第524話:大騒動 その1
野次馬を掻き分けるようにして姿を見せたエリオと、その背後に続く兵士達。エリオは“現場”に到着するなり声を張り上げる。
「第一魔法隊所属のエリオ=ネイトだ! この騒ぎは……」
名乗りを上げつつ周囲を見回したエリオだったが、拘束された上で石畳に転がされたルヴィリアの元妹と御者の男、その傍らに立つセバスと周囲を警戒するサラ、そしてヴェルグ伯爵家の馬車から顔を覗かせるレウルスを確認し、微かに口元を引きつらせる。
「一体何なのか……聞かせてもらえますか、レウルス準男爵殿」
何が起きた、と言わんばかりの口調だったが、その傍らで兵士達に指示を出して野次馬の整理や情報の収集を始めるエリオ。兵士達は即座に動き出し、一人がこの場から駆け去ると、残った人員は地面に転がるルヴィリアの元妹などの様子を確認し始める。
「エリオ殿! こちらの女性の様子が妙です!」
そして、即座に兵士が声を張り上げた。その報告を受けたエリオはレウルスに動かないよう目線で伝え、すぐさまルヴィリアの元妹の様子を確認する。
「これは……毒か? 右手も拳が折れて……ん? 手のひらに……硝子の破片?」
「お客様! 『解毒』の魔法薬をお持ちしました!」
エリオが目を細めていると、野次馬の中から薬屋の店主が飛び出してくる。その手には一本の瓶が握られていたが、兵士達は突然の乱入者を即座に止める。
「なんだ貴様は? 『解毒』の魔法薬だと?」
「何故そんな――」
そこまで話を聞いていたレウルスは、ルヴィリアの容態も気にかかっていたため即座に動く。馬車から降りるなり石畳を蹴りつけて轟音を響かせると、兵士の注目を集めながら歩き出す。
「先日国王陛下より準男爵に叙されたレウルスだ。『魔物喰らい』、『精霊使い』と名乗った方が通じるか?」
「っ、貴殿があの……いえ、しかしこの状況は」
「そこの地面に転がっている娘がいきなり馬車の窓をぶち破って毒をばら撒いてきてな……店主殿はこちらの注文に応じて魔法薬を持ってきてくれただけだ」
立場を誇るつもりはないが、今は前面に出した方が話も通じやすいだろう。そう考えたレウルスが説明しながら薬屋の店主の傍まで歩み寄ると、兵士達は顔を見合わせて一歩下がる。
薬屋の店主が差し出してくる『解毒』の魔法薬を受け取ったレウルスは、その場で頭を下げた。
「申し訳ない、店主殿。金が足りなければ後日改めて払いに行かせてもらう」
「い、いえ……足りないどころか大金貨が入っておりましたので余ったぐらいでして……」
「なら迷惑料に受け取っておいてくれ……いや、小金貨を一枚だけ返してもらえるか?」
「も、もちろんです!」
レウルスがそう言うと、薬屋の店主はレウルスが渡した財布を即座に取り出し、小金貨一枚を返す。その表情は本当にそれだけで良いのかと言いたげだったが、レウルスとしてはそれで構わなかった。
「すまない、そこの店の方。これで布地を売ってくれるか? 羽織れる大きさがあれば良い」
レウルスが続いて視線を向けたのは、野次馬によって商売が邪魔されている服屋の店主だった。小金貨を渡すと慌てたように受け取り、これまた慌てた様子でレウルスが希望した商品を持ってくる。布地を希望したが、服屋の店主が持ってきたのは薄手ながらもしっかりとした作りの外套だった。
「こ、こちらでよろしいですか?」
「ああ、助かるよ」
レウルスは礼を言って馬車に戻ると、体を起こしたものの辛そうな表情をしているルヴィリアに外套を羽織らせる。そして『解毒』の魔法薬の魔法薬を差し出した。
「すまないが、ルヴィリアはこれを飲んで体を休めていてくれ。俺はセバスさんと一緒にエリオさんに話をしてくる。エリザ、ルヴィリアを頼む」
「うむ……任せるのじゃ」
「えっ? いえ、あの……レウルス様? これは……」
エリザにルヴィリアを託して馬車を降りようとしたレウルスだったが、ルヴィリアは困惑したように『解毒』の魔法薬を揺らす。
「まだ毒が残ってるかもしれないだろ?」
「い、いえ、そうではなく……レウルス様が飲まれるべきでは?」
「…………あ、ああ、そういえば俺も毒液を被ってたっけ」
『熱量解放』を使っているのもあったが、怒りで痛みを完全に忘れていた。そのためレウルスは困惑したように答えたが、そういえば、とその視線をルヴィリアの元妹へと向ける。
毒液が入った瓶を握り、拳が折れる威力で硝子窓に叩きつけたのだ。当然ではあるが少女も毒の影響を受けており、肌の色が紫色に染まりつつあった。
セバスが行ったのか右腕をきつく縛って毒の巡りを遅くしているようだが、先ほどまでのルヴィリアの様子を見る限り遠からず命を落とすだろう。
(俺は……まあ、後で大教会に行って『解毒』を使える人を探すか。あとは魔法薬をどちらに飲ませるか……)
ルヴィリアの体調が快復していない以上、ルヴィリアに飲ませるべきだろうとレウルスは思う。しかし、地面に倒れ伏した少女から情報を得ようと思うならば生かしておく方が良い。
(……いや、御者の男がいるから“別に構わない”か?)
