158:トーカ城・五日目
事実上の最終日となる、五日目。今日もハヤト……とリオンは、昼頃になってまだ城の中庭にいた。しかし理由は訓練ではなく、荷物をあちらの荷台からこちらの荷台に移すこと。
「あーっと次は……あー、あくー……アコットか!アコットって書いてあんのはあるか!」
「これだな。」
「よし、それもだ。おい!こいつも積め!」
学園の一団が乗ってきた馬車の荷台にはすでに、いくつかの包みや箱が積み込まれている。
これらの荷は今朝、城の補給品に混ざって運び込まれた物資だ。生徒や教官が帰路で使う消耗品がこれでもかと詰め込まれている。
そして「銀の短剣」でも若い方の傭兵二人は仕事を終わらせることよりも、それらの中身に関心があるらしい。物陰にしゃがみこんでこっそりと、包みの紐を緩めて覗き込んでいる。
「おっ……りゃ高そ……石け……。」
「花……か……匂い……ぞ。……げ……。」
「へ……っ。この荷……、……女せん……だろ。……か色っぽ……。」
「おいお前ら!なぁにやってるッ!さっさと仕事しろッ!」
「うっす。」
「さーせん。」
黒光りする胸当ての男が一喝するが、傍から見ても彼らの意識は手元というよりも、手元にあるモノの中身に向けられていることは瞭然だ。
しかし彼らもれっきとした「銀の短剣」の傭兵。そして傭兵ということはギルドでの登録を済ませているということ。
「あの二人にも身分を保証してくれたヒトがいるんですよね?」
赤毛の女が包みを抱え上げる姿を横目にハヤトが訊ねると、黒光りする胸当ての男は「まぁな。」と呆れ半分、苛立ち半分といった声色で唸る。
「よくは知らんが、どっかの商人の親戚らしい。」
商人一族の人間ならば傭兵という危険な職でなく、真っ当な職に就けそうなものだが。
「商人の親戚なら、実家の仕事とかありそうなもんですけど。」
「そうはいかなかったんだろ。」
そうはいかなかった、とは。けれど聞き返そうとして少年は舌を押しとどめる。
商人というとカネ持ちがイメージされる職業だ。まあ、この世知辛い世の中では比較的そうだろう。
しかし扱っている商品だとか、確保している販路だとかで事情は違ってくるはず。親族の多くに与えられるだけの仕事があればいいが、近しい家族しか養えない商人もいるはずだ。
そもそも本人に問題があれば、与える仕事などありはしない。例えば、雇い主の荷物を勝手に覗き込んでしまう程度のモラルしかなかったとすれば、大切な仕事は任せられない。
「はぁ……アイツら、戻ったら死ぬまでしごいてやる……ッ。」
荷台に積まれた荷物の数と積み込む予定だった荷物の数を確認している間も、黒光りする胸当ての男は若い二人の様子を窺っている。今度はたまたま通りかかった使用人の女の尻に手を伸ばそうとして、茶色の革の胴鎧を着た同僚に睨まれている姿を発見した。
まあ、ただ。「割れた杯」にいた傭兵たちは店員の尻を執拗に狙っていたし、「灯の館」なんてあからさまにアレな店だった。傭兵とはそういう生き物なのだ。
いや、そういう生き方しかできないから傭兵をやっている、と言えないこともないのだろうか。
そのようなことを考えている間に荷物は片づき、馬車はいつでも出発できる状態へ整えられた。
「ようしお前ら、明日からまた仕事だ。気ィ引き締めておけ。」
黒光りする胸当ての男の声を聞き、「おう。」や「あいよぅ。」と応じる傭兵たち。そして退屈そうに短い髪を掻く男と、退屈そうに剣の柄を弄る男。それから喉の奥が見えてしまうほどのあくびをする赤毛の女。
「リオンは何するの?」
「ああ?ンだな……。」
リオンは深みのある赤褐色の瞳であちらからこちらへと見渡すと「別に。」とだけ言って、防壁の上に続く階段がある方向へ歩いていった。
一仕事終えて城の中に入っていく傭兵の背と、一つまとめにした赤毛が揺れる背をしばらく見送った黒い髪の少年は訓練をするために、端に置いておいた装備のもとへ……。
「おい、黒髪。」
ふと、声がかかる。少年が振り返った先にはあの若い二人が並び立っていた。
「なんですか。」
「なあー、おい。あの女、本物の『紅い疾風』なんだってなー?」
「そうですけど。」
「おい、だってよ。」
「へえ。マっジか。」
