第519話:王都観光 その1
『龍斬』に住み着いた“何か”の存在を知り、二日の時が過ぎた。
その日、レウルスは朝から礼服に着替えて居間に座り、『龍斬』を前にしながら首を捻っていた。
「……うん、良い名前が浮かばないな」
あれこれと考えてみたレウルスだったが、結局良い名前が浮かばずにただ時間だけが過ぎてしまった。
レウルスが名前を付けたサラやネディは特徴から名前を連想したが、『龍斬』を通して話しかけてくる“何か”に関しては姿も形も見えず、声や話し方も幼さこそ感じるが性別すら読み取れないのだ。
せめて性別がわかれば名前の付けようもあるが、剣自体が自身の性別を認識していない、あるいはそもそも性別が存在しないのか判別できないのだ。
「あなたには今までに何度も驚かされてきたけど、今回はとびきりね。わたしには声が聞こえないけど、喋る剣なんて聞いたことがないわ」
腕組みしながら頭を悩ませるレウルスの姿に、ナタリアが苦笑しながら言う。
「俺もこんなに驚いたことは今までにない……いやでも、いきなり準男爵になれって言われた時の方が……やっぱり今回の方が驚いたな、うん」
レウルスも苦笑を返し、『龍斬』の柄に触れる。すると、脳裏に幼げな声が聞こえてきた。
『まだー? ねーまだー?』
「すまん、まだなんだ……どうにもしっくりくる名前が思い浮かばなくてな」
苦笑しながら剣の柄をつつくと、笑うような声が返ってくる。レウルスはその声に苦笑を深めてから肩を竦めた。
「こういうのはどうにも苦手でな……家紋はともかく、家名も思い浮かばないし」
そう言いつつ、レウルスは懐から一枚の紙を取り出した。下書きとして自身がイメージする家紋を書き殴ったものだが、家紋は非常にシンプルに、大きな二重の丸に加えて斜めに描いた真紅の大剣を重ねたものだ。
「剣はわかるのだけど、この二重になっている丸は何なのかしら?」
「おやっさんの塩スープ。器にスープが入った絵でも良いと思ったけど、さすがに却下されそうだから二重の丸にしたんだ」
「……なるほど。あなたらしいわね」
ナタリアは表情の選択に困ったようだったが、最後には苦笑を浮かべる。
「剣の名前はともかく、家名の方はなるべく早く決めてちょうだい。提出しても確認が終わるまでは王都から帰れないわ」
「王様の依頼は?」
「最悪、断れば済む話よ……受けるまで家名や家紋の承認が下りない、なんてことがありそうだけどね」
「そりゃひどい嫌がらせだ……ちなみに、姐さんは先祖代々の家名として、コルラードさんはどうやって家名を決めたんだ? 姐さん知ってるか?」
参考になれば、と思いながら尋ねるレウルス。しかし、ナタリアは頬に手を当てながらため息を吐く。
「さあ……何か思い入れがある名前なのかもしれないわね」
「思い入れか……さすがに家名がスープじゃ駄目だよな……」
ソルトスープなどどうだろうか、と一瞬だけ考えたレウルスだったが、その名前で自分が呼ばれる様を想像してすぐさま却下する。
(レウルス=バネット=マルド=ソルトスープ……ソルトスープ準男爵とか呼ばれたら噴き出さずにはいられないな……)
家名が被っている貴族はいないだろうが、さすがにこれはない、とレウルスは思う。呼ばれるのも名乗るのも苦痛になりそうだ。
そうしてナタリアと雑談を続けるレウルスだったが、特に意味があるわけではない。強いて言えば時間を潰すためにナタリアと会話に興じているのだ。
「レウルス、こっちも準備ができたのじゃ」
レウルスがナタリアと話していると、私服に着替えたエリザ達が姿を見せる。ドレスほどしっかりとした礼装ではないが、私服でこそあるものの質も仕立ても“それなり”に良いものを選び、身に着けていた。
「というか、本当にボク達もついていっていいの? 着替えた後に言うことじゃないけどさ……」
普段と違い、スカートを穿いたミーアが苦笑しながら尋ねる。しかしそれに答えたのはレウルスではなく、サラだった。
「えー、いいじゃない! 久しぶりにルヴィリアに会いましょうよ!」
「ルヴィリアさんに会うこと自体はボクも止めないけどさ……以前この家に来た時も、すぐに帰っちゃったしね」
ミーアとてルヴィリアに会いたくないわけではない。ただ、“邪魔”をして良いのかという疑問があっただけだ。
「……何か問題があるの?」
「うーん……問題というかなんというか……」
ネディが不思議そうに尋ね、ミーアは困ったように苦笑を浮かべる。そんなミーアの懸念が伝わったレウルスは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「俺が言うのもなんだけど、ついてきてくれると助かる。さすがにセバスさんがいるといっても、二人で出かけるってのはまずいと思ってな……」
レウルスとルヴィリアが二人で買い物をしている姿を見られるよりも、エリザ達が一緒にいた方が“言い逃れ”もできるだろう。サラとネディを利用する形になるためレウルスとしても心苦しいが、買い物に興味を持ったサラ達の案内としてルヴィリアの力を借りたという形にもできる。