どちらに“歌わせるか”はレウルスとしては重要ではない。必要な情報が得られるのなら、御者の男が生きているだけでも十分だろう。
レウルスはそう思考し――疲れたようにため息を吐く。
「……それじゃあルヴィリアさん、その薬を半分飲んでください。残った分はあっちの治療に使います」
「わ、わかりましたっ」
ため息を吐いて頭を冷やすと、それまでの思考を放り捨てた。あまり自覚はなかったが、怒りで思考が物騒になっていたのだろう。
そう判断したレウルスは頭を振ると、事情を説明するべくエリオのもとへ歩み寄るのだった。
そして、一通り話を聞いたエリオは盛大に頭を抱えた。
「今だけは礼儀を忘れさせてくれ……レウルス殿、冗談だろう?」
「これが冗談なら良かったんですがねぇ……」
野次馬に聞こえないよう声を抑えて尋ねるエリオに、レウルスは苦笑を浮かべながら答える。
「あちらのお嬢さん……子爵家の御令嬢がいきなりルヴィリア殿に罵声を浴びせながら近付いてきて、馬車の窓を殴って割って、馬車の中に毒をばら撒いた……冗談だろう? 頼むからそう言ってくれたまえよ……」
エリオは頭痛を堪えるように顔をしかめた。しかし、そんなエリオの願いを裏切るように、兵士達が次々に声を上げる。
「エリオ殿、ヴェルグ伯爵家の馬車を確認しましたが、準男爵殿の仰る通り床に毒と思しき液体が残っていました。瓶に採取してあります」
「周囲の住民や店主に話を聞いてみましたが、準男爵殿の話の通りのようで……十人以上話を聞きましたが、全員一致しています」
「一部の住民からは、ヴェルグ伯爵家の馬車がもう一台の馬車に追い回されていたとの情報が……」
エリオとしては頭の痛いことに、挙がってくる情報は全てレウルス達の報告を裏付けるものだった。頭が痛いというのも、レウルス達の報告を疑っているわけではない。職務上知り合いだからと全てを信じる真似はしないが、出てきた情報を並べてみるとレウルス達側があまりにも“一方的”に被害を受けている。
ルヴィリアの元妹や御者の男に関してレウルス達が取り押さえたのは、当然の行動だろう。下手すればその場で殺されていても問題にならないようなことを仕出かしているのだから。
「うーん……これは少し……いや、かなり……滅茶苦茶まずいなぁ」
「何がまずいんです?」
無論、レウルスとて今回の一件が“まずい”ことは理解している。だが、エリオの反応を見ていると、自分が考えたこと以上の大事に発展しそうだと思わざるを得なかった。
「この規模の騒動となると……とりあえず君、アメンドーラ男爵家、ヴェルグ伯爵家、あとは精霊様が巻き込まれたから精霊教……南部貴族を取りまとめるグリマール侯爵家も追及に加わってきて、子爵家側が下手を打つと戦になる」
「……なりますか」
「なる。名分は明らかに君達にあるみたいだし、尻馬に乗ろうと他の貴族が首を突っ込んでくることもありえる……かな? 少なくとも宮廷貴族は嬉々として首を突っ込んでくるだろうね。その辺りはまあ、グリマール侯爵殿の手腕の見せ所、かな……」
少しばかり自信がなさそうに話すエリオだったが、レウルスとしてはそこまで広範囲に話が広がるとは思っていなかった。あくまでエリオの予想でしかないが、第一魔法隊の人間として王都やその近辺で活動している身としてはあり得ないことではない、と言わざるを得ない。
