三度目の昼休み
「というわけでどうやら俺には能力なんてものはなかったようです」
「ちょっと、ちょっと整理させて」
例によって例の如く。
櫛夜が生徒会役員となって三日目となる木曜の昼休み。
これも三日目となるが、櫛夜と綾は生徒会室で二人、向かい合っていた。
櫛夜はぼそぼそと弁当をつつきながら。
綾は何を食べる素振りも見せずに。
櫛夜は昨日の放課後に奏音との間に起きた出来事を事細かに話していた。
簡潔に言えば。
櫛夜が能力を使ったジャンケンにおいて、奏音に負けた、という出来事になるのだが。
実はこれによって櫛夜は自身の能力を完全に信じないことにしたため、わざわざ時間を取って綾に説明する気さえ起きていなかった。
もう普通に正々堂々とジャンケンをして、勝つか負けるか勝負を運に任せてしまおうと。
そんな風に考えていたのだが。
意外にも綾の方から特に用事もないだろうに、火曜水曜に引き続き呼び出しを受けたのだ。
櫛夜としても、そうして二人きりで話す機会があるのであれば黙っておく必要はない。
そんなわけで奏音とのやりとりを話す次第となっていた。
なお。
綾が櫛夜を呼び出す際には三日連続で同じ女子がわざわざ声をかけてくれていた。
さすがに申し訳なく思い、一言「ありがとう」を今日は言うことが出来ていた櫛夜だったが、肝心のそのクラスメイトの名前が思い出せない。
「いいよ別に」
と、はにかみながら快く笑いかけてくれた彼女に対して重犯をしているようで罪悪感に駆られてしまう。
今まで意識したことは無かったが、クラスメイトの名前を全員覚えていないものなのだな、と櫛夜は彼女に対してのみ申し訳なく思う。
まぁ、高校二年生のまだ四月である。
クラスの中に、去年と同じだった者もいないわけではないが、多くは初対面である。
そう思えば、全員を知っているということもないのかもしれないが。
特に、言い方はあれだが、得てして異性の方が覚えづらいものである。
ただ、直接名前を聞くわけにもいかないし、日直にでもなっていたら覚えておこう。
そんな妙な決意をした櫛夜であった。
普通にクラス名簿を見れば現在の席の並びから出席番号と名前を照会出来るという櫛夜の気付いていない事実は今は置くことにする。
さて、櫛夜からまさかそんな話をされるとは思っていなかったらしく、綾は慌てた様子である。
常に凛としている綾にしては珍しいのだが、櫛夜に対しては既に何度か暗い影を見せているためか、櫛夜はそれを特別なものだとは思わない。
「どうして昨日の時点で言わなかったの?」
「はぁ、皆もいましたし。能力がないと思ったら急に馬鹿らしく」
「私の手伝いが?」
「いえ、手伝いはしますが、ジャンケン必勝の作戦が、ですね」
「あーもう、ジャンケンは明日なのよ!」
「そんなことより、新一年は大丈夫なんですか? 明日が一応締切ですよね」
今年度の生徒会役員の決定の締切も明日までだったはずである。
だが綾にすればそんなことは新参者である櫛夜に心配されるまでもない。
「ご心配なく、勧誘は上手くいっています。今日にでも顔見せるんじゃないかしらね」
「むしろなら昨日まではどうしていなかったんですか」
「……ありがたいことに良くも悪くも、評判が良すぎたみたいね。去年の生徒会の」
「つまり、綾文会長たちの、ってことですか」
「自慢みたいで嫌だけど、そう、否定は意味がないものね」
「いえ、当然自慢して良い妥当な評価を下されていると思いますよ」
「どうせ去年の生徒会が何をやっていたかなんて櫛咲くんはろくに知らないんでしょう」
図星である。
だが無言を肯定と受け取り、綾はそれ以上責めたりはしない。
というか、小突いた程度で、責めているつもりは毛頭ない。
「私たち自身にあまり自覚はないのだけど。正直な表現を使用するなら、優秀すぎる人には近づきづらい、ってところかしらね」
「あぁ、なるほど」
「もちろん、噂が独り歩きしているだけなのだけど、ね」
「綾文会長だけでなく、光瀬副会長や、残りの二年の事も相まって広がっていた。それで、一年が寄り付かなかった、と」
「ええ、そんなところ。本来なら一緒に仕事をして体感出来ればいいのだけど、元々引いてる人に皆の仕事ぶりを見せても逆効果だからね」
そりゃそうだ、と櫛夜は当然思う。
