9. 戦いの終わり
お母さんが話してくれた物語で聞いていた勇者とは、優しくて、勇敢で、魔族と因縁を持ち、いずれ魔王を打ち倒す者。
それならば、僕は勇者と呼ばれるのにふさわしい存在なのかどうか、聖剣のもとに向かいながら自問自答する。
お母さんは僕のことを優しい子だと、勇敢な子だと言ってくれた。そして、この里は魔族の姿をした人たちに襲われている。だから、僕には彼らと戦う理由がある。最後に、魔王を打ち倒すだけの力が、戦う覚悟が僕にはあるのか。お母さんは僕には戦わないで欲しがっていたし、そんな実力はないと思うし、そんな覚悟はない。けれど、じっとしていられなかった。両親を助けるために動かずにはいられなかった。
そうして聖剣の前にたどり着くと、そこには壁を背にして座り込んでいるヴィー君が居た。彼は視線を一度こちらに向けると、再び俯いてから語りだす。
「…ああ、ヒイロか。俺は今から里に向かうよ。結局、俺は聖剣を抜けなかった。こんな事態になったのに、勇者に選ばれなかった。…何が、俺の何が足りなかったんだよ」
無気力なヴィー君の横を通り抜けて、聖剣に向かって歩く。そして、聖剣とそのそばに存在する文字を見て、少しだけ恐怖と緊張が心の中に浮かぶ。
startup password: Zulfitein
この言葉の意味が英語と同じなら、この英語を読むと聖剣が起動して、きっと否応なく戦いの渦中に巻き込まれる。もしかしたら、自分の命も危ういかもしれない。そう思って躊躇する僕の背中を押したのは、前世の両親との思い出だった。
それは小学校の宿題で、自分の名前の由来を調べているときの思い出のことだった。
「父さん、俺の名前ってなんで緋色って言うの?」
「えっ!?えっと、それはね、緋っていう字には、生き生きと、明るく生きて、人との縁に恵まれますようにって願いが込められてるんだよ。あの、母さんには聞かなくってもいいからね」
「うん」
父さんが少しだけ挙動不審だったから、父さんのいない場所で母さんにも名前の由来について聞いた。
「父さんは何て言ったの?」
「緋って漢字の意味はなんとかみたいなこと言ってた」
「あら。それもあるけどね、あの人ってああ見えて結構ロマンチストなところがあるのよ」
「?」
「音の響きでも決めたのよ。緋色が誰かのためになれるような、誰かを守れるようなヒーローになって欲しいってね」
「あー!聞かないでって言ったのに。かっこいいと思ったんだもん」
そう言って、父さんは恥ずかしそうな顔をしていたけど、俺はとても良い名前の由来だと思った。だから、それ以来ずっと自分の名前が好きだった。
そうだった。父さんは、僕にも誰かを守れるようなヒーローになって欲しがっていた。そのことを今思い出した。父さんが俺の名前に込めた願いを思い出した僕は、躊躇うことも、臆することもない。
手のひらを天に掲げ、覚悟を胸に抱いて叫ぶ。
「助けてくれ、聖剣Zulfitein!僕がみんなを守るんだ!」
僕の言葉に呼応するようにして聖剣が眩い光を放つ。その眩さに、僕は思わず目を閉じる。そして、その光が収まると、僕の手には聖剣が握られていた。
「なんで…お前が」
里の人々、そして何よりお母さんとお父さんを助けるために、急いで里に向かって駆け出した。
聖剣を手にして里に戻ってくると、平穏だったころのは風景は存在せず、木々が燃え、家々が燃えている。火に包まれた里からは、血と肉と木の焼けるにおいが漂ってくる。どうしようもない絶望感が漂う中、奇妙なことに魔族の姿をした人が見当たらなかった。
「お母さん!お父さん!」
逃げ惑う人や、地面に倒れる人もいた。そんな里をお母さんとお父さんを探すために大声を張り上げても、一向に二人の姿は見当たらない。少なくとも、立っている人たちの中には、二人の姿はなかった。
そして、探し続けている間にも、そこら中から悲痛な声が聞こえてくる。
「助けてくれ…」
「痛い、痛いよ」
