第428話:激昂
翌朝、自室にて目を覚ましたレウルスは身を起こすなり違和感を覚えていた。
(なんだ……体がだるい?)
風邪を引いたのかと勘違いしそうなほど、体に倦怠感がある。しかし今世において風邪を引いたことはなく、レウルスは寝台の上で首を傾げた。
(熱はないな。それならこれは……)
一体何だ、と疑問を覚えながら自身の体調を確認するレウルス。
体の不調によって違和感を覚えているのではなく、“それ以外”の要因があるのだろう。
そう思考したレウルスは周囲を見回し――ふと、気付く。
(魔力が減ってる? いや、これは……っ!?)
いつもならば『契約』を通して自身とつながっているはずのエリザの魔力。それが途切れているのだ。
それに気付いたレウルスは寝台から降り、自室から飛び出してエリザの部屋へと向かって駆ける。
「エリザ!」
ノックをしている余裕もなく、扉を破る勢いで開く。そうしてエリザの部屋の内部を確認してみるが、そこにエリザの姿はない。
(一体どこに……魔力が途切れてるってことは相当離れてた場所にいるのか?)
レウルスもメルセナ湖で一度経験したことだが、『契約』を交わしていてもキロ単位で距離が離れると“つながり”が途切れてしまう。
しかしながらスペランツァの町の中にいるのならば、端から端まで離れていても『契約』が途切れることはない。ましてやレウルスの自宅はスペランツァの町の中でも中心部に近い場所に建っているのだ。
エリザとの『契約』が途切れるとすれば町の外――それもエリザ一人では出歩かないような距離まで離れる必要がある。
何か理由があって自身との『契約』が途切れたのかと考えるレウルスだが、サラとの魔力的なつながりは残っていた。つまり、レウルス自身には『契約』が途切れた原因はないのだろう。
(この状況でどこに……まさか……)
もしかすると意識を取り戻してからスラウスの元へ向かったのかと考えるも、エリザはそこまで無鉄砲な性格ではない。いくら自身の家族に関わることとはいえ、今の状況で単独で行動しようなどと思うはずがない。
それは二年近く共に過ごしてきたレウルスが一番知っている。
それならば、とレウルスはエリザの部屋の中を注視した。
寝台の上では掛布団が中途半端にめくれ、エリザが眠っていた形跡が残っている。しかも寝台傍の床には靴が置かれており、エリザが愛用している雷の杖も部屋の隅に立てかけられていた。
外出をするならば靴ぐらいは履くだろう。『契約』が途切れるほど遠くに行くのなら、護身のためにも武器は持っていくはずだ。いくらエリザには下級の魔物が寄ってこないとはいえ、今の状況で武器も持たずに出歩くのは不自然過ぎる。
それらを冷静に、されど脳裏でぐつぐつと感情が沸き立つのを感じながら確認する。今の状況でエリザがレウルス達に黙っていなくなるとすれば、外的要因があってのことだと結論付け――レウルスは“それ”を見つけた。
「…………」
レウルスは無言で窓際へと歩を進める。そして窓の縁に描かれた、歪な文様へ視線を落とした。
おそらくはエリザが書いたのだろう。ある程度時間が経っているのか赤黒く変色しているが、それでもエリザが自身の意思で書き残した血文字。
どんな状況で書いたのかわからないが、それはエリザの字の綺麗さを知るレウルスからすれば読みにくさを覚えるほどかすれ、震える指で書いたことが窺えた。
そして、エリザから文字の読み書きを習ったレウルスは、エリザが書いたものならば多少崩れていても読み解くことができる。
「――スラウス」
血文字で書かれていた名前を呟き、その後に中途半端な、『たす』という文字が続いているのを見たレウルスはゆっくりと顔を上げる。おそらく、『たすけて』と書こうとしたのだろう。
