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『弓削』と『加野なつめ』

 ー − ー − ー


 「弓削? なに?オマエ……帰ったんじゃないの? 何してんの此処で?」


 加野なつめは視聴覚室前の廊下でクラスメイト弓削を見付け、不思議に思ってそう言った。

 なつめはペンケースを捜しに来たーーけれど、弓削の手に其れが在るのを『目撃た』。何故弓削が持っている? なつめはそう思ったーー拾ったのか? 違う。拾って『此処』にいる理由が解らない。加野なつめは視聴覚室へ向かう途中で違和感に気付き、こう思った。『どうして自分は視聴覚室へ行こうとしているのだろうか?』と。英語の授業で視聴覚室ココへと来たが、その後の授業の時にはペンケースは『在った』ではないかーーと。けれど足が止まらなかった。何だか気持ち悪い。勝手に足が動く様に。そして彼は辿り着いた。今日、『来てはいけなかった』此の『場所』に。此処で運命が変わった。加野なつめと、弓削ゆげ 光明みつあきの。



 表情の読めない光明が、手にした加野のペンケースを見える様に、目線に持ち上げた。加野があっと思うよりも、弓削が『其れ』を『ばら撒く』のが早かった。中身は全て廊下にて、弓削の足下へと転がった。加野が声を発するよりも早く、其れ等は弓削 光明に、『踏み潰』されたーー




 安物かもしれないーー然し加野には大切な品々だった。加野の家庭環境は、母子家庭シングルマザーだ。母しか居ないーー父とは離婚なのか死に別れなのかも判らぬ頃から、母しか居なかった。祖母も祖父も居ない。近所の八百屋のおっちゃんと、魚屋の夫婦が、なつめの食生活を支えていたと言いたく為る程、御世話に為った。親戚か親子かと言いたく為る程に、店も手伝った。ただでは貰えないと、なつめは頑張った。八百屋の娘には勉強を教えたりもした。八百屋のおっちゃんの嫁さんは、それで良く御飯を御馳走してくれた。三つ下の八百屋の娘も今や、無事に中学生に成った。未だ小学生のその下の弟とは、たまに一緒に遊ぶ。魚屋の娘はなつめより、歳上だった。その上に兄がいるらしいが、なつめは魚屋の長男には会った事が無い。継がないらしい。魚屋の娘も自分が継ぐのか?と、悩んでいた。なつめに『アンタ婿にして、私が継ぐか?』と冗談を言ったが、ジュウも歳の離れた魚屋夫婦の長女は本気では無いだろう。彼氏もいるらしいし。第一あの人は、魚より肉の方が好きだし、魚捌けないし、………継げねえだろ、あのままじゃと、なつめは羨ましく思った。八百屋の姉弟とも、その話題になると、つい笑う。八百屋は小学生の弟が継ぐ気満々で有る。『なつめ兄ちゃんには勉強で世話になってるし、兄ちゃんがもし就職するとこ、無かったら、おれが雇ってやるし』と、瞳を輝かせた。なつめは笑って、その時は世話になると言っておいた。


 高校に特別枠で受かった。授業料免除だ。おまけに学校側から、家庭環境を配慮して、『支援制度』の申し入れが有った。勉強に限り、学校外でも『支給』してくれると。つまりこれで加野は、母に負担を掛けずに予備校ーーつまり塾へ通えて、成績次第では大学へも行ける。大学へ推薦して貰える。特待枠として。


 特選枠には届かなかったが、なつめは安心した。これから挽回出来るのだと。母子家庭支援制度も有るが、未だに世間の目というやつは、母子家庭に好奇の目を向ける名残りが在った。なつめは好きで片親な訳でも無いのに、母子家庭だと知れると、『税金支援受けれていいな。母子家庭は。父子家庭より貰えるんだって?』と、言われた。母子家庭支援制度とは、金銭が貰える制度では無い。家庭環境の理由で、子供が幼く働けない時期に、生活費支援は受けれるが、其れなりに『お返し』もするのだ。金を返済する訳では無いが、『ボランティア』活動を言い渡される。勿論子供が小学生等になり、母親の負担か減ってからでいい。俗に言う孤児院や養護施設と呼ばれる場所へ出向いたり、それ関連の『イベント』の手伝いに借り出される。


 常にでは無い。年間で五回程で良いのだ。二ヶ月に一度でこなせるペースだ。そして其れは必ず自分の子供を参加させる事。其処が必須条件だった。然しなつめは、其のボランティア活動を楽しんだ。両親の居ない子、両親が育てない子、様々な理由で養護施設育ちの子供達は、何も卑屈な所は無かった。片親で、其の親が病気等で、長期入院等、そんな理由で施設が家な子供もいた。でも明るいのだ。彼等は確かに『寂しい』と言った。『悲しい』とも言った。けれど『楽しい』とも言った。イベントの主催は、『総合施設・タウンタウン・シティ』と、『株式会社〈ジャンピング・スモール・ラビット〉』であった。なつめは将来は、此の何方かの会社で働きたいと思う様に為った。此のボランティアを介して知り合った子供達は言っていた。『僕達、勉強頑張れば、将来タウンタウンに就職出来るんだって』と。いい笑顔だった。




 タウンタウンとは、総合商業施設で在った。所謂ひとつの『街』で在った。学校、図書館、病院、ホテル、レストラン、アトラクション・エリア、住居エリア、商店街もある、スーパーは無いが。そんな『夢のドリーム・シティ』だ。アトラクション・エリアには、美術館だの水族館だの映画館だのデート・スポットも有れば、休憩、散歩エリア(※公園)も有り、小学生、中学生に人気のスポーツ・エリアやゲーム・スポットも有るーーそんな施設ばしょだ。


