第509話:伝言 その2
「ベルナルドさんが? しかも、わざわざルイスさんに伝言ですか?」
ルイスの言葉を聞いたレウルスは不思議そうに首を傾げる。
マタロイ国の国軍、第一魔法隊を率いるベルナルドとは以前王都を訪れた際に“模擬戦”を行った間柄だが、元同僚であるナタリアはともかく、自分は親しいと言える関係ではないとレウルスは思っている。
卓越した技術にこれまで積み重ねてきた戦闘の経験、『天雷』と呼ばれるほど優れた雷魔法が使えることなど、尊敬に値する相手だとは思っているが。
「ああ……直接ここに足を運ぶと面倒なことになりそうだ、とも言っていたね。あの御仁とはそこまで親しい間柄というわけでもなかったから、突然の訪問には驚かされたよ」
ルイスはレウルスの疑問に苦笑しながら答える。ルイスがレウルスと“それなりに”親しい関係だからか、あるいはルイスがレウルスのもとを訪れると考えていたのか。
「なんでも、宮廷にきな臭い動きがあるらしくてね。それがレウルス君にも関係しそうだから、注意を促しておいてほしいという伝言さ」
「ふむ……ベルナルド殿がそんなことを……」
爵位では格上であるルイスに伝言を頼み、ルイスもそれを受け入れているあたり、奇妙な力関係だとレウルスは思う。そんなレウルスとは異なり、ナタリアはルイスが“伝言の使者”になっていることに疑問を抱いていないらしく、ベルナルドがわざわざ警戒するよう伝えてきた事実に意識を向けていた。
「あの人って準男爵ですよね? ルイスさんに伝言を頼むって……失礼じゃないんですか?」
ベルナルドの為人や王都内の事情に関しては、当然ながらナタリアの方が詳しい。そのため推察はナタリアに任せ、レウルスは他に情報が引き出せないか質問を投げかける。
ないとは思うが、ベルナルドが伝言を頼んだというのも嘘という可能性もあるのだ。レウルスとしては、準男爵のベルナルドが伯爵のルイスに伝言を頼むというのは非常に違和感がある。
「はははっ、あの御仁は俺が生まれる前から王軍で戦っていた生きる伝説だよ? 爵位が上だからと偉ぶる気も失せるぐらいには凄い人さ。もちろん、公式の場ではそうもいかないけどね」
探るようなレウルスの質問に、ルイスは軽く笑いながら答える。
「そうだね、君にも伝わりやすいように言うと……君は精霊教の“客人”であり『精霊使い』とも呼ばれる身だし、もうじき準男爵にもなるわけだ。そんな君に無位無官……公的には一民間人でしかないジルバ殿が何かを頼んだとして、君はそれを身分差を理由に断るのかい?」
「ジルバさんが一民間人という括りに入っているのかは疑問ですけど……なるほど、納得しました」
「だろう? ジルバ殿が似たようなことを頼んできたとしても、俺としては断りにくいのさ。あの人もあの人で、ベルナルド殿並に有名人だからね……いや、王都ならともかく、地方だとジルバ殿の方が有名かな?」
街道を歩いては魔物を仕留め、野盗を捕縛して近くの町や村に引き渡していくのがジルバである。『膺懲』の名と共に広く知られ、その知名度は非常に高いのだ。
そんなルイスの話に相槌を打ったレウルスだったが、他にも疑問点があったため言葉を投げかける。
「でも、こうして忠告をしてくれたわけですけど、ベルナルドさんって宮廷の動きとかに詳しいんですか? こう言ったら怒られそうですけど、そういうのを気にせず我が道を突き進みそうな感じがするんですが……」
仮に宮廷貴族から何かしら文句を言われたとしても、『言葉ではなく槍で語れ』とでも言い放ちそうだ。謀略を仕掛けられても正面から突破しそうな人物だとレウルスは思っている。
だが、そんなレウルスの疑問に答えたのはルイスではなくナタリアだった。
