第124話:『城崩し』 その4
“この世界”に生まれ落ちたレウルスは、これまで様々な魔物を見てきた。
前世でも見たことがある動物を狂暴化させたような魔物。
空想上にしか存在しなかったような魔物。
レウルスとしては魔物に含めるつもりはないが、吸血種や精霊といった人型の魔物や亜人も存在する。
これまで見たことがある魔物の多くは危険で、下級下位の魔物だろうと人間を一撃で即死させるような攻撃手段を持っていた。
中には魔法を使う魔物や人間顔負けの戦術を駆使する魔物など、度肝を抜かれることも珍しくない。魔物と呼ばれるに足る身体能力を持ち、魔法という超常の力を振るうことすらある存在を前にすれば、ただの人間など容易く殺されるだろう。
だが、レウルスとてそんな魔物に負けないよう強くなった。
実戦を通して体が鍛えられ、自分の意思で『熱量解放』を使えるようになり、エリザやサラと『契約』を交わしたことで常に魔力を送られ、『強化』のように身体能力が引き上げられているのだ。
『熱量解放』がなくとも中級の下位程度ならば勝てる。『熱量解放』を使えば更にその上――相性次第ではあるが中級の上位にも勝てるだろう。
――だが、いくらなんでも“コレ”は非常識過ぎる。
『城崩し』と呼ばれる巨大な魔物によって空へと打ち上げられたレウルスは、上昇の勢いがなくなりつつあることを感じながら激しく戦慄していた。
足元にあった大量の土石がクッションになったのか、強制的に“発射”させられた衝撃はそれほど大きくない。しかし、現状では大した慰めにもならなかった。
(これが中級なわけがねえ……ヴァーニルには届かないにしても、絶対に上級の魔物だろ!?)
跳ね上げられたせいで徐々に遠くなっていく地上を見下ろしながら、レウルスは内心だけで叫ぶ。笑えないことに、現時点で地上から五十メートル近い高さがある。
どれほどの力を込めて『城崩し』が下半身を振るったのかはわからないが、目測で二百メートル近い巨体を使えば人間のレウルスなど石ころのようなものだろう。人間とて、石ころならば何十メートルも先に投じることができるのだ。
しかし、である。『城崩し』はその巨体を震わせたかと思うと跳躍してきた。五十メートル近い高さまで上昇したレウルス目掛け、口を開けて飛びついてきたのだ。
レウルスもミーアも地面に落下した衝撃だけで死にそうだが、どうやら『城崩し』は“獲物”を確実に仕留めるスタンスらしい。油断が感じられない、野生の獣染みたその姿勢はレウルスとしても見習いたいほどだ。
――襲われているのが自分でなければ、だが。
レウルスには空中で移動する手段がない。以前グレイゴ教徒と戦う際に空中を駆けたことがあるが、それは氷魔法の使い手であるシャロンの助力があったからこそだ。
足場がなければ動くことなどできない。魔法という超常の力があったとしても、氷魔法で足場を作るか、あるいは風魔法で自身を吹き飛ばすぐらいしか空中で移動する手段はない。
だが、この場にはレウルスだけでなくまとめて放り上げられた多くの土石があった。“今も”空に向かって上昇しているからか、レウルスは足の裏に硬い感触を覚える。
反射的に周囲を見回してみると、多くの土に混じって岩なども宙に浮かんでいた。それを目視した瞬間、レウルスは動く。
落下が始まれば、最早逃げ場はない。重力に引かれて落下死するか、大口を開けて突撃してくる『城崩し』に丸呑みされて死ぬか。
敢えて『城崩し』に飲み込まれるという逃げ道もあるだろうが、それは間違いなく悪手だ。大きく広げた『城崩し』の口内には、何をどうすればそこまで生えるのかと問いかけたいほどに大量の牙が生えている。
内側から斬り破るよりも先に、全身を噛み砕かれて死ぬのがオチだろう。
「オ――オオオオオオオオォォッ!」
重力が狂ったような違和感と、一歩間違えれば命を落とす恐怖感。それらを振り払うように咆哮し、レウルスは足元にあった岩を全力で蹴り付ける。
最低でも『城崩し』の口から逃れなければならない。そして、レウルスと同じように空中へと放り出されたミーアを助けなければならない。
『熱量解放』による身体強化を最大に活かし、レウルスは一抱えはありそうな岩を蹴って宙を飛ぶ。練習なし、一発勝負で失敗すれば即死の綱渡りならぬ岩渡りだ。
蹴り砕かんばかりに岩を蹴り付け、重力に逆らって岩から岩へと飛び移っていく。自身の脚力でも届き得る範囲に存在し、なおかつ足場として利用できそうな大きさの岩を瞬時に把握し、次から次へと飛び移る。
『熱量解放』によって強化されているのは身体能力だけではない。動体視力も増し、思考速度は加速する。
