第511話:伏魔殿 その2
老執事に案内されるがまま王城内を歩くレウルスは、それまであちらこちらで見かけていた貴族達の姿がなくなっているのを横目で確認しつつ、内心で疑問の声を漏らす。
(本当に俺しかいないのか? 姐さんの話じゃ騎士になるのが何人かいるって言ってたんだがな……)
もしかすると先に謁見の間に入っているかもしれないが、老執事はレウルスだけしか叙爵の予定がないと言っていた。予定が変わったのかもしれないが、それならば自分も後日で良いだろうに、とレウルスは思う。
「こちらでございます」
「……ありがとうございます」
案内をしてくれた老執事に会釈をしつつ、レウルスは眼前の扉を見る。
叙爵を行うのは謁見の間と聞いていたが、いざその扉を前にするとさすがのレウルスといえど思うところがあった。一応自身の服装を確認し、襟元も正してから呼吸を整える。
そうしてレウルスの準備が整ったと見たのか、老執事がゆっくりと扉を開けていく。案内はここまでなのか老執事が謁見の間に足を踏み入れる様子はなく、レウルスは仕方なしに歩を進め始めた。
(ま、取って食われるわけでもなし……いや、物理的にはともかく、“食い物”にされる可能性はあるのか)
そんなことを思いながら謁見の間に足を踏み入れ――空気が変わる。
謁見の間には数十人にも及ぶ人間が並んでおり、その全員がレウルスを見ていたのだ。
「…………」
レウルスは胸を張り、堂々とした足取りで謁見の間を進んで行く。ここで怖気づくような素振りを見せればナタリアの顔にも泥を塗りかねないのだ。
謁見の間は扉から真っすぐに赤い絨毯が敷かれ、その絨毯の左右に並ぶようにしてナタリア達が整列している。絨毯の上を歩き続けた先には階段状の段差があり、その更に先には誰も座っていない豪奢な椅子が置かれていた。
おそらくは玉座だろう、とレウルスはアタリをつける。玉座の左右には一際豪奢な服を身に纏った男性が二人立っており、レウルスが歩いてくるのをじっと見つめている。
レウルスは思考と同時にそれとなく周囲へ視線を走らせてみるが、相変わらず視線が集中していて落ち着かないことこの上ない。
(姐さんが一番端にいるってことは……男爵以上しかいないのか?)
整列している面々を確認したレウルスは、そんな疑問を抱いた。
“上座”に玉座があり、“下座”にナタリアが並ぶ形になっており、おそらくは男爵以上の地位を持つ者しかいないのだろう。伯爵であるルイスが中央よりも玉座寄りで、サルダーリ侯爵やグリマール侯爵は玉座に近い位置に立っている。
レウルスから向かって右側にナタリア達領主貴族が並んでおり、絨毯を挟んだ反対側に先ほども見た“毛色”が違う貴族達が並んでいた。
(領主貴族と宮廷貴族は別々に並んでるのか……宮廷貴族側も男爵以上しかいないのか?)
そんなことを考えながら、速すぎず、遅すぎないペースで歩いていくレウルス。余裕綽々というわけではないが、“式典の豪華さ”に従うようにそれらしい動きを心がける。
(しかし……姐さん達はともかくとして、宮廷貴族の視線が妙だな)
ナタリア達領主貴族は、レウルスがどのような功績を挙げて準男爵に推薦されたのか知っているのだろう。どこか感心したような呟きも聞こえ、中にはレウルスに聞こえない程度の声量で言葉を交わす者もいる。
領主としては、領地に現れた巨大なスライムを仕留めたと聞けば適切な評価を下すしかない。下手すれば領地が丸々飲み込まれていた危険性もあり、その功績を認めないとなると統治者として沽券に関わるからだ。
だが、領地を持たない宮廷貴族達には別の考えがあるのだろう。レウルスに向けられる視線の色が領主貴族と異なり、何を考えているのか読み取れない眼差しで視線を飛ばしてくる。
(……あ、ソフィアさんもいるのか。扱いは宮廷貴族なんだな)
宮廷貴族が並ぶ列の中に見知った顔を見かけ、レウルスは小さく眉を寄せた。侯爵という立場にあるからか、あるいは大教会を取り仕切っているからか、ソフィアは玉座から数えて二番目の位置に立っている。
(姐さんは後ろだし、何か困ったらソフィアさんに……いや、やめておこう)
レウルスとしてはないと思いたいが、万が一話しかけられた時にナタリアにアイコンタクトすら取れないのが痛い。振り返ってナタリアに視線を向ければ即座に気付かれてしまうだろう。
どうにか『思念通話』をつなげれば話せるかもしれないが、王城――それも国王がいる前で魔法を使い始めればどんな反応があるかわからない。
(……出たとこ勝負か。まあ、いつも通りだな)
そんなことをレウルスが考えていると、国王が入室してくるという旨の宣言がされ、レウルスはその場に右膝を突いて頭を下げた。それと同時に周囲の貴族達も膝を突き、国王が入室してくるのを待つ。
絨毯が敷かれているため足音がほとんど立たないが、レウルスは気配が一つ、玉座に近づいていくのを感じ取った。そして衣擦れの音と共に玉座に何者かが座り、声が響く。
「皆、揃っているな」
(……あれ?)