「王軍の隊長ともなると、宮廷の動きにもある程度注意を払う必要があるのよ。王軍に割り振られる仕事の内容から“上”が何を考えているか読み取ったり、必要なら根回しをしたり、とね」
「……どんな職場でも大変な部分ってあるよな」
「ええ。槍一本で生き残れるほど王都は甘くはないのよ……いえ、あの方ならそれでも生き残るのでしょうけどね」
自分で言っておきながら否定するナタリア。その顔には苦笑が浮かんでおり、ベルナルドならば政治や謀略を自身の力だけで跳ね除けそうだと言いたげだった。
「でも、注意をするとしても具体的にどうすればいいんです? 知らない間にどこぞの宮廷貴族の不興を買ってて、暗殺者が送られてくるってわけでもないですよね?」
そのような実力行使に出るのならば迎撃するだけだが、レウルスを襲えば精霊教も敵に回す可能性が高い。そんな危険を冒してまで他者から狙われる理由などレウルスには思いつかなかった。
「さすがにそこまで直接的な行動はしないだろうさ。ただ、ベルナルド殿が気付いたということは王軍絡み……可能性として高いのは、叙爵と引き換えに何かしらの“仕事”を振られるんじゃないかな?」
「なるほど……ルイスさんとしては、可能性が低いこととして何があると思います?」
仮に何かしらの仕事を振られるとしても、その内容を予想するのは困難だろう。それならば最悪に備えておこうと思考したレウルスが尋ねると、ルイスは首を傾げた。
「高い方じゃなくてかい? そう、だね……王軍への編入を打診されるとか? アメンドーラ男爵殿、王軍の現状に関してはどんな状態なんですか? レウルス君ほどの腕があって、準男爵という立場があれば隊長職に捻じ込むことも可能と思いますが」
「第一魔法隊の後継に据える……なんて考えならベルナルド殿が気付くでしょうね。それ以外の隊でも、いきなり隊長職に放り込んだら隊がまともに動かなくなるわ。アメンドーラ男爵領から切り離してどこかの隊に入れて、数年後に隊長に……という流れならあり得るでしょうけど……」
「宮廷貴族からすれば、“そんなこと”をしても何の得にもなりませんね。となると別件ですか」
顎に手を当てながら思考するルイスだが、そうやって悩む様も貴族らしく絵になっている。
「今の時期、何か起きていましたかね……こちらにはレウルス君を動かす必要がありそうな案件は耳に入っていないんですが」
「こちらもですわ……もっとも、王都を訪れて日が浅いので大した情報は持ち合わせていませんがね。それでも、わざわざレウルスに依頼するようなことがあるとは……」
ナタリアとルイスでも見当がつかないらしく、レウルスは肩身が狭そうに紅茶を飲む。
(姐さんとルイスさんでもわからないんじゃあな……宮廷貴族とやらが“どんな生き物”かはわからないけど、厄介そうだ)
剣で斬れば片付く相手ならば良いが、そうでないのならばレウルスとしては対処に困ってしまう。
(誰か王都の事情に詳しそうな人は……ソフィアさん、か? でも、あの人に聞いたらそれはそれで借りが高く付きそうだな……)
レウルスの脳裏にソフィアの顔が浮かんだが、大教会をまとめる立場ならば相応に情報が入っているだろう。侯爵という立場でもあるため、レウルスが知る中では最も王都の事情に詳しそうだ。
「叙爵はいつ頃になりそうですか?」
「王都に着いたことは既に宮廷へ知らせてありますし、調整ができたらすぐ……多分、一週間もしない内にあると思いますわ」
「長くても一週間ですか……知己の貴族に面会して、それとなく探ってみるとしましょう。宮廷貴族に振り回されるなんて冗談じゃないですからね」
そう言って微笑むルイスは頼もしく思えたが、レウルスとしては妙な不安が拭えなかった。
そして五日後。
