第490話:好機 その1
マタロイ国の王都ロヴァーマ。
カルデヴァ大陸でも第二位の国土面積を誇る大国の王都は、大陸の中でも屈指の“大都市”である。十万を軽く超え、二十万に届こうかという人間が住む王都は広く、王都を守る城壁は高く分厚い。
王都では市井の民や貴族、王族といった面々が住む場所は明確に分けられており、王都の中心部に位置する王城に王族が、その近辺に貴族が居を構えていた。
そんな貴族の邸宅が建ち並ぶ一角に、爵位が上がったことで伯爵家と呼ばれることなったヴェルグ伯爵家の邸宅は存在してる。
ヴェルグ伯爵家にとって本拠地は城塞都市アクラとその周辺一帯だが、立場上王都にも別邸が存在した。これは領地を持つ貴族ならばそのほとんどが同様で、王都に別邸を構えていない貴族となると新興の貴族家ぐらいだ。
ナタリアも将来的には王都に別邸を構えようと思っているが、それは今ではない。建設費や維持費、常駐させる人員の給与等を考えると、簡単には手が出せないのである。
だが、マタロイに限らず王都――首都は国の中心であり、様々な情報や物が集まる場所でもあった。貴族達が維持費に頭を悩ませながらも別邸を構えているのは、様々な利点があるからである。
無論、別邸に常駐させる人員は相応に“使える”人材を置いておく必要がある。そうでなければ権謀術数渦巻く王都で足を掬われかねないのだ。
その点、現在のヴェルグ伯爵家では特に問題がない。何故ならば別邸に詰めているのが領主であるルイスだからだ。
代替わりを済ませたルイスだが、元々大過なく領地を治めていた前領主である父親が領地にいる。そのため統治を父親に任せつつ、ルイスは王都で色々と動くことができた。
当然ではあるが、領主である以上本拠地であるアクラに戻り、ルイスが直接統治した方が都合が良い。しかし代替わりをしたばかりのルイスとしては、近隣の貴族だけでなく遠方の貴族だろうと可能な限り面会し、“顔を売っておく”必要もあるのだ。
その辺りの手間が面倒で極力王都に顔を出さず、領地に籠る者もいる。だが、ルイスとしては各地域の情報を集め、少しでも領地を豊かにするための方策を打つべきだと判断していた。
幸い、新しく伯爵になったという格好の話題もあるのだ。王都に来ている貴族に手紙を出すなり使者を向かわせるなりして面会の約束を取り付け、顔をつないで回るというのがここ半年ほどのルイスの日常だった。
逆にルイスの元を訪れる貴族も多く、また、縁をつなごうとする商人や仕官を求めて訪れる者もいるため、多忙な日々を送る羽目になっていた。
元々は長くても半年程度で領地に戻ろうと考えていたルイスだったが、半年を過ぎてもなお王都に詰めている。王都という場所はマタロイ全土の情報が入ってくるため、場合によっては領地にいるよりも“手を打ちやすい”事柄も多くあったからだ。
その内の一つが、ルイスにとっては可愛い妹であるルヴィリアの結婚に関してである。
各貴族家に顔をつなぐと同時にルヴィリアと年齢が近しい独身の者がいるかを調査し、素行や評判はどうか、仮にルヴィリアが嫁入りすればどのような利益をヴェルグ伯爵家にもたらすか、あるいはルヴィリアに婿を取って領地内で一家を立てさせればどんな利益になるか、様々な面から検討する必要があった。
本来ならばルイスの父親が領主だった時に結婚相手を決め、年齢的にも既に結婚していておかしくないはずだった。それが狂ったのがルヴィリアの身に起きた長年に渡る“体調不良”であり、改善こそしたもののルイスが領主になったことからその辺りの手配まで全て行う必要性が出てきたのだ。
ルイス自身、さすがにそろそろ結婚しなければまずい。そうは思いつつも長年懸念だったルヴィリアの“病状”が快復したため、領地の父親と頻繁に手紙を送り合い、ああでもないこうでもないと頭を悩ませていた。
ルイスとしても、ルイスの父親である前“ヴェルグ子爵”としても、ルヴィリアには苦労をかけた。そのため可能な限りルヴィリアの意思に沿い、なおかつルヴィリアが幸せになれる相手を見つけようと奮闘していたのである。