櫛夜も目の前で僅か二日だが友莉、奏音、優芽の仕事ぶりを見ている。
三者三様の性格であるが、皆仕事は異様に出来ていた。
異様に、である。
世の一般的な生徒会に属する者がどれだけ優秀なのかを知らない櫛夜にもはっきりとわかるほどに。
彼女たちは単純作業といい、思考実験といい、なんだか同じ年齢とはとても思えない動きをしていた。
一年生がそんな場所に踏み込みたくないのもよく分かる。
元来櫛夜は何処にも踏み込まなかったのだが。
「だから私たちに限らず、生徒会の業績のまとめを渡して、こんなことを自分たちで作れるんだって方で勧誘することが今年は多かったの」
「そうなんですね。なら一応連絡はもう貰っているんですか?」
「ええ、一年生は弥々の他に、あと二人は来てくれる予定ね」
「そうなんですか」
「まぁ、それでも実際ギリギリなのだけどね」
「人数の問題ですか?」
「えぇ、いくら人がいても足りないくらいよ。生徒会なんて」
「そう、ですか」
「えぇ」
と、話が逸れたことに綾は気付き、こほん、と咳一つで切り替える。
櫛夜も同時に話を戻そうという綾乃の意図を理解する。
「それで、どういうことなの?」
「はぁ、ですから、俺には変な能力なんてものはなかった。それだけの話ですよ」
「そんなはずはないわ、だって――」
「だって?」
「……いえ、私は以前からあなたの能力には目を付けていたの。だからそんなはずはないわ」
「それ、本当ですか」
「えぇ、嘘をつく理由もないもの」
そういうものなのだろうか。
というか自分でも信じていないものをどうして綾はこうも断言できるのだろうと、櫛夜は訝しむ。
しかしそれ以上の事はしない。
面倒だからなのか、自分で壁を作ってしまっているのかは、櫛夜自身理解していないが。
「まぁ、俺にはどちらでもいいことです」
「私にはよくないわ」
「なら、俺に能力があることを前提としましょう。そしたら、どんなことが考えられるんですか?」
自分にジャンケンで勝てる能力なんてない。
それはもはや櫛夜の中で決定事項であったが、このままでは綾の気が済まない。
そう判断した櫛夜は仮定して議論を進める。
「櫛咲くんのことだから、能力の使い忘れ、とか、能力を使うのが昨日二度目だった、とかそんなことはないのよね?」
「えぇ、そこを考えだしたらそれこそ話が進みません」
「そうね、ごめんなさい」
「いえ」
また、自分の非はすぐに認める。
綾の美点である。
「でも、他に何も浮かばないわね。一体どういうことかしら。能力には更に条件が限定されていたりするのかしら」
「そんなことはないでしょう。一昨日は似たような時間に綾文会長に対して使って、勝っているじゃないですか」
「……そうね。あれも帰りのホームルームだったものね。時間差は無視できそうね」
「あるいは、場所ですか。でもそれも別に、学校内で変わるものですかね」
「学校外で能力を使ったことは?」
「能力が本物だとしたなら、勿論使ったことは沢山あります」
「へぇ、例えば家でも?」
流れるような質問に、しかし櫛夜は違和感を覚える。
その違和感が何なのかを掴む前に、櫛夜はその質問に答える。
「いえ、家では使ったことがありません」
「そうなの?」
「えぇ、家族とジャンケンなんてすることはほとんどありませんでしたし、姉と二人暮らしをしている今だと、そんな下らないこともしないですし」
「へぇ、私はよくアイスの味を巡って弥々とジャンケンすることがあるけれど」
「その場合は姉が優先ですからね」
「家だとそうなの?」
「家だと?」
今度は露骨に嫌味を感じた。
学校だと我儘な子のように見られているのだろうか。
というか綾は自分から巻き込んでおいてかなり失礼ではなかろうか。
そんなことを考えながら。
「いえ、まぁとにかく、家でジャンケンをしたことはないのね」
「はい」
「となると……何かしらね」
「そうですね……あ」
と不意に櫛夜はまだ綾に話していなかったことを思い出した。
「何か思う所でも?」
「はぁ。いえ、あんまり関係あるのかどうか、わからないんですが」
「何かしら」
「弥々のことです」
「……へぇ?」
急に機嫌が悪くなる。
(もう何なんだこの人……)
いよいよ呆れ顔で櫛夜は話し始める。
「昨日の別れ際に、弥々がですね、変なことを言っていて」