レウルスの体感としてはゆっくりに思える速度で、しかし外部から見れば人外とも思える身のこなしと速度を発揮し、必死の形相で『城崩し』の突撃範囲から離脱する。
それと同時に、レウルスはミーアの元へと疾駆した。さすがにレウルスのように空中で岩から岩へ移動することなどできなかったのか、ミーアは死の恐怖を感じ取って表情を歪めている。
「ミーア!」
「れ、レウルス君っ!?」
何故近い場所にレウルスがいるのか、ミーアには理解できなかったようだ。恐怖を忘れたように呆然と、それでいて光明を見たように明るさを取り戻す。
『シャアアアアアアアァァッ!』
だが、『城崩し』とて黙っているわけではなかった。
突撃した先からレウルスが離脱するなり咆哮し、ぐるりと空中で身を捻る。それまで一直線に突き進んでいた体を“前”へと倒し、レウルスとミーア目掛けて前方宙返りの要領で胴体を叩きつけようとする。
突撃からの丸呑みは回避できたが、『城崩し』ほどの質量が直撃すればそれだけ圧死するだろう。レウルスは背後からヒシヒシと感じる死の気配に背筋を震わせつつも、全力で岩を蹴りつけてミーアへと飛びついた。
「口を開けるなよ! 舌を噛むぞ!」
「う、うんっ!」
辛うじて、と言うべきだろうか。左手でミーアの腕を掴むことに成功したレウルスは力任せに引き寄せ、左脇に抱えるようにしてしっかりと保持する。
続いて、『城崩し』のボディプレスから逃げるためにレウルスは近くにあった岩に着地して全力で蹴り付け――。
「っ!?」
全力で蹴り付けたというのに、体はそれほど動いていない。慌てて視線を向けてみると、“落下”し始めていた岩はレウルスの脚力に押され、そのまま地表に向かって加速しているところだった。
落下し始めているのは周囲の土石だけではない。レウルスとミーアの体も重力に引かれて落ち始めている。
このまま落下して死ぬのが先か、それとも『城崩し』の胴体に押し潰されて死ぬのが先か。あるいは『城崩し』の胴体ごと地面に落下し、圧死するのか。
重力に引かれて落下しているからか、全身の血が頭へと昇っているように感じられた。足元から一気に冷たくなっているようにも感じられ、レウルスは気色の悪い感覚を全身で味わう。
徐々に迫りくる地表。頭上を見上げてみれば、『城崩し』の巨体も空を覆うようにして降ってきている。
このままいけば、落下死よりも先に『城崩し』の胴体が命中するだろう。『城崩し』の体には岩石や鉱石が大量に付着しているため、圧死ではなく撲殺されるかもしれない。
「く、そ……があああああああああぁっ!」
足場になりそうな岩は既にない。レウルスは上体を捻ると、左手で握っていたミーアの体を振り子のように振り回して強引に姿勢を変える。そして、ミーアを振り回した勢いを利用し、頭上から迫りくる『城崩し』の胴体目掛けて右手に握っていた大剣を全力で叩きつけた。
全力と言っても踏み込むことすらできない。体の捻りだけで繰り出した斬撃など、『城崩し』の外皮どころかその身に纏う岩石すら斬れはしない。
だが、それで良いのだ。今のレウルスにとって必要なのは『城崩し』を斬ることではない。『城崩し』の巨体と落下死を避けるための“取っ掛かり”こそが必要なのだ。
「ガアアアアアアアアアアァァァッ!」
右手で握っている大剣の切っ先が『城崩し』の体に触れた。それを認識した瞬間、レウルスは全力で右手に力を込める。
『熱量解放』によって強化された腕力を十全に発揮し、レウルスは自身とミーアを『城崩し』の胴体の範囲から“外”へと逃がす。
力を入れ過ぎたのか、右の胸筋と二の腕辺りから何かが千切れるような音が聞こえた。
筋肉が隆起して服が破れたのか、あるいは筋肉自体が千切れたのか。痛みを感じる余裕もないためレウルスも確認ができなかった。
それでも、叩きつけた大剣と姿勢を変えるために振り回したことで、ミーアは完全に『城崩し』の胴体から脱することができた。レウルスも無理をした甲斐があり、紙一重としか言いようがないがギリギリのところで回避することに成功する。
爆風と轟音を伴った超巨大な質量が、皮一枚のところを通過していく。あまりの風圧に皮膚がやすり掛けでもされているように錯覚する。しかしそれは錯覚だ。ミーアは完全に、レウルスもギリギリのところで回避に成功した。
あとは着地をどうにかするだけである。もしかすると『熱量解放』で強化された体ならば死なずに着地できるかもしれない。
頭上から降ってきた『城崩し』の超重量を回避したことで、レウルスの意識が僅かに逸れた。
『シャアアアアアアアァァッ!」
「おぐっ!?」
そして、それを察したのか『城崩し』が胴体を捻る。それによって回避したはずの『城崩し』の胴体が眼前に迫り、レウルスの全身を強打する。
