつけて理由をつけては睨み合ったし、時には殴り合ったりもした。それがあの頃の俺たち、お互いにとっては必要なことだったんだ。何か生きる理由が欲しかったんだ。それがケンカだった」
街頭の真下でヤツは止まった。白い明かりがヤツの短髪を光らせ、言葉を発するたびに頭は少し揺れた。
「あの時俺はお前のことを本気で殴った。こうなっていたのは、お前だったのかもしれないんだ。もう俺たちはガキじゃない。俺自身悔やんだし、お前もそうだったろう」
俺は拳をぎゅっと握った。かつては幾人もの男を痛めつけたその拳。俺は後悔の強さだけその拳を握った。
「だから謝らなくていいんだ、尾下。俺はもう新しい道を歩んでる。もうとっくに、お前のことは許しているんだ。過去を振り返ったって、俺はもうそこにはいない。お前も前に向かって歩くんだ」
松原はそう言うと、車椅子を動かし始めた。俺は何も言い返すこともできなくて、ただヤツの言葉に打ちのめされていた。
俺は走って追いつくと、「押させてくれ」と言って車椅子を押し始めた。松原は黙って車輪から手を離した。
許されたからといって俺の行為が帳消しになったわけではない。過ちを犯した人間として、今後できることはせめてその時考えうる、もっとも正しい生き方を選ぶこと。
俺は黙って車椅子を押しながら、強くそのことを心に誓った。