レウルス達に気付かれないようスラウスが侵入したのかと思考するが、エリザの部屋の木窓はこじ開けられたような形跡はない。
そもそもスラウスの存在を知って警戒しているスペランツァの町の警戒網を抜け、レベッカ達司教に気付かせず、なおかつジルバの警戒すらも潜り抜け、その上で眠っていたとはいえレウルス達に気付かせずにエリザだけを攫う。
それはいくらスラウスといえど不可能と考えるべきで、何らかの手段を用いてエリザの方から“出てくる”よう仕向けたのだろう。幾人、幾十人も操ってみせたスラウスならばそれも可能だとレウルスは結論付けた。
「――あの野郎」
そして、結論付けたレウルスの口から押し殺したような呟きが零れる。その声色は硬く、それでいて明確な怒りが込められていた。
レウルスはその顔から一切の表情を消すと、エリザの部屋を後にする。その際開けていた扉を閉めるが、その心情を示すように派手な音を立てて、叩き付けるようにして扉が閉められた。
「ちょっとちょっと、レウルスってば早朝から何を騒いで……ぴぃっ!?」
物音に気付いたサラが寝惚け眼を擦りながら自室から出てくるが、レウルスの顔を見るなり小さな悲鳴を上げる。しかしレウルスはそれに気付くことなく、一階の自室に戻って武具を身に着け始めた。
鎧を着込み、手甲を嵌め、脚甲をつけ、革靴の紐をきつく縛る。短剣を腰の裏に固定し、左腰に『首狩り』の剣を差し、『龍斬』を背負って剣帯を締めた。
「えっ、あれ、な、なんでそんなに怒ってるの? わたし何かしちゃった?」
そんなレウルスの姿に、ついてきていたサラがおっかなびっくりといった様子で尋ねる。
その声でようやくレウルスは動きを止めた。そしてサラへ視線を向けると、低い声で言う。
「エリザがスラウスに攫われた」
「えっ?」
端的に述べたレウルスに対し、サラは呆気に取られたように目を丸くした。レウルスはそんなサラの反応に何も言わず、自身が身に着けた装備の最終確認をする。
昨日戦闘があったばかりだが、カルヴァンをはじめとしたドワーフ達が丹精込めて作り上げた武器や防具に問題はない。エリザとの『契約』が途切れた分、身体能力が落ちている感覚はあるが魔力に関しても大きな問題はない。
――今すぐレモナの町に向かい、斬り込むのに何の問題もない。
「ちょっ……ちょーっと待ってレウルス! お、落ち着いて? 顔が怖いから落ち着いて? 一体何する気?」
「落ち着いてるさ。ちょっとレモナの町に行ってエリザを取り返してくるだけだ」
「え? それ落ち着いてな……ああもうっ! ミーア! ネディ! こっちに来て! もしくはジルバかコルラード連れてきて!」
レウルスの剣幕に、サラは焦ったような声を上げた。すると、その声が聞こえたのかミーアとネディが階段を駆け下りてくる。
「サラちゃん、朝から何を騒いで……って、レウルス君!? なんでそんなに殺気立ってるの!?」
「……レウルス?」
レウルスの表情を見るなりミーアは驚きの声を上げ、ネディは戸惑ったように首を傾げた。そんな二人の反応を見たレウルスは、逸る心情を抑えて大きく深呼吸をする。
「すぅ……はぁ……大丈夫、落ち着いてるって」
叶うならば、今すぐにでも駆け出したい。何の目的があってエリザを攫ったのかはわからないが、“落とし前”はきちんをつけるべきだ。
心がそうがなり立てるのを抑えながら、レウルスは努めて何度も深呼吸を繰り返す。
――単身でレモナの町に攻め込んで、エリザを奪還することは可能か?
答えは否である。秘密裏に忍び込んだとしても、途中で見つかる可能性が非常に高いだろう。
――仮にエリザを奪還できたとして、スラウスを仕留めることは可能か?
答えは否である。相手はレウルスにジルバ、レベッカにクリス、ティナという五人がかりでも仕留めきれなかった怪物だ。
――それならば、今はどう行動するべきか?