二人はニタニタと笑って、半歩だけ詰め寄ってくる。
「なあ、アッチの具合ってどうだった?」
「……はい?」
装備を着込みながらでは、男の問いの意味がすぐに理解できなかった。ただ、このいやらしい笑みと先ほどから見てきた行動からして察しはつくというもの。
「リオンは仲間なんで。本人が嫌がることはしませんから。」
ハヤトは事実だけを返したが、男たちはまったく退かない。短髪の男はむしろさらに詰め寄ってくる。
「いやいやいいって、そーゆーの。どうせ一回くれーは試したんだろ?」
「そういうことはしてないです。」
「いいっだろ、男同士なんだからよっ。」
「ちょーっと聞かしてくれりゃいいからさ。な?」
「だからホントにしてないんですって。」
言葉での抵抗もむなしく、いやらしい笑みを浮かべたままの二人に両隣を抑えられてしまい、肩に腕を回されてしまう。
「わーかったよコレやっからさ!頼むよー!」
「ずぅっとご無沙汰なんだよぅ。ちっとだけでいいんだ、頼むって。」
とうとう小銀貨まで差し出してきた。この二人、本当にその手の話に飢えているらしい。
けれども無いことについて話すことはできないし、あったとしてもこの二人に話してやる道理はない。
「俺たちは仲間なんで。ホントにそういう関係じゃないんです。」
キッパリ終わらせるべく、ハヤトは肩に置かれた腕を払って中庭の明るい所に歩いていく。
だが、しかし。嫌になるほど足が重い。
胸の奥には心地の悪い熱が溜まっていく。
後ろからまだ気味の悪い視線を感じるとしても、強くなるために時間を費やすことを止める理由にはならない。
「あークソ、なんなんだよ。つまんねー野郎だな。」
「あんっなそそる女飼っててヤってねぇって、すまっした顔で嘘こきやがってクソがっ。」
「そそんのはお前の趣味だろ。」
「ああっいう気ィ強ぇ女ぁ、寝床で黙らせんのがいいんだろっ。」
「おいそれ、壊しちまったアレのことだろ。」
「ああっアレな。ま、売れ残りの使い古しだったしさあ。まぁそこそこイイ顔しやがったからっ、ちゃぁんと最期まで可愛がってやったんだよっ。」
「やーおっかねー。んーなことばぁーかやってっから勘当されちまうんだよ。」
「お前も伯父貴のカネでバッカみてぇに買ってっから尻ィ蹴っ飛ばされたんだろっ。」
「へっ、うっせーなぁ。どーせあと十年ちょいすりゃ、ぜーんぶオレのカネになんだからいいんだよ。」
安物の斧と盾の持ち手の具合を改めている間も、二人はそのような話をしていた。わざと聞こえるようにしているのかはわからない。
それとも、「同類」とでも思われているのだろうか。
斧の柄を握る手に、少しだけ力が籠る。
「……ああー、そうか。」
ふと、声が一際聞こえる。
「あーの銀髪女だな。」
「げ、あの気色わりぃ女かよ。」
盾の持ち手を握る手に、力が籠る。
「それっきゃねーだろ。奴隷の女ぁ手元にあって、手ぇ出してねーってったら。」
「だっとしてもだろ。あんなガキみてぇに細っけぇ女……ああまぁ、お前にはちょうどいいかっ。」
「やーどうだかな。なーんか顔もガキ臭ぇんだよなぁ。」
「あのチビよりゃいいだろっ。」
「おまっ!あいつはマジのガキだろ!さすがに無理だってーの!」
「はっはっ!さすがにかっ!」
耳に障る。下卑た笑い声が、耳に障る。
頭の後ろに目があれば、と少年は今ほど思ったことはない。ここにいるこれらがしている表情を拝んでやりたかった。
いやしかし、無くてよかったとも思う。見えるものなどわかりきっているのだから。
「けへっ。あっの女の脚、思い出すだけでたまんねぇよな。」
「なー。あの脚はそそるぜ、お前じゃねーけど。」
「隊長もあっの女で唾飲んでやがったぜっ。」
「あーだろうな。あの野郎、尻よか脚のが好きだろ。」
「だよなあ。オレらにはうっせぇくせにさっクソ野郎っ。」
「おーいおい聞こえちまうって!」
「構うもんかってんだっ!」
気に障る。下卑た笑い声が、気に障る。
胸の奥に溜まった熱が、沸々と膨らんでいく。
黒いたてがみが逆立つ。
奥歯が軋む。
だが、しかし。
瞳はまだ、黒色に煌めいている。
「おい。なぁに揉めてやがる。」
よく聞き慣れたやさぐれボイスが聞こえたのは、そういうタイミングだった。
「お前にゃ関係ねーよ。」
