夏空、霹靂
八月いっぱい休みじゃないだなんて夏休みじゃない。
俺は朝からカッカしていた。アスファルトや俺の脳天のような黒という黒に熱を吸収させる容赦ない太陽の光にも怒り心頭だった。しかし何より許せないのは八月いっぱいを夏休みとしない高校に対してだ。どんな話し合いからそうなったのかは知らないが、小学校の頃なんかは休みだったはずだ。八月いっぱい! それがどうしてこうなった。どうしてこうなった……うだるような暑さの中では思考もままならず、冷房で一気に冷やされた電車内との寒暖差で頭痛が痛い。訂正する気にもならないほどに俺は気分が悪かった。
「気温や休暇の期間についてそこまで考え込んだところでどうにもならない事はどうにもならないだろう。落ち着け。そして別の事を考えるんだ。無駄だ。その時間とエネルギーが」
冷房によって急速に冷やされた教室で、早稲田はクールはセリフを俺に放った。視線は本の中の文字を撫でながら。用意のいい事に、サマーカーディガンを羽織っている。俺も流石にその調子には慣れていて、もう苛立ったりなどしない。ヤツは言葉をオブラートに包むという事を全くと言っていいほどにしないヤツだったが、説得力があったし的を射ていた。たまに正論すぎて心を射抜かれるような傷を負うこともあったが、ヤツは気にも止めない。そんな人間は、人間関係は俺にとって新鮮だった。人の性質は一長一短、良い悪いはその当事者の判断によって異なる。それを許せるか、許せないかで人間関係は決まる。俺は早稲田の性質を長所として見る事にしていた。……たまに本気で腹が立つが。
チャイムが鳴って、教室のドアが開く。姿を見せるのはあの春先の一件以降おとなしくなったあの湯川……のはずだった。が、現れたのは教頭だった。
「おはようございます、皆さん。出席を取ります」
「教頭先生、湯川先生はどうしたんですか」
でしゃばりでいつもは鬱陶しがられる女子生徒が言った。こんな時には有り難がられる存在になる。
「湯川先生は……実を言うと連絡が取れていません」
困惑を隠さず、教頭は言った。
「今我々が何とか連絡を取ろうとしていますので、皆さんは心配しないでください。……えーそれでは、飯塚君」
「はい」
「宇野君」
「はい」
……あんな一件があった後で、俺は妙な気分だった。湯川は人気のある教師ではなかったし、教育熱心な先生でもなかった。それでも、時間に遅れたり、宿題の提出期限を忘れたりする人間でも、なかったからだ。
始業式があって、教室にもどると、朝には晴れ渡っていた空に厚い雲が浮かんでいて、太陽を隠していた。窓から差し込む真四角のスポットライトも消え失せて、教室は薄暗かった。
「オイ! なぁなぁ、みんな聞け!」
勢いよく扉を開いたのは隣のクラスの声がデカいヤツで、俺は名前も知らなかった。
「湯川が死んだって」
ヤツのそんな一声で、教室中の雑音が消えた。水を打ったような静けさの中で、俺は振り返り、早稲田を見た。
早稲田はいつもの冷静な視線の中に、こんな時だからこそ落ち着かなければならないという力を込めた目をしていた。俺の方がよっぽど動揺していたと思う。
遠くの方で微かな雷鳴が聞こえていた。教室がこんなに静かでなければ、聞こえなかったと思う。