第125話:『城崩し』 その5
「――って、ボロボロではないか!? 大丈夫なんじゃろうな!?」
颯爽と登場したエリザだが、レウルスの状態を見るなり慌てて駆け寄ってくる。その両手にはエリザの身長よりも大きな、杖らしき物体を抱えていた。
「エリザ……か……」
レウルスは声をかけようとしたものの、声が掠れてしまった。エリザが持つ杖らしき物体に視線を向けてみるが、それが件の魔法具なのかと疑問に思ってしまう。
エリザが握っている杖の長さは、およそ一メートル五十センチといったところだろうか。形状は真っすぐで細長く、エリザの小さな手でも握れる程度の太さしかない。
材質は金属を使っているのだろう。鉄なのか、それとも別の何かなのか、鈍色でとても頑丈そうだった。そして、杖の両端には目につく特徴がある。
石突は尖らせてあり、刺突に使えそうなほど鋭利だ。そして、杖の先端は丸く膨らんでいる。
形状だけ見ると、巨大な杭か釘にも見える。エリザが杭を持つというのは笑えないが、吸血種は吸血鬼ではない。心臓に杭を打たれずとも死んでしまう、“普通”の人間なのだ。
(……『宝玉』はどこにいった?)
ざっと確認した限り、エリザの魔法具ように渡した黄色い『宝玉』が見当たらなかった。もしかすると丸く膨らんでいる部分に入っているのかもしれないが、わざわざ金属で包む理由がレウルスにはわからない。
「この杖があればワシも戦えるぞっ! レウルス、ここからはワシに任せて――」
「あぶねえ!」
興奮した様子で駆け寄ってきたエリザだが、地下に潜ったはずの魔力が近づいてきていることに気付き、レウルスは叫んでいた。声を張り上げるだけでも一苦労だが、それに文句を言っている暇もない。
傍にいたミーアを抱き上げ、駆け寄ってきたエリザも抱え上げる。そしてその場から全力で飛び退くと、轟音を立てながら『城崩し』が飛び出してきた。
「な、なんじゃ!? 戦いの音は聞こえておったが大きすぎるじゃろ!?」
地面から飛び出してきた『城崩し』を至近距離で目の当たりにしたエリザは、目を見開いて驚愕の声を漏らす。そんな驚愕の声を聞きつつもレウルスの足は止まらない。少しでも距離を取ろうと『迷いの森』を疾走していく。
「ミーア……」
「あっち! 右の方に集落があるよ!」
名前を呼ぶだけで意図を酌んだのか、ミーアが進行方向を指示する。エリザが駆けつけてくれたのは助かるが、魔法具があるとしてもどうやって戦うかはわからないのだ。
満足に喋ることができないほど痛む体に辟易としつつも、レウルスは『熱量解放』によって強引に体を動かして走り続ける。
「ちょ、と、止まってほしいのじゃ! この魔法具は動きながらでは満足に使えないんじゃ!」
「後ろを……見て……言えっ!」
ようやく完成した魔法具を使いたいという気持ちがあるのだろう。エリザが抗議するように叫ぶが、レウルスは背後から接近してくる魔力を感じ取っていた。
巨大な何かが地面を這いずる音。地面にしっかりと根を張った木々が力任せに薙ぎ倒される音――ついでに言えば、『城崩し』の奇声も聞こえる。
『シャアアアアアアアアアアアアアアアァッ!』
「レウルス君頑張って! このままじゃ追いつかれる!」
抱きかかえたミーアが励ますように言うが、レウルスは全速力で走っているのだ。いくら『熱量解放』で身体能力を引き上げているといっても、『城崩し』とは体の大きさが違い過ぎる。むしろ徐々に差を詰められている現状でも出来すぎだろう。
予定では足止めをしている間にエリザとサラを呼んでもらうつもりだったが、エリザだけが駆けつけてしまった。援軍は嬉しいが、二人が同時に来てくれれば『城崩し』を“料理”する手段もあったのである。
エリザだけでは『城崩し』の動きを止められるかわからない。魔法具の効果がどれほどあるのかもわからない。レウルスにできるのは、少しでもドワーフの集落に近づいてサラの合流が早まることを願うことだけだ。
(こういう時に『思念通話』が使えればな……)
サラが近くにいれば『思念通話』も使えるが、今は近くにいないのだろう。『思念通話』が使えればエリザから魔法具の説明を聞けるのだが、全力で走っている現状では声に出して尋ねることも難しい。
――背後から、巨体が跳ねる轟音が届く。
「跳んだよ!」
「……おう、よ!」
それまで真っすぐ走っていたが、脚力に物を言わせて強引に進路を変える。迫りくる魔力は背後ではなく頭上に移動しており、地面に巨大な影も差し始めていた。
