第512話:伏魔殿 その3
国王――レオナルドの言葉を聞いたレウルスは、表面上は平静を保ったままで思考を回転させる。
(俺を近衛に? この状況で冗談……はさすがに言わないか)
国王であるレオナルドの近衛になるというのは、“普通に考えれば”名誉なことなのだろう。元々は農奴で冒険者になり、今となっては準男爵である。そこから更に国王の近衛となれば、立身出世の代名詞として扱われそうだ。
――レウルスの心情を除けば、だが。
(近衛ってことは国王の近くで……王城で仕事をするわけだろ? あの何を考えているわからない宮廷貴族に囲まれて?)
胃腸の頑丈さには自信があるレウルスだが、長期間ストレスに晒された場合どうなるかまではわからない。そもそも、アメンドーラ男爵領の開拓を放り出す気は微塵もないのだが。
(……これ、断って大丈夫なやつか? 嫌ですって言ったら角が立たないか?)
そこまで直截に断り文句をぶつけるつもりはないが、断って良い話なのかすら判断がつかない。どうするべきかと数秒思考するレウルスだったが、そんなレウルスへの“援護”は思わぬところから飛んできた。
「陛下、レウルス殿は南部の国境近く……アメンドーラ男爵領にいてもらった方が良いのではないですか?」
そんな発言をしたのは、普段と違って正装と思しきドレスに身を包んだソフィアである。そんなソフィアの発言が意外だったのか、レオナルドは特に咎めることもなく首を傾げた。
「ふむ……ソフィアよ。レウルスは精霊と共に在るのだろう? お主なら『精霊教師』として、精霊が近くにいるのはありがたい話ではないか?」
「『精霊教師』としてはたしかにそうでございます。ただ、アメンドーラ男爵殿のもとにいる強者を“引き抜く”のは如何なものかと思った次第で」
「陛下、私も自領に来ないかと誘ったのですが断られましたぞ! レウルス殿の意思は固いようですな!」
そう言って薄く微笑むソフィアと、便乗して“反対票”を投じるサルダーリ侯爵。レオナルドはソフィアとサルダーリ侯爵の発言を聞き、顎に手を当てながらその視線をナタリアへと向けた。
「それも道理だな。準男爵に叙したわけだが、余の臣として“取り上げる”など愚行か……ナタリアよ、領地の開発はずいぶんと好調なようだが、レウルスを手放す気はあるか?」
「ありませんわ」
短く、しかし揺るがぬ意思を込めて断言するナタリア。それを聞いたレオナルドはふむ、と一つ頷く。
「南部の安定につながると思えば妥当ではある、か……しかし惜しいな」
本心からのものなのか演技なのか、レオナルドはレウルスをじっと見る。
「レウルスよ、改めて問うが余に仕えるつもりはあるか?」
「……申し訳ございませんが、私の剣はアメンドーラ男爵様の下で振るいたく思います」
ソフィアやサルダーリ侯爵の援護があり、なおかつナタリアも返答していることからレウルスはレオナルドの申し出を断る。
「そうか……それならアメンドーラ男爵領が安定してからの話だが、余ではなく息子に仕えるつもりはないか? 噂通りの腕前なら、近衛の隊長になることも可能だぞ?」
だが、断るなりすぐさま次の提案が飛んできた。今すぐではなく“将来的に”仕えないかという提案に、レウルスは首を横に振る。
「……申し訳ございませんが、それもお断りさせていただきたく」
「ふむ……期間を区切っての剣術指南はどうだ?」
「……私の剣は我流で、他者に教えられるほどの腕があるわけではありません。剣の師が必要ならばコ……いえ、他の方を御選びください」
思わずコルラードの名前を出しかけたレウルスだったが、世話になっているコルラードを次期国王の剣術指南役として放り込むのはさすがに気が咎めたため別の者を選ぶよう言う。
剣を教える自信などなく、下手すれば訓練の最中に手加減を誤って殺しかねないという側面もあったが。
「なるほど……それでは仕方がないな」
残念だ、と言わんばかりにため息を吐くレオナルド。しかしすぐさま何かを思いついたように表情を真剣なものへと変えた。
「それなら、『魔物喰らい』と呼ばれるその力を振るってもらうことは可能か?」
「……と、仰いますと?」
以前ベルナルドと戦ったように、模擬戦でもしろと言うのか。さすがにレオナルドの提案を三度断っているため、模擬戦ぐらいならば素直に請け負うしかないだろう。
そう思ったレウルスだったが、レオナルドの口から出てきたのは予想外の言葉だった。
「最近、王領に強力な魔物が住み着いたようでな。その討伐を頼みたいのだ」
「強力な魔物、と仰いますと?」
「具体的な種族まではわからん。だが、偵察に出した兵の話では大型の魔物……おそらくは亜龍だろうという話でな」
「亜龍ですか……」
もしもヴァーニルを討伐して来いと言われれば全力で拒否するところだったが、亜龍ならば手に負える範疇である。
(さっきの勧誘を断ってるからこっちは断りにくく感じる……今度は仕事の依頼みたいなもんだけどさ……)
この仕事を振るための前振りだったのだろうか、とレウルスは思う。あくまでレオナルドからの“頼み”であり必ずしも聞く必要があるわけではないが、相手が国王となるとさすがに断り辛い。既に三度断っているため断り辛さは嫌が応にも増していた。
「その魔物が現れた場所をお聞きしても? どこかに巣があるとか?」
ひとまず話を聞かなければ断ることもできない。そう判断したレウルスが尋ねると、レオナルドは僅かに口元を綻ばせる。
「受けてくれるか?」
「……いえ、亜龍の場合、その兵士の方が見た場所から既に移動している可能性がありますから……」
亜龍なら空を飛んで移動する可能性があるため、住み着いている状態でなければ場所を聞いても意味はない。ヴァーニルのように一カ所に留まり、なおかつそれが周囲に知られているという方が稀なのだ。
“この話”が振られるまでに一体どれほどの時間が経っているのか。それによっては居もしない亜龍を探して東奔西走する羽目になりかねなかった。
(……いや、待て。これはそもそもこの場でする必要がある話か?)
