第522話:追跡者 その2
それまでヴェルグ伯爵家の馬車を追跡していた馬車から下りてきたのは、一人の少女である。外見だけで判断するならばレウルスやルヴィリアよりも年下で、おそらくは十五歳前後だろう。
貴族の令嬢らしく薄橙色のドレスを身に着けているが、背中まで伸びた茶色の髪は手入れが行き届いていないのか少しばかりボサボサで、ある程度整って見える顔立ちも“とある一点”が全てを台無しにしている。
(なんか、やばい目をしてるな……)
どことなくルヴィリアに似た顔立ちをした少女だったが、その目は血走っていてギラギラと輝いていた。堪えきれない怒りを噴出させるように肩をいからせ、ヴェルグ伯爵家の馬車目掛けてゆっくりと距離を詰めてくる。
「……あれ、誰ですか?」
ルヴィリアの口ぶりから知り合いだろうと判断して声をかけてみると、ルヴィリアは逡巡するように視線を彷徨わせた。しかしこの状況で答えないわけにもいかないと判断したのか、小さな声で呟く。
「……妹、です……」
「妹? ああ、そういえば妹が三人いるって聞いた覚えがあるような……」
「ご存知でしたか……ええ、まあ……一応は……」
どうにも歯切れが悪いルヴィリアの言葉にレウルスは眉を寄せる。
ルヴィリアに妹がいることは、以前ナタリアから聞いていた。そのためすぐに納得したレウルスだったが、ルヴィリアの態度には疑問が残る。
これまでの付き合いから考えると、ルヴィリアはレウルスに似て身内には相応に甘い性格に思えた。実際、兄であるルイスとの仲は良好で、嫁に行った姉と不仲だという噂も聞いたことがない。
(ルイスさんとルヴィリアさんは……性別の違いがあるけど、似てるっちゃ似てる。でもあの子は……)
似てはいる――が、ルヴィリアと姉妹だと言われると首を傾げてしまう程度にしか似ていない。
そのためレウルスが記憶を探っていると、エリザが何かに気付いたように口を開く。
「まさか、とは思うんじゃが……異母姉妹では?」
「……はい」
エリザの確認するような問いかけを受け、ルヴィリアは小さく頷いた。それを見たレウルスは合点がいったように目を細める。
(なるほど……ルヴィリアさんは妹って言ったけど、要は前ヴェルグ伯爵の妾の子か。そういえば姐さんも正妻と妾がどうのって言ってたっけか……ん? あれ? 何かおかしいような……)
ここでも“家庭問題”が出てくるのか、などと思いかけたレウルスだったが、記憶に引っかかるものを覚えた。
(ルイスさんがヴェルグ伯爵家の家督を継いで、ルヴィリアさんのお姉さんが既に結婚済み。ルヴィリアさんはまだで、その下に妹が三人……でも、この前の俺の叙爵の祝宴でルイスさんが言ってたのは……)
――俺としては“家に残った”可愛い妹のためだからね。良縁のためならいくらでも口を挟むさ。
レウルスの記憶違いでなければ、ルイスはそう言っていた。その時はいつも通り妹可愛さによる発言だと流していたが、レウルスとしては嫌な予感を覚えてしまう。
「ルヴィリアさん、エリザの言葉を真似するわけじゃないんですが……まさか、妹って言っても頭に“元”がついたりしませんよね?」
否定してほしいと思いながら問いかけると、ルヴィリアはレウルスの視線から逃げるように俯いてしまった。
「んー? なにがどうなってんの?」
話を聞いていたサラが不思議そうに首を傾げ、ネディも似たような反応を示す。しかしレウルスはサラやネディに返す言葉を持たず、盛大に頬を引きつらせた。
(ルヴィリアさんの顔を見る限り、“狙って”今の状況を招いたわけじゃなさそうだが……元妹ってことはなんだ……ルヴィリアさんの親父さんが離婚した“元”妾の子供ってことか?)