当初の予定通り、戦力を集めてスラウスを仕留められるよう万全を期すべきだ。今にも爆発しそうな怒りを飲み込んで、戦力を揃えるべきだ。このまま感情が赴くままに突撃しても、各個撃破されるだけだ。
それはレウルスも理解している――が、胸に宿った激情が許さない。
わざわざエリザを攫った理由は不明だが、身内を攫ったという一点だけで激昂するに足る。
“それでも”感情が赴くままに動くことはできないと、僅かに残った理性が叫んでいた。
「……まずはコルラードさんに報告をする。動くとすればその後だ」
辛うじて激発することなく判断を下し、レウルスは自宅を後にするのだった。
そして、レウルスから報告を受けたコルラードはレウルスから若干距離を取りながら眉を寄せた。
「エリザ嬢がいなくなった……とな?」
にわかには信じ難い報告だ、と首を傾げる。
この時コルラードが考えたのは、レウルスが考えたことと同様にスペランツァの町における警戒の強さだ。
コルラードが実際に見たわけではないが、グレイゴ教徒によって滅ぼされたはずの吸血種が――“あの”スラウスが現れたのだ。
夜間に攻めてくることもあり得るからと警戒を密にし、普段と比べて不寝番の数を倍にして警戒に当たっていたほどである。
それに加えてレベッカ達を見張るためにジルバが起きていたのだ。その警戒網を抜いてエリザだけを連れ出すなど、尋常な話ではない。
しかしレウルスがそのような嘘を吐く必要もなく、実際にエリザが姿を消している。加えて、無表情を装うレウルスから滲み出る殺気が物騒すぎて正面に立ちたくないほどだ。
「ふむ……警戒に当たっていた者からもエリザ嬢を見かけたという報告はなかったのである。外からの襲撃には備えていたが、内から出ていく者に気を払っていなかったと言えばそうなのだが……」
顎に手を当てながら思案し――コルラードはチラリとレウルスを見る。
「…………」
レウルスは無言かつ真顔でコルラードを見ていた。これまでの付き合いからそれなりにレウルスの性格を掴んだと思っていたコルラードだったが、ここまで切羽詰まった顔をしているのは初めてである。
「……昨晩、バルベリー男爵に改めて状況を説明した。その結果、レモナの町を奪還するべく協力してほしいと要請されたのだが、さすがに吾輩の一存で全てを決めることはできないのである」
「つまり?」
「隊長……アメンドーラ男爵に指示を仰ぐ。さすがに事が大きくなり過ぎたのである」
グリフォンのような中級の魔物が相手ならばまだしも、今回の相手は上級に相当するであろう吸血種だ。それも、レモナの町を支配下に置いていると思しき手合いである。
さすがに手に余ると判断したコルラードだったが、レウルスが怒りを飲み込んで納得する可能性は低いと見ていた。
何故ならば、この案は時間がかかり過ぎるからだ。ラヴァル廃棄街との連絡にレウルス達が向かったとしても、往復するだけで数日はかかってしまう。
攫いこそしたが、エリザはスラウスと同じ吸血種だ。もしかすると無事かもしれないが、“そうである”保証はない。
レウルスが今すぐにでもレモナの町に攻め込みたいと考えていることは、その殺気から理解できた。しかし、コルラードとしてはスペランツァの町を主眼に置いた判断を下すしかない。
コルラードの判断を聞いたレウルスは、大きく息を吐いた。そして頭を横に振り、怒りと殺気で満たされた瞳をコルラードに向けて口を開く――よりも早く、声をかけてくる者がいた。
「まあ……王子様ったらつれないわ。ええ、つれない方だこと。わたしのオトモダチを使えば移動時間を短縮できる……それなのにわたしを無視するのかしら?」
そう言って、いつの間にか歩み寄っていたレベッカが満面の笑みを浮かべるのだった。




