第309話:使者 その2
翌日。
その日も朝から農作業者の護衛に関する依頼を受けるべく、レウルス達は冒険者組合へと足を運んでいた。
秋の収穫が終わるにはまだしばらく時間がかかる。いくら魔物が襲ってくる頻度が減っているとはいえ、備えるに越したことはない。
そんな判断のもと、依頼を受けるべく冒険者組合の扉を潜ったのだが――。
「……んん?」
他の冒険者と挨拶の言葉を交わしながら受付に向かったレウルスは、思わずそんな声を漏らしていた。
早朝ということもあり、多くの冒険者達で混雑するのはいつものことである。だが、レウルスの視界にはそんな“いつも通り”とは異なる光景が広がっていた。
「……組合長、何をしてるんです?」
「見てわからねえか……受付業務だ」
普段ナタリアが座っているはずの受付には、筋肉質な巨体で窮屈そうに椅子に座る人物――ラヴァル廃棄街冒険者組合の組合長、バルトロがいた。
さすがに武装はしていないが、禿頭に片眼は眼帯という強面のバルトロが受付に座っていると、威圧感と違和感が凄まじい。
他の冒険者達も困惑しているのか、受付に向かうことなく遠巻きにバルトロを見ているだけだ。
「……見世物じゃねえぞ、おい」
そんな周囲の冒険者達に向かってドスの利いた声で呟くバルトロ。それがますます受付らしくなくて、レウルスも反応に困ってしまった。
「あれ、組合長じゃない! どうしたの? 何してるの?」
「組合長……ナタリアは?」
だが、周囲の空気を気に留めず、サラとネディが受付に駆け寄る。物怖じしない二人の様子に、バルトロは右目を細めた。
「おう、サラとネディか。見ての通り受付業務だ。ナタリアの奴は……野暮用があってな」
「ふーん……そうなんだー」
「今日のおしごと……は?」
サラは何も考えていないような笑顔で頷き、ネディは依頼の紹介を頼む。そんな三人のやり取りを聞いていたレウルスは、小さく首を傾げた。
(姐さんが野暮用? 一体何があったんだ?)
レウルスが知る限り、ナタリアが冒険者組合を離れることは滅多にない。あるとしても自宅に帰るか、レウルス達に緊急の依頼を頼むべく足を運んでくる時ぐらいだ。
(……コルラードさんが何か持ち込んだか?)
レウルスの脳裏に、昨晩のコルラードの姿が蘇る。
ナタリアの居場所を聞いてきたコルラードに、一晩経つと姿が見えないナタリア。
まさか“色っぽい話”かと少しだけ考えたレウルスだったが、ナタリアに対するコルラードの姿勢を思い返してそれはないかと一人納得する。
仮にナタリアがコルラードを艶事に誘った場合、コルラードは顔を青くして逃げ出しそうだ。そして親友の世話になること請け合いである。
「おら、お前らも呆けてないで仕事に取りかかれ。時間は待っちゃくれねえぞ?」
そんなことを考えていたレウルスだったが、バルトロの言葉を聞いて意識を切り替えた。
ナタリアが何かしているとしても、声をかけられていない以上、自分にできることはない。
レウルスはそう判断し、農作業者の護衛を請け負って冒険者組合を後にするのだった。
――そしてその日の晩、レウルスはナタリアに呼び出しを食らった。
今日も今日とて無事に農作業者の護衛を終えたレウルスは、いつの間にか冒険者組合に戻ってきたナタリアから“夜のお誘い”を受けたのである。
こうした機会は初めてではない。呼ばれたのはレウルス一人で、エリザ達は家で留守番である。
(俺だけを呼び出す……今日受付にいなかった件についてか? 他に何かあったっけ……)
ナタリアの家に向かう道すがら、レウルスはナタリアの呼び出しに関して思考を巡らせていた。
(今度はどんな無理難題が出てくるのやら……)
ナタリアに単独で呼ばれた場合、厄介事とセットであることが大半だ。純粋に楽しめたのは最初の一回だけだろう。
そうやって思考しながらナタリアの家に到着したレウルスは、扉をノックする前に一度だけ深呼吸した。
「――開いているわよ」
そして、扉越しに声をかけられて思わず苦笑する。特に気配を消していたわけではないが、接近に気付かれていたらしい。