ナタリアが予想したよりも早く準備が整ったらしく、叙爵の儀を行うため王城まで来るよう使者に伝えられたレウルスは、早朝からその準備に追われていた。
ベルナルドの伝言を受けてから情報収集に励んでみたものの、思ったような成果は挙げられていない。
レウルスとしては“借り”が怖いと思いつつもソフィアのもとを訪ねたが、期待したような情報は得られず、結局は無手で叙爵に挑むことになってしまった。
無手と言っても王都にいる貴族――ナタリアやルイス、グリマール侯爵やサルダーリ侯爵、更にはソフィアも叙爵の儀に顔を出すらしく、孤立無援というわけではない。
ただし、レウルスの心情としては一つに集約される。
(行きたくねえなぁ……)
今更逃げ出すわけにもいかないが、進んで行きたいかと問われれば首を横に振るだろう。レウルスは前回の王都行きで購入した正装を身に纏い、表には出さないものの内心では深々とため息を吐く。
(自分のところで作った製品がトラブルを起こしたその謝罪として、休み明けに朝一で相手さんの会社に頭を下げるのと一緒に今後の対応を説明しに行く時みたいな……あれ? そもそも休みってあったっけ?)
なんとなくだが前世のことを思い出したレウルスは、余計に暗鬱な気分になった。元々気乗りする話ではなかったが、ベルナルドがわざわざルイスを通して注意を促してきたため、その面倒さと厄介さはうなぎ登りである。
それでも逃げ出すわけにもいかず、レウルスは自分の格好に問題がないか改めて確認する。黒い燕尾服に似た意匠で、普段ならば絶対に着ないであろう服は着慣れていない感覚が強く、レウルスとしては“服に着られている”ように思えてしまう。
(『龍斬』はさすがに駄目だとしても、せめて短剣ぐらいは持っていけないかな……)
向かう先が王城ということもあり、武器も防具も全て置いていく必要がある。サルダーリ侯爵のように普段通りの完全武装で構わない、などと王城の使者が告げてくることもなかった。
もちろん、レウルスとて兵士以外が王城に武器を持ち込んだらまずいことになるということは理解している。国王に直接面会する者が武器を持っていくなど、殺されても文句は言えない行動だ。
そのため仕方なしにレウルスは非武装で正装に身を包み、何度目かになるため息を吐く。
「ため息なんて吐いてどうしたんですか?」
そんなレウルスの様子に何を思ったのか、準備を手伝っていたコロナが首を傾げた。
「準男爵ってだけでも面倒なのに、どうにも厄介事が待ち受けている気がしてね……」
コロナが相手となると隠す気も起きず、レウルスは苦笑しながら内心を吐露する。コロナはそんなレウルスの言葉に目を瞬かせると、表情を綻ばせて破顔した。
「……ふふっ」
「コロナちゃん?」
何か笑う要素があったか、とレウルスは首を傾げる。するとコロナは慌てた様子で手を振った。
「わ、笑ってごめんなさい……でも、準男爵様になるっていうのに、レウルスさんは変わらないなぁって思って」
「自分が望んだことじゃないからねぇ……後ろとか変なところない?」
「んー……大丈夫です。あっ、でもちょっと襟元が歪んでますね」
さすがに背中側は見えないためコロナに確認してもらうが、コロナとしては襟元の方が気になったらしい。両手を伸ばして襟元を整えると、正面から見上げるようにしてレウルスの瞳を覗き込む。
「王城がどんなところか、わたしにはわかりませんけど……気を付けてくださいね?」
「俺が気を付けてどうにかなるならいいんだけどね……ま、いってくるさ」
コロナと言葉を交わしたからか、それまで胸中にあった暗鬱な気分も大部分が吹き飛んだ。そうして気合いを入れたレウルスは、ナタリアと共に王城に向かうべくニコラが操る馬車に乗り込むのだった。