「変なこと? 言うわけないでしょ弥々のことなんだと思ってるのあの子が変だと言うならまずは普通と変の定義から」
「まだ全部話してないですからちょっと黙っててください」
「なら早く言ってくれるかしら」
「弥々が、自分は不思議な能力を持っているかもしれない、って言っていたから」
「それ本当!?」
ぐい、と綾が櫛夜の顔を覗き込む。
「……っ」
「……っ」
互いに、黙る。
それは、単純に、距離の問題で。
覗き込んだ顔は、思いの外パーソナルスペースを破った位置にまで近づいていた。
「ご、ごめんなさい」
「い、いえ」
よろよろと綾が後ろに下がる。
ふぅ、とまた机をしっかり挟んで向かい合う。
櫛夜はそもそも対人スキル自体はそう高い方ではない。
こうも立て続けに異性と二人きりで話せるほどのコミュニケーション能力は元々持ち合わせていない。
これ以上のフォローを櫛夜に出来るはずもなかった。
綾は綾で、本人も言っていた通り、姉妹揃って中学は女子校。
高校ではその能力を如何なく発揮し、生徒会役員としてあれこれ動いてきた。
結果、綾も大して男子との会話というのは、実の所得意ではない。
だが、綾にとって得意でないことと苦手なことはイコールとはならない。
得意でなくとも、人並み以上にはこなしてしまう綾である。
それでもさすがに、自分の不注意で顔を近づけすぎるのは綾の対処範囲外らしい。
言葉がすぐに出てこない。
先に言葉を発したのは、櫛夜だ。
「ほ、本当です。弥々がそう言っていたのは、本当です。不思議な力とやらの内容については、わかりません知りません」
「あ、そうよね。まぁ、そんなこと、いきなり信じるような態度見せるのも変だものね」
「ですよね」
「そうよ。それに私はそんなこと知らないし、気のせいじゃないかしらね」
自分が聞かされていないから気のせいだと論じるのは随分と横柄な気もするが、櫛夜はこれ以上のつっこみをいれない。
「と、とりあえずそんなことを言っていたって報告だけです」
「そうね……」
少しだけ黙って考えるポーズをとる綾。
もう恥ずかしさは顔に浮かんでいない。
嫌な沈黙でない限りは櫛夜も無駄に口は挟まない。
「話を戻すけど、可能性としては、そうね。奏音ちゃんも何かしらの能力者、という説が有力なんじゃないかしら」
「有力じゃないですよなんですかそのトンデモ理論」
「だって能力者である櫛咲くんに勝利したのであれば、それが一番ありえるわよ。こうして私と櫛咲くん、それにもしかしたら弥々も……能力者が集まっているのだから」
「はぁ」
何を言っているのだ、というのが櫛夜の率直な感想。
しかし、綾は真剣だ。
これまた、乗っからないと話が進まない、かもしれない。
「だとすれば、もうどの道無理なんじゃないですか」
「……何が?」
「狩野も能力者としましょう。どんな力かは知りませんが、その力を、僕とのジャンケンの時に使った」
「えぇ、そういう推論ね」
「俺も使いました。それなら同時に使った時に狩野の力の方が優先される、ということになりませんか」
「……そう、だとしたら?」
「俺が能力を使わなくても行使できる類の力かどうかは見当もつきません、。でも、使っても勝てない事だけは確定しているならば」
「使わない、という選択をするしかない。結局、ただの運任せになる、ってこと、ね」
「そうなりますよね」
「うーん……」
綾は納得いかない、というような表情で櫛夜を睨んでいる。
櫛夜はそんなことで態度を変えたりはしないが。
いや、綾は櫛夜が態度を変えない、と見込んでこれだけ表情豊かにいるのかもしれない。
そうであってもなくても、それは櫛夜の与り知らぬ所ではある。
「でも、綾文会長の味方であることをやめる、という話ではありませんし」
「そりゃ、ジャンケンで味方が大いに越したことは無いけれど、そういうことじゃあ」
「……綾文会長」
櫛夜が、やや語気を強めた。
これから踏み込んだ事を言いますよ、という合図だ。
綾も気を引き締める。
「なにかしら」
「一つだけ確認しておきたいことがあります」
「ええ、どうぞ」
「もしジャンケンに負けた場合は、大人しく引き下がって騎馬戦を行うんですよね?」
「……それはまぁ、そうね」
「過去に何があったのか俺たちは知りませんけど、そこまで無茶苦茶なことはしないんですね」