――それが如何に困難かは、ここ半年ほどでルイスも散々痛感したが。
だがしかし、その苦労は報われることとなる。ルイスとしても予想外の方面から出てきた好機を捕まえ、様々な手を打ち、その経過が非常に良好なものとなったのだ。
王城から届いた書状に目を通したルイスは、その文面を確認して机の下で静かに拳を握り締める。それに気付いた侍女のアネモネが怪訝そうな顔をしていたが、ルイスはすぐさまルヴィリアを呼んでくるよう他の侍女に命令し、ゆっくりと呼吸を整えた。
豪奢な執務室で椅子に背中を預けたルイスの脳裏に過ぎったのは、レウルスの顔である。ラヴァル廃棄街の上級冒険者にして精霊教の『客人』、そして今は『精霊使い』という名前が各地に広まりつつある人物だ。
ルイスとしては困ったことに、ルヴィリアはレウルスに懸想している。身近なところにいるルイスからすれば一目瞭然なほどに、ルヴィリアの心情はレウルスへと強烈に向けられているのだ。
ルヴィリアとしては隠しているつもりなのだろう。だが、妹の心情に気付かないほどルイスも鈍感な人間ではなかった。
それでもルイスからすれば、レウルスがルヴィリアの想いに応える可能性は限りなく低いと考えている。それは両者の身分差という覆しがたい“前提”もあるが、以前王都で再会した際のレウルスの反応を見てそう判断せざるを得なかった。
ルイス個人としては、レウルスという人間を気に入っている。冒険者という立場ながらも礼儀を知らないわけではなく、その上でルイスを一個人として見ている目が印象的だった。
しかし個人的に気に入っているからといって、身分差を無視してルヴィリアを嫁がせるわけにはいかない。レウルスが所属する地域の領主であるナタリア相手にそんな無茶を押し通すのも難しいものがある。
可能ならばルヴィリアの婿としてアクラに招き、ヴェルグ伯爵家の騎士として一家を持たせたいぐらいだったが、その場合確実にナタリアが敵対するだろう。また、下手すると精霊教徒が再び騒ぎかねない。
それらの事情を勘案した結果、一番角が立たないのはレウルスがルヴィリアを嫁がせるに足る立場になることだった。精霊教においては高い地位にあるとも言えるが、ここでいう立場というのは“公的”なものである。
伯爵家の令嬢を嫁がせる以上、最低でも世襲可能な家柄が望ましかった。ルヴィリアならばレウルスが騎士爵だろうと冒険者のままだろうと嫁げるのならば喜んで嫁ぎそうだったが、レウルスの周囲にはエリザ達がいる。そこに追加でルヴィリアを嫁がせるなど、さすがに認められることではなかった。
一番現実的な方法としては、ナタリアがレウルスをアメンドーラ男爵家の騎士に任命するまで待つことだろう。その上でナタリアと交渉し、ルヴィリアを嫁に捻じ込むしか活路はない。
精霊であるサラとネディはさすがに仕方ないとしても、レウルスがエリザとミーアを放り出してまでルヴィリアと結婚するかと言えば心底不可能に思えたが。
だからこそ、ルイスは様々な貴族と顔をつなぐ傍ら、ルヴィリアの夫に相応しそうな人物を探していたのだ。
ナタリアがレウルスを自家の騎士に任命するとしても、それは領地が安定してからだろう。いくらナタリアといえど、足場が固まらない内にそのような真似をするとは思えない。
最短で三年、下手すれば五年以上かかる可能性もある。それだけの時間が過ぎればルヴィリアとて二十歳を超えてしまう。そうなると、“二十歳を過ぎるまでに結婚ができない”理由があるのだと見做される。
折角体が治ったというのに、それでは本末転倒だろう。今ならばまだ、体が治ったばかりだからと言い訳もできる。しかし、さすがに何年も引っ張ることはできない。
ルヴィリアに残された時間は少ないが、短期間でレウルスが叙爵できるほどマタロイという国は甘くない。
叙爵するに足る何かが必要で――望外の幸運が思わぬところから転がり込む。
ルイスとしては予想外のことに、絶好の好機が巡ってきたのである。マタロイ北部の貴族達を取りまとめるサルダーリ侯爵からレウルスを騎士爵に推薦したいという旨の情報が届いた時、ルイスは即座に賭けに出た。