一瞬だけ頭上を見上げてみると、『城崩し』の巨体が空から降ってきているのが見えた。どうやらレウルスが進路を変更したのに合わせて体をねじったらしく、走り続けても『城崩し』のボディプレスからは逃れられそうもない。
「レウルス!? ワシが魔法で!」
「無理を……言うな……お、オオオオオオオオォォッ!」
このままでは圧し潰される。そう判断したレウルスは全力で跳躍すると、進行方向に生えていた木を全力で蹴りつけた。そして強引に直角に曲がると、『城崩し』の巨体から辛うじて脱することに成功する。
だが、それで安心してもいられない。『城崩し』がその巨体をくねらせれば、それだけで長大な間合いを持つ攻撃へと早変わりするのだ。
「エリザ……」
「な、なんじゃ!?」
「“何”が……でき、る?」
少しだけ減速しながら、必要最小限の問いかけを行うレウルス。内臓が傷んでいる状態で走り回ったせいか、喉元を“何か”がせり上がってくる感触があった。
それでも、エリザはレウルスの問いかけをきちんと理解して答える。
「この杖があればワシは『詠唱』なしで魔法が使えるんじゃ! 地面に突き刺しながら使えばワシが痛手を負うこともない!」
「……ハッ、上等」
足を止めなければ使えないというのは、どうやら杖が“アース”の役割も兼ねているかららしい。
『詠唱』によって強引に雷魔法を使っていたエリザだが、自傷などのデメリットすらも解消できるのなら言うことはないだろう。
足を止めて使う必要があるのが難点だが、通常ならばレウルスが壁役として前線で暴れるため使い勝手も悪くないはずだ――『城崩し』を相手にしている現状では使いにくいが。
「っ……ごほっ! ぅぇ……ごほっ!」
このままでは喋りにくくて仕方がない。そう判断したレウルスは走りながら喉にせり上がってきたものを吐き出した。それは血の塊で、どうやら“曲芸”の代償は内臓の損傷だったらしい。
「あー、あー……よし、少しはマシになった」
走りながら血を吐いたせいで、ズボンなどが真っ赤に染まってしまった。さすがに走りながら血を吐くと体がふらついてしまったが、そこは根性と『熱量解放』によって耐える。
エリザとミーアには血がかからないよう配慮したが、突然血を吐いたレウルスの姿に目を見開いていた。
「れ、レウルス君……今、すごい量の血が……」
「このくらいじゃ死なねえから心配すんな……ミーア、エリザを連れて移動しろ。あの糞ミミズは俺を狙ってるみたいだし、誘導する。エリザは可能な限り高い威力で魔法を撃つ準備だ」
『熱量解放』を使っている時は大抵の痛みを無視できる上に、エリザとの『契約』によって勝手に怪我が治っていくのだ。これまでの経験から内臓の損傷を回復するには時間がかかるが、体感として死ぬまではいかないとわかっている。
「……わかったのじゃ」
ミーアは心配そうな表情を崩さないが、エリザはすぐに頷いた。その即断にレウルスは唇を笑みの形に歪ませ――力いっぱいエリザとミーアを遠くへと放り投げる。
突然のことに驚く二人だったが、ミーアだけでなくエリザも『強化』を使うことができる。二人とも足から着地すると、すぐに駆け出した。レウルスの指示通りに動いているのだ。
「さーて……ここからは鬼ごっこだな」
何故かはわからないが、『城崩し』は自分を狙っている。レウルスはそう感じ取っており、事実、これまでの攻撃もレウルスを狙うものばかりだった。
ミーアも攻撃に巻き込まれていたが、『城崩し』の巨体で攻撃を行おうとすれば強制的に巻き込まれるというものだ。
(人間を狙ってる? それとも俺だからか? その辺りが聞けたら良かったんだが……喋れないみたいだしな)
走り去るエリザとミーアに視線も向けず、『城崩し』はレウルスを追いかけ回す。レウルスは二人を放り出したことで軽くなった体を動かし、『迷いの森』の中をひたすらに駆け回る。
『城崩し』は口を開けて無数の牙を覗かせると、レウルスを一飲みにするべくその巨体をくねらせながら蛇のような動きで向かってきた。
(コイツ、ミミズか蛇かと思ったけど、口だけ見れば別物だよな……)
そもそも、ミミズに目があっただろうかとレウルスは僅かに疑問を覚えた。それでもその体は動き続けており、木々を薙ぎ倒しながら追いかけてくる『城崩し』に差を詰めさせない。
全長二百メートル近くある巨体が背後から迫ってくる様は、中々に恐怖を誘う。それでも『熱量解放』を使うレウルスの足には追い付けない。エリザとミーアを抱きかかえ、不安定な状態で走っていた時と比べればその速度は大きく異なるのだ。