「そのつもり」
櫛夜はそれだけ聞くと、はぁ、と息を吐いた。
「まぁしかし、現状打つ手はないですよね……」
櫛夜としては、ただ確認がしたかっただけらしい。
綾も話を蒸し返したりはしない。
「そうね……今日また奏音とジャンケンしてみる?」
「いえ、たぶん意味がないんじゃないかな、と」
「そうよね……」
「ただ、狩野たちも、何かは隠してそうな雰囲気がありますよね」
「あら、そう?」
「綾文会長は気付いてないですか」
「ええ」
生徒会で僅かばかりの会話を交わしてみての感想、ともいえない違和感。
奏音に友莉に優芽。
この二年生の三人からは、妙な距離感を感じた。
ただ初対面であるから、というもの以上のものだ。
優芽はただ恥ずかしがり屋なだけかもしれないが。
「まぁ、具体的にどうとかって話でもないんで、ただの気のせいかもしれませんが」
「へぇ、やっぱり櫛咲くんは人の心の機微に敏感なのね」
「それ褒めてるんですか」
「褒めてないわよ。貶してもしないけれど」
「褒めてないんですか」
「褒めてるように聞こえる?」
「いいえ、全く」
「そうでしょうね」
「はぁ」
数秒の間。
「ね、ジャンケンしてみましょうか」
いきなり綾がテンションを上げる。
「は、はい?」
「だから、ジャンケン」
「どうして」
「いいから、いくわよ。ちゃんと能力を使うこと」
「は、いや、ですから」
「はい、最初はグー」
無理矢理進める。
(ああもう、一回入魂)
櫛夜もさすがに慣れてきたのか、意味が分からないなりにこの綾の無茶振りに応える。
きちんと能力、ではないと櫛夜が思う、その能力を使って。
「ジャーンケーン、ポン!」
綾の掛け声と共に、二人が手を出す。
櫛夜が、チョキで。
綾が。
グー。
つまり。
綾の、勝ち。
「能力、使った?」
「能力じゃないですって。だから、いや、まぁ、確率制御の時にいつも言ってた言葉は念じましたよ」
「確率制御って」
「あぁ、これ姉がつけたんです」
「そうなんだ。まぁいいや。使ったんだよね」
「はい。ですが見てのとおり、また負けてますし、やっぱりこれ能力なんかじゃないのでは」
「二人」
「はぁ?」
「この場に、その場に二人しかいない時には、櫛咲くんの能力は発動しない、あるいは、必ず負けてしまうんじゃないかしら」
「いや、どうしてそう、なるんですか」
二人きりの時に発動しない、と綾はそう言うが。
そんなわけないだろう、と櫛夜は思わずにいられない。
ただでさえどんな原理かもわからない能力に、どうしてまた意味も分からない制限が加わるのだ、と。
どれだけ使い勝手が悪いんだと思う気持ちすら生まれない。
少しだって確率を制御できている気がしない。
だがしかし、今まで二人きりしかいない状況でジャンケンをした記憶は確かにあまりない。
ように櫛夜は思った。
だから、今回はそのままでいいか、というのが櫛夜なりの結論である。
綾の行動力には勝てない。
というか戦う気がない。
もう櫛夜にとっては、自身の能力なんてものは嘘でも本当でも、どちらでもよくなっていた。
どうせ明日には全て決まるのだ。
ジャンケンはどうせ、一度きり。
それまでは綾の好きなようにさせておこう。
櫛夜はそう誓い。
綾は謎の笑顔を浮かべていた。
「しかし、そうか、確率制御ねぇ」
「そんな大層なものではないですけどね」
「私のにも何か名前が欲しいわね」
「欲しいですか?」
「なんか、格好いい名前を付けてよ」
「嫌です」
「いいじゃない。減るもんじゃなし」
「それなら確率拾芥とかでどうですか」
「しゅうかい?」
「はい、拾うに、芥川の頭の文字で、拾芥です」
「難しい言葉を知っているのね。意味合いは確かに、拾い上げる、って意味だけれど」
「別に、確率制御に合わせただけですよ」
「いいじゃない。中々に知性を感じる名前で」
「当の能力そのものが知性の欠片もないけれど」
「ちょっと櫛咲くん?」
「すみません本音です」
「隠そうともしてないじゃない……」
確率拾芥。
確率を、拾い上げる、能力。
十円玉を拾い上げる綾にはぴったりの名前だろう。
能力が本物であれば、だが。
「まぁ、でも、櫛咲くんの力が二人きりでなければ発動することがわかっただけでも良しとしましょう」
「はぁ」
「危なかったわ。今日もここに誘っておいてよかった」
