疑問、決意
伊賀梨川沿いの土手へ昇ると、生暖かい風が僕らを撫ぜた。雨に濡れた雑草の生臭さが不快で、僕は風下の方を向く。住宅街や大きな病院があって、その向こうに学校が。正面を向き直ると、少し水かさを増して勢いづく川と、風に揺れる草、ポケットに手を突っ込んで歩く尾下銀の背中が見えた。
尾下銀はもしや、と思っている。湯川教諭が亡くなった、その死因が。ーーもし自殺だったとしたならば。ーーもしーー。
少しの間、僕らは黙って歩き続けた。このまま何も言わないままに「じゃあ」と別れることは無いだろう。お互いがタイミングを見計らっている。頭の中で整理をつけている。
尾下は歩くペースを落とすと、横を向き、こちらをちゃんとは見ずに言った。
「湯川が死んだ」
小さな声。
「どうして死んだんだ?」
彼は動揺を隠すそぶりも見せず言った。「それはもちろん、僕にもわからないさ」。こうも地面が濡れていると、座って話すこともできないな、と僕は思う。
「だが、今朝の教頭先生の様子を見ただろう。あれはすでに知っていたにも関わらず、僕達への配慮のために知らないフリをしていた、といった風では無かった。いずれ僕達にも知れる事、僕らはもう十七だ。知っていたならばあの場で言っていたはずだ。そうは思わないかい?」
「じゃあ、教頭も今朝までは知らなかった?」
「僕はそう思う。一から検証していこう。まず、どのようにして亡くなったのか……」
「死因だな」
尾下はようやく表情に冷静さを取り戻すと、歩幅を合わせて僕の右隣を歩き始める。
僕は言う。
「急病や事故によって外で倒れた場合なら、誰かに見つかって病院に運んでもらえていただろう」
「もしそうなら……職場である学校に連絡が来るはずだ」
「しかし、そうでは無かった。失踪していたのなら今日『死亡した』という噂が広まるはずが無い」
「今日、湯川は見つかった……」
「そう。学校からの働きかけによって」
一瞬の間ヒステリックに降りしきった豪雨によって冷やされたとはいえ、歩いているとじっとりと汗をかいた。僕はシャツの袖を丁寧に折り、捲った。
「なら、自宅で……」
「だろうね。死因はーー病死。不注意による事故死もあり得るだろうし、他殺もーー」
「あとはーー」。尾下の頭の中にはある仮説がある。それは僕にもわかっていた。
回りくどい会話だったかもしれない。でも、言葉を口に出しながら整理する必要があった。冷静になる時間が必要だったのだ。
「自殺か」
覚悟を決めるように、尾下は言った。
「その可能性もあるね」
「もしそうだとしたらーー」
「僕達のせいだとでも?」
僕はあまり強い言い方にならないよう気を付けた。
「……あり得なくは、無いだろう」
「確かに。あり得なくは無い。可能性の一つとしてあり得る」
「もしそうだったとしてら……もし、その原因が俺達にあったとしたらーー」
湯川教諭は教員歴二十数年、妻子は無い。教育熱心、といった教師ではなかったが、勤務態度は悪くはなかったように見えた。
次期教頭を狙っていた、という噂話もあった中、起こった虐め見過ごし事件。教師としての信頼を生徒から、その保護者から、職場の同僚からも上司からも無くした。
「僕達のせいで彼は死んだ、と?」
「……あり得なくは、無い」
「でも、僕達は彼を殺そうとしたわけじゃあ無い。僕達が殺したわけじゃあ無い」
「じゃあ、あのまま磯村が田村達に虐められていたとする。そして、それが原因で磯村が自殺をしたとする。もしそうなったら、誰が悪い? 田村達だ」
尾下銀は感情を露わにする。白い犬歯が剥き出しになった。
「直接殺したんじゃあ無いにしろ、田村達が磯村を自殺に追い込んで間接的に殺したって見方も出来る!」
「そうならなかったのは僕達が行動したからだ! 君が磯村君を救ったからだ! そうだろう? 磯村君は田村君達に虐められていた! 湯川はそれを見過ごしていた! 彼が悪い事をしていたんだろう! 彼は年長者として、一教師として、一人間として許されざる事をしたんだ! 汚い事をした! だから君は罰を食らわせたんだ。正そうとしたんだ。僕はそこには納得している。僕達は、湯川を虐めたわけじゃあ無い!」
誰もいない土手の上で、僕達は瞬間的に感情を弾けさせた。
僕だって少し嫌な気分だった。湯川の死。近しい者の急な死は重い。
お互い頭が冷えるのを待って、歩き出す。
「調べよう。事が事なだけに無視はできない。僕達は知らなければならない」
「あぁ」。尾下の声のトーンは低かった。
「湯川が自殺をしたとは限らないし、僕達がその原因になったとも限らない。不確実な事は多いけれど、間違いない事は磯村君が学校で笑っていられるのは君が救ったからだ。その事をまず誇るんだ。彼は弱かった。立場が無く、なす術も見つけることが出来ず、何もしなかった。現実は厳しい。大抵の事が思い通りにはいかないものだ。力を持たないものは蔑まれ、踏みにじられる。そして見て見ぬ振りをされる。それが現実だ。僕だって無視をする事はできた。でも君は救おうとしたんだ。そして救った」
「二人でだ」
尾下はニヤッと笑った。
「連帯責任だぜ」
「いいだろう」
しばらく歩いて、あの日の夜、降りていった階段を下った。
「湯川の死の真相を突き止める」
「その前に、昼飯な」
そうして、僕達は街に潜っていった。
まず向かうのは、一度侵入を果たしたあのマンションだ。