 加野なつめは知らない。



 タウンタウンは海の父、陽藍が建設した事を。



 加野なつめは更に知らない。




 ジャンピング・スモール・ラビット、ジャンピング・スモール・スモールの所属する此の会社は、陽藍達が作った会社である事を。華月の子達も皆、此の会社でタレント(※社員)登録されている。華月の子達は街を歩いただけで声掛スカウトけされるので、陽藍が全員を産まれると同時に登録してしまう。スカウト対策で。



 華月 陽藍はジャン・ラビで副社長をやらされている事を。


 華月 海も芸能活動はしていなくとも、これを理由にジャン・ラビの所属タレントだと言う事を。


 海と陽藍と『出会った』なつめは、自分の『運命』が変わった事を。未だ、知らない。




 そして其れを知るのはこの後だ。




 ばきばきと嫌な音を立てて、プラスチックの文具達が砕けた。弓削の足の下で。加野は非現実になる。何が起きたのか? 弓削は何をしているのか?



 「ーー弓削?」

 加野なつめは、ちぐはぐなパズルの様に、感覚を戻す為に声を出した。弓削 光明は、幻か?



 然し、弓削 光明はリアルな実体だと知った。嘘も偽りも無かった。


 此方を見た弓削が、見た事の無い顔で言う。




 「僕はね、加野、おまえが『嫌い』だよーー気付かなかっただろ? 気付いてたらマヌケに、海君の家に『付いて』来ないよな? ーーー誘われたのーーー僕だったのに。ーーオマエ、ムカツク。」


 又、ばきっと、弓削が其の足で嫌な音を立てた。踏み潰したいのは言葉を綴るペンでは無く、綴り手の入れ物か中身なのかーーその両方か。両方で在ろうと。



 加野なつめをばらばらにしたいらしい。ただ、なつめに語らせれば『其れ(ソレ)』は大切ダイジな物だ。母と、八百屋家族と、魚屋家族の、細やかなる贈物ーー『合格祝い』だった。




 母が、少し高い(であろう)万年筆をくれた。



 八百屋の弟は消しゴムと、少しだけ高いであろうシャープペンシルをくれた。多分ふたつで、千円位であろう。



 八百屋の御夫婦はカラーペンをくれた。二本だ。中身の色を自由に選べる代物らしい。もっと良いものより、なつめが悦びそうだと。『勉強がんばれ』と。『文房具代(も)バカにならないだろう』と。書き易くて、気に入っている。経済的だし、気に入っている。そんななつめだ。



 魚屋の姉さんと、八百屋の姉が、『ふたりから』と、ちょっと小洒落た感の、ペンケースをくれた。なつめでは選べない感じの。ちょっと渋めの。『今使ってるの、小学校からずっと使ってるでしょ? 』と。なつめならこの先、大学に行っても使うだろうからと。



 魚屋の夫婦は、カバンをくれた。それは今こうして使っている、この鞄だ。『高いだろう』となつめが言ったら、夫婦は『そうでもない』と言った。将来『息子』に成るかもしれんしな〜とおじさんが冗談を言って、その娘が盛大に笑ったので、一瞬間を置いたが、つい皆で盛大に笑った。後で聞いたら、魚屋の姉さんは嫁ぐらしい。良かったなと言ったなつめは本当に嬉しかったが、すると魚屋はどうするのだろう?と、密かに思った。息子さんがいつか継いでくれたらいいなと。



 母と、おっちゃん達と、幼馴染からの『贈り物』は砕かれた。弓削の手に未だ、『入れ物』だけ残して。




 「ダサイ安物使ってるなって思ってた。海君のステーショナリー見た? 滅茶苦茶メチャクチャい品使ってるよ? 鞄も時計も一流品だった。家だって。僕は別に驚かなかったよ。『知ってた』し。加野は知らないだろ? 海君、朝、走ってるんだよ。僕、犬飼ってるんだ。朝散歩してて、気が付いた。顔の綺麗な男の子が頑張ってるなって。」




 弓削が訳の理解らない事をごちゃごちゃと言い出したので、なつめは言った。だから何だ?とーー


 弓削が向き直る。ペンケースのファスナー口に手を掛ける。それと同時に弓削は無理に己の両手を右と左に力一杯振り切る。又、加野なつめの耳に嫌な音が届いた頃には、最後の砦は見事と間違う程の無惨な形に引き裂かれた。物に何の罪が有るのか?ーー加野なつめには、弓削 光明はーー理解する事は叶わなかった。




 引き裂かれたペンケースが宙を舞う前に、弓削 光明の身体の中央から、異様なモノが、生えた。赤い鮮血。朱色の『腕』が、光明の中央を突き抜ける。非現実の光景。後方を見ようとする、光明。唇から伝う、赤い色の水。それらが血液だと知れるまでに、加野は沢山の時間を使った。初めて見る光景に、やはり『幻』だと思った。




 「ーー『正解』、加野君、なかなか『やるな』。」



 聞いた事がある様な、知らない様な声が彼に『聴こえた』時に、


 弓削 光明の後方から、『其れ』は『現れ』た。



 「よう、偽物君。ーー『準備』は『良いか』?」





 『逃げられないぜ?』ーーと言って出て来たのは、今日初めて見た本物、『華月 友』だったーー




 なつめは『夢』だと思った。有名俳優が、クラスメイトの胸をその『腕』で貫いてるのは。『非現実』だった。例え彼が『俳優』でも。




 友と、地味で普通な廊下にばら撒かれた『鮮血』は、何かの紋様のように、美しかった。此の世の『終わり』程ではーー無いにしても。



 なつめの『宝物』は血だらけな事だけは彼には『理解った』ーー。本当に、美しい位に。 

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