「それじゃあ邪魔するよ……って、姐さん?」
扉を開けてナタリアの家に足を踏み入れたレウルスは、ナタリアの姿を見て思わず首を傾げた。
純白のエプロンを身に着け、髪を白いリボンでポニーテールにまとめたナタリアが、台所に立って料理をしているのだ。
「もう少しで料理ができるから、椅子に座って待っていてちょうだいな」
「あ、ああ……」
前振りもなしに椅子に座るよう勧められ、レウルスは曖昧に頷く。そしてひとまずは言われた通り椅子に座ると、テーブルの上に視線を向けた。
テーブルに置かれていたのは、ワインボトルが一本とワイングラスが二つ。他には白いパンが盛られた籠に、彩りよく作られたサラダ。そして空の深皿が一つずつ。
そこまで観察したレウルスは料理をしているナタリアに視線を向ける。どうやら煮込み料理を作っているらしく、お玉で鍋をかき回すナタリアの姿があった。
(えーっと……え? 何? なんだこの状況……)
鍋をかき回す際に左右に揺れるナタリアの髪を眺めながら、レウルスは内心だけで激しく混乱する。
ナタリアが料理を作ってくれるのは初めてではない。頻繁にあるわけではないが、ことあるごとに呼び出されて料理を振舞ってくれるため、“本来ならば”驚くようなこともでない。
それでもレウルスが混乱しているのは、料理を作るナタリアの雰囲気がこれまでにないほど明るかったからだ。
背中を向けているため表情は見えないが、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌に鍋をかき回しているのが伝わってくる。
――“あの”ナタリアが、レウルスでもすぐに察せられるほどに上機嫌なのだ。
(……俺、死ぬの?)
言葉に出せば張り倒されそうなほど失礼なことを考えるレウルスだが、咄嗟にそう考えてしまうほどにナタリアの様子がおかしい。
ナタリアの機嫌が良いのを見るのも、初めてではない。レウルスが上級下位の冒険者になったことを祝うという名目で呼ばれた時も、非常に機嫌が良かった。
それでも、今日ほどナタリアの機嫌が良さそうな姿を見たことはない。ナタリアの素性やラヴァル廃棄街の“立場”を知った時と比べても、段違いに機嫌が良いのだ。
(姐さんがここまで機嫌が良くなる理由……あ、もしかしてあの件か?)
ナタリアの様子に混乱していたレウルスだったが、その理由に察しがついて心中で納得の声を上げる。
それは、以前ナタリアが語った夢に関してだ。
――ラヴァル廃棄街を独立させ、“普通の町”にする。
その夢を叶えるために生きてきたナタリアが、ここまで上機嫌になっているのだ。ルヴィリアに関する依頼を受けた時にも、管理官であるナタリアへの報酬に関する話が出ていた。
ラヴァル廃棄街に戻ってきて二ヶ月が過ぎたが、その辺りの話がまとまったのかもしれない。それでナタリアが上機嫌なのではないか、とレウルスは予測した。
(……そんな考えを平気で飛び越えてきそうで怖いけどな)
ナタリアが上機嫌な点に関して推測することができ、レウルスは平静を取り戻す。すると、まるでそれを見計らったかのようにナタリアが振り返った。
「正解よ」
「ごく自然に心を読まないでくれるか?」
唐突かつ心臓が跳ね上がりそうなナタリアの言葉に、レウルスは真顔で頼み込む。
あるいは言葉に出してしまっていたのか、と考えるが、そのような真似はしていない。
「冗談よ。あなたならわたしが機嫌が良いことに疑問を持って、その理由にも見当をつけられると思っただけ。あとは時間を見計らってそれらしいことを言えば……ふふっ、驚いたでしょう?」
「心臓が止まるかと思ったよ……本当に心を読めていたりしないよな?」
一応の確認として尋ねるレウルスだったが、ナタリアは意味ありげに微笑むだけで答えない。
そのためレウルスが頬を引きつらせていると、ナタリアが調理に使っていた鍋を持ち上げ、料理を深皿によそい始める。
(お、シチューか……シチュー?)