だが、そこでふとレウルスはそんな疑問を抱いた。
叙爵に関する話よりも余程時間を取られているが、魔物退治を依頼するならば後々でも構わないはずだ。
この場にいるのがレウルスとレオナルドだけならばそれでも良いかもしれないが、他の貴族が数十人規模で参列しているのだ。知り合いならばまだしも、“見知らぬ準男爵”と国王の会話を聞く意味があるのか。
(というか、俺じゃなくてベルナルドさんに頼めば良いだろうに……)
他の隊長がどれほどの腕を持つかは知らないが、王都には第一魔法隊を率いるベルナルドがいるのだ。亜龍――仮に上級に達しているような個体だとしても、容易とは言わずとも十分に余裕をもって仕留められるはずである。
「報告があったのは二週間ほど前だな。場所はこの王都から西へ五日ほど行った場所になる」
「……ベルナルド殿のように、正規の王軍の方に頼んだ方が良いと思うのですが」
「うむ……普通ならそうするのだがな。“お主”が言う通り、移動している可能性がある相手にベルナルドや軍を差し向けても無駄足に終わる可能性が高い。そこで『魔物喰らい』と呼ばれるお主に討伐を頼みたいのだ」
少々呼び方が砕けたのか、貴様ではなくお主と呼びかけてくるレオナルド。
「ああ、当然ではあるが報酬は出すし、現地に行くまでに必要な物を買い揃える資金も出そう。どうだ? 受けてはくれぬか?」
(王様なのに命令じゃないんだな……もっとこう、行って来いとか言われたら逆に踏ん切りがつくんだが……)
ベルナルドおよび第一魔法隊ならば確実に仕留めるのだろうが、レウルスが危惧した通り移動している可能性がある魔物相手に送り出すのは難しいだろう。
いくら王軍とはいえ給料を払う必要があり、食料や生活に必要な物資を消費するのだ。相手がどこに移動したかわからない場合、現地に滞在して探し回る必要がある。
その結果魔物が見つかるのならばまだ良いが、何も見つからずに撤退することになれば時間と人員と金の無駄にしかならない。
それを思えば、単独でも上級の魔物を倒したことがあるレウルスに依頼するというのは正しいように思えた――このような場で切り出されなければ、だが。
「貴殿の武名は王都まで聞こえているが、まさか虚名というわけではないでしょうな?」
そうやって悩んでいたレウルスだったが、そんなレウルスの姿に何を思ったのか、宮廷貴族の男性が声を上げた。
「そんなわけあるまい。大教会が『精霊使い』というあだ名をつけ、精霊様まで率いているのだ。我々が聞いている武名の方が過少評価であろうよ」
声を上げた宮廷貴族の男性に対し、傍にいた他の宮廷貴族の男性が声を上げる。それは先の発言を咎めるような内容で、真っ先に発言した宮廷貴族の男性は肩を竦めた。
「そうですな。あのベルナルド殿と引き分けたとも聞きますし、対人戦ならまだしも、魔物が相手となると『魔物喰らい』殿の方が上手でしょうな……まさか、怖じ気づいたというわけでもないでしょうし」
ひそひそ話、と呼ぶには大きな声である。それを聞いたレウルスは、怖じ気づいたから断りますと言えば解放してもらえるのかと真剣に悩む。
「しかし、武名で得た立場ですぞ? その“証明”がなされないのでは、素直に爵位を授けるというのもどうかと思いますがねぇ……」
「その場合、領地を持つ方々が“新しいお仲間”を増やすために功績をでっち上げた可能性もありますか……いや、まさかとは思いますが……」
宮廷貴族達はそれぞれ言葉を交わしているが、レウルスは無言で思考を巡らせる。
(……挑発されてる? いや、こんな単純な挑発だと怒るに怒れないけど……何か別の目的が?)
国王であるレオナルドが自ら他者に文句を付けさせないと宣言した直後だというのに、宮廷貴族達はそれぞれ言葉を交わしていく。
(俺が準男爵になったのを相応しくないと思っているとか……理由を付けて取り上げようとしているのか? それなら大歓迎だけど……)
まさか、と思いながらレウルスは先ほど声を上げた宮廷貴族の男性に視線を向けた。
「つまり……失敗すれば今回の叙爵の話は“なかったことにしていただける”と?」
「……?」
“そういう取引”かと思いながらレウルスが疑問をぶつけると、宮廷貴族の男性は鳩が豆鉄砲を食ったように目を瞬かせる。
「……いや、国王陛下が認められた以上、そういうことはあり得ないが……」
何を言っているんだ、と言わんばかりに声を絞り出す宮廷貴族。それを見て誰かが小さく噴き出したような声を漏らしたが、そちらに意識を向ける余裕はレウルスにはない。
武名云々と言っていたが、その武名を失うような真似をしても準男爵の立場は取り上げられないようだ。レウルスはそれを残念に思いながらも、レオナルドへと向き直って一礼する。
「申し訳ございませんが、今しばらく考える時間をいただきたく……」
「そう、か……では別途情報をまとめ、届けさせるとしよう。引き受けてくれることを祈っているぞ?」
そう言って、何故かレオナルドは薄く笑うのだった。