「へえ。銀髪だかガキだか脚だか聞こえたが?」
「……チッ。うっせーな。奴隷は黙ってろ。」
「たっく。オメェが『一番星』の女だっつって、オレたちは『銀の短剣』だぞ。」
「はっ。よく回る口じゃねぇか。」
リオンは視界の右端でそう言ってこちらへ首を振り、ニヤリと笑む。まるで、お前はどう思う、と訊いてきているようだった。
ハヤトは二人について思うところはなかった。
そういうことに、しておくことにした。
だというのにこの二人はこちらへ一歩、また一歩と近づいてきている。
「おい黒髪。スカしてんじゃねーぞコラ。」
「お貴族様っとオトモダチやりやがってよっ。テメェまでお貴族様っ気取りか?」
一歩、一歩と声が大きくなる。
肩が持ち上がる。つま先が地を掴む。
喉の奥が、ぎゅ、と締まる。
「ツラ貸せや黒髪。」
右肩に迫る気配。
右手に集まる熱。
けれども。ここで動いてしまえば、自分は__
「ンだよ、この手は。」
よく聞き慣れたやさぐれボイスが聞こえたのは、そういうタイミングだった。
「触んじゃねー奴隷女!離せコラッ!」
「ガキみてぇに喚くんじゃねぇ。」
「奴隷のくせっして『銀の短剣』に手ぇ出すってのかっ!」
「あークソ。やかましい野郎どもだな。」
後ろから「がぁっ!」という呻き声と、どす、という鈍い音が聞こえる。それはとても重く、相応の何かが地面に伏せたのだとすぐにわかる。
なおも聞き慣れた「仲間」の淡々とした声が右耳に聞こえる。
「なぁにが『銀の短剣』だ、趣味わりぃ一物ぶらさげやがって。お前らァせいぜい、腐った性根した糞垂らしだろうが。」
「アァンッ?!ンだとッテメェッ!」
しかし背後で騒ぎ立てていた人物は「んなっ?!」と情けなく喘ぐと、情けなく後ずさる擦り音を立てる。
少年はふと、辺りへ目を遣る。
漆喰の構造物の上階。中庭を臨む木造のバルコニーで、影よりも淵い漆黒に輝く両瞳。
太陽に当てられて影を垂らす軒。厨房と中庭を区切る扉の横で、紫がかった青色に煌めく双眸。
「盛る相手は選ぶんだな、クソガキ。」
聞いたことのないほどにひどく抑えられた、やさぐれボイス。
眼前で鈍重な圧力を頂点まで振りかざされた男たちは「ぁ……。」やら「……チッ。」とだけ漏らして、視界の端から建物の内側へ去っていった。
そうして少しして。ひょう、と風が吹く。
一つまとめにした赤毛が、ゆらりゆらりとたなびいている。
「ったく。世話の焼ける飼い主だな。」
そんな文句が聞こえた頃にはもう、安物の斧の柄は右腰に収められていた。
巻かれた布の染みは、まだ乾いていない。
「ありがとうリオン。」
「なぁにが『ありがとう』だ。好き勝手言わせてやがったくせに。」
好き勝手言われてしまったのはそうさせることを選んだのだから仕方がない、と少年は内心で首を振る。
それにしても。リオンはなんとも絶妙な……機を計ったようなところで乱入してきた。もしかしなくとも、あの二人の男に絡まれた段階から近くにいたのではなかろうか。
「ずっとどっかで聞いてたんでしょ。」
「……。」
まあ、途端にそっぽを向いてしまうのも彼女らしい。
ああ、それから。こちらにやってくる様子のない二人の「仲間」もいるのだった。
「ありがとうカーリー!ハルハル!」
二人はやはりバルコニーや扉の横にいて、ハルハルはこちらに手を振ってから厨房に入り、カルリスティアは銀色に輝く前髪を少し揺らして中に消えていった。
頼りになる。いつだってこの仲間たちは、頼りになるのだ。
__だから、俺がもっと……。
もっと、三人のために在らなければ。
「はぁ。ンか、腹減った。」
「なんか食べ物貰ってくれば?たぶんハルハルもおやつ貰いに行ったと思うし。」
リオンは鈍色の金輪の下をぼりぼりと掻きながら、「だな。」と呟いて歩き出し……不意に振り返る。
「お前もなんか食うか。」
ふむ、と少年は唸る。朝食をとってから少し経っているが、腹の虫が食事時を訴えてくる素振りはない。
それに。少年はまだ、激しい運動をするつもりだった。
「俺はいいや。」
「そうか。」
そう言って、今度こそ歩き去る赤毛の女。
ゆらり、ゆらりと左右に揺れる一つまとめにされた長髪を目で追いつつ、黒い髪の少年は右腰の斧の柄に手を伸ばすのだった。