そんな少女が、目を血走らせながら近付いてくるという現状。レウルスは『首狩り』の剣の柄に右手を這わせつつ、『思念通話』を使う。
『エリザ……一つ質問がある』
『予想はできるが……なんじゃ?』
『貴族って、離婚できるのか?』
嫌な予感が強まるのを感じつつも、レウルスはエリザへと尋ねる。
『……ワシが知る限りでは、“余程のこと”がないとできないししないはずじゃ。どんな理由があるにせよ、娘を嫁がせた側からすれば突き返されたようなもの……それも今回の話を聞く限り、ヴェルグ伯爵家は妾と子供と一緒に突き返したんじゃろうな』
『そうか……それを聞いて嫌な予感が余計に強くなったぞ』
『奇遇じゃな。ワシもじゃ……』
“いつ頃”妾と離婚したのかはわからないが、ナタリアからも話を聞いたことがない以上秘密裡に、情報が漏れないよう注意を払った上で離婚したのだろう。
――レウルスとしては本当に、どうしようもないほど嫌な予感を覚えてしまう。
(ヴェルグ伯爵家は元々子爵家……長い歴史があるんだろうけど、先代がグレイゴ教徒の力を借りたってことで隠居してルイスさんに家督を譲った。“それなのに”代替わりと同時に伯爵になったってことは……)
昇爵するに足る“何か”があった、というわけだ。ナタリアが四代を経て準男爵から男爵になったような真っ当な理由ではなく、後ろ暗い何かが。
そこまで考えたレウルスは、眼前のルヴィリアを見た。以前は病弱で、今は健康になったルヴィリアを――かつては“毒によって体が弱っていた”ルヴィリアを、レウルスはじっと見つめた。
「ルヴィリアさん」
「っ……」
レウルスが名前を呼ぶと、ルヴィリアはびくりと体を震わせる。それでも何とか視線を上げたルヴィリアは、震える瞳でレウルスの視線を受け止める。
「面倒そうなのが来てるんで、手短に尋ねます。今の状況、これは狙ってやったことですか?」
王都に来て“色々と学んだ”レウルスとしては、ルイスが仕込んで今回の状況を引き起こしたと言われても納得するしかない。むしろその手腕には感嘆するほどだ――自分達が巻き込まれていなければ、だが。
そう思いながら問いかけたレウルスに対し、ルヴィリアは瞳を逸らさないままで首を横に振る。
「いえ……いえっ! 家名に誓って、そのようなことはありませんっ!」
「……ルヴィリアさんではなく、ルイスさんが狙った可能性は?」
ルヴィリアがこのような真似をするとはレウルスも思っていない。そのため、本命の名前を口にするとルヴィリアは僅かに逡巡した。
「っ……絶対にない、とは言えません。ですが、当家の外聞も悪ければ、こうしてレウルス様に疑われることにもなります。可能性はゼロに近いかと」
ルヴィリアもルイスの“仕掛け”である可能性に思い至ったのだろう。だが、すぐさまそれを否定する。
(家庭問題に巻き込んで俺を無理矢理ヴェルグ伯爵家側に引きずり込む……いや、ないな。ルイスさんにしちゃあ杜撰過ぎる)
レウルスがルイスの性格を知るように、ルイスもレウルスの性格を知っている。ヴェルグ伯爵家の“秘密”を知ったからと引きずり込もうにも、レウルスがそれを拒否するとわかっているはずなのだ。
そもそも、そんな強引な無理筋を通そうとすればナタリアだけでなく精霊教すら敵に回しかねない。ルイスがそのように危険な――それも意味がない手を打つとは思えなかった。
(ということは、だ……)
レウルスはヴェルグ伯爵家の馬車近くまで歩み寄ってきた少女を窓越しに見る。地面の石畳を踏み砕かんばかりに蹴りつけ、目を血走らせたままで少女が大きく息を吸い込む。
そして、叫んだ。
「ルヴィリアアアァッ! 降りてきなさいっ! 降りろ! ルヴィリアアアアアアァッ!」
怨嗟のこもった叫び声が周囲一帯に響き渡る。
「あのお嬢さんが勝手に動いただけって話か?」
喉が裂けんばかりに叫ぶその姿に、レウルスは思わず呟く。すると、さすがにいきなり叫び出すとは思っていなかったのか、御者席に座っていたセバスが慌てた様子で声をかける。