ゼロ距離から突如として発生した、トラックでも突っ込んできたかのような衝撃。ミーアはともかく、触れ合うほど近くにいたレウルスは全身に激痛を覚えながらピンボールのように撥ね飛ばされた。
垂直に落下していた体が、強制的に真横へと弾かれる。それはレウルスが腕を掴んでいたミーアも同様で、レウルスに引かれるようにして落下の軌道を変えた。
『城崩し』が胴体を叩きつけてきた時に岩石か鉱石でも命中したのか、割れた額から大量の血が滴ってレウルスの視界を赤く染める。
地表まで残り十メートルもない。そして、ここは『迷いの森』である。レウルスの赤い視界の中に映ったのは、大量に乱立する木々の群れだ。一体どれほどの勢いで撥ね飛ばされたのか、視界が上下左右にと目まぐるしく回転する。
「グ、ガアアアアアアアアアアァッ!」
全身が痛むのに構わず、レウルスは左手で掴んでいたミーアを再び引き上げて抱きしめた。そしてきりもみ回転しながら『迷いの森』の木々へと没入し、全身で木の枝を圧し折りながら徐々に減速していく。
「ギィッ!?」
運が良いのか、それとも悪いのか。木々を圧し折って減速したレウルスの体は木の幹に叩きつけられ、ようやく動きを止めた。そして重力に引かれて落下するが、レウルスは辛うじて足から着地することに成功する。
「あ、ぐ、っう……ミーア……怪我、は……ない、か?」
だが、庇ったミーアを地面に下ろすなりレウルスは膝を突いた。
落下死と直撃は避け、『城崩し』からすれば身をよじっただけとはいえど、馬鹿にならない質量が正面からぶち当たってきたのである。その上木々を突き抜けた時に木の枝で斬ったのか、体のあちらこちらから血が流れていた。
特に割れた額から大量に血が流れ、レウルスの顔面を赤く染めている。額から流れる血は首を伝って服まで届き、赤く染め始めているほどだ。
「いったた……う、うん……ボクはそんなに……」
それでも、庇った甲斐があったのかミーアは軽傷である。体の数か所から血が流れているが、レウルスと比べれば怪我はないに等しい。
「っ、レウルス君!? 酷い傷だよ!?」
レウルスの様子に気付いたのか、ミーアは顔を青ざめさせながら叫ぶ。ミーアからすれば致命傷だと思えるほどにレウルスは血濡れなのだ。
「このくらい、なら……まだ動ける……」
そう言ってレウルスは大剣を両手で握り締めるが、妙に軽いことに気付いて眉を寄せる。赤く染まった視界で確認してみると、いつの間にやら刀身が半ばから消えていた。
どうやら『城崩し』が身をよじって弾き飛ばしてきた時に折れたようだ。
(くそ……これで三本目だぞ……)
また武器を折ってしまったと後悔するが、今回は手荒に扱ってでも生き足掻かなければ確実に死んでいた。むしろこうやって地面に立っていることが奇跡と思えるほどなのだ。
大剣も半ばから折れたものの、鈍器としては使えるだろう。そう考えながら大剣の柄を握りしめるレウルスだが、地面に着地したはずの『城崩し』の姿が消えていた。
逃げたのではなく、地面に潜っただけなのだろう。それを裏付けるようにレウルスは地中に巨大な魔力が存在しているのを感じ取っていた。
(“もう一度”は無理だな……)
仮にもう一度空中に打ち上げられれば、今度こそ終わる。先ほどの曲芸染みた回避方法が二度成功するとは思えない。そもそも、『城崩し』が同じ戦法を用いる保証もない。
(魔法なしでコレか……洒落にならねえ)
交戦してそれほど時間が経ってないが、レウルスは既に満身創痍だ。特に右腕から痺れるような痛みが伝わってくる。大剣を握るだけの握力は残っているが、『熱量解放』を解いた瞬間何も握れなくなりそうだった。
レウルスはエリザとの『契約』によって高い自己治癒力を持つが、その回復速度にも限界がある。多少の切り傷ならばすぐに治るものの、骨折や内臓の負傷を治すには相応の時間が必要となるのだ。
「ミーア……先に、集落に……エリザとサラを……」
切り傷などもそうだが、呼吸をする度に体の“内側”が痛む。思うように声も出ず、下手すると内臓が傷んでいるのかもしれない。
それでもレウルスはミーアにエリザとサラを呼ぶよう頼む。武器や魔法具の製作途中だとしても、遠距離攻撃が可能な魔法がなければ太刀打ちできないと判断したのだ。
それまでは時間を稼ぐつもりだが、一体どれほどもつかわからない。『熱量解放』に回せる魔力も無限ではないのだ。
「――その必要はないぞ」
だが、ミーアを集落に向かわせるよりも先に聞き慣れた声が響いた。その声に引かれるように、レウルスは視線を向ける。
「待たせたのじゃ!」
そこには、その背丈よりも大きな杖を抱えたエリザが立っていた。