探ってみると様々な思惑が動いている節が見えたが、それでも構うまいと便乗し、レウルスが準男爵の地位を得られるよう話を通すことに成功したのだ。
ルイス自身、どうやってルヴィリアを諦めさせ、その上で良縁を手繰り寄せられるかと頭を悩ませていた時期に訪れた朗報である。まだまだ影響力に乏しい、代替わりしたばかりの伯爵では綱渡りの連続に近い難事だったが、ルイスは無事に乗り切ったのだ。
ルイスとしてもひとまずはルヴィリアを諦めさせる必要がなくなるよう、“前提”を崩すことに成功した。
「レウルス君の叙爵が決まったよ。それも騎士爵ではなく、準男爵だ」
「……え?」
そして、それを伝えた時、ルヴィリアは信じ難いことを聞いたように目を見開く。性質の悪い冗談だと、いくら兄のルイスが相手とはいえ、怒るべきかと眦が吊り上がっていく。
「嘘でも冗談でもないさ……ほら、これを見ると良い」
そう言ってルイスが差し出したのは、王城から届いた書状である。王家や宮廷からの承認が出ている以上、ナタリアとて断るのが非常に困難な状況だ。
「これは……ほ、本当ですか?」
状況を理解したのか、ルヴィリアの表情が輝かんばかりに明るくなる。
「当家も一枚噛んでいるけど、元々レウルス君の叙爵に関する希望を出したのはサルダーリ侯爵だ。そこに複数の貴族家が……それも、宮廷貴族からも推薦が出ている」
ルイスがそう言うと、ルヴィリアの表情が僅かに曇った。レウルスが準男爵の地位を得るのは喜ばしいことだが、宮廷貴族が関わるとなると警戒心が先に立ったのである。
そんなルヴィリアの様子にルイスは苦笑を浮かべ、書状を指さした。
「まあ、一枚噛んだのは“当家の中でも”俺だけじゃないようだけどね」
「――何のことでしょうか?」
苦笑しながらの言葉に、ルヴィリアは不思議そうに首を傾げる。その表情はあまりにも自然で、それを見たルイスは苦笑を深めながら椅子から立ち上がった。
「いいかい、ルヴィリア。可愛い妹よ。好機が巡ってきたが、好機というのはあくまで好機でしかない。それを活かせるか、あるいは活かせずに終わるのか……それはお前次第というのをよく理解しておくんだ」
「…………」
「レウルス君のことは個人的に気に入っているし、『風塵』殿の領地はかつてないほどの速度で開拓が進んでいるとも聞く。“つながり”があって困る相手じゃない……嫁の実家で何か問題があれば、助力を頼んでも不思議ではないしね」
準男爵に叙された上で、ナタリアに重用されているレウルスに強い影響力を持てるのならば、ルヴィリアを嫁がせるに足る。領主としてルイスはそう判断するが、精霊教への影響力もあると考えると非常に“お買い得”な相手になるのだ。
レウルス自身、グレイゴ教の司教に匹敵する強さがある。災害が形を取ったような上級の魔物だろうと勝てる見込みがある戦力というのは、どんな貴族家だろうと喉から手が出るほどほしいのである。
だからこそ今回の好機は逃せない――が、同じことを考えるのは自分だけではないだろうとルイスは思う。
いくら精霊教に影響力があろうと、精霊と『契約』を結んでいようと、冒険者相手に娘を嫁がせる貴族などほとんどいない。いるとしても娘が多すぎて嫁がせる相手が見つからない家ならば可能性がある程度だろう。
そこに準男爵という地位と、上級の魔物を倒せる力がある点を加えればどうなるか。
「もしかすると我がヴェルグ伯爵家だけでなく、他の伯爵家や下手すると侯爵家からも嫁入りの打診があるかもしれない……俺も協力はするが、レウルス君を本当の意味で説き伏せるのはルヴィリア、お前自身だ。できるかい?」
「……好機は、逃がしたくありませんもの」
そう言ってルヴィリアは力強く頷く。ルイスもそんなルヴィリアに頷きを返し――それでも、と内心だけで呟く。
(交渉しても、“以前のレウルス君の反応”を思えば正直なところ目はほとんどない……アメンドーラ男爵に情報を渡して今後の友好につなげた方が得、か?)
ルヴィリアには笑顔を向けながら、内心でそんなことを考えるルイスだった。