その料理を見て名前が浮かんできたレウルスだったが、合っているか確証が持てない。
ブロッコリーに似た野菜とジャガイモに似た芋類、そして何かしらの肉を白い煮汁で煮込んで作ったその料理は、レウルスの食欲をそそる香りがしていた。
思わずレウルスがシチューらしき料理を眺めていると、エプロンを外したナタリアが対面に腰を下ろす。
「不安がると悪いから先に伝えておくわ……あなたの予想通り、わたしの夢が叶いそうなの。今日あなたを呼んだのは、それを伝えるためよ」
そう言いつつ、ナタリアはワインのコルクを抜き始める。
「そうか……おめでとう」
「ありがとう」
レウルスはしみじみと、それでいて短く言祝ぐ。それに応えるナタリアの返答も短かったが、その声には喜びの色が宿っていた。
(いくら事情を知ってるっていっても、長々と言うのは何か違うよな……)
ナタリアの夢に関して知らされているレウルスだが、その夢を叶えようとナタリアがどれほど苦労したか。その全てを知るわけでもないため、祝いの言葉が短くなってしまった。
「朝から受付にいなかったのは……」
「お隣のラヴァルに行っていたの。コルラードを通して召喚を受けてね」
(……準男爵の姐さんを呼び出した?)
それはどうなのか、と首を傾げるレウルス。呼び出したのがナタリアよりも上位の者なのかもしれない。
そんな疑問を覚えるレウルスに、ナタリアがワインを差し出した。そのためレウルスはワイングラスを持ち上げてワインを注いでもらう。
ナタリアがワインを注ぎ終えると、今度はレウルスがナタリアのワイングラスにワインを注いだ。そしてひとまず疑問を飲み込み、まずは祝う。
「とりあえず……乾杯」
「ええ……乾杯」
ワイングラスを軽く打ち合わせ、互いに一口ワインを飲む。そしてレウルスは大きく目を見開いた。
「なんだこれ……滅茶苦茶美味いな。以前飲ませてくれたやつも美味かったけど、こっちの方が美味いような……」
その味に驚きを覚えたレウルスが素直に称賛すると、ナタリアは小さく微笑んだ。
「こういう喜ばしい時に飲もうと思って取っておいたの。これはわたしが自分で選んだものよ」
「そんな時に一緒に酒を飲む相手に選ばれるとは、光栄だな」
一人で祝杯をあげるのは寂しかったのかもしれない。レウルスはそう思いながらもう一口ワインを飲み、軽く笑う。
「でも、こんな良い酒を飲ませてもらったら後が怖いな……祝うだけじゃなくて、何か面倒な依頼があったりしないか?」
これに関しては穿ち過ぎというわけでもないだろう。それでもナタリアが寄越す依頼ならば、とレウルスが内心で身構えていると、ナタリアは苦笑を浮かべた。
「今回はそういった依頼はないわ」
「……あれ、ないのか?」
「ええ……ただ、依頼はなくても“お願い”があるの」
一瞬肩透かしを食らった気分になったレウルスだったが、続いたナタリアの言葉に表情を引き締める。
やはり来たか、と思いながらも用件を促し。
「わたしと一緒に……王都に行ってくれないかしら?」
「……え?」
ナタリアから告げられた言葉に、レウルスは思わず間の抜けた声を漏らすのだった。




