第488話:動揺 その1
翌朝、レウルスは昨晩と同様にドミニクの料理店の裏口に回ると、扉をノックして訪問を知らせる。以前は物置に住んでいたこともあり、そこまで気にする必要もないかもしれないが、親しき仲にも礼儀ありという言葉もあるのだ。
そんなことを考えながら内部からの反応を待っていると、僅かに物音がしてから扉が開く。そして何者かと少しばかり警戒した表情でコロナが顔を見せたが、レウルスの顔を見るなり安心したように微笑み、次いで不思議そうに首を傾げた。
「レウルスさん? どうしたんですか?」
「用事があって来たんだけど、入ってもいいかい?」
レウルスがこの場を訪れた理由は、特に複雑なものではない。昨晩ドミニクに話したように、自宅を留守にしている間掃除などをしてくれていたコロナに礼をしたいと思ったのだ。
事情は複雑でなくとも、昨晩のドミニクとの会話があった影響なのかレウルスの心情は複雑だったが。
「……? レウルスさんだったらそのまま入ってくれば良いと思うんですけど……」
何故わざわざ許可を取るのか、と言わんばかりに疑問符を浮かべるコロナに対し、レウルスは気にし過ぎたかと苦笑する。
「いや、久しぶりだったからつい、ね……それじゃあ上がらせてもらうよ」
コロナに導かれるまま料理店へと足を踏み入れ、扉を閉めるレウルス。一晩経っても考えはまとまらなかったが、それを言い訳にして訪れないというのも不義理な気がしたのだ。
「って、アレ? おやっさんは?」
店内に足を踏み入れたレウルスだったが、普段ならば厨房で料理の仕込みをしているはずのドミニクがいないことに気付いた。そのため首を傾げていると、コロナが微笑みながら口を開く。
「お父さんなら少し用事があるからって出かけましたよ? そんなに時間はかからないって言ってましたけど」
「そうなのか……珍しいな」
「お父さんに用事ですか?」
そう言いながら僅かに首を傾げるコロナだが、その際、以前と比べれば長くなった髪がサラリと揺れる。それを見たレウルスはなんとなく――本当になんとなく、視線を横にずらした。
「いや……もしコロナちゃんに時間があるなら、一緒に町を見て回らないかって誘いに来たんだ。俺達がいない間、家の掃除をしてくれてたみたいだし、その礼も兼ねて……あとは、あー……なんだ」
昨晩ドミニクと“あんな話”をしたからか、妙に気後れしてしまう。自身の覚える感情が新鮮で、その処理に困りながらもレウルスは誘いの言葉を口にすることにした。
「しばらく町を離れてたし、コロナちゃんさえ良ければ話す時間が欲しいなって……駄目かい?」
もっと上手い誘い文句があるだろうに、などと思いながらレウルスは頭を掻く。しかしコロナが受け取った印象は異なるものだったのか、驚いたように目を丸くして数度瞬きをした。
「時間ならありますけど、それは……エリザちゃん達も一緒に、ですか?」
「いや、俺とコロナちゃんの二人で……だ」
“良い歳”だというのに、どうにも言葉が出てこない。そのためややぶっきらぼうに誘う形になったレウルスだったが、最後には真っすぐコロナを見つめ、頬を掻きながら小さく笑う。
「どう、かな?」
「――もちろん、いいですよっ」
そう言って花が咲くような笑顔を見せるコロナに、レウルスは視線を逸らしながら頬を掻く指の力を強くするのだった。
少し準備をするので待っていてください、と言われたレウルスは大人しく店の中で待つ。コロナは少しだけ慌てたような足取りで二階の自室へと向かい、それを見送ったレウルスは言い様のない気分になりながら椅子に座り込んだ。
「ふぅ…………」
意味もなく、ため息が零れる。コロナと共に外出することは初めてではないというのに、何故か落ち着かなかった。
ラヴァル廃棄街の中ということもあり、『龍斬』や防具は自宅に置いてきている。動きやすいよう綿のズボンにシャツ、それに上着だけというシンプルな服装に、あとは『首狩り』の剣と短剣を身に着けただけだ。
財布にはここ最近貯まる一方だった小金貨や銀貨を突っ込んであるが、ラヴァル廃棄街で買い物をするのならば銀貨があれば十分足りるだろう。
レウルスにとっては慣れ親しんだ町で、コロナからすれば生まれ育った町である。目新しいものもないだろうが、場所よりも“誰と一緒に行くか”が重要だろう。
(初めてのデートに戸惑う中高生みたいだな……いやまあ、この世界の年齢だけで考えれば間違ってないんだけどさ……)
レウルスは思わず自嘲するが、あながち間違いでもない。レウルスもコロナも十七歳で、前世で言えば丁度高校生の年頃だ。
(あまりよく覚えてないけど、前世の高校生の時と比べれば環境がなぁ……)
身長も今ほど大きくなく、筋肉もついていなかっただろう。ましてや冒険者として命がけの戦いを幾度も経験するなど、年齢がそうだからと同一に捉えることなどできはしない。
そんなことを時間潰しがてら考えていると、レウルスの耳にコロナが階段を下りてくる音が聞こえた。
「お待たせ……しました」
「いや、全然待ってな――」
掠れるようなコロナの声に振り返ったレウルスは、思わず言葉を途切れさせる。外出の準備にしては時間がかかったとは思ったが、振り返った先にいたコロナの格好が予想外のものだったからだ。
普段見慣れた料理や給仕のための服ではない。真っ白なブラウスにワンピース、スカートは裾が外へ広がるフレアタイプのもので膝下まで伸びているが、その色合いはコロナにしては少し派手で艶のあるベージュだった。