「そういうのって、普通は周囲が止めません? 国王陛下とかも……」
「両方に非があって対立しているのなら仲裁もするけど、今のところ君達に非があるようには思えないしね……これで仲裁をしたら、今度はヴェルグ伯爵家が納得しないだろうし……君も納得しないだろう?」
そう言ってエリオは視線を逸らす。その視線の先には、先ほどこの場から離れた兵士が他の兵士を連れて駆けてくるのが見えた。
「治癒魔法が使える人員を連れてきました。準男爵殿やルヴィリア殿、被疑者の治療に当たります」
「ああ、頼む……レウルス殿も?」
兵士の報告を受けたエリオは頷きを返したものの、すぐさま首を傾げた。そしてレウルスの顔を見て、そのまま背中側へと回り、目を見開く。
「レウルス殿、その背中……って、何で平然と動き回ってるんだ!? むしろよく動き回れたね!? 背中の部分、服がほとんど溶けてるじゃないか!?」
レウルスが動き回っていたため、ルヴィリアと同じように毒を浴びたとは思っていなかったようだ。目を剥いて驚愕するエリオに、レウルスは苦笑を浮かべる。
「なんか毒に耐性があってですね……あとはまあ、『強化』っぽい魔法でなんとかって感じです」
「こちらとしては、なんで毒に耐性があるのか心底不思議なんだけど……本当に大丈夫かい?」
そう言われてレウルスは自身の体調を再確認するが、『熱量解放』を使っているため痛みも気持ち悪さもほとんど感じない。
そのため試しに『熱量解放』を切ってみると、即座に痛みが背中から這い上がってきた。
「あ、割と痛いですね、これ……いだだっ、痛いというか辛いっ!」
痛みと気持ち悪さを感じ、視界が揺れそうになる。一応言葉にできる程度の酷さではあるが、ルヴィリアの様子を見る限り本来は“この程度”で済むような毒ではないのだろう。
『熱量解放』は魔力を消耗し続けるため、レウルスは『強化』に切り替える。すると、痛みと気持ち悪さが多少なり軽減された。
(大精霊に言われた通り、毒への耐性があってもこの痛み、か……洒落にならんな)
エリオの手前、口に出して明るく振る舞ってみせたが、仮にエリザ達に毒液がかかっていたらどうなっていたか。そう思わざるを得ないほど強力な毒の感覚に、レウルスは内心で感情を尖らせる。
レウルスだけでなくルヴィリアもエリザ達を庇ったおかげで無事だったが、一歩間違えれば“どうなっていた”か。
「……とりあえず、治療を頼みます」
「そうしてくれたまえよ……せっかくできた友人が毒で死ぬなど御免被る」
そう言って笑うエリオに、レウルスも笑って頷きを返す。
(しかし、ここまで毒が強いとなるとあの下手人は“もたない”かもな……)
一応『解毒』の魔法薬を使ったが、ルヴィリアに与えた分と比べれば僅か五分の一程度だ。兵士が連れてきた治癒魔法使いがどれほどの技量かにもよるが、毒を抜き去るのは困難だろう。
「それで、だ……ひとまず両家の馬車を証拠品として預かり、捕縛した二人に関しても治療が終わり次第連行させてもらいたいんだが」
「ルヴィリアさん、まだ体調が悪いんですが……」
「――ではわたしが協力いたします」
そんな言葉が響き、レウルスはそちらへと視線を向ける。
「精霊教徒の方が大教会へと駆け込んで来られまして……微力ながら、わたしもお手伝いをいたしますよ」
そこには、真剣な表情を浮かべたソフィアが立っていたのだった。