声の高さから判断する限り、若くはないが老いてもいない年齢の男性だろう。“声が飛んできた方向”はレウルスの真正面――すなわち玉座からだ。
そう判断したレウルスは頭を下げたままで困惑する。ナタリアから聞いていた“予定”では今回の集まりがレウルスの叙爵に関するものだという説明があり、続いて国王から準男爵の爵位が授与され、一礼して終わるはずだった。
それだというのに男性――おそらくは国王が最初に言葉を発した。
領主貴族の方から僅かに動揺したような気配が伝わってくるため、予定外の事態と見て間違いはないだろう。
「皆、顔を上げよ」
そう言われてレウルスは周囲の様子を窺い、顔を上げる者が出始めてから自分も顔を上げる。すると、玉座に座っている男性と視線がぶつかった。
年齢は三十代の半ばを過ぎた頃だろう。綺麗に手入れがされている金髪に青い瞳、その顔立ちからは威厳が感じられたが、それは整っているからか、あるいは国王という立場に在るからか。
纏った衣服は黒や赤を基本色としているが派手過ぎず、地味過ぎない。それでいて遠目に見るだけでも布地の良さや仕立ての良さが窺え、素人目に見ても素晴らしく調和が取れているように感じられた。
玉座に座っているため正確な身長は読み取れないが、レウルスより低いものの百七十センチは超えていそうである。それでいて太っているようには見えず、むしろしっかりと体を鍛えて引き締められているように見えた。
「本日は“予定”を変更し、普段とは異なる形で叙爵の儀を執り行おうと思う」
(……予定変更って)
ナタリアに聞いていた手順が通用しないと悟り、レウルスは一度上げた顔を下げたくなった。むしろそのまま後退し、謁見の間から脱出したいほどである。
「各々疑問もあろう……おい」
「はっ」
国王が傍らに立つ男性に視線を向けると、男性が一歩前に出る。
「アメンドーラ男爵領所属、レウルス」
「……はい」
名前を呼ばれたため返事をするが、レウルスとしては何を言われるのかと気が気ではない。
「本日は貴殿の功績を称え、準男爵に叙する予定だった……だが、陛下が“それだけ”では足りぬと仰られてな」
(……なんで?)
元々騎士爵の予定が準男爵になったというだけでも“腹一杯”だというのに、他にも何かあるのか。そんなことを思うレウルスを他所に、国王の傍に立つ男性は懐から一枚の紙を取り出す。
「ヴェルグ伯爵領にて発生した『城崩し』の討伐およびサルダーリ侯爵領、メルセナ湖にて発生した巨大なスライムの討伐。ロヴェリー準男爵と共に行った隣国ラパリへの偵察。更には先日バルベリー男爵領で発生した吸血種の討伐……それらの功績を鑑み、他の者との合同での叙爵は不適当と陛下は判断された」
(ロヴェリー準男爵……コルラードさんか。というか、功績が増えてるというかバレてるというか……どういうことだ?)
メルセナ湖で戦ったスライムに関しては叙爵の切っ掛けになったため当然知られている。レモナの町で戦った吸血種――スラウスに関しても、バルベリー男爵からの報告が王都に届いたのだろう。
だが、ラパリへ向かった件に関してはコルラードの手柄として渡しており、『城崩し』に関しては倒したことを知っている人間は限られている。
(……誰だ? どこから情報を仕入れた?)
レウルスとしては、スラウスとエリザに血縁があること以外は知られて困る情報ではない。だが、それらの情報の“出所”がどこなのかと疑問に思う。
「レウルスよ、臣はこう言っているが真実か?」
(姐さん、事前の情報と全然違うんだが……名前を呼んだし普通に話しかけてきたぞ……)
そしてレウルスの思考を削るように国王が声をかけてきた。レウルスは内心で困惑しつつも、素直に答えて良いものなのかと悩む。
(王様の方から話を振ってきたってことは答えないと失礼だよな? 答えた瞬間、無礼者! とか言われないよな?)
告げられた情報に齟齬があれば否定できるのだが、その全てが正しいのであれば否定もできない。
「……はっ、事実です」
言葉少なげに答え、レウルスは表情を隠すように一礼した。すると、領主貴族の方から『ほう』や『ふむ』といった感心したような声が聞こえてくる。
「そうか……それならば騎士爵ではなく準男爵への叙爵というのも適切だったわけだ。巷では『魔物喰らい』と呼ばれているようだが、その若さで大した腕前のようだ」
「……恐縮でございます」
「聞けば、以前ベルナルドと戦って引き分けたとか。後から聞いたが、余も見てみたかったぞ」
「……ベルナルド殿には手加減をしていただいた結果でございますれば」
さすがに国王が相手だと緊張もすれば畏れ多くも思う――“そういう風”に装って固く、言葉少なく答えるレウルス。
「くくっ……固いな。しかし余が――このレオナルド=エブレイン=マタロイ=サヴァルティが認めよう。貴様はこれから準男爵であり、この決定は“誰にも”文句をつけさせぬ」
(誰にも……俺が不満に思うのも禁止って聞こえるんだが、気のせいか?)
穿ち過ぎか、と思いながらもレウルスは頭を下げる。
「ありがとうございます」
「うむ……しかし、噂ではもっと豪快な男だと聞いたのだがな。存外、礼儀を弁えていたのか……」
国王は肘置きに肘をつくと、レウルスを観察するような視線を向けた。それを感じ取ったレウルスは再度頭を下げ、表情が見えないようにする。
そんなレウルスと国王のやり取りをどう思ったのか、不意に法衣貴族の一人が声を上げた。
「陛下。レウルス“準男爵殿”は腕が立ち、なおかつ礼儀も弁えている様子。いくつかの案件を任せてみるのは如何でしょう?」
「ふむ……準男爵に、か」
国王はレウルスをじっと見たかと思うと、ややあって口の端を吊り上げる。
「レウルスよ」
「はっ」
「貴様、近衛として余に仕えんか? 何体も上級の魔物を倒した腕を持つ者ならば歓迎するぞ?」
本気か冗談なのか、国王はそう言ってレウルスの“勧誘”を始めるのだった。




