表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/44

フェーズ2:第16話 体育祭前、声が届かない

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 体育祭が近づくと、校庭の上だけ声が乾く。


 教室では普通に届く一言が、外へ出た瞬間に急に頼りなくなる。

 並んで。

 次、前へ。

 色ごとに分かれて。

 水分とって。

 集合、急いで。

 先生の声、笛の音、クラスの返事、友達同士の確認。五月の終わりの校庭には、ちゃんと意味のある音が多すぎる。多すぎるせいで、必要な一言ほど地面の少し上でほどけていく。


 応援ポストは、体育祭の練習予定が貼られた掲示板の横に置かれていた。

 赤組、青組、練習順、全体練習、学年種目、予備日の紙。

 そのどれもが「ちゃんと見れば分かる」顔をしているのに、実際の校庭へ出ると分かるだけでは足りない。場所も、向きも、間も、全部いる。


「今日の校庭、会話が全部ちょっと遠い」

 横から札の子が言った。

 もう腕章なんてない。ただの在校生なのに、こういう時だけ人の困り方の輪郭をすぐ拾う。


「分かる」

 私は頷く。

「近くで言ってるのに遠い」

「しかもみんな少し急いでるから、聞き返しにくい」

「それもある」

「体育祭前って、聞こえないことが自分のせいっぽくなるんだよね」

 その言い方が妙に正確で、私は少しだけ笑った。

「去年のあなた?」

「去年の私」

「何したの」

「遠くから二回叫んで、二回とも届かなくて死んだ」

「現場比喩?」

「現場比喩」

 でも笑いごとじゃないのも分かる。

 校庭で声が届かない時、人はすぐ“声量”の問題にしがちだ。大きく言えない自分が悪いみたいな顔になる。でもたぶん、今日の困りごとはもっと別のところにある。


 私は箱の蓋を開けた。

 白い紙が一枚。折り目はきれいなのに、字の最初だけ少し強かった。


【HELP】

体育祭前の校庭で、声が届かない感じが苦手です。

先生の指示が聞こえない時もあるし、自分が確認したいことを言っても、相手が気づかない時があります。

外だから仕方ないのに、聞き返したりもう一回言ったりするのが、急に大げさなことみたいに感じます。

今日、新入生に「声が届かない時って何を先に近づければいいですか」と聞かれて答えられませんでした。

体育祭前の声は、どこから届くようにすればいいですか。

(高2)

追伸:声量の問題だと思うと、急に全部自分のせいみたいです。


「来たね」

 札の子が肩越しに読んで、少しだけ真顔になった。

「今日のやつ」

「今日のやつだね」

 声が届かない。

 たぶんそれは、喉の話だけじゃない。

 距離と、向きと、言う順番と、相手の手が空いているかどうか。そういうものが全部少しずつずれて、最後に“自分の声が弱いせい”みたいな顔をする。体育祭前の校庭って、そういう意地悪さがある。


 最初の返事は、昼休みの終わりに来た。

 小さめの字。角ばっていて、必要なことしか置かない字だった。


【返事】

高2へ

声が届かない時は、

声より先に

「足」

「向き」

「一言」

だと思います。

足=届く距離まで行く

向き=相手の顔か耳がこちらを向く位置

一言=確認したいことを一つだけ

です。

大きい声で二回言うより、

近い距離で一回の方がだいたい通ります。

(高3)

追伸:校庭では、声量より歩数の方が効くことがあります。


「歩数」

 私は声に出して読んだ。

「いい」

 札の子もすぐ頷く。

「大きい声より歩数、今日っぽい」

「うん。声が届かない時って、先に喉のせいにしがちだから」

 たしかにそうだ。

 でも、足、向き、一言。その順番なら、喉じゃなくて手順の話になる。体育祭前の困りごとが、少し人の手に戻る感じがした。


 二枚目の返事は、丸い字だった。行間が広くて、読んでいるこっちの肩が少し下がる。


【返事】

校庭で声を届けたい時は、

「相手の仕事が切れる瞬間」を待つのも大事だと思います。

走っている途中、列が動いている途中、先生が笛を吹いた直後は入りにくいです。

水分休憩の前後、

列が止まった時、

次の説明が始まる一拍前、

みたいな“拾える瞬間”に置く方が通りやすいです。

(大1)

追伸:校庭の声は、押し込むより拾われる隙に置く方が静かです。


「拾える瞬間」

 札の子がそこで言った。

「大学っぽい」

「もう習慣みたいになってるね」

「でも当たってる」

 悔しいけど、その通りだった。

 体育祭前の校庭って、全員が何かの途中だ。途中の相手に声を入れようとすると、届かないというより、拾われない。そこを待つだけで、たぶん少し違う。


 三枚目は短かった。


【返事】

遠くから二回言わない。

近くで一回。

聞こえなかった時は、言い直す前に寄る。

(中3)