加えて、レウルスがこれまで見たことがなかったが薄めの紅を唇に引き、髪には以前レウルスが贈った花の髪飾りがつけられている。
「以前、レウルスさんからもらった布地で服を作ってみたんですけど……どう、ですか?」
そう言ってどこか恥ずかしそうにスカートの裾を摘まみ、自分の格好を見下ろすコロナ。レウルスはそんなコロナの仕草を無言で見つめると、一度視線を切って床に向け、数秒経ってから再度顔を上げてコロナをまじまじと見る。
以前レウルスがルヴィリアの“治療”のために訪れた隣国、ラパリで入手した絹の布地を土産として渡していたが、コロナはそれを自身の手で服に仕立てたようだ。
布地の種類が絹だからか、少々簡素なもののドレスにも見える。これまでのコロナの服装に見慣れていたからこそ、その新鮮さは強烈だった。
「……あ、あの、レウルスさん?」
レウルスが何の言葉も返さないことに不安を覚えたのか、コロナの表情が僅かに曇る。しかしそれに気付いたレウルスはすぐさま我に返った。
「いや、ごめん……あまりにも綺麗なもんだから、驚いて言葉が出なかったよ」
そして口が動くままに、手放しに称賛する。驚きを超えて驚愕したというべき衝撃があったが、間違いなく心からの本心だった。
「ぁ……ぅ……」
“以前”のような軽い調子ではなく、本心だとコロナも理解したのだろう。蚊の鳴くような声を漏らしながら俯いたかと思うと、首筋や耳が赤くなっていく。
「えっと……なんだ、とりあえず出る……出ます?」
自らの発言が引き出したコロナの反応に、レウルスはなんとなく及び腰になる。それでも空気を変えるように親指で店の外を指すと、コロナは小さく頷くのだった。
そうしてコロナと共にドミニクの料理店を後にしたレウルスだったが、普段と違って会話が弾まず、途切れ途切れになってしまった。
それはコロナの服装も影響したのだろうが、道行く町の住民の反応がそれを後押ししたからだ。
レウルスは普段着に武装が少々と、町の者達からしても見慣れた格好である。しかし隣を歩くコロナを見ると知らない人間を見かけたように首を傾げ、数秒経ってから音が立つ速度で振り返り、何度も確認するように見てくるのだ。
そんな反応を見せる者があまりにも多かったため、途中から優しく蹴り倒して進もうかとレウルスが思ったほどである。
(いや、その気持ちはわかるけどさ……)
他人に見せるのは初めてだったのか、コロナはレウルスの隣を歩きつつも周囲の反応に耳を赤くしている。それでも足を止めることも、帰ろうと言い出すこともなく、レウルスの隣を歩いているのだ。
レウルスもコロナの歩調に合わせてゆっくりと歩く――が、会話がない。
コロナに礼の品を何か買いたいと思っていたレウルスだったが、その考えが頭の中から消え失せる程度には動揺している。
(何か話題……俺ももう少し着飾ってくれば良かったか? でもまさかコロナちゃんがこんな不意打ち……ああでも布地プレゼントした時にお手製の可愛い服が見れるかもって考えてたような……あれ? 俺なんでラヴァル廃棄街にいるんだっけ?)
真顔を取り繕いながも内心は支離滅裂に混乱するレウルス。その傍らで何か話題はないかと思考を巡らせるが、どうにも考えがまとまらない。
だが、それはコロナも同様だったのだろう。しばらく赤い顔をしていたコロナはふと思い出したように尋ねた。
「そ、そういえば、今度また王都に行くんですよね?」
「え、あ、ああ……うん、その予定だよ。いつ出発するかは姐さんが決めるけど、一週間から二週間後ってところかな?」
コロナが振った話題にレウルスはこれ幸いと乗っかる。一度話し始めさえすれば、あとはスムーズに進むのだ。
王都に向かって出発するにしても、領主であるナタリアが不在でも問題ないよう様々な手を回さなければならないのだ。ただでさえスラウスの件で二十日近くラヴァル廃棄街を離れていたため、その処理にはしばらく時間がかかるだろう。
「以前はナタリアさんが男爵様になるためでしたけど、今回はどんな理由なんですか? あっ、もちろん聞いちゃだめな話だったら聞きませんからね?」
コロナは相変わらず耳が赤くなっているが、先ほどまでと比べればだいぶマシになっている。身長差があるため自然と上目遣いになって話すコロナに、レウルスは自身のことでコロナが相手ならば隠すことでもないと判断した――してしまった。
「それがさ、スペランツァの町にいたら俺宛に王都から使者が来たんだよ。準男爵にするから夏が終わるまでには来いとかなんとか……姐さんが言うには冗談や騙りの類でもないらしいんだけど」
「――――え?」
レウルスの言葉に、コロナの口から呆然とした声が零れ落ちたのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイント等をいただきましてありがとうございます。
早いもので、気が付けば拙作の掲載を始めて3年が経っていました。
ここまで続いているのも読者の方々のおかげです。改めて感謝申し上げます。
また、本作のコミカライズ版に関して活動報告を更新しましたので、ご興味のある方はそちらも覗いていただければ嬉しく思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