「おやめください。子爵家の御令嬢ともあろう方が――」
「子爵家の御令嬢? ハッ! 心にもないことを言うんじゃないわよ! セバス、アンタの主人が……前ヴェルグ伯爵がお母様を離縁してどうなったと思ってるのよッ! ええ!? 言ってみなさいよ!」
叫びながらセバスを左手で指さす少女。その手は怒りによるものか、ブルブルと震えている。
「肩身が狭いったらありゃしない! お爺様には白い目で見られてお母様はやつれ果てた! わたしも妹達も先はない! そんな状態で張るべき見栄なんてないのよっ!」
そう言って更に馬車との距離を詰める少女。市場にいた王都の住民達は一体何事かと遠巻きに見てくるが、止めに入る様子はない。少女が乗っていた馬車の御者も、項垂れるようにして御者席に座ったままだ。
(グリマール侯爵とニコラ先輩の時もそうだったけど、今回はとびきりだな……)
目を血走らせたままで叫ぶ少女を馬車の窓越しに眺めながら、レウルスはそんなことを思う。衆人環視の中でここまで騒げるとなると、恨みの深さも相当なものだろう。
あるいはこうして騒ぐこと自体、ルヴィリアやヴェルグ伯爵家の名声を傷つける目的があるのかもしれない。
「ルヴィリアさん、どうしますか? このまま放置して馬車を出してもらいますか?」
少女が馬車から下りているのならば、一足先に移動し始めれば追跡も困難になるはずだ。そんなことを考えながらレウルスが問いかけると、ルヴィリアは首を横に振った。
「さすがにこのまま放置するわけには……」
そう言いながら、ルヴィリアが馬車の窓へと体を近づける。すると、それまでセバスに向かって叫んでいた少女が音の立つ速度で振り返り、馬車の扉へと飛び掛かった。
「ルウゥゥヴィリィィアアアアアアァァ!」
「おっと」
少女が扉を開けようとしたため、レウルスは扉の取っ手を掴んでそれを阻止する。膂力の差があるためレウルスが片手で取っ手を掴んでいても扉を開けられないが、少女は歯を剥き出しにしながら扉を開けようと藻掻く。
「ああああ開けろおおぉっ! 邪魔をするなあああぁっ!」
「と、言われてもな……このまま力を抜いたら逆に危ないか?」
言われた通り扉を開ければ、そのまま勢いよく吹き飛んでしまいそうだ。そのためレウルスはどうしたものかと思案する。
さすがに斬るわけにもいかず、かといって殴り飛ばすわけにもいかないだろう。セバスの話を信じるならばヴェルグ伯爵家を追い出されたあと、母親の“実家”である子爵家に身を寄せているらしい。
扱いは悪いようだが、手を出せば一方的な被害者という立場が一転してしまうかもしれないとレウルスは思った。
「セバスさん、そっちからどうにか無傷で取り押さえて――っ!?」
今ならばレウルス達に注意が向いているため、セバスが取り押さえるのも容易なはずだ。そう思って声をかけていたレウルスだった、少女が取った行動にレウルスは目を見開く。
ドレスのスカート部分の内側に手を入れたかと思うと、“何か”を握り締め、窓に向かって全力で拳を叩きつけたのだ。
馬車の中から外を見るための硝子窓が砕け、少女の拳からも骨が折れるような音が聞こえ、割れた硝子窓の破片で鮮血が舞う。そして同時に、少女が握り締めた拳が解かれて“中身”が飛び散った。
(液体――チィッ!)
この状況で使うようなものならば、ロクなものではあるまい。レウルスはそう判断してエリザ達を庇おうとしたが、レウルスの体で全てを覆うのは不可能だ。かといって宙に舞った液体を先に全て受け止めることもまた、不可能で。
「燃やして――」
「凍らせて――」
サラとネディが咄嗟に魔法で排除しようとするが、それも間に合わない。少女の行動があまりにも常軌を逸していて、虚を突かれてしまった。
「っ、危ない!」
真っ先に動けたのはレウルスで――少女の行動を見ていたルヴィリアが続いて動き、エリザ達に覆いかぶさるのだった。