しかし、逃げてばかりではどうしようもない。武器として使っていた大剣も半ばから折れているため、『城崩し』へと斬りかかるにはこれまで以上に接近する必要がある。
「シイイィィッ!」
もっとも、レウルスにも遠距離からの攻撃手段がないわけではない。走り回っている間に魔力を集中させると、振り向きざまに折れた大剣を振るって魔力の刃を飛ばす。
レウルスにとっては唯一の遠距離攻撃手段だ。元々は意識せずに使っていた技だが、『熱量解放』を使っている時ならばある程度意識して使える――が、『城崩し』の外皮を僅かに傷つけるだけで魔力の刃が消えてしまった。
武器が悪いのか、それとも魔力が足りないのか。『城崩し』の目を狙えるだけの精度があれば良いのだが、そんなことができるならばレウルスも最初からやっている。
(囮になるので精一杯か……情けねえ)
いくら『熱量解放』で身体能力が上がっているとはいえ、使える武器がなくてはまともに戦えない。むしろ『熱量解放』があるからこそまともに戦えないのだ。
ドワーフ製の大剣も折れるほど、荒々しく戦うことしかできないのだから。
「レウルス!」
遠くからエリザの声が響く。その声を聞いたレウルスは即座に進路を変更し、声がした方向へと向かう。
背後から迫る『城崩し』に恐怖を覚えつつも、レウルスは『迷いの森』を走り抜ける。そしてレウルスが辿り着いたのは、ドワーフの集落が存在する山の麓だった。
エリザとミーアはどこにいるのかと視線を巡らせてみると、何故か山の斜面に二人の姿がある。
エリザは山の斜面に石突を刺し、杖の先端を麓に向けていた。ミーアは魔法に巻き込まれないよう距離を取っており、心配そうな表情でレウルスを見ている。
(魔法は!? 撃てるのか!?)
今のところエリザが雷魔法を発現した気配はない。魔力は感じ取れるがそれだけだ。
『シャアアアアアアアアアアアアアアアァァツ!」
レウルスを追いかけてきた『城崩し』が『迷いの森』を抜け出てくる。レウルスは即座に山の斜面を登り始め――巨大な魔力がエリザから発せられた。
「っ!?」
一体何事かと、思わず足を止めそうになる。それでも止まっていては『城崩し』に飲み込まれると走り続けたレウルスが見たのは、エリザが握る杖の“変化”だ。
いつの間にか杖の表面に幾多もの『魔法文字』が浮かび上がっており、杖の先端に魔力が集中していく。
エリザの魔力だけでそれを成しているのか、あるいは何かしらの仕掛けで魔力を集めているのか。杖の先端が白く輝き始め、バチバチと音を立て始めた。
「ぬ、う……これは中々、きついのう……」
杖を両手で握るエリザは額から冷や汗を流している。それでもしっかりと杖を握りしめ、その“照準”を『城崩し』へと定めていた。
「じゃが……それでもっ!」
エリザが杖を握る手に力を込める。すると、杖の先に白い球体が生み出された。その球体はバチバチと音を立て、秒を追うごとに大きさを増していく。
エリザの語った通り、『詠唱』なしでも雷魔法が使えるらしい。それに加えてエリザが負傷した様子もない。ただし、石突を刺した山の斜面から煙が上がっているようにも見えたが。
「――もう、足手まといは嫌じゃ!」
そう叫び、エリザが発現していた雷魔法が放たれる。
(……嘘だろ?)
思わず内心でレウルスが呟くほど、エリザが放った雷魔法は強大だった。
放たれたのは、一条の光線だ。空気すらも焦げ付かせるような轟音を上げながら、雷の奔流が放たれる。
その一撃は斜面を駆け上がっていたレウルスの頭上を通るように放たれたが、空気自体が帯電しているのか握っていた大剣を通して僅かに痺れを感じるほどだ。
『ッ!?』
さすがの『城崩し』も危険だと感じたのか、即座に回避行動を取った。体を捻って回転させると、一直線に飛んでくるエリザの雷魔法をギリギリのところで回避する。
「弾けよっ!」
だが、それを見越したようにエリザが叫んでいた。その声に合わせて放たれていた雷光が炸裂し、直撃を回避した『城崩し』へと襲い掛かる。
『ガアアアアアアアアアアァッ!?』
全身に負っていた傷から電撃が侵入してきたのか、それとも身に纏っていた鉱石類が電気を通したのか。『城崩し』は全身から煙を上げながら悲鳴を上げた。
レウルスとしては追撃を仕掛けたいところだが、圧し折れた大剣では満足に切り刻むこともできないだろう。それでも傷口を抉ることはできるだろうかと思考し――ここ最近感じ慣れた魔力が頭上から降ってくる。
「とうっ! 真打の登場よ! それとお届け物よ!」
山頂から飛び降りてきたと思わしきサラが、片刃の大剣を担いで笑っていた。