「はぁ」
「特に話し合う議題もないとは思ってたんだけど、なんか一緒にご飯を食べたくてね」
「はぁ……はい?」
「うん?」
「え、いえ」
「ん……ぁ」
「……」
「……」
再び、頬を染める綾。
気まずさを前面に出す櫛夜。
言葉の表面的な意味合いよりも先を深読みしようとはしたくない櫛夜だが。
言ってはいけない言葉を発してしまった、という表情であたふたしている綾を前に、冷静に頭が回らない。
「あ、あの、別に、他意は、他意はないのよ」
「そ、そう、ですか。あー、あの」
しっかりと目の前の綾の様子を見て、発言に間違いがないように確認しつつ。
「今日はご飯、まだなんですね?」
「……そう、だね」
何故、とは櫛夜は聞かない。
そこは、聞いてはいけない気がした。
綾の為にも、自分の為にも。
「なら食べましょうよ。別に普段通りじゃないからといって、恥ずかしがる必要もないでしょう」
「そ、そうよね。食べるだけ、食べるだけ」
「はい、そうです。食べるだけです」
綾はごくごく普通の学生鞄から綾らしい上品な包みを取り出し、丁寧に広げてお弁当箱を取り出す。
中身にはどうやら少しも手を付けていないらしく、きちんと中身が揃っている。
「へぇ、綺麗なものですね。是非とも参考にしたい」
「あれ、櫛咲くんて自分でそのお弁当作ってるの?」
「はい、姉が幾分、料理が苦手なものですから」
「そうなんだ……ふーん」
「なんですか?」
「え、ううん、朝そしたら結構早いんじゃない?」
「まぁ、多少は。でも部活の朝練をしている人たちとそう変わらないと思いますよ」
「なるほどなるほど」
妙に、悔しそうにしているのが気になるが、櫛夜はせっかくなのでもう一つ気になっていたことを聞いてしまう。
気になっていた、というか。
使いどころの問題、というか。
二人きりでは能力が使えないというのであれば。
もう少し掘り下げたくもなる。
「そういえば、綾文会長はご自身の能力をどうお考えですか」
「どうって?」
「いえ、一日に一度十円玉を拾うことが出来る能力でしたっけ」
「ええ、そうだけど」
「一日の定義を確認したことは?」
つまり、一日に一度、とは何を以ての定義なのか。
例えば、高校生には珍しいが徹夜した際にも日をまたげばどうなるのか。
零時きっかりに能力の更新が起きるのか、否か。
「ないわね、櫛咲くんは?」
「ないですね。ただジャンケンは基本、放課後やらホームルームでしかやらないですからね」
「まぁ、そうねぇ」
「あとは、十円玉、なんですか?」
「どういうこと?」
「海外旅行に行った経験はありますか? 海外だとどうなるんだろうと」
「行ったこと、ないわねぇ。10セント硬貨とかになっちゃうのかしら」
「それも不明ですか」
「不明ね。特別確認しなくてはいけないようなものでもないと思っていたし」
「それもそうですね」
綾は自分に能力があると確信している風だったので、そういった細かい所まで確認しているのかもしれないと思ったのだが。
そうでもないらしい。
ご飯を食べ終えた二人は、残り数分の休み時間にもどかしさを感じつつ、まったりとしていた。
いつでも休み時間の終わりとは、ほんの少しの侘しさがある。
櫛夜も綾も、特に話すこともなく、しかし、我先にと動くことは無かった。
まるで、ここが一番落ち着くとばかりに。
無言のまま、もうそろそろ教室に戻るか、という時間がいよいよ迫ってきたその時。
綾が、ぽつりと。
「明日、勝たないと、だ」
と、零した。
それを、櫛夜は、聞いて。
しかし、何も踏み込むことは、なかった。
本当は聞きたかった。
一体何を隠しているのか。
どうしてそこまで。
体育祭がなんだというのだ。
そこまで必死になって、何をしたいというのか。
過去に何があったのか。
聞きたい、と。
櫛夜は、思い。
聞き方を知らず。
結局、聞くことは。
なかった。
なかったから、櫛夜もまた。
「勝ちたい、ですね」
としか。
言えなかった。
本来であればここで。
きちんと聞くべきだったのだろう。
(でも、俺には、踏み込むだけの何かが、ない)
そう思って。
二人はそれ以上、近づくことはなかった。
「確率拾芥、か……拾い上げたいものが、あればいいんだけどね」
その真意だって。
櫛夜にはわからない。