(あとはルイスさんがどんな情報を持たせてくるか、か……情報の受け渡しだけではいおしまい、とはいかないだろうしなぁ……)
今日ルヴィリアに会うのは、ルイスが調べた情報を受け取るためでもある。その対価としてルヴィリアとデートをする形になったのだと思えばレウルスとしても働かざるを得ない。
「……来たわね」
ポツリとナタリアが呟く。それに釣られてレウルスが耳を澄ませてみると、馬車が石畳を進む音が聞こえてきた。
「行くか……」
レウルスは椅子から立ち上がり、『首狩り』の剣を腰に差す。さすがに礼服姿で『龍斬』を持ち歩くのは目を引きすぎるため、傍目には“普通の剣”に見える『首狩り』の剣を身に着けることにした。
――馬車の大きさにもよるが、『龍斬』が入りきらないという可能性もあるのだ。
「それじゃあ、悪いけどお留守番をしててくれよ?」
『はーい……ねむるぅ……』
レウルスが声をかけると、『龍斬』から間延びした声が返ってくる。それに苦笑を一つ零し、レウルスはエリザ達と共にルヴィリアを出迎えるのだった。
「おはようございます、レウルス様。サラ様にネディ様、エリザさんにミーアさん……お久しぶりです」
レウルス達が表に出ると、馬車から下りたルヴィリアがドレスの裾を摘まみながら一礼してくる。レウルスの叙爵を祝う宴で着ていたドレスとは異なり、黄色い動きやすそうな意匠のドレスだった。
「おはよう、ルヴィリアさん。セバスさんもおはようございます」
「おはようございます、皆様方。本日は私めが御者を務めさせていただきます」
レウルスもルヴィリアとセバスに挨拶を行う。すると、そんなレウルス達の挨拶を尻目にサラがルヴィリアへと抱き着いた。
「ルヴィリアひっさしぶりー!」
案外ルヴィリアのことを気に入っているのか、サラは上機嫌な様子である。ルヴィリアは驚いた様子でサラを抱き留めたものの、屈託なく笑いかけられて相好を崩す。
「わわっ……お、お久しぶりです、サラ様。相変わらずお元気そうで……」
精霊であるサラにとっては、ルヴィリアが伯爵家の令嬢だということも礼儀も関係ない。それがよくわかる行動にレウルスとしては頭を抱えれば良いのか、いっそ笑えば良いのか。
「相変わらずですいませんね……サラもルヴィリアさんに会いたかったみたいです」
「それは……光栄なことです」
そう言って恐る恐るサラを抱き締め返すルヴィリア。そのぎこちない動きからはルヴィリアがサラのような相手に慣れていないということが窺えた。
(……精霊が真正面から抱き着いてくることに慣れてる貴族なんていないか。いや、サルダーリ侯爵なら平気で抱き留めそうだけど……)
レウルスの脳裏に大笑いしながらサラを抱き上げるサルダーリ侯爵の姿が思い浮かんだ。それはそれで違和感がないように思えるのはサルダーリ侯爵の人柄がそうさせるのだろう。
「サラ、それぐらいにして……ん?」
それでもまずはサラを止めるべきだろう。そう思ったレウルスがサラを引き剥がそうとしたが、不意に視線を感じた。
(……なんだ?)
レウルス達が借りている家の前を、一台の馬車が通り過ぎて行く。家紋を掲げておらず、御者はフードのようなものを被って顔が隠れており、馬車も窓が“ほとんど”閉められていたが、レウルスには視線を向けられているのが感じ取れた。
レウルス達が騒いでいることに気付いて馬車に乗っている人物が確認したのか、あるいは偶然か。借家の敷地内ならばまだしも、端とはいえ天下の往来で騒いでいれば確認の一つもしたくなるだろう。
――視線に敵意に似た負の感情が込められていなければ、レウルスも気にしなかったのだが。
(見られたのは俺……だけじゃないな。サラか? ルヴィリアさんか?)
馬車は既に遠ざかっているが、ほんの数秒とはいえ敵意に近い感情が込められた視線を向けられればレウルスとて気付く。だが、その視線の“弱さ”には困惑するしかない。
(王都で物騒な連中が襲ってくる……なんてわけじゃなさそうだな。素人か? 少なくともグレイゴ教徒じゃなさそうだが……)
グレイゴ教徒が放つ殺気と比べれば、そよ風にも劣るような敵意だった。そのためレウルスは警戒心を覚えながらも首を傾げる他ない。
「レウルス様? どうかされましたか?」
そんなレウルスの仕草が気になったのだろう。サラに抱き着かれたままでルヴィリアが疑問の声を発する。
「……いえ、他の馬車が通りかかると迷惑になりそうですし、そろそろ出発しましょうか」
そう言いつつ、レウルスはセバスに視線を向けた。しかしセバスは先ほどの視線に気付いていないのか、それとも気付いていて放置しているのか、レウルスの言葉に恭しく一礼する。
「それもそうですな。それでは皆様、馬車へお乗りください」
セバスの言葉に、レウルスはもう一度だけ周囲を確認してから馬車に乗り込むのだった。