凄惨な光景に、先ほどまでの覚悟がすり減って行って、冷え冷えとした心になっていく。それでも僅かな希望と、意識しだした諦観とともに探し続けていると、一組の男女が倒れている場所の側で、人の姿をした男と里の若者が争っているのを見つけた。
「さっきのガキじゃねえか。くそっ、援軍として戻って来たのかよ」
「ごめんヒイロ。ごめん、本当にごめん」
「何言ってんの。意味がわからない。それよりも、こいつを捕まえないと」
僕の顔を見た見知らぬ男は、苛立ちを露わにしながら、僕のことを知っているかのように振る舞い、里の若者は、僕の顔を見た途端に涙を流しながら謝罪の言葉を口にした。泣いて謝られても、何のための謝罪なのかも理解できなかった。
そして、僕が戦いに加わると、その男の捕縛自体はあっさりと成功した。二対一になったために逃げることを諦めて命乞いをしてきたその男のことは、捕らえるだけにとどめた。
「あ、ああ。ヒイロ、始末しなくても良いのか?」
まるで、そいつを殺すことを促しているかのような言葉に、僕は何も言わなかった。もの言いたげなな表情を見ても、何も説明する気力がわかなかった。勇者としてそんなことするべきではないという思いも、そんなことをした僕のことを両親が受け入れてくれないだろうという不安感も、人として超えてはいけない最後の一線だという意識が僕のことを思いとどまらせたことも、説明する必要を感じなかった。
そして、捕まえた男を逃がさないように、若者に任せてから歩き出す。生き残った里の人たちを救うため、邪神教団を一人でも捕まえるためにも、まだ動かなければならなかった。
ありがたいことに、聖剣を見せただけで多くの敵が簡単に降伏し、そのおかげで、一部の邪神教団の人たちは簡単に捕らえることができ、残りは散り散りに逃げ去ってしまっていた。
気が付くとすべてが終わっていた。何のやる気も出ず、しばらくの間放心していると、先ほどの若者がこちらに近づいてきた。そして彼は、涙声で語り出した。
「ごめん、ヒイロ。俺を庇ったせいなんだ。お前のお父さんは、空から降ってきた魔族の襲撃から俺を庇ったせいで…。そのせいで、俺はお前のお母さんを守れなくって…」
言葉を理解することを、頭が拒む。そんなこと起こるはずがない。お父さんがそんなことするはずがない。他人を庇って死ぬなんて、そんなのありえない。必死でそう思い込もうとする。
「嘘だ」
「嘘じゃないんだ」
「お父さんがそんなことするはずない。そんな、自己犠牲なんてくだらないことするはずがない。そう言ってたのはお父さんなのに、そんなことしない。そんなこと、するはずがない…」
形だけの否定をする僕のことを、彼は痛々しそうに見てくる。その視線の意味を考えれば、僕が合流したときの状況を考えれば、何が本当のことなのかすぐにわかる。いや、本当は最初からわかっていた。あの場で倒れていたのは、間違いなく僕の両親だった。
そして、彼が戦っていた男が、アネッテの前で逃がした魔族と同一人物ならば、僕のせいだった。前世の平和の暮らしや、今世の穏やかな日常のせいで、甘い考えになっていた。アネッテに言われたように、僕の誤った判断が招いたことだ。全部自分のせいだという意識が、心を締め付ける。
今になってようやく、残される側の痛みを自覚できた。俺が前世で死んだとき、父さんも母さんもこんな気持ちになったのだろうか。そう思うと、改めて後悔が止まらない。
「ごめん、ヒイロ。お前のお父さんとお母さんは俺のせいで…」
その言葉に、先ほどまでとは異なる後悔を覚える。また、同じことをしていた。僕は全く成長していない。なぜこの期に及んでお母さんとお父さんのことではなく、父さんと母さんのことを考えたのか。なぜ再び前世の思い出に背中を押されてしまっていたのか。
僕はどこまでも親不孝で、本当に救いようがない。
「とりあえずこの里はもう終わりだ」
「そうだな、逃げよう。先に避難したみんなのことを追いかけないと」
後悔が体を包み込んでいたせいで、周りの声がどこか遠い世界での会話のように聞こえてくる。気が付くと、誰かに手を引かれながら、燃え盛る里を見捨てて逃げていた。