追伸:校庭は、同じ言葉を大きくするより場所を変えた方が早いです。


「つよ」

 私と札の子が同時に言った。

 遠くから二回言わない。

 その一行が、今日の空気にはよく合っていた。

 遠くからもう一回言うと、声だけが疲れて、届かなかった事実だけが残る。そういう負け方、校庭にはよくある。


 四枚目は少し遅れて来た。

 字は小さいけれど、最後だけ少しやわらかい。


【返事】

新入生に聞かれたなら、

「聞こえない」を先に言わなくてもいい、

も伝えていいと思います。

「もう一回お願いします」

「次どこですか」

みたいに、

欲しいことだけ短く言う方が入りやすいです。

校庭では“困ってます”より“ここだけ確認”の方が通りやすいです。

(高3)

追伸:声が届かない時は、気持ちより先に用件を小さくします。


「用件を小さく」

 札の子が小さく言った。

「それも大事だね」

「うん。“聞こえませんでした”って言うより、“次どこですか”の方が今の話になる」

「校庭、長い前置き死ぬもんね」

 ほんとうにそうだと思う。

 校庭の声は、前置きから消えていく。最初に置くべきなのは、困っている気持ちそのものじゃなくて、今ほしい一個の確認なのだ。


 掲示板の横には、今日も紙一枚ぶんの余白がある。

 運動会の紙は増えているのに、そこだけはちゃんと空いている。声が届かない日の余白って、紙のためじゃなくて、息を整えるためにあるのかもしれないと思った。


 その時、短い負けが来た。


 新しい制服の子が一人、校庭へ出る渡り廊下の手前で止まっていた。

 高一っぽい。首には色分け用の小さいハチマキ。手にはしおりとペットボトル。視線だけが校庭と掲示板の間を行ったり来たりしている。

 あれはたぶん、もう一回聞きたいことがある顔だ。

 でも、今さら聞くのが大きい気がして止まっている顔でもある。


「行く?」

 札の子が小声で聞く。

「うん」

 私は頷いた。


 近づきながら、危うくこう言いそうになった。

 何聞きたいの?

 でも今日は、その問いから入ると少し重い気がした。聞きたいことを言葉にするまでに、もう一段、息がいる顔だったからだ。


「校庭、ちょっと遠い感じ?」

 私はそう聞いた。

 新しい制服の子は少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。

「あ、はい」

「さっき、説明あったんですけど」

 そこで止まる。

 聞き返せなかった時の止まり方だった。


「今、何が一番知りたい?」

 私は聞いた。

 その子はしおりを見て、それから校庭の方を見る。

「……次、どこに並ぶかです」

「それでいい」

 札の子がすぐ言った。

「用件、それ一個でいい」

 高3の返事が、そのまま現場の言い方で出てきた感じだった。


 私は校庭の方を見た。

 列はまだ動いている。先生の声も飛んでいる。今入るとたぶん拾われない。

「今はまだ途中だね」

 私が言うと、新しい制服の子は不安そうな顔になった。

「じゃあ、もう遅いですか」

 その言い方が少し刺さった。

 体育祭前って、聞けない数分がそのまま“遅れ”の顔をしやすい。


「遅くない」

 私はすぐ言った。

「列が一回止まる時がある」

 すると札の子が、校庭の水飲み場の近くを指した。

「今、あそこ休憩入りそう」

 見ると、たしかに学年の列が少し緩んでいる。笛もまだ鳴っていない。先生が次の紙を見ている。二枚目の返事どおりの“一拍前”だった。


「今なら歩数の方」

 札の子が言う。

「喉じゃなくて」

 それがおかしくて、私は少し笑いそうになった。

 でも新しい制服の子は、その言い方で少しだけ肩が下がった。


 三人で校庭の端まで歩く。

 風がある。声が散る。足元の白線が妙に明るい。

 その途中で、短い失敗が起きた。


 先生に近づく前に、別のクラスの掛け声が急に大きくなって、私が反射で「先生」と呼んでしまったのだ。

 声は出た。出たのに、向こうは振り向かない。

 しかも新しい制服の子まで少し固まる。

 あ、と思った。これが一番よくない負け方だ。遠くから一回。届かない。空気だけが少し恥ずかしくなる。


 胸の奥が急ぐ。

 急ぐけど、ここで焦ってもう一回大きく言うと、たぶんもっと崩れる。


 札の子がすぐ言った。

「寄る」

 短い。

 でも、その一言で戻れた。

 私は頷いて、今度は先生の横まで歩いた。ちゃんと顔がこっちを向く距離まで。

 そして新しい制服の子を少し前へ出す。


「次、どこですか」

 その子が言う。

 前置きなし。一言だけ。

 先生はすぐに振り向いて、青組の列の端を指した。

「あそこ。白線の二本目」

 それだけ。

 それだけで十分だった。


 新しい制服の子は、ぱっと顔を上げた。

「ありがとうございます」

 今度はちゃんと届いた。礼まで一緒に届く距離だった。


「やっぱり歩数だ」

 札の子が小さく言う。

「さっきの私、教材として優秀だった」

 私が返すと、札の子が吹き出した。

「それ、去年の私の役だったのに」

「今日は私」

 新しい制服の子も、一拍遅れて少し笑った。

 笑えるなら、まだちゃんと戻れている。


 ところが、ここでさらに短い負けが来た。

 並ぶ位置は分かったのに、その子が列へ行きかけたところで、また別の声が飛んだのだ。

「ハチマキ、今日は首じゃなくて腕!」

 遠くの誰かが言う。誰に向けた声か分からない。校庭の声って、時々そういうふうに全員の上へ落ちてくる。


 新しい制服の子の手が、そこで止まる。

 首のハチマキに触れる。

 また聞き返すべきか、でも今さら二個目は重い、という顔だ。


 私は危うく「あっちで聞こう」と言いそうになった。

 でも二個目を増やすと、今度はさっきの勝ちまで重くなる。


「今のは後ろでいいかも」

 私は言った。

「まず位置だけ入ろう」

 先送りの判断。二枚目の返事がここで効いた。

 札の子も頷く。

「声、全部は拾わない」

 新しい制服の子は少し迷って、それからはっきり頷いた。

「……はい」

 列の端へ入る。

 声が届かない日って、たぶん全部を拾おうとしない方が勝てる。

 一個ずつしか持てない時がある。


 先生の次の説明で、ハチマキの位置もちゃんともう一回出た。

 腕に巻くこと、色の見える向き、競技ごとに外さないこと。

 聞けた時にはもう、新しい制服の子の顔は最初ほど固くなかった。

 “今さら聞く”じゃなく、“今ここで拾えた”顔になっていた。


「校庭って、聞こえないのに情報多いですよね」

 その子が戻ってきてぽつりと言った。

 あまりにも正しいので、私は思わず笑った。

「ほんとに」

「しかも全部大事そう」

 札の子が足す。

「だから一個ずつでいい」

 そう返したら、新しい制服の子が今度はちゃんと笑った。


 体育祭前の校庭は、たぶん誰にとっても少し遠い。

 慣れている子でも、慣れていない子でも、声は何回かほどける。

 でもそれは、喉が弱いせいじゃない。場所と、向きと、タイミングの問題だ。

 そう分かるだけで、校庭は少しだけ人間の大きさに戻る。


 昼休みの終わり、箱の中にTHANKSが一枚入っていた。

 折り目は最初のHELPと同じ。真ん中の行だけ少し強い。


【THANKS】

体育祭前の校庭で声が届かないのは、

声量のせいだと思っていました。

でも今日、新入生に

「足」

「向き」

「一言」

の順でいい、と伝えました。

その子も、

最初は遠くから呼んで失敗したけど、

次は先生の近くまで行って

「次、どこですか」

だけを言えていました。

あと、全部の声を拾わなくていい、もかなり助かりました。

(高2)

追伸:校庭で必要だったのは、大きい声じゃなくて、届く位置まで行く勇気の方でした。


 読み終わって、私は体育祭の練習予定の紙をもう一度見た。

 クラス色。

 練習順。

 予備日。

 紙は静かだ。静かなのに、その向こうの校庭では今日も声がほどけている。

 でも、そのほどけ方にも手順がある。

 足。

 向き。

 一言。

 それだけなら、たぶん次も使える。


「じゃあ」

 札の子が、わざと少し改まった顔で言う。

「体育祭前の結論は」

「喉じゃなくて歩数」

 私が返す。

「語呂、ちょっといい」

「今日はちょっといい」

「じゃあ採用」

 そこで二人で少し笑った。

 笑って戻れるなら、二話目としてはたぶん十分だ。


 体育祭前の校庭って、たぶん全員の声を少しずつ遠くする。

 でも、だからこそ、全部を喉でどうにかしなくていい。

 届く位置まで歩く。

 相手の向きを待つ。

 一言だけ置く。

 そのくらいの手順で、遠い校庭にもちゃんと穴があく。

 声はそこから通るのだと思う。


 追伸:体育祭前、声が届かない日はある。でも、届く位置まで歩ければ、その一言はたぶんちゃんと届く。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